嫌いな歌。

柳 荘樹

出会い。

 『夢』を見ていた。


 いや、妄想に近いだろうか。


 あるいは自分の中に住み着いている他の誰かの人生を勝手に覗き見ているのかもしれない。


 そう思うほどに待ち望んだ景色を眺めていた。

 夢かうつつまぼろしか。

 それは夏の蒸し暑い日だった。

 時刻は19時を過ぎ、昼間照り付けていた太陽の残り香を鼻から目一杯体に取り入れると汗の匂い、柑橘系の制汗剤の匂いがブレンドして同時に鼻を刺激する。

 沈んだ太陽の代わりの月は薄暗い夜空に浮かんでいた。今日は絶好の満月の様だ。

 俺は上げていた視線をゆっくりと下へと落とすと正面の景色を見つめた。

 目の前には雑に見渡しただけで5万人を超えるであろう人が俺の立っている野外ステージを扇型に囲むように立っている。

 それは誰でもない俺のワンマンライブだった。

 ここにいる全員、俺の歌を聴くために足を運び、暑い中待っているのだ。

 この歓声も夏の蒸し暑さと混ざった熱狂も全部、俺ただ一人に向けられている。なんと言う背徳感だろう。

 俺はアコースティックギターを手に取り、肩にかけると開放弦を思い切り掻き鳴らした。

 それとほぼ同時、コンマ何秒遅れで歓声が沸く。

 そして僕はマイクに口を近づけてある歌を言い放つ。

 ずっと前から言いたかったことを。


 ****


 「……おい!聞いてるのか!?朝凪あさなぎ!」

 そんな胴間声が俺の鼓膜を揺さぶるとさっきまでの蒸し暑い夜のステージから薄汚いバックヤードへと意識が引き戻された。

 何故か下げていた重い頭を上げてみる。

 すると、視界に入ったのは黒いスーツを見に纏い、キャスター付きの椅子で短い足を組んでいる小太りの中年男性だった。

 その黒縁メガネと肥満体型はどこぞの大物アイドルプロデューサーを彷彿とさせる。

 その男性に説教をくらっていた様だ。

 「えぇ……、まぁ、はい、すんません、店長。」

 怒りの原因が分からないため、とりあえずの曖昧な返事をする。大抵のことは謝れば解決するのだ。

 するとアイドルプロデューサーこと、俺のバイト先であるコンビニの店長はため息をついて腕を組んだ。

 「聞いてなかっただろ。」

 見透かされてた。この黒縁眼鏡に全て。

 「……はい。」

 「また、得意の妄想癖か?困ったもんだ。」

 どうやら俺はまた得意の妄想をしていた様だ。

 「いやぁ、履歴書に書けますかねぇ?」

 なんてふざけてみる。

 「……ふざけてるのか?」

 目を細めた店長が言う。

 「……すんません。」

 まぁいい。と店長は話を本題に戻す。

 「単刀直入に言うとお前を雇ってからうちの店はどうも営業成績が振るわない。」

 店長は何やらプリントアウトされた紙を眺めながらやれやれ、と言った表情を浮かべた。

 「35回。何の数字か分かるか?」

 「さぁ。」

 俺は首を右に45度ほど傾げた。

 すると店長は眺めていたその紙をバン!と俺の鼻につくまでの距離に突きつけた。

 「こ、れ、は!お前を雇ってから来たクレームの数だ!」

 バックヤードに低い怒鳴り声が響く。この声で発電できるのでは無いかと思うほどの振動数だ。

 そして俺は突きつけられた紙にピントを合わせる。

 その紙には殴り書きの文字で何行ものメモが取られていた。

 「ん、なになに?『7月10日、朝凪あさなぎ はやてと言う店員に声をかけるとイヤフォンを付けていたため無視された。』だって?」

 俺は紙に書かれていた一文を読み上げた。

 「この店で朝凪あさなぎ はやてと言う人物はお前しか居らんだろ。」

 「……ドッペルゲンガーすかね?」

 顎に手を当てて眉間にシワを寄せ、推理中の探偵の様な表情を浮かべる。

 「そんな訳あるか!正真正銘、お前へのクレームだ!他にもお前を雇ってからのこの1年、毎月のようにこんな電話が鳴り響くんだ!その度に俺は顔も知らない、見えない奴に頭を下げるんだよ!その気持ちが分かるか?」

 店長は茹で蛸のように顔を赤くし、唾を飛び散らせながら俺に指をつけた。

 「いや、知らんす。第一、顔が見えないなら頭下げても意味なく無いすか?」

 俺は足が疲れたので近くにあったパイプ椅子に腰を下ろし、店長と向かい合う形を取りながら言った。

 「……はぁ、朝凪。お前は社会を分かってないよ。誠意を見せる気持ちが大事なんだ。」

 気持ちが。と怒鳴り疲れた様子の店長がネクタイを緩めながら言った。

 「そう言う店長は分かってるんすか?」

 「お前よりは知ってるさ。」

 「ふぅん。」

 そう言いながら手元のスマホで時間を確認すると今日の勤務時間終了の19時だった。

 「ま、何でも良いっすけど。俺はもうシフトを終わりなんで上がらせてもらいますね。」

 コンビニの制服であるエプロンに手をかけてたくし上げる。

 それを乱雑に自分のロッカーへと押し込むと俺はギターケースを背負って出口へと向かう。

 「……いつまでやるつもりだ。それ。」

 店長の方を向いてはいないが俺の背負っているギターに指先が向いているのが分かった。

 「……まぁ、時代が自分に追いついたらですかねぇ。」

 俺はそう言い残すとコンビニを後にし、徒歩数分の場所にあるアーケード街へと足を運んだ。

 


 俺、朝凪 颯は17歳のフリーターだ。いや、を枕詞につけたフリーターだ。

 と言うのも、俺には夢があった。


 幼稚園の頃、音楽の時間にカスタネットを鳴らす時間があった。周りの友達はリズムが取れてない中俺は1発でリズムを掴んだ。

 小学生の頃、音楽の授業でリコーダーを吹く課題が出た。これもまた面白いほどすんなりと吹くことができた。

 中学生の頃、校内の合唱大会では課題曲のソロパートを任されるほどに歌が上達していた。

 

 そこで俺は音楽に好かれていると言う錯覚が生まれた。


 そんな俺がミュージシャンを目指すのは必然的な流れだと思う。

 親の反対を押し切り、半ば家出のような形で地元の高校への進学を拒否して上京し、アルバイトをして日々曲作りに励んでいた。


 しかし、多少は分かっていたつもりだが現実は厳しいものだ。

 必死にアルバイトして貯めた金でオリジナル曲をレコーディングし、それをレコード会社のオーディションへと提出するも、一度も受かった事がなかった。それどころか一次審査すら通過したことが無い。

 それもそうだ。

 オーディションと言うのは『良い音楽』を評価するのでは無く『売れる歌』を見つけるための場なのだから。

 だから皆、周りからの評価を得ようとSNSをしたり、ライブハウスで自腹を切ってまで出演して知名度を得ようとする。

 けれど、俺はどうもそのやり方が気に入らなかった。

 彼らの歌う曲は皆『偽物』に聞こえたからだ。

 綺麗事を綴った歌詞、取り繕った歌声。いかにも時代受けしそうな音楽だ。

 それが『本物』であればわざわざ、SNSやらで宣伝しなくても良い。世間から認められると思っている。だから俺はそんな自分らの音楽を商売道具にする様な行為はさらさらごめんだった。

  

 だからこうして、今日も人通りの多い路上でライブをして、『本物』を聞かせる。世間に訴えかける。

 ここは俺が上京(と言う名の家出)をしてからずっと歌い続けている場所だ。

 人通りがそれなりにあって治安がそれほど悪くないアーケード街の通り。ガラス張りの屋根があり雨の日でも関係なく演奏できる。

 俺は電源の付いていない大きな広告モニターの前で立ち止まり、背負っていたギターケースからアコースティックのギターを取り出し、チューニングを始めた。

 E.A.D.G.B.Eと一弦ずつ丁寧に振るわせて音の波長を合わせていく。

 次に空き缶を改造した自作の『投げ銭箱』を足元に準備した。

 俺の歌に見合った対価を支払ってくれる人がいるかもしれないからだ。

 そして、チューニングを終えたギターを肩に背負ってCコードを鳴らした。

 鼻から大きく息を吸い上げて俺は声を出す。

 『ハヤテです。どうぞ、よろしく。』

 そうして俺は今日もこのありふれた日常に自分の音を届ける。

 

 1曲目、2曲目が終わり、ペットボトルの水に手をやると何でも言えない生温さが手元に伝わった。

 それらを一気に飲み干すと勢いよくペットボトルをぐしゃっと潰す。

 周りに視線をやれば、飲み会で酔い潰れている人、手を繋いでいる高校生カップル、疲れきった顔をしている中年サラリーマンなどがそれぞれのスピードで歩いていた。

 そんな時空の中で俺は立ち止まり、ギターを鳴らす。

 ギターの生音なんて音楽に携わらない生活を送っていたら珍しいはずなのに、誰一人として俺の方を見ない。いや、見てないフリをしているのかもしれない。

 まぁ、いいさ。俺は人気が欲しいんじゃなくて、この世界に自分の音楽を分からせたいんだ。

 『それでは次の曲です。』

 俺は声を出して、Gコードを鳴らし始めた。


 するとどうだろう。不思議なことに先ほどまでは誰一人として見向きもしなかったのに、一人、二人と足を止めてこちらを見ている様だ。

 見る見るうちに頭数が増え、やがてそれは大きな円を描く様にして俺の周りに集まった。

 路上ライブなんて一日に五人集まれば良い方だったこの俺に五十人近い人が足を止めているのだ。

 ヤバイ。にやけが止まらない。皆、俺の歌が心に刺さってくれたんだ。

 俺は気持ち良くなってきて声のボリュームを上げて、ギターのストローク、ピッキングも強くした。

 これで皆喜んでくれる。


 そう思ったのに。


 「おい!兄ちゃん!邪魔だよ!」

 円の中の一人の誰かが声を上げた。

 「そうよ!うるさいよ!さっきからその歌!」

 続いて若い女性の声だ。

 何を言ってるのか分からなかった。この円を描いている人は俺の歌に惹かれて来たんじゃないのか?

 そして直後、俺はその言葉の意味を理解することになる。


 俺の背後にはあるアーティストの映像が映し出されていたのだ。

 自分の演奏で気がつかなかったが、いつの間にか広告モニターの電源がつけられていた。どうやらライブDVDが映し出されているらしい。彼らは俺ではなくこのアーティストの映像を見に来た様だ。


 そして俺はこのアーティストをよく知っている。


 「夢乃ゆめの つづり……。」

 誰にも聞こえない声で呟く。

 

 数ヶ月前、女子高校生シンガーの『夢乃綴』と言う歌手がとあるレコード会社から彗星の如くデビューした。

 彼女の曲は甘い恋心を綴った歌を中心としていて、瞬く間に恋心を煩わせる中高生の心の隙間を埋めた。

 そして、そのアイドル顔負けのルックスと「清純」そのものと言った性格を芸能界が見逃すはずがなく、すぐさまバラエティ番組や音楽番組に出演した。

 そして、俺は彼女の歌が大嫌いだった。

 何処か綺麗事の歌詞、五線譜に蜂蜜を垂らしたかの様な甘いメロディ、そして今流行の特有の高音ボイス。いかにも時代受けしそうだ。

 そんな『偽物』で塗り固めた歌もそんな商売道具に踊らされている世間も大嫌いだった。

 

 俺は視線が俺自身に向いていない事を悟り、ギターをケースの中にしまった。飛んだ赤っ恥だ勘違いも甚だしい。

 『投げ銭箱』も急いで回収した。

 中を見ると誰が捨てたのかレシートや紙屑やタバコの吸殻が数本あった。

 俺は右の掌に痕がつくくらい拳を握り、下を向いたまま群勢を掻き分けてアーケードを駆け抜ける。

 頬に冷たい液体が伝う。それは紛れもなく俺の目から溢れていた。

 それを袖で拭いながら一目散にこの魔の区域を抜けようと足に力を入れて駆け抜ける。

 「……惨めだ。」

 惨めで悔しくてしょうがない。

 それでいて憎い。この世界も俺を評価しない人間も、そして何より、自分の今の感情を言葉で伝えられない自分が憎い。

 

 そうして葛藤やら苦悩やらを頭の中でミキサーにかけながら走ってアーケード街を抜けるといつの間にか雑居ビルが立ち並ぶ路地に入り込んでいた。

 ぐるりと周り見回すと360度ビルに囲まれており、夜空が狭く、わずかな月明かりでさえも遮られる。

 俺は肩を使いながら息をゆっくりと整え、おもむろにその辺りを歩き始めた。

 ギターの確かな重量を背中で感じながら一歩一歩奥へと進む。

 

 すると、とある廃ビルが俺の視界に入り、足を止める。

 なぜ足が止まったのか。自分自身も分からない。

 ただ、その廃ビルは他のそれらとは違い、他のビルに比べて背が頭ひとつ分低く、所々の外壁は剥がれ落ち、非常階段の鉄骨階段は錆び付いていた。

 その異様で不気味で、けれどどこか今の自分に見合っている様な気がしてならなかった。

 俺は生唾をごくりと喉仏を通して、その寂れた非常階段から上へと足を運ぶ。

 鉄板を叩いて登る俺の足音だけが俺の耳を刺した。

 

 そうして、螺旋状の階段を上り切ると狭い箱庭の様な屋上についた。

 その屋上もやはり、手入れがされていなくて、床のタイルや、落下防止のためのフェンスなどが壊れかけていた。

 周りを見渡すと周囲のビルが四方八方に塞がっており、屋上だと言うのになんとも閉鎖的ではあったものの、路地裏から見る夜空より、それがよく見えた。

 俺は12時の方にあるベンチに腰掛け、抱えていた『投げ銭箱』を乱雑に床へ落とすとケースからギターを取り出す。

 途中で終えた先ほどの歌の続きを歌うことにした。せめて、歌いきりたかったのだ。

 そして、いつものように抱くようにして構えたギターを鳴らそうとする。

 しかし、俺はある大事なモノがないことに気がついた。ピックだ。

 それもただのピックではない。いつの日か『投げ銭箱』に入っていたピックなのだ。

 半透明の紫色をしたそのピックは何故かとても弾きやすかった。もらって以来愛用している。

 それを失くしたのだ。恐らくではあるが先ほどの人混みに乗じて落ちてしまったのだろう。

 

 「しょうがない」と、俺は泣く泣くギターをケースに戻そうとする。すると、甘い声が夜の冷たい空気を伝って俺の鼓膜を震わせた。

 

 「あれ?ギター弾かないの?」

 どこかで聞いたことのある声。甘ったるくて、それでいて水晶のように良く透き通る声質。

 俺は声のする方向へと目をやる。

 すると先ほど俺が登って来た階段に人影があった。

 確認できない、と目を凝らしてみる。するとちょうど良く鼠色の雲間からクリーム色の月が顔を覗かせた。

 そこには赤いリボンのセーラー服に身を纏った俺と同じくらいの歳の少女が立っていた。

 その色白の肌と綺麗な黒髪が月明かりに照らされてより一層輝いて俺の目に届いている。


 そして、俺はその女をよく知っていた。

 何処かで聞いた甘い声、嫌と言うほど整った顔立ち、以下にも人の路上ライブを邪魔しそうな容姿。

 そんな視覚的、聴覚的な情報が俺の神経を巡った。


 それは『偽物』を歌う俺の大嫌いな歌手の夢乃綴だった。

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