第4話 彼女が彼女でいられた時
「……とは言ってもこれは迂回するべきかな」
瑠美はさっきまで狼らしき動物がいた場所の手前まで歩いていた。そこに立ち上がる悪臭は中学の時に理科の実験で嗅いだアンモニアなどとは比べ物にならない匂いだ。
これが犬なんかでいうところのマーキングなら近づくのもマズイ。匂いが弱まったから戻ってくる、なんてことになったらあたしの人生おしまいだ。
マーキングらしきものは20mくらいの円状だ。この迂回くらいなら体力的には何の問題もない。
一応マーキングから少し離れ気味に迂回していく。周りを見渡してもさっきの狼みたいなのは見当たらないが、少し駆け足気味で歩いていく。
「抜けた……。もう少しだね」
ようやく森の外形が見えてきた。もっともそれがあたしの知っている森と同じものなのかは別の話だ。
まずサイズが大きい。小さくても神社で大切に扱われてる木くらいはありそうだ。
そして何よりおかしいのは色。葉っぱの色は深緑色だと思って来たし、木々の色も茶色と間違いではなかった。が、それは遠くから森を見たらの話だ。木々の隙間の色が水色に見えたり紫に見えたりと、なんだかカラフルに見える。
「大丈夫なのかな……?」
これを地球基準で考えるなら、色が派手なものほど毒を持っている可能性が高いことから、有毒ばかりという判断を下せる。だがここは間違いなく別の星か世界、地球基準にするのも間違いではある。
毒があるかもしれないと考えると拒否したくなったが、ぶんぶんと頭を振りここは地球じゃないんだって自分に言い聞かせる。
「森に入るにしてもあともう少しだし、そこまでは歩けば―!?」
数歩森に近づいたときそれに気づき、とっさに後ずさる。見たことのないそれを見たことが信じられなかった。
瑠美の視界に入ったのは倒れている人。それも死体だった。
「ひっ」
恐怖にドクンと身体が脈打つ。死体、それも両腕が欠損しており血が流れ出ており、ついさっきまで生きていたことが分かってしまう。
人が生きていて、殺された。信じたくなかった事実を目の前にし、目をとられ、少しずつ正気でいられなくなっていく。
「はっ、はっ!、はっ!!」
呼吸が荒い。過呼吸だと頭で分かっていても身体が息を吸えと求めてしまう。
ダメだ。息を吸いたいけど吸いたくない。だけどこのまま過呼吸になって倒れたりしたらさっきの狼が来るかもしれない。
「~~!!!」
瑠美は自分の右腕に無理やり噛みついた。そして左手は鼻をつまみ、息を吸えなくしていく。息を吸えなくすればいい、瑠美の判断は間違いではなかったが予想を反したものもあった。
「いひゃ!!!」
パニック状態に陥った人の力は通常よりはるかに強くなる。それは瑠美の顎の力に明確に表れていた。
思いっきり噛みついたが故に離れない。その力は噛み千切らんばかりに強くなっていく。
「~~!!。…………ぁ」
だが幸いにも瑠美の噛みつく力はどれだけパニックに陥っても肉を引きちぎる程強くはならなかった。そして不幸中の幸いはもう一つあった。
「はぁー。ふぅー」
あまりに噛みつきが痛かったためか、そちらに意識が向けられ過呼吸だった呼吸が正常に戻りつつあった。噛みついた跡の内出血が残っていたが、一時間もすれば消える程度のものだった。
危なかった。こんなところで過呼吸で倒れてたらさっきの狼みたいなのが気づいてあたしは喰われていただろう。噛み傷で血が出ていたとしたらそれも危なかった。噛みついて血が流れてれば匂いできづかれる。
「ふぅー……。よし、治った」
過呼吸は治った。噛みついた跡は残っているけどそれは問題ない。あとは……さっきの死体、あれだ。
「やっぱり死体……だよね」
過呼吸で背けていた目を死体の方に合わせる。さっきは信じられなくて背けてしまったが、もしかしなくても数分後のあたしがこうなってるかもしれないんだ。ある意味この世界の恐ろしさを教えてくれたのだから感謝するべきなのだろう。
「……あ」
瑠美はある事実に気づいてしまった。あの死体は、森の方から出てきたように倒れている。森が危険なのか、あの狼に喰われたのかは分からないが、身体が痩せ細っているわけでもない。
それが示すのは、死体が水や食料を持っている可能性があるという事実である。
「食料持ってるかも……しれない」
瑠美は一歩、二歩と少しずつ死体の方へと近づいていく。ハイエナのようなことをしている自覚はある。非人道的なことだということも。
だが空腹もかなりのレベルに達している今、何よりも生きるために瑠美は死体へ近づいていく。
その先に何が待っているのか、今のあたしは知る由もなかった。
ただ一つ言えるのは、あたしはもうあたしでいられない。ただそれだけだった。
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