第3話 不当契約

「おい、アカデミアに入るなんて聞いてないぞ」


 ユピテル改め、ユピ・テルターの声が聞こえたのは中立都市ノイトアールの一角だった。前を進むレギナを呼び止めようとしたユピであったが、レギナは聞こえないふりをしながら歩みを進める。


 ノイトアールはプロシアやヤポニアなど俗に三大国と呼ばれる国々が共同出資をして設立された中立都市であり、ノイトアールに限ってはいかなる勢力も手出しができないと言われている。そのため街の中には様々な国籍の人の姿があった。


 その中でひときわ目立つのが学生服を着た少年少女たちの姿だろう。彼らはこのノイトアールにあるアカデミアと呼ばれる学園に入学するために各国から集まった学生であり、三大国が共同出資をしてまでノイトアールを設立した主要因の一つがこのアカデミアの存在であった。


 幾度となく戦争を繰り返してきた諸国は形式的な講和条約では平和を保つことができないと痛感し、平和の象徴として中立都市ノイトアールの設立を三大国が先頭となって取り組んだ。しかしノイトアールの設立後も小競り合いが続いており真の意味での平和には至ってない。それでも昔に比べれば戦いは減っているのは事実だが。


 真の世界平和を叶えられるのは将来世代だと考えた各国はアカデミアを設立することで将来世代間に国籍を超えた関係を築こうとした。それがアカデミアの設立目的であり、このノイトアールが存在する意義である。


 そしてレギナが纏う制服もまたアカデミアのものであった。


「おい、聞いてるのか」

「聞いているとも。で、何かね」


 先ほどからずっと後ろで騒ぐユピにしびれを切らしたレギナが立ち止まって振り向く。その表情は少しだけ不機嫌そうで、周囲からは注目を集めてしまう。


「お前がアカデミアに入ることは聞いてない」

「だろうね。なぜなら初めて言ったから」

「どういうつもりだ?」

「別に他意はないさ。私はアカデミアに入学するから優秀な護衛が欲しいと言ったじゃないか」


 レギナは当然のことだろうと主張するが、ユピにしてみればアカデミア入学の件は先ほど聞いたばかりである。確かにユピは護衛になるという約束はしたが、アカデミアに入学してまで務めを果たすとは約束していない。


 だからユピは不当契約だと言いたかったのだ。


「まあ君がここで私の護衛を辞めるというなら止めはしないさ。ただしその時はヤポニアの貴族としてプロシア側に神殺しの大罪人を差し出さなければならないがね」


 不満の声を上げるユピに対して脅しにも似た選択肢を提示するレギナ。しかしユピにしてみれば中立都市という立地が功を奏す。


「それでもかまわない。だが中立都市であるこの地では国籍は関係ないはずだ」

「確かに。しかし君は一生この中立都市から出ないつもりか? それにこの中立都市がいつまで存続するかも定かではないのだから君の安全は永遠には保証されない。むしろ神殺しの大罪人がいると知ったらプロシア政府は中立条約を破棄してまで君のことを探すかもしれないがね」


 中立都市であるノイトアールでは各国の干渉を受け付けないというメリットがある反面、どこかの国が手を出せば途端に中立という都市性が瓦解する恐れもある。


 ましてやプロシアは三大国の中でも潤沢な国力を有しているため中立都市がなくなったところでダメージは少ないはずだ。


「まあ君の実力なら逃げることはできるだろうが、一国を相手にするのは相当の覚悟がいるにきまっている。他の選択肢としてプロシアとヤポニア以外の国に逃れるという選択肢もあるだろうが、この二大国から追われる大罪人を保護してくれるような良心的な国があるとも思えない。そのことを考慮した上で選択することを私は勧めるよ」

「随分と性格の悪い主様だな」

「利口な護衛は好ましい」


 結局ユピは黙ってレギナの護衛に従事することにした。ここで感情的になって護衛を辞めることはユピにとってもリスクが大きすぎる。最悪の場合はプロシアだけでなくヤポニアまでもを相手にしなければならないかもしれない。


 それならば感情を抑え込んで一先ずはレギナに従った方が得策だろう。


「で、今はどこに向かっているんだ」

「君は随分と面白いことをきくね。今の会話の流れからしてアカデミアに決まっているだろう」


 レギナはそう言って視界に入ってきたアカデミアのことを指さす。


 広大な土地を有するアカデミアは土地に見合った巨大な建物を何棟も有しており、校舎だけでも王宮が三つほど入る広さだ。三大国と呼ばれる国々が出資しただけあって設備や環境も充実しており、この世界でも最高の教育機関といっても過言ではないだろう。


 だが最高の教育機関ということは入学できるのも選ばれし者だけである。もちろんユピが選ばれし者に入っているかといえば入っていないのが現実だった。


「おい、俺は入学資格を持っていないぞ」

「だろうね。そもそも無国籍の君が戸籍を持っているとも思えない。だから君の戸籍は私が用意した」

「はっ?」


 レギナは得意げな表情を浮かべるとユピに向かって一枚の封筒を投げ渡す。その封筒の中には二枚の紙が入っており、ヤポニア政府公認のユピ・テルターという名前を始めとしたユピの戸籍情報が書かれていた。


 目を通せばユピはヤポニア国籍を持つ平民であり、剣術の才を見抜かれてレギナの家に護衛として迎え入れられたなど偽りの経歴が記述されている。


「これで君も立派なヤポニア人だ。おめでとうございます」


 全く祝う気のないレギナの言葉に対してユピは恐怖さえ覚える。二人は出会って三日も経っていないというのに既にユピの戸籍を用意し、その上でヤポニア政府からの公認も得ている。このようなことは並みの貴族ではできないはずだ。


 一体レギナは何者なのかという疑問がユピの中で生まれるが、レギナはそれ以上の言及を避けるように話題を変えた。


「さて、今から君にはアカデミアの入試を受験して合格してもらう。善は急げというから早く行こうではないか」


 追及を逃れるかのようにアカデミアに向かって駆け出すレギナを追いかけるユピはそのままアカデミアの敷地に足を踏み入れた。

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