第8話 いわく付き物件

「行ってらっしゃい」


「行って来る」


 そう言って、玄関先で私たちはキスをします。


 私は北條優子。

 雄二さんの奥さんです。


 雄二さんとは高校からの付き合いで。

 高校卒業と同時に入籍しました。


 で。


 色々相談して、雄二さんは普通に進学。私は大学に行く目的が無かったので、彼の卒業を待つ。

 そう、決めました。


 そして


 雄二さんの進学先に妻として付いて来て、現在そこで同棲しています。

 そして今のように、夫を送り出した後は、部屋に引っ込んでやることは家事なのですけど。


 ……すぐ終わってしまうんですよねぇ。


 2人暮らしだと家事なんて楽勝です。

 ですけど……


(これは、時間が余る……)


 これが一戸建てだとか、子供が居るとかだと話は別ですけどね。

 この部屋、ワンルームなんですよね。


 10畳のワンルーム。


 もっと広い部屋でも借りようと思えば借りられたんですけど、あえてワンルームにしたんですよね。

 だって無駄に掃除が大変になるだけで、良いこと無いですよ。


 寝て起きて、ご飯食べて本読んで。

 それが出来る広さがあれば人間生きていくのに十分です。


 この考え方は、雄二さんも賛同してくれました。


 さて。

 大学で勉強されている雄二さんに申し訳ないので、私も自発的に勉強でもしましょうか。


 私は外国語は英語しか話せないので、将来に備えて中国語を最近勉強しています。

 テキストとCDを通信販売で購入し、独学で頑張っているのですけど。


 四声がややこしいんですよね。

 特に二声と三声が。


 そうして


 ヘッドホンで単語の発音を聞きながら、テキストの中国語で書かれた物語を読んでいると。


 ベランダに人影が見えました。

 この部屋、ワンルームなんですけど。

 洗濯物を干せるベランダスペースがあって。


 そこも、ここに決めた理由のひとつ。


 なんですけど。


 ベランダの外に、顔があって。

 女性の顏ですね。


 それがニヤニヤとした表情を浮かべて、こっちを見てきます。


 ちなみに、ここは3階なんですよ。

 人は立てない。


 あー……


 実はここの家賃、月1万円なんですよね。

 その理由が、あれです。


 レネゲイドウイルスが、人間の想い……執念だとか、憎悪とか。

 そういうものに感染することがあります。

 その想いが強ければ強いほど、こういうものになる確率が上がるそうです。


『地縛霊』という名のレネゲイドビーイングに。


 事前説明で受けた話によると……


 今から数年前に、引きこもり女性がこの部屋に住んでて。

 あるとき将来を悲観したその女の人がこの部屋で首を吊ったとか。


 その女の人。

 高校のときに虐められて精神を病み、それ以後自室から出られなくなったという話で。


 気の毒ですけど、だからと言ってこれは駄目だと思います。

 この部屋を他人に貸せないじゃないですか。

 ここにマイナス感情のレネゲイドビーイングとして取り憑いてしまったなら。


 なので私は無言でベランダに出ました。


 すると、ベランダの外の顏はニヤニヤ笑いを浮かべたまま。

 その横から、ニューッと手を伸ばしてきます。


 私はそれを避けながら、魔眼を出現させました。

 私のエフェクトを制御する輝く球体を。


 ちなみに


 この地縛霊、すでに3回くらい倒してます。

 けれど、数日経過すると復活するんですよね。


 ……流石に分かりますよ。

 この地縛霊、ただ殴り倒すだけじゃ倒せない存在なんだ、って。


 で、ずっと考えていたんですよ。

 家事するときに。


 どうすれば良いのか、ってことに。


 それで出した結論は……


「くだらない理由で私たちの愛の巣に居座るのやめてくれますか?」


 挑発。


 するとニヤニヤ笑いが消えて……


 憤怒の顏になりました。


 オオオオ!


 伸びてくる手の攻撃も激しくなります。

 私はそれを躱しながら


「怒るんですか? 怒られても困りますよ。負け組の気味悪い身の程知らずの執念で、相思相愛の私たちの邪魔をしないでください」


 1回、この腕に引き込まれたら討伐できるんじゃないかと思って。

 わざと捕まったこともあるんですど、無駄に下に投げ落とされただけでしたし。


 徹底挑発。

 自殺者の地縛霊と仮定して、それだったら耐えられなくなるであろう言葉を選んで


 すると


 幸セナ女ガ憎イ!


 ……声が返って来た。

 感覚としてはテレパシーに近いです。


 良い傾向。


 私はそう思いながら、続けます。


「何で憎いんですか?」


 会話が成立してきました。

 これしかないかな、というのが私の結論です。


 憎悪の根っこを探り、それを解決する。


 これしか、ないかな。


 私ハ悲惨ナ人生ダッタ! 彼氏モ欲シカッタノニ、出来タコト無カッタ! 許セナイ!


 ……何で私がお前の赦しを乞わないといけないんだ。知るかボケ。


 内心そう思いましたが


「私を殺せばあなたの人生にどんな実りがあるんですか? 教えてください」


 はい。ここで2択。

 自分がスッとするという答えが来たら「あなたを追い込んだ連中と同質の存在ですね。おめでとうございます」と返し、追い込む。

 そして答えに詰まったら、次の段階。


 ……返答はありませんでした。

 なるほど。


「良いこと教えてあげましょうか? ……あなたは、ここで自殺した女性のコピー人間であって、本人では無いんですよ」


 なので私は話を次に進めたんです。

 彼女に向かって、あなたはあなたではないと教えたんですね。


 そんなはずない、訳の分からないことを言うな、という言葉が来る前に。


「本当のあなたはもうすでに別の世界に行ってます。それがどこかは分かりませんけど、昔の自分であるあなたのことなんて忘れてますよ」


 ……地縛霊はショックを受けているように見えました。

 本当の自分はあの悲惨な人生を忘れているのに、コピー人間の自分がここで暴れている意味。

 それを思い知ったのかな。


「それに」


 ここで虎の子。

 他人に聞かれたら叩かれる恐れ大。


 でも、刺さると思うんです。


「……あなたがここで暴れて他人の命を狙う行為は、あなたの本体が誰にも迷惑を掛けずにひっそりと消えた自制心を侮辱していますね」


 ……私は別に自殺を推奨してるわけじゃないです。

 でも、拡大自殺……無差別殺人の末、死刑で果てる最低のクズより億倍マシでしょ。


 それをしなかったことは、評価してあげるべきじゃないかな。


 この人はおそらく、ご両親以外の誰にも褒められない人生だったと思うから


 すると


 ……分カッタワ……


 その一言を残し。


 彼女は……憤怒の表情を消し、穏やかな顔で。

 スーッと、消えて行った。


 ……上手くいったかな?


 そう思い、私は魔眼を消し。

 肩を回してから。


「……ジム行こうかな」


 そう、独り言ちた。


 そろそろ昼1時だし。

 市営のスポーツジム行こうかな。


 安いんだよね。

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