日常を返シテ

第1話 ふざけた日常

午後の最初の授業だった。

スマホの通知が突然クラスに鳴り渡った。。その音源は私、中山なかやま瑠美るみのポケットの中だった。鳴っているスマホを取り出すと、そこには親から電話と表示されていた。


「中山、何してる?」


スマホを確認していた。ただそれだけだというのに、頭の固い先生は見逃してくれなかった。


「あ、これは」

「今は授業中だ。スマホの使用は禁止だ。放課後まで俺が保管する。放課後になったら先生のところまで取りに来い」


先生はあたしのスマホをひょいと取り上げ、教壇に戻った。スマホは先生のファイルケースの中。笑ったような先生の顔に腹が立つ。


「はぁ、運わっるいなぁ」


溜め息を一つつく。先生には聞こえなかったらしく、授業はそのまま続いた。

その授業終了後、親からの電話だったからかけ直したいと先生に頼んだ。

しかし何故か先生にダメと言われ、何でお母さんが電話してきたのか分からなかった。



そして今は放課後、先生から受け取った私のスマホを起動する。起動は一瞬振動するだけであり、音が鳴りはしない。

これくらいの振動ならあの時先生に気づかれなかったのに。けどマナーモードにしても気づかれそうな気はする。他に何か方法があったかな、あたしの記憶上ないから今こうなってるんだけども。


「電話するとして…いや、お母さんにかけ直したとしても、時間が経ちすぎてる。それならやらなくていいか」


現在の時間は17時34分。私のスマホが鳴ったのは14時頃。電話がかかってきてから3時間以上経過してる。


もしお母さんの私への連絡が急ぐことだったなら、もうその事態は終わっているはず。私がお母さんに電話をかけ直しても無駄だ。そうじゃなかったなら私にSNSかメールが届いてるだろうし。


ところがお母さんから私に電話、SNS、メールの連絡はなかった。


当時は緊急だったけど、実は緊急の要件ではなかった。そんなところだろうか?

そんな気がする。お母さんは意外と天然なところがある。慌てて動いたなんてそれなりにあるし、私がフォローすることになったなんてことも一度や二度ではない。


「連絡する必要はない、でいいかな。家に急いで帰ればいいだけかな」


だがどこか気がかりなことは事実だ。

SNSで「何かあった?」とだけ返信する。母はずっとスマホを見るような性格ではないから、返信も遅れる。きっと私が家に帰る途中で返事は届くことになるだろう。


スマホをポケットにしまい教室へ行く。

教室が見えたところで私は誰かの話し声が漏れてきていることに気づいた。中の様子を窺ってみるとそこには今は見たくない顔が二つ。


「瑠美、来るの遅かったな」

「スマホの受け取りはすぐ終わったでしょ?」

「晴斗、優香。何でここに?」


友達の河田晴斗かわたはると坂元さかもと優香ゆうか。二人同士は幼い頃から同じ学校の同じクラスの付き合いだ。私とは高校に入ってからの友達。けれど昔から一緒にいたかのような仲だ。

そして長い付き合いなのはもう一人いる。いるのだが……私の幼馴染がここにいない。


二人は顔を見合わせ、優香が呆れるような顔をして話してきた。


「私たちと一緒に帰る約束。聞いてない?」

「聞いてないけど?」


そもそも今日は誰かと一緒に帰る約束をしていない。

晴斗が溜息をつく。晴斗がこの面子で溜息をつくってことは、私の幼馴染である羽間圭介はざまけいすけが何かしら伝える役回りだったのだろう。

昼休みにでも伝えにくればいいのに。大方別のことをやらないといけなくて来なかったとか、そんなところだろう。


「圭介、あいつ伝えてないのか」

「圭介は見てないけど」


もう一度晴斗が溜息をつく。やっぱりか。そんなところだろうと思った。

丁度その時、廊下のほうからドタバタと走ってくるような音がした。その人影に気づいて晴斗も顔を上げる。

教室のドアにいたのは一人の男子生徒の…私の幼馴染の姿。一緒に帰る約束をしようとした人がいた。


「瑠美、ちょうどよかった。今日俺たちと一緒に帰らないか?」

「……圭介。あんた瑠美に伝えるの遅い」


普段は大人しい優香が怒るのも当然だった。



高校から家への帰り道、4人で一緒に帰ることになった。

圭介は一緒に帰るとの約束について晴斗と優香に怒られた。が、瑠美はその様子を見て、彼らの約束を笑って許した。

だっていつもの馬鹿四人だし。こんなことで怒るのも馬鹿らしい。この程度のことは許してあげる心が大切。あんまり怒ってもこいつらには逆に火が付いたりするし。


「そう言えば、瑠美と圭介って恋人の関係なの?」

「んー、…違うな」

「その感情はあったけどね。でも圭介とは友達とか親友って関係の方がしっくりくるの」

「俺と優香と似たようなものだな」

「なるほどね~」


4人で話しながら帰り路を歩く。

平和な日常だった。この町は災害が何十年もない町だ。親も、祖父母も暮らすこの町で、私たちが笑顔でいられる学生生活が送れることが当然だと信じていた。








ふざけても許される日常、それを破壊するように不可思議な現象は起きた。








最初に気づいたのは圭介だった。


「俺の目がかすんだ?瑠美、あの信号機見えるか?」

「はぁ?……圭介。帰りに寄ってるコンビニってあんなに遠かったっけ?」


圭介に言われ、次いで瑠美も視界に違和感を覚えて足を止めた。

いつも通りの帰り路の交差点だ。登校と帰宅で一年以上使っている道だ、見間違うはずもない。どの場所にコンビニやらスーパーやらがあるかくらいとっくに知っている。

なのに何故、道がすごく長く見えるのか。50mくらい先の信号を渡ってコンビニがある直線の道のはずなのに、まるで1km先くらいにコンビニが見える。

目をゴシゴシとこすり、隣で一緒に帰っている圭介に問いかける。


「は?何を言ってるんだ?。あそこの信号渡ってすぐの……信号?」


晴斗、それに優香も目を疑っている。私や圭介と同じように目を思いっきり瞑ったりしている。

圭介の顔を見てみるとパチパチと何度もまばたきをして目の前の光景を何度も確認していた。


「目の錯覚?疲れ?。……瑠美もそう見えてるってことはどっちも違うな」

「いったい何?」


目の前の光景が信じられないのか、優香は身を縮ませ、それを見て晴斗は優香を抱き寄せた。

この二人がそんなことをするなんて信じられない。いや、二人からすればそれくらいしてもおかしくないくらいのおかしなことが起きているってことだろう。

そしてその様子からしてこの現象がおそらく日常的にあり得るものではない、ということも分かっているみたいだ。


「晴斗、ごめん。ちょっと手を繋いでくれない?。今だけでいいから」

「ああ。優香がそんなこと言うのは珍しいな。こんな姿見せといてあれだけど、俺も言い出したかったからちょうどよかったぜ」


目の前の道が視界から少しずつ遠ざかっていく。一歩踏み出した先が数cmも動いてないかのような錯覚が強くなる。

嫌な感覚が背中から昇ってくる。このまま何か起きるかもしれないのを待っているのは危険だと直感がアラームを鳴らしてる。

視界から遠ざかっていく道、それを追いかけるように震える足を一歩動かす。



「圭介。あたしも手、いいかな」



さらにもう一歩。

指数関数もかくやというような異常な勢いで恐怖という感情が膨れ上がっていく。どうしようもないそれを、一歩後ろにいる最も親しい人に話しかけることで誤魔化す。

怖い。こんなこと初めてのことだ。言葉も子供の頃の、昔の口調に戻ってる。怖い時は子供みたいになるってホントなんだ。誰かに手を繋いでいてほしい。手を繋いだまま家に帰らせてほしい。


「瑠美」


もう一歩、歩こうとした瞬間に肩を掴まれた。伝わってくるのは震えていること。そしてあたしを自分の元に引こうとしていること。



「けー……すけ」

「俺も、怖い。けど、一緒だ」



震える声だけれどその気持ちは同じだと伝わる。ほんの少しだけ安心も生まれるけれど、今にも恐怖に圧し潰されてもおかしくない。

肩に掴まれていた手が、スッと下ろして瑠美の手の甲に触れられる。だが触れようとした手も、触れられた手も震えていて握られない。


「けーすけ……?どこ…?」


後ろへと体ごと振り返る。圭介が後ろにいるのは触れられたから身体では分かっている。しかし手が触れられているほどの近さでも視界は遠ざかり、少しずつ暗くなっていく。

1mも無い距離がものすごく遠い。手を伸ばせば触れられるはずなのに100mは離れているみたいに見える。

視界だけではない。触覚も少しずつ狂っていっている。まるで水の中でもがいているような感覚へと全身が少しずつ溺れていく。


「る……みぃ!おれ……」


掌がギュッと潰されるような勢いで握られた。痛みでほんの少しだけ距離や視界の認識が戻っていくも、圭介が必死の形相をしてそこにいたことだけしか分からなかった。

だけど、それだけでも十分だった。


「けーすけ、ありがと」


圭介も同じ気持ち、それに恐怖に負けずに励ましてくれる。それだけでも今のあたしには十分力になる。

言葉を絞りだすと共に、握られた手を握り返す。できる限りの力いっぱいを込めて。


「…みいっ!」


だが気持ちとは反して触覚が、聴覚が眠りに落ちていく。徐々に薄れゆく視界の中から叫ぶような声が聞こえる。きっと圭介のあたしを呼ぶ声だ。


「ぇ……すぇ」


身体が硬直をはじめた。ここにいると、そう言葉を出すこともできない。

まぶたは完全に落ち、呼吸も少しずつ止まっていく。死という存在が目の前に迫ってきているというのに、なぜだかまるで眠りにつくだけという感覚へと囚われていく。

その感覚は彼女だけではなかった。圭介、晴斗、優香の三人の感覚もまた、瑠美とは一分もない程度の時間差があったものの同様の感覚へと変わっていく。



彼らの意識が全て落ちたと同時に、彼らの存在はこの世界から消失した。

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