第2話 目撃者
突然背後から聞こえた少女の声にユピテルは驚きを隠せなかった。群青の巨竜との戦いに集中していたユピテルであったが、絶えず周囲には警戒を張り巡らせていた。けれども、ユピテルが少女の気配に気づけたのは少女が言葉を発した直後であった。
まるで瞬間移動で現れたかのような金髪の少女はその紅い双眸でユピテルのことを興味深そうにみつめている。これに対してユピテルは黒剣アダマス・ヴァリスパティを握り直すと少女の方へ視線を移す。
「何者だ?」
「君は礼節というものを弁えていないのかね」
「なに?」
群青の巨竜を倒すほどの実力があるユピテルに対して毅然とした態度をとる金髪の少女はユピテルに向かって人差し指を向けながら答える。
「人に名を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀というものだろう。それとも君の集落は礼儀を知らない野蛮賊なのかな」
「なるほどな、確かに俺は礼儀を無視していたようだ。まずは謝罪しよう」
ユピテルに態度を見た金髪の少女が意外そうな表情を浮かべたが、ユピテルにしてみれば非礼を働いたという自覚があったから当然の行為である。
「俺の名前はユピテルだ。それでお前は?」
「ふむ、君はユピテルというのか。私はレギナ・ソスピタ・フォルトゥーナ、気軽にレギナと呼んでもらって構わない」
「レギナね……」
レギナと名乗る金髪の少女はユピテルに対して友好的に接しているが、ユピテルの方はレギナに対して警戒を解いてはいない様子。しかしレギナは自身に対して警戒を解かないユピテルの態度を気にする様子はなかった。
「ところで君の後ろにいる竜は君が?」
「さあな。ここに来たらすでに死んでいた」
「それは面白いジョークだ」
「どうせ見ていたならわかりきっていることを聞くな」
「これは失敬。少し遊び過ぎたみたいだ」
相手の反応を楽しむように言葉を続けるレギナに対してユピテルの表情は厳しい。ユピテルにしてみればレギナの目的がわからない以上、警戒を解くことができなかった。
「それで俺に何の用だ?」
「君は私の話を聞いてくれるのか?」
「聞かなくていいなら聞かねえよ。ただ何か用があるから話しかけてきたんだろう」
「君は意外と優しい側面もあるんだね」
レギナが紅い瞳を細めながらユピテルの背後で亡骸となっている群青の巨竜を見据える。そして微笑みを浮かべるとユピテルに一つの提案をした。
「私の雇われないか?」
「はっ?」
突然の申し出にユピテルはついそんな言葉しか発せないかったが、レギナの方は真剣な表情でユピテルのことを見つめている。
「君が驚くのも無理はない。ただ私は護衛が欲しいと思っていて、ちょうど目の前に最適な人材が現れたから提案したまでだよ」
「断る」
会ったばかりの人間に護衛を任せようとする人間を誰が信じられるだろうか。ユピテルの反応は当然のものであり、ほとんどの人がレギナの提案を異なるに違いない。
「だろうね。だから力づくで護衛になってもらおうかと思い始めたところだよ」
レギナの言葉の直後、彼女の紅い瞳に光が差し込む。その様子を見ていたユピテルは自身の肉体が硬直するのを感じたが、すぐに硬直は解けた。
「魔眼か」
「正解だよ。私の魔眼は相手を強制的に支配できる能力を有しているんだが、どうやら君には効果がないようだ」
「それは残念だったな」
「うむ、とても残念だ」
自分の魔眼が通用しなかったというのにレギナは残念そうなそぶりを見せるどころか、先ほどよりも嬉しそうな表情を浮かべている。
「だからもう一度、君に提案しようと思う。私の護衛にならないか?」
「いきなり魔眼を使うような相手に誰が従うと思う?」
「実に利口な考えだ。ただ頭が切れるという訳でもない」
レギナはそう言ってユピテルの背後に積まれた群青の巨竜の死骸を指さしながら話を続ける。
「君が先ほど手にかけたその巨竜はインディゴといってこの森の主だ。そしてこの地方で守り神として人々から崇拝されていた神でもあった。この意味が分かるかな?」
「俺が神殺しだと言いたいのか?」
「ただの神殺しなら問題はない。しかしこの地方一体の信仰の対象であったインディゴを手にかけたということは君はプロシア帝国から神殺しの大罪人として追われることに違いない」
プロシア帝国とはこの森を含めて広大な領土を持つ国の一つであり、世襲制の皇族が国を治めている大国の一つだ。その大国から神殺しの大罪人という烙印を押されてしまえばユピテルはこの国で生きていくことは難しい。
だが、あくまで大罪人の烙印を押されたらの話である。
「ならここで俺がお前を口封じすればお前が神殺しの大罪を受けてくれうという訳か」
ユピテルが黒剣アダマス・ヴァリスパティを握り直すとレギナに向けて構えるが、レギナには戦闘の意思が全く感じられない。
「あまりお勧めはしないよ。先に言っておくが、私はプロシアの人間ではなく、ヤポニアの貴族だ。仮に君が私を手にかけたならば、君はプロシアだけでなくヤポニアからも犯罪者として追われることになる」
ヤポニアとはプロシアと同じくこの世界で大国の一つと数えられている皇国である。大国としての歴史はプロシアに比べて浅く、近年になって領土を広げてきた新興国の側面を持つが、国自体の歴史はプロシアに劣らない。
ただし両国は百年前に戦争をしており、一度は講和条約を結んだものの友好関係を結んでいるとは言い難いのが現状だ。なぜヤポニアの貴族であるレギナが一人でプロシア領にいるのかという疑問が生まれるが、その辺の事情がレギナが護衛を欲している理由なのだろう。
「ならば俺がここで逃亡したらどうだ? プロシアの人間はヤポニアの貴族であるお前の言葉を信じるとは思えないが」
「確かにこのままいけば私はプロシアの兵に捕まって捕虜にされるか、もしくは彼らの慰み者にされながら死んでいくだろう。だが私には魔眼があるから兵士たちに君の存在を認識させることは容易だ。それに私がヤポニアに帰った際にはプロシアの森で君に犯されたと泣きながら叫ぼうと考えている。婚約前の乙女の純潔を汚した大罪人として君はヤポニアから追われることになるだろう」
その表情には微笑みが浮かんでいるが、話している内容はかなりえげつない。ただレギナの言う通り、どういう選択をしてもユピテルが大罪人になることは間違いなく、追われる相手がプロシアかヤポニアかという違いだけだろう。
「すこし考え方を変えてみたらどうかね。流浪の民である君がこの地方の崇拝の対象であったインディゴを手にかけたことは問題だが、その大罪人がヤポニアの貴族の関係者となればプロシアもそう簡単には動けまい。素直に私の提案を飲めば君は大罪人という最悪の事態は避けられる」
レギナの提案には説得力がある。ここでレギナの提案を拒否すればユピテルは大罪人となるだろうが、レギナの提案を飲めば最悪の事態は回避できる。ただし大罪人としてこれからを生きていくのと、レギナの提案を飲んで彼女の護衛になるのとでは、どちらが過酷な人生かはわからないが。
ユピテルは構えていた黒剣アダマス・ヴァリスパティを下ろすとレギナに問う。
「お前を信用できる根拠は」
「ないね。それに別に信用する必要もない。出会って間もない私たちの間に信頼関係を築けというのは無理な話だからね。ならば互いに相手を利用しあう関係でいいじゃないか。私は群青の巨竜であるインディゴを簡単に葬れる強力な護衛を手に入れられ、君は神殺しの大罪から逃れるために私の地位を利用する。互いに利があるうちは裏切る意味もないからね」
とても残酷な考え方ではあるが、とても合理的な考え方でもある。ユピテルは黒剣アダマス・ヴァリスパティを背中にしまうとレギナに向かって答える。
「わかった。お前の提案を飲み、俺はお前の護衛となろう」
「素敵な返事に感謝するよ。それと私の護衛になるにあたって君の名前はユピに変えよう」
「なに?」
「君の名前は少し目立ちすぎる。だから君の名前は私の護衛につく限りユピ・テルタ―としよう。これは主からの命令であって絶対条件だよ」
こうしてユピテルはユピと名を改め、ラポニアの貴族令嬢レギナ・ソスピタ・フォルトゥーナの護衛となった。
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