第30話 (ドラセー/一号)

 教授にお願いすると、快く吐瀉物の片付けを手伝ってくれた。

 手伝うって言ったって、私はなにもできないから全部任せきりになってしまうんだけど。

「イッチー君は大丈夫だと思うかね?」

「ぶっちゃけかなりヤバイです」

「だよねえ……」

 不安な気持ちがむくむくと膨らんで来る。拠り所が欲しい。

「クーちゃん。ぎゅーしてくれない?」

 返事はない。

「クーちゃん?」

 教授以外に動くものの気配がない。マジでいない。

 まさかついて行ってしまったんだろうか。


 足元の岩に銃弾が当たり、仕込まれていた火薬が爆ぜる。どこへ逃げてもドカドカと景気良く地面や壁が吹っ飛ぶのだからやってられない。

 頭がぼーっとするし、ガンガン痛む。おそらく、疲れのせいだけではない。今にも倒れそうなのを、気合いで持ちこたえて走り続ける。

「どうした! 逃げるだけか!」

 二号は両手に持った銃を交互に撃って俺を狙っている。ただでさえ飛び道具相手では近寄るのが難しいのに、爆風に阻まれてしまってまともに動けない。俺を仕留めるためにたくさん準備したらしい。

 走り続けていれば避けられなくはないが、それではジリ貧だ。いや、いくらたくさん仕込んであるって言ったって、いつかは尽きるだろう。火薬や弾が切れるまで逃げ回るか?

 また足元が派手に消し飛んだ。ジャンプして避けたが、ごうっと強い風が吹いてきて体が煽られ、バランスを崩す。

「ぐっ……」

 地面に叩きつけられて、打撲の鈍い痛みで筋肉が引きつる。

「ここまでやれば流石のお前も困っちゃう感じ?」

 慌てて立ち上がって、その場から飛び退く。次の瞬間その場所が消し飛んだ。

 火薬の匂いと、砂埃と、申し訳程度に地面を這っている草が燃える焦げた匂いが満ちている。ゼエゼエと息をすると、身体中が燃えるような錯覚に襲われる。

「今なら許してやるからさあ! オレたちと一緒に来いよ!」

「断る! 俺はもう戦いは嫌だ!」

 爆音の合間に、忌々しげな舌打ちが聞こえた気がした。

「なんでだよ。お前は戦うのが得意になるように作られて、殺しだけ教えられたわけだろ? 得意分野を避けることなくない?」

 銃弾がやんだ。待ってやるから答えろってことか。

 足を止めて、二号を見る。舞い上がった土煙の向こうで、ピタリとこっちに狙いをつけている。

「人殺しが大得意のくせにさあ? 嫌なの?」

「そうだ」

「なんで?」

「俺にとっては有象無象だったが、別の誰かにとっては大事な人だった」

 俺の答えを聞くと二号は大きくため息をついて、話は済んだと言わんばかりに再び引き金を引いた。壁に着弾して、派手な爆発と土砂崩れが起こる。

「やっぱお前バカだわ! バカって死んだら治ると思う?」

 飛びのいて爆風を避ける。岩の破片が勢いよく飛んでこめかみに当たった。血が垂れてきたので、手の甲で拭う。

「死んだら終わりって言ってなかったか?」

「ジョークの通じねえ奴だな! そんなんだからいつもぼっちなんだよ!」

 すでに火薬が爆発した後の更地に逃げ込めれば、まだなんとかなる。視線をさまよわせて爆発しなさそうな足場を探す。かすかに地面に張り付いている枯れ草に引火して、あちこちに小さな火がちらついている。がれきの奥でも爆発の余韻がくすぶっているようで、風が火の粉を運んでくる。

 崩れた後の瓦礫を目指して走る。銃の弾も無限ではないはずだ。今は耐えろ。反撃のチャンスは来る。

「別に一人じゃない。お前らがいた」

「ホントムカつくわー。キレそう」

 銃弾が岩の塊で跳ねて、チュンっと耳障りな金属音が響く。壁で挟まれた空間では、音がよく響く。

「お前さー。人間に混ざってやってけると思ってるわけ? 普通に考えて無理じゃね?」

「全員が全員そうじゃない!」

「無理だよ。ホムンクルスの中でもだいぶ浮いてたもん、お前。同族にすら馴染めなかったのに、無理にハードル上げんなよ」

 頭上で壁が弾けて、でかい岩が降ってきた。片腕を上にあげて、それを受け止めて二号のほうへ投げつける。

 二号は風の力を借りて高く飛び、難なく岩を避けた。くそう。どうやったらあれを捉えられる。

「普通のやつは岩が落ちてきたら死ぬし、片手でそんな大岩投げられないし、銃の弾なんか避けられないんだよ。なあ、諦めろよ。オレはお前が心配なの」

「余計なお世話だ!」

 俺の声は、爆発にかき消されてきっと聞こえていない。

「どうせあの子達も、そのうちお前についていけなくなるよ。オレみたいにさ」

 そうだろうか。そうかもしれない。

 二号の指が動いた。引き金が引かれたが、弾が出ない。今だ! と俺は地面を蹴って飛びかかる。俺の剣は、二号の方に深く突き刺さる。関節を破壊したのが手応えでわかる。二号の背中が壁に叩きつけられて、剣の先が岩をかすかに削った嫌な手触りがした。

「ぐっ……!」

 二号は一瞬顔をしかめたが、すぐにヘラっと軽薄な笑みを浮かべる。

「で、どうする? オレの体、砂でできてるからさ、ミュウちゃんに手当てしてもらったらすぐ治るんだよね」

 空いている方の手が、俺の眉間に銃口を当てた。大慌てで避けたせいで、剣を抜きそびれてしまった。

「お前はオレたちのこと止めるつもりらしいけど、無理だよ。ミュウちゃんは泣き寝入りするつもりはないらしいからさ。人間のあの子があそこまで怒ってくれてるのに、お前は我慢するって言うの?」

 二号は無事な方の手で、俺に追い打ちを浴びせる。しかしその銃の弾も切れて、舌打ちをしながら銃を捨てると肩に刺さった剣を抜いて構える。

「それとも、オレたちが死んでも悲しくない?」

「違う!」

 飛び道具さえなければ、なんとかなる。俺は拳を握りしめて、剣を振りかぶって飛びかかってくる二号を迎え撃つ。

 左手で剣の刃を掴んで、右手の拳で二号の腹を殴る。俺は手のひらが一筋切れて、二号は腹を抑えてその場にうずくまった。

「かはっ、クソが……」

 しかし、ふらつきながらもすぐに持ち直して、ギラついた目でこっちを睨みつけている。

「絶対にぶっ飛ばしてやる……」

「やめろよ……、もう立つなよ……」

 俺のなにがそんなに気に入らないんだ。

「舐めんなって言ってんだよ……」

 二号は岩の陰にあったなにかを蹴り倒した。とろみのある液体が流れてきた。油だ。

 まずい。火の気に満ちたこの谷底は一瞬で火の海になる。

 強い風が吹いた。火の粉が油に落ちる。緩やかに流れていく油が、燃える枯れ草を飲み込んで炎が広がっていく。

 二号は岩の陰から大きな樽をどんどん持ち出してきて、火の海にじゃんじゃん投げ込んでいく。樽の中身は全部油で、手がつけられないくらいに炎は大きくなっていく。

「どうせお前はこのくらいじゃ死なねえだろ。仲良く黒焦げになろうぜ」

 爆音とともに地面が吹っ飛んだ。仕込まれた火薬に油が到達したらしい。まだ残りがあるのか。

 あっちでもこっちでも火薬が爆ぜて爆風が巻き起こり、逃げ場がない。

「くそっ」

 ここまでやるか。自分もただでは済まないだろうに。

 俺は両腕で頭を抱えて、降ってくる瓦礫に備えた。このままでは爆発からは逃れ切れず、生き埋めになる。脱出するだけの体力は残るだろうか。

 ごうごうとすごい音がする。これは爆発の音だろうか。風の音だろうか。

 その場で体を丸めて両腕で頭を守る。容赦無く瓦礫が降って来て、背中に強い衝撃が何度も襲いかかる。

「ぐっ……」

 しばらくそうしてじっとしていると、音が止んだ。爆発が終わったんだ。体を起こして瓦礫をかき分け、地表に出る。激しい爆発は谷の様子を様変わりさせていた。

 俺があたりの様子を把握する前に、右頬に拳で強い打撃が入った。俺が這い出してくるのを、二号は待っていたらしい。

 俺の上に馬乗りになって、何度も顔を殴りつける。片方の腕はもう動かないから、やりづらそうだ。

「お前、なんでそこまで俺に勝ちたいんだ。俺、お前になにかしたか?」

 身に覚えはないが、こいつにとっての俺は、存在そのものが目障りだったのかもしれない。

 二号は殴る手を止めて、深々と溜息をついた。

「お前マジで空気読めないよな」

「なにが言いたい」

「一番雑魚なオレがお前に勝てたら、誰もお前を怖がらないって思ったんだよ」

 そんなこと、考えたこともなかった。

「無理だったけどさあ……。あーあ。嫌になっちゃう」

 独り言をこぼすように、ポツリポツリと二号は話し続ける。

「あの日、もしオレが勝ってたら、オレの出荷先の家に遊びに来いよって言うつもりだった。最初は怖がられるかもしれないけど、「オレの友達だから大丈夫」って紹介してさ。……今となってはありえない夢物語だけど」

「そうか。ありがとうな」

 俺が礼を言うと、二号は嫌そうに顔をしかめた。

「お前のそういうとこホント嫌い!」

 怒鳴り声とともに、再び拳が飛んでくる。顎を狙ったいい打撃だ。

「ホムンクルスの国が新しくできても、お前がそのままじゃまたみんなに怖がられると思ってオレが気を回してんのにさあ。オレに負ければ、お前はバケモノでもなんでもない普通のやつになれるんだよ。もう、なんなの? バカなの? 倒れろよ、頼むから」

 ガスガスと何発も拳が飛んでくる。頭の中が揺れているような心地で、めまいがする。

「お前そんなこと考えてたのか」

 知らなかった。

 口の中が切れた。血の味がする。口の端から血が垂れる。

 負けてしまいたい。強い誘惑でまぶたが重くなる。

「うー!」

 遠くでクリーチャーの声が聞こえた気がした。

「うわっ! ちょっ! なにこの子!」

 いよいよ幻聴でも聞こえ始めたのかと思ったが、慌てた声とともに二号が俺の上からいなくなる。

 起き上がると、クリーチャーが二号にまとわりついていた。俺は大慌てでクリーチャーの首根っこを掴んで二号から引き剥がす。

「なんで来た! 危ないだろうが!」

 俺が怒鳴ると、クリーチャーは眉をひそめて怒った顔をした。

「うー……お、くー……」

「なっ?」

 口をモゴモゴさせて、なにか言おうとしている。まさか……。

「お前喋れるのか?」

「や!」

 クリーチャーは頬を膨らませて、不服そうにこっちを見ている。

「くー、も……!」

 俺が驚きで呆然としていると、二号が不思議そうに聞いてきた。

「その子、さっき一緒にいた子だよね?」

「これはお前だ」

「は?」

「お前の設計図から、俺が作った」

「え?」

「うまくできなくて、あんまり似てないが」

「嘘でしょ」

 二号はクリーチャーを見て、俺を見て、もう一度クリーチャーを見た。

「……マジ?」

「本当だ」

「なんて呼んでるの?」

「クリーチャー」

「女の子になんて名前つけてんだよ。センスゼロか」

 二号はクリーチャーの顔をまじまじと見る。

「へー。変な感じ。……一応もう一回聞くけどさ、そんなことするほど寂しかったのに、こっちに来なくていいのか?」

 もう一度考える。少ししてから、俺は答えた。

「ああ。行かない。こいつに争いを見せたくないんだ」

「この子をいじめる人間は、きっとたくさんいるよ?」

 わかっている。でも。

「前に一度、ひどい目にあう前に一緒に死ぬか、って聞いたんだ。こいつはそれを嫌がった」

 はっきり、自分の意思を伝えてくれた。だったら、もうなにも言うことはない。

「確かにお前のいう通りだが、味方になってくれる奴だって、少しはいるんだ」

 そういうことなら、と二号は俺に向き直る。

「こっちへ来いって言うのはもうやめる。オレはどんな手を使ってでも、お前がミュウちゃんの邪魔をできないようにする」

「まだやる気か」

「そうに決まってんじゃん」

 明確に、こちらに闘志が向けられている。

 行くところまで行かなければこいつを止めるのは無理だと、ハッキリとわかった。

「二号。そっちはどうですか」

 いつのまにか、ミュウが少し離れたところからこっちを見ていた。

「一号はこっちには来ないってさ」

「師匠もです。二人で全部壊しましょうか」

「いいね、最高」

 ミュウは身を翻して何処かへ走り出した。嫌な予感がして追いかけようとしたが、二号の拳が飛んできて、俺はその場に足止めされる。

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