第26話 (ジン)
最初は、ちょっと興味が湧いただけだった。あたしより難儀な生まれのやつを見たのは初めてだったから。
どうせ行くとこもないし、のたれ死ぬまでの暇つぶしだと思ってくっついて行った。
なるほど、これが人間扱いってやつかと思った。
理不尽に罵倒や暴力を受ける心配はないし、つまはじきにされることもない。普通にあたしと話してくれるし、笑顔を向けてくれる。普通のやつにはこれが当たり前なのかと思うと、羨ましくてちょっとくさくさした気分になることもある。
ミライは、レンが好きらしい。
あたしには、自分に余計な業を背負わせた父に良い感情を持ち続けるなんて、無理だった。恋愛感情であれただ懐いているだけであれ、とてつもなくすごいことだと思う。
檻の中で、あたしはミライの傍に座っている。洞窟の牢屋は薄暗く、灯りの炎は頼りない。
「レンを連れてここから逃げよう!」
ミライは高らかに宣言した。
「あんなに苦しそうなところは初めて見る。助けに行かなきゃ」
「いいのか?」
ちょっと意地悪な気持ちが湧いて来て、あたしは尋ねた。
「あいつはお前が怖いんだ。助けに行ったって、「来ないで!」って言われるかもしれないぞ」
拒絶されるだけならまだいい。好意に好意が帰ってくるとは限らない。
「来るなって言われたって行くよ。大丈夫。私はちゃんと愛されてる」
思わず深いため息が漏れた。
「よし、ここから出る方法を考えるか」
よしきた、って張り切って頭を切り替えたのに、ミライは首を横に振る。
「方法はあるよ」
ミライはあたしが腰に下げている剣を指差した。
「これで私の心臓をえぐり出して、檻の向こうに投げて。心臓だけなら檻の隙間から出られる。私ならそこから再生できるから、檻の鍵を探して戻ってくるよ」
あたしは慌てた。
「待て待て待て。レンに無駄に体張るなって言われてるだろうが。あたしだって、お前が痛い目にあうのは嫌だ」
「あれさ、あの後考えたけどなんでダメなの?」
ミライはなんでもないような顔で首を傾げている。あたしを言いくるめるためとかではなく、本当に疑問らしい。
「お前が危ない目にあったり、痛い思いをしたりするのが嫌だからだ。死なないとか、関係ないんだよ」
「でもさ、レンは私より背が高いから、私じゃ手が届かないところのものを取ってくれるよ? それとなにが違うの?」
「そうだとしても抵抗あるよ。痛いだろ?」
「痛いけど、それ以外に方法ある? 大丈夫。私は、ジンやレンじゃ手が届かないものをとってあげたいの」
あたしはため息をついて肩をすくめた。
「どうしても?」
「うん。私の味方してくれるんでしょ?」
仕方ないか。
あたしは剣を抜いた。
「服、脱いでくれ。血で汚したくないだろ?」
「はーい」
ミライはおとなしく従った。
「一つ、約束してくれるか」
「なに?」
「今後、もしまたこういうことが必要になったら、その時もあたしにやらせろ。あたしのいないところではやるな。絶対だ」
「なんで?」
「お前がむやみにこういうことをするのを止めるためだ」
「わかった」
ミライの胸に剣を突き立てる。肉と骨の感触が、剣から手に伝わってくる。悲鳴を噛み殺した息遣いが、嫌に近く聞こえる。
なるべく早く済ませないと。剣を持つ手に力を込めて、胸を切り開く。肋骨に阻まれないように、剣を横にして筋肉を切り裂いた。
筋肉がピクピク動いている傷口の奥に、ドクドクと動く心臓が見える。そこにつながる太い血管も切り裂いて、指を伸ばして心臓を引きずり出す。心臓が体の外に出ると、ミライの体は動きを止めた。
心臓に、血よりも鮮やかな赤い宝石がはまっている。これが、ミライの核なのだろう。血まみれのあたしの手のひらの上で、小鳥のように小さく控えめに動いている。
「頑張れよ」
あたしはトクトクと脈打つ心臓に軽く口付けてから、檻の外へと差し出した。
すぐに、心臓から筋肉や神経や骨が生えてきて、ミライは五体満足に戻った。
「よし! 行ってくる!」
グロい作業のせいであたしが精魂尽き果てそうだというのに、ミライはすこぶる元気だ。
「待て待て待て! 服! 裸で行くつもりか!」
「あっ、そうだね。忘れてた」
大慌てでミライの服を檻の外へ投げ渡す。衣服を全て身につけると、今度こそミライは走り出した。
「待っててね! 檻の鍵ゲットして絶対戻ってくる!」
それを見送ると、重く長いため息が出た。
疲れた。肉を切る感触が、手から離れない。
でも、休んではいられない。もしかしたら、さっき二号が来たみたいに、また誰かが様子を見にくるかもしれない。
あたしはミライの体を壁にもたれた姿勢で座らせ、床に流れ出た血に砂をかけてできるだけ隠す。完全に隠蔽できたとは言い難いが、この暗さなら少しの間くらいは誤魔化せるだろう。
そして、檻の外からはミライの体が隠れるよう、隣に座る。これで、外から見ればあたしたち二人は脱出を諦めてうなだれているように見えるだろう。
動かなくなったミライは人形のように静かだ。
「はー……。そこまでするほどあいつが好きかよ」
当然、返事はない。
じっ、と顔を見る。なにかが光った気がした。
不審に思って顔を近づける。だらりと脱力した舌先で、なにかが弱々しい灯りを反射している。
「ちょっと悪い」
口を開けさせて、中を見る。さっき心臓にはまっていたのと同じ石がついている。賢者の石だ。
「おいおい、とんでもない忘れ物だな」
どうしよう。今すぐ届けなきゃいけないわけでもないが、大事なものだ。
これを飲んじまえば、ミライとずっと一緒に居られるな。
当然のように、邪な考えが頭をよぎる。
いやいや、ダメだ。昔は欲しいものはかっぱらうのが当然だったが、今はもう一人きりの浮浪児じゃないんだから。
頭を悩ませていると、コツコツと足音が聞こえた。ミライが帰って来た、ってわけではないだろう。
「意外と大人しいですね」
ミュウの声だ。予想通り様子を見にきたらしい。
「今度はお前か。何の用だ?」
「今度は?」
「さっき二号が来たんだよ」
そう遠くない場所から爆発音がなんども聞こえる。一号と二号の戦いが始まったんだろう。
轟音が聞こえるたびに、ミュウがソワソワと落ち着きない挙動を見せる。
「二号が心配か?」
「ええ。武器は与えましたけど、二号と一号ではそもそも体の構造が違いすぎる」
「心配なのになんで戦わせるんだよ。痛い目にあってるところを見るのは、嫌なはずだ」
「彼が、どうしても一号は自分が潰すって」
「ちげーよ。二号とどこか……、それこそこの街でひっそり生きていくんじゃダメだったのかって聞いてるんだよ。ここは寛容な土地だって聞いてるけど」
「問題を放置して逃げ出しても、事態を悪化させるだけです。立ち向かわなければなにも変わらない」
その理屈は、わかる。うちの親父もほったらかしにしていたら、妙な方向にこじらせていた。
「私もね、前は我慢してたんですよ。おかしいのは私なんだから仕方ないって。でも今は、当たり前のように私たちを踏みつける人のために我慢してなきゃいけないなんて、そんなの冗談じゃないって思います」
「あたしも、もっと早くお前みたいに思い切れたら、何か違っていたかもしれねえなあ」
自分にできないことができるやつってのは、どうあれすごいと思う。
「……ミライは寝てるんですか?」
「ああ。騒ぐだけ騒いだら疲れて寝ちまったよ」
まずい。一言も話さないのは流石に不自然か。
「床が荒れてますけど」
「さっきまで二人して暴れてたからな。穴でも掘れねえかと思って」
「……血の匂いがしますね」
「つ、月の物がきちまって。当て布持ってないか?」
なんとかごまかさねえと。時間を稼ぐんだ。
「ミツケタ! ミツケタ!」
「しー! ダメだって! 大声出さないで!」
不意にけたたましい声が聞こえた。まずい。向こうでミライとシーチキンがかちあったらしい。
ミュウがこっちをじっと見ている。あたしは苦笑いを浮かべるしかない。
「そこにいるのはミライじゃないんですね?」
ミュウは声のした方へ向かって歩き出した。
「おい! 待て! 待てったら! くそっ、ミライ! こっちに構うな! 逃げろ!」
ここからじゃ、あたしにはどうにもできない。悔し紛れに檻を拳で殴ったが、ただ手が痛くなっただけだった。
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