第5話 彼女と死体とローヴルフ

(死にたくない)


彼女、ルーナは息も絶え絶えなその身体を生かそうと必死だった。

両腕は喰い千切られ、身体の中心には風穴が空いている。常人なら即死は免れない身体だが、彼女は自身の魔力を生命力に変換することで生きていた。

襲われた際に自らに魔術を行使した影響もあり、魔力が枯渇するまで一刻も持たないのは明白だった。


ここで死ぬわけにはいかない。私をこんなところに追いやったことを伝えないといけない。そうすれば必ず―。

倒れ伏せていた身体は動かない。彼女は瞳だけを前に向けた。


そこに現れたのは美味しそうなにんげんだった。





「ひっ!?」


死体に近づいた瑠美はとっさに後ずさる。

視界内の何かが動いた気がした。もしかしたらこの死体かもしれない。

この時の瑠美は知ることはなかったが、このときルーナは魔力視という技法を使って瑠美を見ていた。魔力視は自身の視界がなくなった時や狭まったときに使用する技法であり、その最大の特徴は視覚的知覚範囲が自身の魔力の届く範囲に依存するというものである。


死の危機に瀕してなおそれだけの魔力を周囲に飛ばせるのは人間やエルフ、ドワーフといった人型の生命体にしては規格外もいいところだった。


「死んで……る、よね。気のせい?」


だが瑠美は魔力という存在を知らない。魔力が動いていたことにも当然気づけなかった。

周囲を見渡しても変わった様子はないし、この死体もこの場所からずっと動いてない。

何も起きてない?。そんな感じは……いや、感覚は何か起きたと警鐘を鳴らしてた。後ずさったのもきっとそれのせいだ。


何かが起きてる。それとも何かが起きようとしている?。そんな確信が胸の中を走り抜ける。

スッと死体を調べてすぐに速く森へ入るしかない。そうしないと何かヤバい気がする。

胸の中の確信と共に一歩死体へと近づいた。


その時だった。


「……え?」


まるで空の上から落ちているような、途轍もない浮遊感に襲われる。

足がガクッとしてふらつき、すぐにドサッと横向きに倒れる。だが倒れたら1秒も立たずに浮遊感は消えた。

空の上に飛ばされたわけじゃない。身体の感覚が弄られた?。だとしたら一体誰が……まさか。


「この死た」


瑠美の言葉はその先に行くことはなかった。

瞬きすら間に合わないほどの一瞬、たったそれだけで瑠美は口を動かすことでさえも意識しなければ満足にできなくなっていた。なぜならば彼女の頭の中は全て痛みというシグナルで全て埋め尽くされていたからだ。


「……ぁっ!?」


唐突過ぎる痛みと衝撃。そのあまりにも信じられない光景に、瑠美の口から言葉が出ることはなかった。

その目の向かう先――瑠美の左腕が、肩から先が無くなっていた。


「あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁ!!!!!」


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!!。

肩口から血が溢れ出ていく。その勢いは数分後には失血死を確約できるほどであった。だが痛みでショック死してもおかしくない状況であるにもかかわらず、瑠美の意識はまだはっきりとしていた。

もっとも、意識がなかった方が幸せだったと言えるだろう。

左腕を注視する瑠美の瞳にはもう一つ、見えてはいけないものが映っていた。


「gruuuu……」


瑠美の顔がグチャグチャと音を立てているほうへ向けられる。そこに現れていたのは―


「gaaaa」

「ru……」

「ha-ha-」


―グチャグチャと私の左腕を食べている狼らしきものの群れだった。


「あ……ぁ……」


徐々に瑠美の声は小さくなっていく。それは本能的に生きることを投げ出すには十分すぎる光景だった。

だがそれでも瑠美の意識ははっきりとしていた。痛みは変わらず、目の前に死そのものが迫っている。そんな状況でも意識は失っていなかった。

そしてなけなしの理性で気づく。おかしい、なぜあたしは死んでいないのだ、と。右腕が食い千切られるほどの衝撃と失血ならばショック死する方がまだ可能性としては高いだろう。


「がっ!?」


再び身体に衝撃が走る。それはさっきの食い千切られた時とは違い、大きな何かが身体の中心にぶつかるような衝撃だった。

荒野の方へと数m吹き飛ばされる瑠美。吹き飛ばされたその先には、覚えのある悪臭がしていた。

それが悪臭だけではないことは地面に触れている右手が証明していた。


「っ!?」


ジュワっという音と共に溶けていく右手の手の平。爛れ、筋肉すら溶け、骨まで見えるように溶けていく。

離れようとどうにかして動こうとするも、瑠美の身体は動かなった――否、動けなかった。


「guru」


3mを超える狼が如き動物が、足一本で瑠美を身体の上から押さえつけていた。

身体の中心線をとらえ、3mを超える狼がその大きさを、300kgは超える重さをただ押し付ける。それだけで50kg程度の瑠美は動けなくなっていた。


「ぁぁぁぁぁぁ……」


押さえつける力は徐々に強くなっていき肺から空気が漏れていく。吹き飛ばされた衝撃で痛み、声など出ないはずの声帯が悲鳴をあげる。

狼の足は徐々に体重のかけ方を強める。それが何を意味するのか、瑠美は理解できていたが身体が言うことを聞くことはなかった。



(こいつら……あたしをいたぶってる)



その数秒後、瑠美は身体の中心を踏み砕かれ絶命した。

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