過去。

 一体全体何が起こっているのか。

 義務教育9年しか受けていない俺の脳味噌では到底理解が追いつかない状況が目の前に降りかかった。

 夢乃綴は自分が歌手だと言う素性を一切明かさないまま、俺が座っているベンチのすぐ左隣にその華奢な体を座らせると俺のギターを覗き込むようにしてひじと太ももをつけて頬杖をついていた。

 「だから弾かないのそれ?」

 「…………。」

 俺は黙って彼女の細身の体に視線を落とす。  

 「……誰だよ、あんた。」

 あれほど嫌いな彼女を知らないはずが無かった。けれど「知ってる」と口に出すことが何か尺に触った俺はせめてものプライドからそのワードを溢した。

 「あ、ごめんごめん。いきなり話しかけて驚いたよね。」

 彼女はそう言って腰を上げると俺の方へくるりと向いて自己紹介を始めた。


 「現役女子高校生シンガーの『夢乃 綴』です。」

 綴はとびきりの笑顔で言った。

 「へぇ。」

 なんてあからさまに興味が無いような態度で生返事をする。思春期の男子のほうがまだマシな態度を取るだろう。

 そして「君は?」と、綴は首を傾げた。

 「朝凪 颯。17歳。」

 別に年齢まで答えなくて良かった。と、言ってから後悔する。

 「ふぅん。朝凪くんねぇ。」

 そう言うと綴は話を本題に戻す。

 「そんで?なんで朝凪くんはギター弾かないの?」

 「弾きたくても弾けない。」

 ピックが無いから。と付け加えた。

 まぁ、実際ピックが無ければ弾けないのは事実だったが、何より日頃より嫌っていた夢乃綴と言う歌手の前で弾くのが億劫おっくうだったのだ。

 「フィンガーピッキングは出来ないの?」

 綴は指を動かしてフィンガーピッキング(ピックを使わないで指を使う奏法)の動作を冷たい空気の中でやって見せた。

 「生憎、俺はピック弾き一筋でやってるもんでね」

 真っ赤な嘘だ。いくら練習しても出来なかっただけだろうに。

 「ふぅん。あ、じゃあさ、そのギター貸してよ。私が弾いて見せるからさ、この際覚えちゃいなよ。」

 そう言って彼女は俺のアコースティックギターを半強制的にかっぱらうと自分の前に持ってきてその大きな目を細めた。

 「……へぇ。中々いいもん使ってるのね。」

 「どう言う意味だよ。」

 まぁ、確かにこんな汗だくで、くたびれた若僧が良いギターを買う金が無いように見えるのも分からなくも無い。

 「まぁいいや、じゃあ見ててね。」

 そう言うと次の瞬間には、彼女の顔は先ほどの甘いマスクから一変して、ミュージシャンそのものの顔つきに変わった。

 それとほぼ同時にギターの心地よいサウンドが耳にせせらぎのように流れ込んでくる。

 力強く、けれど決して喧しくの無い音。見事なまでのクラシック調の音楽だ。

 しかし、それは普段から聞いている彼女特有の甘ったるい音楽とはかけ離れていてた。

 だから、感動よりも不可思議が俺の頭の中を埋め尽くしていた。


 一通り演奏を終えた綴は「どうだった」とこちらに顔を向けた。

 「正直なところ、一回見て盗めるモノじゃ無い。」

 「あはは!それもそうだよね。それは私も知ってる。」

 彼女は白い歯を出してニンマリと笑った。

 「はいこれ、返すね。」

 そうしてやっとこさ、俺の相棒は手元に返された。

 「弾きにくいね。そのギター。形もなんか独特だし。」

 勝手に文句を垂れる綴。

 「は?勝手に借りといてそれかよ。」

 「ごめんごめん。」

 綴は目の前で手を合わせて平謝りの態度を取った。

 「でも他人にとって弾きにくいギターっていいと思わない?自分でしかその子の本当の力を引き出せないんだからさ。」


 そんな彼女の放った台詞の深さに何故か妙に納得してしまった自分がいた。


 自分にしか引き出せない音、か……。


 「で?朝凪くんはどうしてここにいるの?」

 ギターを片付けている俺に綴は聞いた。

 「何て言うか、まぁ、成り行きで?」

 そう言いながらギターケースの蓋を閉じる。

 「なんで疑問形?」

 素早いツッコミ。流石にバラエティ番組で雛壇に座ってるだけある。

 「本当に分からない。無我夢中で走っていたらここに着いていた。」

 嘘は付いていない。前半部分はかなり省略しているが……。特に路上ライブのところ。

 「ふぅん。」

 彼女は半信半疑のジト目で俺の体をくまなく、その大きな瞳のレンズに写した。

 なんだがむず痒くなる。

 「逆に何でお前はここにいるんだ?」

 これ以上詮索されるのは色々と面倒なので聞き手に回る。

 「私?私は……うーん。思い出の場所に挨拶かな?」

 「何故に疑問形。」

 すかさずこちらもツッコミを入れる。

 「ま、まぁ、私にも色々あるからさ!」

 彼女は笑みを溢した。

 けれど俺はその笑みが何処か儚くて、寂しそうに見えた。

 

 ちょうどその時だった。

 彼女のセーラー服の胸ポケットのスマホが強く振動した。

 彼女はそれを取り出し、液晶画面を確認するかと思いきや、何事も無かったかのように黙ってコール音が途切れるのを待った。

 そして、そのコールは1分間ほど鳴り響いた。

 

 「……電話。出ないのか?」

 コールが鳴り終わった後の沈黙を切り裂くかのように俺は口に出した。

 言ってから気がついた。


 何を聞いてるんだ?俺は。こいつは昼間あれほど嫌っていた夢乃綴だぞ?これ以上模索する必要は無いだろう?


 けれど口が勝手に動いてしまったものはしょうがない。


 「出たく無い。どうせ仕事のことよ。」

 彼女は静かにそう言うとベンチの上で膝を抱えて、体育座りのような形を取った。

 「どうして?親御さんかも知れないだろ?」

 「親、居ないから。」


 「居ないって……どう言う事だ?」

 

 すると彼女は自分の素性を語り出した。それは歌手としての彼女ではなく。一人の人間としての話だった。

 「私さ、このビルで育ったんだよね。ここは身寄りの無い子供達が住む養護施設でさ、物心がついた時からここに居た記憶しかない。でもそれで良かった。みんな本当の家族みたいに仲が良いし。」

 俺は黙って彼女の言葉に耳を済ませていた。

 「でも」

 彼女は何かを言いかけて、生唾をゴクんと飲み込むと再び口を開いた。

 「でも私がそれを壊した。」

 そして彼女は自分がした過ちについて語り始めた。


*****



 半年前の事務所に私、夢乃綴宛の手紙が一通届いた。

 デビューから早半年の月日が流れて、ファンレター等が届き始めていた。

 けれど、綴が見るにA4サイズの封筒からはファンレターでは無いことは確かだった。

 恐る恐る、封を切って中身を確認するとそこには、

 『孤児の夢乃綴はコネで有名になった!枕営業で叶えた夢!』

 と言う大きな見出しとともにA4紙十枚分にわたって私の捏造された写真やら記事やらが載っていた。

 それはとある週刊誌から届いた手紙だった。

 確かに、私は孤児院育ちで親が居ない。けれどコネや枕営業で有名になったつもりは全くない。

 恐らくではあるが私に対して、嫉妬心がある人物。他社の若手アーティストが人気沸騰中の私に焦りをなして週刊誌に頭を垂れたのだろうと思った。

 だから、初めのうちは無視をしていた。

 事務所の親元にも黙っていた。知っているのは私と私専属のマネージャーのみ。

 しかし、届く記事は日に日に多くなり、ついに親元の会社までその情報が伝わってしまった。


 後日、私は本社のタワービルに足を運び、取締役と直接的に話すことになった。

 都内のビルの最上階。重そうな木の扉を中鎖骨で三回叩いて中へと入る。

 中へ入ると髭面で白髪の60代後半の男性が何やら神妙な面持ちで言葉を放った。

 「200万」

 それが記事を掻き消す為に必要な額だと言う。

 私は聞いた。

 「それは事務所が負担するのでは無いのですか?」と。

 しかし、その男性は首を横に二往復させ、深いため息をついた。

 「思い上がるのもいい加減にしてくれないか?人気沸騰中のシンガーソングライターだかなんだか知らないが、私たちは商売。ビジネスの世界の住人なんだよ。君のそのスキャンダルで我が社に傷がつく。大変な損害だ。」

 理不尽だ。

 つまりは私の音楽は商売道具の一つとして扱われていたのだ。必要とされてるのは私じゃなくて、時代に見合った音楽。

 私はそれを作るロボットいや、そのロボットを作る工場に過ぎなかったのだ。


 私は帰り道、タクシーの中で考えていた。

 『200万』

 取締役の放った言葉が頭からチューイングガムのようにへばりついて取れない。除夜の鐘のように空っぽの私の頭で鳴り響く。

 

 タクシーを止めると私は雑居ビルが立ち並ぶ路地裏へと足を運んだ。

 そして、周りのビルよりも頭が一つ低いビルの前で足を止める。

 入り口の薄いドアをノックして足を踏み入れる。

 すると寮母さんの明るい声が耳に入ってきた。

 「あ、おかえり!綴さん!みんなー、綴お姉さんが帰ってきたわよ!」

 肩が重い私を出迎えたのは元気な子供達の声だった。

 バタバタと言うフローリングを裸足で歩き回る子供達の足音が聞こえたかと思うとその音は私の前で止まった。みんな私の膝までしかない小さな子供だ。

 名前も全員知ってる。家族なのだから。

 しかし、今の私には彼らの声などは到底聞こえないまでに頭を悩ませていた。

 「寮母さん、寮長は?」

 寮母さんはデスクで書類を整理しながら言った。

 「いつもの寮長室ですよ!」

 いい笑顔だ。けれど化粧で消しているであろう白い肌にはが見え隠れしていた。

 私は子供達には目もくれずに、奥にある寮長室へと足を運んだ。

 一歩、また一歩と足を突き出すたびにギィ、ギィと悲鳴を上げる木目調のフローリング。今にもそこが抜けそうだ。

 足元にはほつれかけ人形やらおもちゃやらが散乱していた。まるで足の踏み場もない。それらを巧みに避けて進む。

 

 「失礼します。寮長はいらっしゃいますか?」

 私は鉄製のドアノブに手をかけてゆっくりと扉を引いた。

 「なんだよ。堅苦しい挨拶して。」

 年季の入ったワークデスクに腰掛けた黒縁メガネの小太り体型の中年の男性が声を発した。

 どこぞの大物みたいだ。

 「いや、一応寮長なので。」

 「まぁ、そうだけどさ。綴とは、ほら、親子みたいなもんじゃないか。」

 まぁ座ってとパイプ椅子の前へと案内されて、彼と向かい合う形で座った。

 「で?どうした?綴。君が私に敬語を使うなんてギターをねだる時以来じゃ無いか。」

 「あぁ、その節はどうもありがとうございます。」

 「良いってことよ!そのおかげで今、絶好調なんだって?音楽の方。」

 「えぇ、まぁはい。」

 私が歌手になりたいと言い出したのは高校一年の頃だった。

 それを聞いた寮長は二つ返事で承諾して私にギターを買い与えてくれた。

 そして、それからの1年間毎日のようにギタースクールへと通わせてくれたのも寮長だ。都内にあるミュージックスクールへの送迎、決して安くは無い月謝。それを負担してくれたのだ。

 

 「それなら良かった!」と、笑みを浮かべる。

 そこでもう一度、あの薄汚い金の亡者の声が脳内に響く。

 『200万』

 今の私には出せない額では無い。この半年でかなりの額は稼いでいた。けれどその金は寮長や崩壊寸前のこの孤児院のリフォーム代として宛てがうつもりだった。 

 つまりは自分の夢を継続するには200万と言う対価。

 それと、育ての親を裏切ると言う行為も副賞でついてくると言うのだ。

 

 「で、本題は?」

 「え、いや、それがですね……。」

 言葉に詰まる。今もし、ここで真実を打ち明けたらどうなるだろうか。心優しい寮長のことだ。きっと笑顔で200万を断るだろう。

 けれど、けれどそれは正しいと言えるのだろうか。育ての親に恩を返すのが常識では無いのか。

 わざわざ仇で返すようなマネをしようとしてる自分が怖くて堪らなかった。

 そして悩んだ末に吐いた言葉は


 「いえ、何でもないです。失礼しました。」


 結局、私は自分を守る選択肢を選んだ。

 案の定。孤児院は経営が困難になって1ヶ月前に無くなった。

 それ以来、寮長含め、『家族』とは連絡を取っていない。取れるはずも無い。

 


****


  綴は長い長い昔話を話し終えると静かに深呼吸をした。

 「だから、私は歌手を辞めることにした。せめてもの償いでね」

 静かに微笑む綴を黙って見つめていた。

 

 言葉が出なかった。

 あれほど甘い歌詞を綴って、歌って、奏でていた歌手の人生はあまりにも塩辛いものだったからだ。

 「ごめん……。一回、外す。」

 その場の鉛のような空気の重さに耐え切れない俺は用を足しにトイレへと向かう。

 場所を尋ねると、すぐ下の4階のフロアにあると言うので彼女の指示通りに歩く。 

 鉄製のドアノブを回して建物内に入ると確かについ最近まで使われていた様な跡があった。

 人形やおもちゃ、所々に散らばった資料や布団。どれも生活感が溢れて少しばかり生々しくも思えた。

 

 トイレの個室に入り、誰が来る訳でも無いのに鍵を閉め、冷たい便座に腰を下ろす。

 別に用が足したかった訳ではなかった。

 自分の中の恒久的な考えに頭を悩ませていただけだ。

 『偽物の彼女が嫌い』と言う感情ただ一つに俺はやるせない憤りを沸かせていた。

 日頃、テレビやラジオで聞くたびに憎しみが湧いてきた彼女の歌声は『偽物』なんかでは無いのだから。いや、『偽物』なのには変わらないのかもしれない。けれど、今の俺にはあれほどの壮絶な道を辿ってきた彼女の歌は偽物には聞こえない。


 ギターについてもそうだ。

 ギターを買ったのは一年前だと言ってた綴はすでに俺ができない技法や、見事なまでの旋律を奏でていた。

 並みの努力では出来ない。俺とは覚悟が違うのかも知れない。

 そう思った時、一つの感情が頭の片隅に降りてきた。

 その考えは俺の中にずっと潜んでいた。

 けれど気付きたく無い自分がそこには居て、見て見ぬフリを続け、今日まで歌い続けてきたが、とうとうそのダムを堰き止めていた水門が決壊した。


 「『偽物』は彼女じゃなくて俺の方だ。」


 そんな恐ろしい感情を抱えながら俺は個室を出た。

 

 そして、重い足取りで階段を上がり屋上へと戻ると先ほど腰掛けていたベンチに綴の姿は見当たらなかった。


 

 

 

 

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