第16話 忘れてはいけない

彼女を夢に見ていた。

彼女は俺の幼馴染だ。幼い頃からずっと一緒にいたけれど、学校に通い始めてからクラスが同じだったり離れたりして常に一緒にいられなくなった。

だけど彼女は俺といると安心しきった笑顔を見せてくれた。それにアホみたいなことをして呆れ合ったりと馬鹿友達のようにもいられた。

だから、そんな関係だったからこそ俺は今見ている彼女を知らない。


彼女は身体の一部をもがれた上に串刺しにされて磔になり、怯え切った表情と、光を失った瞳をしていた。


これは夢だ。夢に違いない。夢でなければならない。

これが彼女でなくとも目を覆いたくなる惨事。もしも夢でなく現実ならば、俺は発狂して死んだとしてもおかしくはないだろう。

なぜこんなことを夢に見る?。俺にこんなことを考える深層意識でもあったのだろうか?。これを見ただけで今にも吐きそうだというのに?。

いや……きっと自分に起きたことを不安に思って夢の中の彼女にもそれが反映されたのだろう。そうでなければ夢の中の彼女からのSOSか何かだろう。


(俺は……何もできないのか…)


夢の中だからなのか、まるで幽霊のように視点を変えて見ることしかできない。

歯がゆいなんてレベルじゃない。歯を食いしばり過ぎて口から血が溢れ出て、血反吐を吐いているようにしか見えない程だ。夢の中だから現実には何も起きていないんだろうが、手を握り締め過ぎて血が出ていたっておかしくないとさえ思えた。

何もできない自分があまりにも悔しかった。

瞬きもしていない視界に、のっそりと近づく影がいくつも現れる。それは狼のような出で立ちをしていたが、俺の知っている狼とはまるで風貌が違った。

大型犬どころではない大きさ、鋭利な牙に鋼のような毛皮。何よりも六本足であることが俺の知っている狼ではないと明確に否定していた。


(何なんだこいつら。……まさかこいつらが彼女を!?)


どこか嘲るような顔をしているようにも見えるやつが数匹いる。群れのように数がいるから見つからないとでも思っていたのかもしれないが、そいつら以外は警戒しているような雰囲気をしているから丸わかりだ。

そしてやつらが口に咥えているものが瞳に映った。映った瞬間、こいつらへの殺意が尋常ではないほどに膨れ上がる。

こいつらを一匹残らず殺してやりたい。殺すだけじゃダメだ、全員彼女と同じ以上の苦痛を与えてやらないといけない。やつらは絶滅させなければいけない生き物だ。

瞳に映ったのは―彼女の左足と右腕だった。

彼女から血が溢れ、元々真っ青だった顔色が死人のようになっていく。


(返せぇ!!!)


言葉に出ていないのは分かっている。分かっていたとしても声を上げずにはいられなかった。こんな状況だからじゃない、彼女だからだ。奪われたのが彼女だからこそ身体が勝手に反応していた。

狼たちは俺の声など知らないかのように彼女へと殺到していく。一頭が噛み砕き、違う一頭が別の場所を噛み千切り……それらは彼女の命を奪うには十分過ぎた。

愕然とする、茫然とするというのはこういうことを言うのだろう。

何もできなかった。守ることはおろか、彼女の近くにいることさえ許されないというのか。

これは夢だというのに、それほど俺は無力だと言いたいのだろうか。……ふざけるな。俺が無力だとしても、近くにいろうともがいてやる。


(彼女―彼女?)


名前があるだろう、なぜ呼ばない。あれほど一緒の時間を共にしていたんだ。名前で呼んでいたことも小学生の前からだ。

なのに、なぜ思い出せない!?。彼女が大事な人だと思っていないとでもいうのか!?。

頭の中をひっくり返すように記憶を掘り返す。幼い頃から呼んでいる、小学生でも、中学・高校に入ってからも呼んでいる。

だが名前を呼んでいるタイミングになるとノイズが混じって聞こえる。俺だけじゃない、晴斗や優香に呼ばれているときの記憶もノイズが入る。

頭なんぞ割れても構わない、もっと精彩に思い出せ。俺や晴斗や優香が、他のクラスメイトが、彼女の名前を呼ぶときの口を見ろ。イントネーションを思い出せ。彼女の持ち物に書いてある字を思い出せ。


(な…あ…あ…ま…。苗字はな・か・や・ま、だろう)


頭が砕かれるような、ガツンという音がした気がする。思い出した名前を吐き出せと言わんばかりの衝撃が身体を走る。だがそんなものが障害になってたまるか。

思い出せ、彼女との思い出を。彼女と過ごした日々を。忘れてはいけないことしかないだろう!!。

幼い頃の記憶、4歳だったかその頃の彼女を思い出す。既に忘却の彼方に消え去ったはずの記憶をなぜ覚えているのか分からなかったが、なぜか鮮明に思い浮かべることができた。


「あらしは―ぅみ」


名前は二文字だ。あと一欠片足りない。どこに……俺のどこにある。

頭にピシッと音がした。これ以上何かを思い出せば例え夢の中だろうが死ぬ、そんな気にさせる冷酷な音だった。

やめろ、もう少しなんだ。あと一歩で全部思い出せるはずなんだ。

やけ気味に何か無いかと周囲に目を向ける。あるのは彼女の死体、彼女を食い千切った狼の群れ、そして―倒れ伏している褐色の女性。

その女性が誰だかは知らない。だが何故だか目が離せない。見とれているわけではない。ただそうしなければならない、そんな思いが胸に貫いていた。

両腕がないその女性は彼女同様、狼に襲われたのだろう。だが生きているその唇は何かを伝えようとしているようにも見えた。


「る……な」

(るな?。自分の名前のこと……。……!?)


頭が真っ白になる。彼女の、な…まえ……は…………。

視界が暗転し、文字通り圭介の頭が破裂する。これが夢の中でなければ死んでいたことは確実だった。






王城の一室。そのベッドに眠っていた圭介の目尻から涙が一筋、流れ落ちた。

「る……み」

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