第29話 (ミュウ)

 ミライを追いかけていると、ふいに兄さんの気配が消えた。

 私の命令を拒んでいるのを感じていたけど、それの手応えがふっとなくなって、呼びかけてもなんの反応も帰ってこない。

「……仕方ないですね」

 一番考えられるのは、殺されそうになった師匠が反撃に出て、なんらかの方法で兄さんをあの世に叩き返した、ってことだ。

 兄さんはよく「レンはなんでもできるんだ」って自分のことのように自慢していたし、それくらいはできるんじゃないだろうか。

 死体の軍勢を引き連れて、師匠がいる工房へ向かう。ミライもきっとそこにいる。

 私が弟子になった日、師匠は私に「ごめんね」と言った。

 なぜ謝るのか私が聞くと、困ったように笑っていた。

「僕とシュウのやってることに巻き込んじゃって申し訳ないなって」

 嫌悪感を隠すことには、慣れていた。

 本当は、その日初めて会った師匠のことがすでに大嫌いだった。この人は私に錬金術を教える人で、つまりは私に嫌いなことをやらせる人だ。

 私は錬金術も錬金術に関わる人も錬金術にまつわるものも大嫌いで、この人はどうやらとても錬金術が上手らしい。兄さんはすごいすごいってはしゃいでいたけど、私にしてみれば嫌なものの化身にしか見えなかった。

 兄さんは私と師匠に結婚して欲しがってるっていうのもわかっていたから、本当に気持ち悪かった。

 私は、取り繕って笑顔を崩さないように努めた。

「いいですよ。いつものことですし」

「本当に?」

 こっちをじっと見る師匠の真意がわからなくて、私は戸惑った。

「なんでそんなこと聞くんですか?」

「君は、嫌なことを我慢してる、って顔をしてる」

 驚いた。そんなことを言われたのは初めてだった。うまく隠せてると思ってたのに。

「兄さんには内緒にしといてもらえますか?」

「いいよ」

「……いいんですか?」

 私はまた驚いた。近所のおばちゃんとかならこういう時、まず間違いなく私の家族の誰かに世間話って言いつつ告げ口するのに。

「わざわざ嫌なことをする必要はないよ。君は選べる立場にいるはずだ」

 ムッとした。

「選べませんよ」

「そうなの?」

 とぼけた聞き方がまた癇に障った。絶対にこの人とはうまくやれないと思った。好き好んで錬金術なんかやるような人には、私の気持ちなんかわかるはずがない。聞けば、天才錬金術師らしいし、さぞ世渡りがしやすかっただろうとひがんだ気持ちが膨らんできた。

 もうさっさと破門にしてくれれば話が早いと思って、半ばやけくそで口を開いた。

「私、錬金術が嫌いなんです。そういう家に生まれたからやらざるを得ないだけ」

「へー、そうなんだ」

 どうでも良さそうな相槌だった。

「会ったばかりだけど、あなたのことも」

「それは助かる」

「はい?」

 なにを考えてるのか、わからなかった。

「怒らないんですか?」

「うん? なんで?」

 そして向こうにも、私の言っていることは通じていないらしかった。

「君は自由だ。嫌なことをする必要も、自分の気持ちを隠す必要もないはずだ」

「わかったようなこと言わないで!」

 なんであんなに気持ちが乱されたのか、今でもちょっと不思議に思う。

 最初からずっと嫌いだった。

 でも、いい人だったとは思う。私にホムンクルスの製造よりも世話の方を任せたのは、私の気持ちを汲んでくれたからかもしれない。あんまり仕事を手伝えって言われた覚えもない。ただ単に一人でやった方が早かっただけかもしれないけど。

 私たちは必要最低限の事務的な話以外はしなかった。私としては合わない人と無理やり喋る必要がないのは大助かりだし、向こうとしてもそれが楽なように見えた。

 兄さんはことあるごとに「もっと仲良くしようぜ?」と言っていた。仲良きことは美しきことだとは思うけど、無理やりニコニコしているのはとても疲れる。

 私が仏頂面をしていても咎めなかったのは、師匠が初めてだった。その点だけは好感が持てる。あの人が兄さんだったらよかったのにとすら思う。

 だから、あの人のことが余計にわからない。

 世の中の人に歓迎されるような才能を持っているのに、なぜ私と同じように居場所がないのだろう。

 扉をあけて、師匠のために用意した工房へ足を踏み入れる。遠くで爆発音が聞こえて、天井からパラパラと砂が落ちてくる。

「やあ。来ると思ったよ」

 さっきここに放り込んだ時と、どこか雰囲気が違う。さっきはいまにも死にそうな顔をしていたのに、今はなんだか落ち着いている。落ち着いて、ゆっくりと鍋をかき回している。

「兄さんはどこですか?」

 師匠は黙って、床に積もっている砂の山を指差した。どうやら、反魂術は解除されたらしい。

「へえ、すごい。どうやったんです?」

「ないしょ」

「今はなにを作ってるんですか?」

「それもないしょ。僕を殺しにきたんだよね?」

「そうです。話が早いですね」

「理由を聞いてもいいかな」

「ミライがね、私が間違ってるって言うんですよ。だから、わかってもらおうと思って」

「うん。君は間違ってないよ」

 どうでもよさそうな相槌だ。

「君たち兄妹はとてもよく似ているね。二人ともいい人だ」

「そんなこと初めて言われましたよ」

「そう? 外れ者を放っておかないところがよく似ている」

 だからね、と師匠は悲しげに呟いた。

「できれば、君には僕みたいになって欲しくなかった」

「私は最初からこうですよ。一つ聞きたいんですけど」

 私が問いかけると師匠は軽く首をかしげた。

「なんで、あなたは私と違うんですか」

 ミライの言った通りだ。私が師匠の立場にいたら、間違いなく一号みたいな強いホムンクルスをたくさん作って、私たちに危害を加える人を虐殺して回るだろう。

 師匠が望むのは、怖いものがなにもない世界じゃないんだ。散々嫌な目にあったくせに、仕返ししてやろうっていう気概をまるで感じない。

「なんでって言われても」

「あなたは、なんでも望むものを作れるのに。それこそ全世界を更地にする兵器とか、やろうと思えば作れるでしょう? 私なら喜んで全部を消し炭にしますよ?」

「そんな大それたことを望んでるわけじゃない。僕は誰かに助けて欲しかっただけなんだ」

 やっぱりわからない。

「だからね。僕は君のことを助けるつもりなんだけど」

 なにを言っているんだろう、この人は。

 今更になって、師匠につけていた拘束具が床に転がっているのを見つけた。迂闊だった。

「なぜ逃げなかったんですか」

「君と話そうと思って」

 やっぱりわからない。

「話す? なにを?」

「一号もミライも、とっくに僕たちの保護なんかいらないんだ。君のやり方だと、あの子達を望まないところに縛り付けることになるよ」

「殺されるかもって怯えて暮らすよりはいいのではないですか?」

「怖いものをやっつけても、怖かった思い出は消えないんだ。君と二号は、自分から地獄へ行こうとしている」

 やっぱりわからない。

 あの時、私は自由で自分の望むものを選べるって言ったじゃないか。いざ選んで見せたらこれか。やっぱり、師匠も他の人と同じか。

 私は腰のベルトに下げた銃を抜いて、師匠に突きつけた。

 私の威嚇を物ともせず、師匠は平然としている。

「ジンから見せてもらって仕組みは知ってる。火薬が破裂する衝撃で鉛の弾を打ち出しているんだろう?」

 師匠は、鍋の中から赤い石を取り出した。火の石だ。なぜここに。なぜだか私にも二号にも使えなかったから、別の場所にしまいこんでいたはずなのに。

「……今作ったんですか?」

「うん」

 ぐっ、と師匠の手が石を強く握った。私は反射的に、師匠に向けて発砲した。引き金を引くと、弾が勢いよく飛んでいく。

 なにもないところからごうっと炎が巻き起こり、鉛玉は師匠に到達する前に溶けて消えた。

「次は本体を溶かす。火傷したくなければ、それを捨てなさい」

 私は走ってその場から逃げ出した。

「待って! 話はまだ……」

 後ろから私を呼ぶ声がする。

 裏切られた気分だ。師匠はわかってくれると思っていたのに。

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