第4話 差別
アカデミアに足を踏み入れるとユピたちは早速試験会場となる講堂へと案内される。敷地内には多くの若者たちの姿があったが、彼らは一人たりともアカデミアの制服を着用していなかった。アカデミアの敷地内だというのにユピと同じ私服姿の若者たちが多く、その中でアカデミアの制服を纏うレギナは周囲から浮いていた。
「随分と注目されているようだね」
「当たり前だろ。制服を着てるのはお前一人なんだから」
「これでも予想外の事態に驚いているんだ。まさか志望者がこんなに多かったとはってね」
「入学希望者なら受験者数とか調べておけよ」
ユピにしてみれば入学試験を受けるのだから受験者数や合格者数を調べるのは当然のことであったが、レギナは驚いたそぶりを見せる。そしてすぐにユピが勘違いしていることに気づいて訂正した。
「君は少し勘違いしているようだ。確かに私も今年からアカデミアに入る人間だが、私は君と違って推薦組だ」
「推薦組?」
「そうだとも。ここにいる志望者たちは自ら志願してアカデミアの門戸を叩こうとしているが、私のような推薦組はアカデミアの方から入学を頼まれる。だから私は既にアカデミアの新入生、いや今は零年生といった方が適切かもしれない」
「なるほど。だからお前は制服を身に纏えると」
レギナはヤポニアでも有力な貴族だということはたった数日でユピの戸籍を用意できたことから容易に想像できる。それならばアカデミアがヤポニアの有力貴族の子女を迎え入れるために推薦組にしたって不思議ではない。
もちろんアカデミアに入るだけの能力を兼ね備えていることが条件だが、魔眼を持つレギナなら問題はないに違いない。
「つまりお前は俺の保護者ってことか」
「残念ながら監視者だよ。君が手を抜いて落ちないかというね」
「安心しろ、最善は尽くす。ただそれでも落ちた場合は責任がとれない」
「その時は無理やり君を合格にさせるが、あまり気持ちのいいことではないから頼んだよ」
そういって二人は案内された行動に辿り着くと、試験は既に始まっていた。正確にはユピたちよりも先に来た受験者たちの試験が先に行われていた。
「試験形式は実戦という訳か」
「よかったじゃないか。君の得意分野だ」
「まるで俺が頭の使えないバカみたいな言い方だな」
「神を平気で殺す男がバカでなくて何という」
講堂に入るとそこにいたのは一人の制服を着た男の試験官と、試験官に対峙する受験者であった。アカデミアにはいくつもの講堂が用意されており、入試試験は受験者が複数の行動に分かれて試験官と対峙することで合否が決められる。
「随分と苦戦しているな」
「それが普通だよ。アカデミアの試験官は教師が務めているから学生が勝つことはまずない。だから合格基準も学生が負けることを想定されて作られている」
「なるほどね」
二人がそんなことを話していると、ちょうど試験中だった戦いが終わった。試験官の放った攻撃が受験者のに被弾して意識を飛ばされかける。地面に倒れこんだものの辛うじて意識のある受験者であるが、これ以上の戦闘は不可能であることは自明だった。
だから受験者も無理に立ち上がろうとはしない。そんな受験者に対して試験官が告げる。
「試験官エルモンド・エドモンドの名において告げる。合格だ」
「あ、ありがとうございます!」
立ち上がることはできないまでも受験者は合格を告げられたことに感謝の意を示す。対して試験官エルモンドは近くにいたアカデミアの職員に合格したばかりの受験者を運びださせると次の受験者の名前を告げる。
試験官にとっては軽い運動程度なのだろう。
「次はミューズ・ムサだ。前に出てこい」
「は、はい!」
試験官に呼ばれて前に出たのは眼鏡をかけた気弱そうな黒髪の少女だった。怯える小動物のような挙動をとるミューズに対してエルモンドが問う。
「その髪色……貴様、ヤポニア人か?」
「は、はい! ヤポニアからきたミューズ・ムサです!」
ヤポニアという単語を聞いたエルモンドの表情がわずかだが険しくなった。受験者であるミューズはその変化に気づいていないが、後方から見ていたユピたちはエルモンドの機微に気づく。
けれどもエルモンドの表情がなぜ厳しくなったのかまではわからない。
「まあいい。それで貴様の属性は?」
「は、はい! えっと土属性です!」
「そうか。では試験を始める」
「お、お願いします!」
エルモンドの合図を確認するとミューズは講堂の地面に向かって両手を伸ばすと大きな声で詠唱を唱える。
「詩をもって大地に告げる。予を守りし堅固な盾となれ」
ミューズが詠唱を唱えると講堂の地面が隆起しはじめ、瞬く間にミューズの前に厚さ五十センチほどの巨大な壁が出現する。
その壁はミューズとエルモンドを一瞬にして分断した。それを見たユピがつい言葉を漏らす。
「土とは珍しいな」
「珍しい? 君は随分と珍妙なことを言うのだね」
「そうか?」
「そうだとも。このアカデミアで採用される評価基準は四元素論だ。四元素論は火・水・風・土を基本とした魔術体系であり、ヤポニアをはじめ多くの国で主流となっている基準だよ」
「四元素論なんて初めて聞いたぞ」
「君は随分と田舎出のようだね」
二人がそんな会話をしているうちにミューズは次なる行動に移る。
「詩をもって大地に告げる。予を侵す敵を排除せよ」
二つ目の詠唱を終えた直後、ミューズの前に現れた巨大な壁から細長い土の槍が生み出される。その槍は壁から撃ち出されるようにして一斉にエルモンドに向かって襲い掛かった。
しかしエルモンドは焦る様子も見せずに一言だけ告げる。
「撃ち落とせ、キーナ」
次の瞬間、どこからともなく現れた巨大な水の塊が襲い掛かる土の槍を飲み込むと一瞬にして槍は泥となって形を失う。土の槍を防いだエルモンドは続けて詠唱する。
「飲み込め、ボルボロス」
詠唱が終わると土の槍を飲み込んだ巨大な水の塊が泥水に姿を変える。そして大きな波の形になるとミューズを守る巨大な壁に襲い掛かる。
誰もが巨大な壁と巨大な泥水の波にがぶつかり合うと思ったが、実際には泥水の波が呆気なく巨大な壁を飲み込んだ。目の前で絶対的な自信のあった壁が無残に飲み込まれた光景を見たミューズはつい言葉を失ってしまう。
だがエルモンドの攻撃はそれだけでは終わらない。巨大な壁を飲み込んだ波はまるで巨大な壁を取り込むようにしてさらに大きな波を作り出すと、そのままミューズに襲い掛かる。
膨大な量の濁流に飲みこまれたミューズはそのまま講堂の壁に打ち付けられてしまう。背中から講堂の壁にぶつかったミューズは苦悶の声を上げることしかできない。
「うぅっ……」
激しい濁流に飲みこまれながらも必死に抵抗しようとするミューズであるが、やはり何もすることができない。その光景を見た試験官のエルモンドが吐き捨てるように言う。
「所詮はヤポニアの人間か。薄汚いヤポニア人が高潔なアカデミアの門戸をたたくなどおぞましい。百年ちょっとで近代化した野蛮国風情が我ら選ばれしプロシア帝国の学び舎に足を踏み入れるなど髪も許さぬ所業だ」
その言葉は紛れもない差別発言であった。中立都市であるノイトアールにおいては国籍を理由に差別をすることは禁じられているが、エルモンドは間違いなくミューズを国籍だけで差別をした。
「ミューズ・ムサ。このままでは貴様は死ぬ。早く打開策を見つけるんだな。試験中に死亡事故が起きたとしてもそれは自己責任であることは知っていると思うが、私の担当した試験では多くのヤポニア人がアカデミアを前に息絶えた。貴様も野蛮な先の獣たちのように屍となって我らプロシアの人間たちに踏まれる地面となるんだよ」
その言葉は間違いなくこのままではミューズは濁流に飲まれて死ぬということであった。
「まさかここまで露骨にやってくるとはね」
「どういう意味だ?」
「あの男はアカデミアの教官だが、同時にプロシアの人間でもある。そしてあの男が言うように眼鏡っ娘はヤポニアの人間。いかに中立都市といえども個人単位が中立といえるかと聞かれれば答えは否だ。そして先ほどの受験者はプロシアの人間。つまりあの男は自国の人間には合格を出すが、他国の人間、特に私たちヤポニア人に対して死亡事故さえ厭わないということだ」
レギナの言ったことは講堂にいた誰もが理解していた。しかし誰一人として異議を唱えるようなことはしない。それどころか濁流に飲み込まれているミューズを見て笑みさえ浮かべている者までいた。
なぜなら講堂にいる受験者たちはユピたちを除くと全員がプロシアの人間だから。まるで作為的に選ばれた受験者たちはエルモンドの手によって苦しめられるミューズの姿を見て悦びさえ感じている。
中立を掲げられているアカデミアであるが、これこそがこの中立都市であり、アカデミアである。
止まることなく流れる濁流がミューズをの肉体を講堂の壁に激しく押し付けながら彼女の肉体を軋ませる。魔術を使って状況を打破しようとするミューズであるが、激しく流れる泥水がミューズの口に襲い掛かって言葉を発せさせない。
このままではミューズは呼吸ができなくなって意識を失うだろう。それだけで済めばいいのだが、エルモンドは明らかに途中で水の流れを止める気はなかった。濁流に押さえつけられながら呼吸も十分にできない少女を見ているのはあまりにも辛いことだ。
「何をする気かね」
黒剣アダマス・ヴァリスパティに手をかけたユピを制止するように問うレギナは厳しい表情を浮かべている。彼女もまたミューズの現状を見て手を差し伸べたいと思っていたが、これはあくまで試験である。
他人が手を出していい問題ではなかった。
「このままだとあいつが死ぬぞ」
「わかっている。だがあの男は試験官でもある」
「それがどうした?」
自分のことを鋭い眼光で睨むユピに対してレギナは落ち着いた口調で答える。
「あの男はエレメントマスターだ」
「エレメントマスター?」
「そうだとも。四元すべてを扱える存在ゆえに国際的にも評価の高い。手を出せば国際問題に発展する」
「だから見過ごせと?」
「それがルールだ」
あくまでも今行われているのは入試試験である。ここでユピが手を出せば、ユピだけでなくミューズも不合格になるに違いない。ただこのまま手を出さなければミューズは命を落とす。
しかしレギナにも立場というものがある。ヤポニアの貴族として国際問題を避けなければならない一方で、祖国の人間であるミューズのことも助けたい。そんなレギナを見てか、ユピは黒剣アダマス・ヴァリスパティを握りしめるとレギナに告げた。
「そんなルールなら俺は従わない」
レギナと決別の言葉を告げたユピ。例えレギナを裏切って大罪人になってもミューズを見捨てることができなかったユピであったが、レギナから返ってきた言葉は意外なものだった。
「私も君に同意見だ。ならば実力をもって合格をつかみ取ってきたまえ」
その言葉を背後にユピは今なおミューズに襲い掛かる濁流に向かって黒剣アダマス・ヴァリスパティを振り下ろした。
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