第28話 (レン)
なんだか外が騒がしい。扉の外で、ドアの外でなにかが動き回っている気配がする。落ち着かない。なにかあったんだろうか。
そうでなくても、相変わらず地響きの音は止まらない。二号は、一号を倒すための武器をたくさん用意しているらしい。
不意になんの前触れもなく、力なく地面に座っていたシュウが立ち上がった。僕は思わず身を縮こまらせてしまう。いくら拘束されているからって、我ながら過敏になりすぎだ。
恐怖心と不安で思考が塗りつぶされて、まともに道具を握れない。さっきからずっと手が震えている。やるって決めたはずなのに。
僕がこんな有様で使い物にならないって知ったら、ミュウは僕を殺すだろう。それで、石の力で無理やり動かして働かせるはずだ。
そっちの方が楽かもしれない。状況としては今も大して変わらない。操り人形みたいに無理やり動かしてくれるんだったら、僕はその間心を閉ざしていればいいだけだ。
シュウがこっちへ歩み寄ってくる。いつまでたっても作業を始めないから不審に思ったんだろうか。
「なに?」
「あ、ぐ、逃げろ……」
様子がおかしい。冷や汗をかいて頭を抱えて苦しそうだ。
「ミュウが、お前を殺せって言ってる……」
「そう。いいよ。あんまり痛くしないでほしいな」
どっちにしろ逃げられないし。
シュウが、腰のベルトから銃を抜いた。銃口が僕の頭に狙いをつけて、引き金に指がかかる。
僕は黙って目を閉じた。もう疲れた。勝手にしてくれ。
扉の外で蠢いていた気配が急に騒がしくなった気がした。ドタドタと慌ただしい足音がこっちに迫ってくる。バン! と勢いよくドアが開いた音がした。
「ダメー!」
耳をつんざいた大声は、ミライのものだ。目を開くと、ミライがシュウにタックルして銃を奪おうとしているところだった。
「えっ?」
牢屋に閉じ込められているはず。どうやってここまできたんだろう。
「レン! 無事!?」
「ミライ、なんでここに」
脱走したってバレたら、ミュウは怒るだろう。彼女たちに危害を加えるかもしれない。僕さえ大人しくしてれば大丈夫だと思ったのに、この子ときたら。
「助かった! 自分じゃ止められないんだ! なんとか止めてくれ! 俺はもう死んでるから、遠慮はいらない」
ほっとしているシュウの頼みに頷くと、ミライは手近にあったフライパンで思い切りシュウの頭を叩き、ふらついて膝をついたシュウの上に大きい瓶を被せて、その上にドカドカと手当たり次第に重石を置いた。
「ふう」
「ジンは? 彼女は無事かい?」
「わかんない! だから、レンを助けたらすぐ戻る!」
すっと心が冷めていく。ミライは僕を助けに来るために、ジンを置き去りにしてきたらしい。
ミライがこっちへ歩いて来る。恐怖心が湧き上がって、喉がカラカラに乾く。
「来ないで」
「大丈夫だよ」
こっちに微笑みかける顔が、ミュウと重なって見える。思わず後ずさるけど、逃げ場はない。
「やだ……」
視界がグラグラする。一瞬ミライが母に見えた。
ヴィクター。いい子にしてるのよ。
僕を人買いに引き渡した時の母さんの声が蘇ってくる。
たくさんの、僕が殺してきた人たちの姿がミライに重なる。
お前は今日から×××だ。
僕を呼んだ無数の声が頭の中でこだまする。
「やめて……!」
ピン、と鎖が張って、それ以上は逃げられなくなってしまう。腰から力が抜けて、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。
「やだっ!」
反射的に、頭を守ろうと腕が上がる。喉が乾く。息が苦しい。
「来ないでったら!」
「少しじっとしてて」
ミライが僕の首に手をかけた。僕は思わずぎゅっと目を閉じる。
首元で、何かガシャガシャと音がする。 なにされるんだろう。怖い。
殺さなきゃ。そうでなきゃ、ひどいことされる。
頭がぼうっとして、ふらふらと手が彼女の首に伸びていく。
ぐ、と指に力がこもった。
「レン? どうしたの?」
名前を呼ばれて、ピクリと手が止まった。
そうだ、落ち着け。僕は、この子を傷つけちゃいけない。
喉がカラカラに乾く。心臓は破裂しそうなほど早く、身体中に脂汗が滲んでくる。
恐怖心でおかしくなりそうな頭をなんとか押さえつけて、ぐっと体をこわばらせる。
不意に首が楽になった。
「よし! 取れた! レン! 取れたよ!」
元気のいい声とともに、カラン、と金属が床にぶつかる軽い音が聞こえた。
「……え?」
驚いて目を開けると、ミライが得意げに鍵の束を僕に見せている。
「君が外してくれたの?」
「うん。いろいろ考えたんだけど、私、あなたの味方をすることにする」
深く息を吸う。手を握って、開く。うん、動く。
「どうして?」
助けてあげるから恋人になって、とかそういうことだろうか。
「どうしてって、あなたが苦しそうだと嫌だから」
「そんなの信じられない」
「なんでよ。私のことならなんでもわかってるくせに」
ふと、以前彼女が毒ヘビを捕まえて帰って来た時のことを思い出した。
僕はそれを危ないからって殺してしまったけど、ミライは綺麗だから僕に見せようと思って、善意で持って来たのだったっけ。
「……本当に僕のためなの?」
もう一度、顔をよく見る。
よかった、いつも通りだ。
「今度は、ジンを助けに行こうと思うの。一緒に行こう?」
もう一度息を吸う。落ち着いた頭に空気が行き渡って、考える力が戻って来る。
「ううん。僕はここに残るよ。やらなきゃいけないことがあるんだ」
冷静になってみれば簡単なことだった。
「やらなきゃいけないこと?」
「助けてあげなきゃ」
シュウが閉じ込められている瓶を指差す。
「それから、今傷ついてるみんなも。みんなきっと、昔の僕とおんなじ気持ちだ」
こっちをじっと見上げているミライの肩を、ポンと叩く。
「僕がいなくても、一人で行けるだろう?」
ミライは力強く頷くと、部屋を出て走り出した。
僕も立ち上がって、作業の準備を始める。
用意されていた戸棚の中から、鉄と動物の骨と枯れ木の根っこを取り出す。急ぎたいから、省ける工程は省こう。
「なにをする気だ?」
伏せられた瓶の中から、シュウの戸惑った声が聞こえる。
「シュウ、君の言うことは、だいたいいつも正しいよ」
材料をまとめて鍋に突っ込んで、酸で洗う。
ドロドロに溶けたそれらに水銀を加えて、石灰をまぶす。形を整えれば完成だ。
「量産できるようになって初めて実用できるってこういうことだね。必要な時に手に入らなければ、どんなに便利でも意味がない」
完成したものを持って、強く握る。
「まさか……」
「うん。土の石を作ったんだ。これで、君は僕のお願いを聞かなきゃいけない」
重石を退けて瓶をどかすと、シュウは怖い顔でこっちを見た。
「なにをさせる気だ」
色々と、悪い想像をしているんだろう。それこそ、今の僕には「ミュウを殺せ」って命じることもできなくはないわけだ。しないけど。
「君を解放する。君は、悪い夢を見ていたんだ」
急ごしらえの石でどこまで力を及ぼせるかは不安だったけど、目論見通り、シュウの体が砂になって崩れ始めた。
「ごめんね。もっと早くこうするべきだった」
噛み合わない歯車だとわかっていたのに、彼の元を去れなかった。悪いことをしたと思う。
驚いたシュウが、僕の方へ歩み寄ってくる。
「待て、俺は……!」
「自由を奪われるのは辛いだろう? もう大丈夫だから」
「ミュウを残して逝けない」
「なんとかするよ。任せて」
「無理だ……」
シュウの目が黄土色に乾いて、表面が禿げていく。皮膚も、髪も歯も、同様に少しずつ崩れていく。
その顔は諦念に満ちていた。
「なんで無理だと思うんだ?」
「ミュウの手元には、零号の死体が……」
「ああ、なるほど。大丈夫。対処法はわかってるから安心してくれ」
驚きで目を見開いてから、今度は切実な調子で僕に頼み込んできた。
「もしも、全部終わってもミュウが生きていたら、俺の寝室にある大きな箱を譲るって伝えてくれないか。帰ってきたら渡そうと思ってたんだが、渡す前に殺されちまった」
「わかった。必ず伝えるよ」
僕が笑ってみせると、シュウは大きく息を吐いて目を閉じた。
人を殺して悲しい気持ちになるのは、これが初めてだ。
彼は、僕が出会った中で一番善良な人間だった。
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