National Object War

高巻 柚宇

第1話 神殺し

「ふん、くだらないな」


 眼前に広がる魔物も群れを一瞥した白髪のユピテルは背負っていた黒い両手剣アダマス・ヴァリスパティ手に取ると魔物の群れに向かって構える。


 月の光が差し込む森の中で千にも及ぶ魔物の群れに囲まれているユピテルであるが、その表情には一切の焦りはない。自らに向かって進行を続ける魔物の群れを前にユピテルは不気味なほどに冷静だった。


 右手に握るアダマス・ヴァリスパティの黒い刀身が月の光を反射させてユピテルの顔を照らす。人気のない深夜の森で魔物の群れに囲まれているならば身震いの一つでもしていいものであるが、ユピテルは笑っていた。


 多種多様な鳴き声を出しながら迫ってくる魔物の群れに向かってユピテルが黒剣アダマス・ヴァリスパティを閃かす。たったそれだけの行為だというのに次の瞬間にはユピテルの前にいた千にも及ぶ魔物の群れは一瞬にして姿を消した。


 ユピテルが閃かせた黒剣アダマス・ヴァリスパティから生まれた斬撃が魔物の群れを巻き込んで瞬く間にその存在を消し去ったのだ。にわかには信じられないような光景であったが、ユピテルにとってみれば魔物の群れを消し去ることなど朝飯前であった。


「いくら数が集まろうとも礫の群れでは俺を駆逐するどころか呼吸を乱すこともできん。俺を焦らせたければ岩石の群れでも呼び出すんだな」


 魔物の群れが消えた今、誰もユピテルの言葉を聞くことができない。ユピテルも自分の言葉に応えを期待してのものではなかったが、意外にも反応はあった。


 ただその轟音が反応ととれるかは微妙なところだろうが。


 大気だけでなく、地面までもが震えるのを感じたユピテルの前に現れたのは巨大な竜であった。体調は三十メートルを超えており、全身を群青の鱗に覆われた巨大な竜だ。群青の鱗を持つ巨大な竜は大きな翼をはためかせながらユピテルの前に降り立つ。


 どこからともなく現れた群青の巨竜はユピテルの前にすると威嚇の咆哮を浴びせる。正面に立つだけで群青の巨竜の威圧感に気を失ってしまいそうであるが、ユピテルはここでも微笑みを浮かべる。それはまるで強者との戦いを楽しみにしているかのうようである。


 一方の群青の巨竜は赤い瞳で微笑するユピテルを睨みつけると、再び大地が震えるほどの咆哮を轟かせた。その咆哮は森を突き抜けて数十キロ離れた町にまで伝わり、町の人々は突然の轟音と遅れてやってきた地響きに恐怖する。


 群青の巨竜は再び大きな翼を羽ばたかせると空中に躍り出る。それだけならば害はないのだが、群青の巨竜は眼下で笑みを浮かべるユピテルに向かってブレスを放った。群青の巨竜から放たれるブレスは氷の礫が混じる猛吹雪であり、そのすべてがユピテルに向かって襲い掛かる。


 これに対してユピテルは黒剣アダマス・ヴァリスパティを地面に突き立てると嬉しそうに叫ぶ。


「雷霆よ、すべてを焼き尽くせ」


 たった二言発しただけであったが、ユピテルが地面に突き刺した黒剣アダマス・ヴァリスパティから目まぐるしくほどの光量が放射されると、次の瞬間には群青の巨竜が撃ち出したブレスが跡形もなく消える。


 黒剣アダマス・ヴァリスパティから撃ち出された無数の雷がブレスとぶつかり合うことで氷の礫を砕き、すべてを蒸発させたのだ。


 ユピテルの技を見た群青の巨竜はすぐに高度を上げてユピテルから距離をとろうとするが、群青の巨竜が距離をとるより先にユピテルの攻撃の方が早かった。


 群青の巨竜のブレスを相殺すると同時に地面を蹴って跳躍したユピテルの姿はちょうど群青の巨竜の背後にあった。上空に距離をとろうとした群青の巨竜に対して背後から攻撃を加えようとしたユピテルは黒剣アダマス・ヴァリスパティを両手で構えると躊躇うことなく振り降ろした。


 ユピテルは群青の巨竜の身体を両断しようとしたのだが、群青の巨竜が上空に退避しようとしたために当初の狙いとは違った結果が生じる。黒剣アダマス・ヴァリスパティが両断できたのは群青の巨竜の胴体ではなく尻尾の部分だ。


 尻尾を付け根から斬り落とされた群青の巨竜は切断面から大量の血液を流しながらも何とか黒剣アダマス・ヴァリスパティの攻撃範囲内から退避することに成功する。一方で斬り落とされた尻尾は森の木々を倒すように落下して土埃が舞っている。


 深夜の森に轟く巨竜の苦悶の声を背後に地面に降り立ったユピテルは上空を旋回する群青の巨竜を睨みつける。


 群青の巨竜からしてみれば硬い鱗で覆われてているはずの肉体がどうして剣で切断されたのか不思議だっただろうが、ユピテルにしてみれば巨竜の鱗くらい簡単に切断できるものであった。黒剣アダマス・ヴァリスパティの刀身に使われている素材はこの世で一番硬い鉱物とされているアダマンタイトであり、そのアダマンタイトをもってすれば竜の鱗だろうと簡単に斬り刻むことは自然の摂理ともいえる。


 普通の剣ならば鱗に傷をつけることが精々であろうが、アダマンタイトを使えば傷どころか豆腐を切るくらい容易に切断できる。


 だが今の攻防で群青の巨竜は黒剣アダマス・ヴァリスパティの恐ろしさを知ったのは事実だ。故に群青の巨竜は不用意にユピテルには近づくことはなく、このままいけばどこかへ飛び去ってしまうだろう。


 今でこそ尻尾を斬り落とされた怒りで上空を旋回しながらユピテルのことを威嚇しているが、時間が経つごとに群青の巨竜は冷静さを取り戻して撤退を始めるかもしれない。しかしユピテルの方から手を出そうにも群青の巨竜が旋回する高度は跳躍はもちろん、弓矢であっても届かせるのは厳しいだろう。


 これまで幾度となく人間の相手をしてきた群青の巨竜はその高度が絶対の安全圏だと学習していた。だからこそ次の瞬間、ユピテルの攻撃に対して反応が遅れる。


「雷霆よ、貫け」


 上空に向かって黒剣アダマス・ヴァリスパティを突き出したユピテルが言葉を発した刹那、黒剣アダマス・ヴァリスパティの剣先に黄色い球体のようなものが現れ、天に向かって無数の雷を撃ちだす。その光景はあまりにも反自然的であり、学者が目撃すれば卒倒するに違いない。


 黒剣アダマス・ヴァリスパティの剣先から撃ち出された無数の雷はまるで空から地面に降り注ぐ雨のように次々と天に向かって降り注ぐ。そして黒剣アダマス・ヴァリスパティと天との間を旋回していた群青の巨竜は次々に天に向かって降り注ぐ無数の雷をその身に受けてしまった。


 幸い天に向かって降り注ぐ雷は数こそ多いが一つ一つの威力は弱く、硬い鱗に包まれた群青の巨竜の身体を貫くことはなかった。しかし鱗に包まれていない翼だけは別であり、群青の巨竜の翼は先ほどまでの淡い青色から虫に食われたように穴が開いており、周囲は黒く焦げている。


 当然そのような翼で巨大な胴体を空中に留めることはかなわず群青の巨竜は垂直的に森の地面に落下した。先ほどの尻尾とは比べ物にならないほど大きな落下音と土埃が舞うが、ユピテルは気にする素振りを見せず落下した群青の巨竜のもとまで歩み寄る。


 落下の衝撃で自由に身動きの取れない群青の巨竜は最後の抵抗とばかりにユピテルに向かって咆哮を浴びせようとするが、その咆哮も先ほどまでとは異なり威圧感は微塵も感じられない。


「岩石だろうと地面に叩きつけられれば砕けて礫になるか」


 どこか残念そうに群青の巨竜を見下ろすユピテルは静かに黒剣アダマス・ヴァリスパティを巨竜の首元に添える。群青の巨竜も最期と悟ったのか、それ以上の抵抗を見せることはなかった。ユピテルは静かに腕を振り落とすと黒剣アダマス・ヴァリスパティの刀身が硬い鱗に包まれた群青の巨竜の首を豆腐のように切断する。


 こうしてユピテルはこの森の主ともいわれていた群青の巨竜を葬った。本来ならば誰にも見られていないはずの戦いであったが、この時ばかりは違っていた。


「これは驚いた……」


 ユピテルの耳に届いたのは少女の声であった。

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