第21話 (ドラセー)

 最初から人間じゃないのはわかってた。

 ある日、授業が終わって席を立とうとした時、置いたはずの場所に杖がなかった。あれがないと、私は歩くこともままならない。

 困っていると、声をかけて来る者があった。

「どうかしたのか」

「杖、その辺に落ちてない? 目が見えなくてさ」

「これか?」

「ん、ありがと。聞いたことない声だけど、あんた名前は?」

「一号」

「うー」

「こっちはクリーチャーだ」

 バカかと思った。

 そんなあからさまに人外な名前を名乗るから、一発で正体がわかっちゃったじゃないか。

 身を隠す努力をしないとか、舐めてんのか。お前たちを憎んでいる人間は世の中にたくさんいる。それを知らないとは言わせない。

「行かないのか。次、地下の教室だぞ」

 突然現れた怨敵を前に固まっているのだとも知らず、呑気な声で問われた。

「連れてってくんない?」

 私が手を差し出すと、ホムンクルスの親玉は戸惑っていた。見えずとも、声でわかった。

「はあ?」

「自力で歩くと時間かかるしさー。引っ張ってってよ」

「……これでいいか」

 隙を見て刺すつもりだった。うちの地元では、女は護身用に短刀を持ち歩く風習があったから、幸い凶器は手元にあった。

 ついてる。必ず仇は討ってやる。

 そう思っていたはずだった。

 そいつは今、寮の部屋でゲーゲー吐きまくっている。

 武器と鎧を身につけた途端に、当時のトラウマが蘇ったっぽい。クーちゃんが心配そうに周りをうろちょろしている。

「あー……。だからやめろっつったじゃん」

「ダメだ。行く」

 死にそうな声だ。

「二号君と戦うの嫌なんでしょ?」

「俺が一番強いんだから、俺がなんとかしないと」

「世のため人のために、そこまでする義理はないし。ほっといて、どっかの山奥にでも引っ込んじゃえばいい。ついてってあげよっか?」

「ダメだ」

 強情なやつである。

「なんでさ」

「ここには、お前の他にも俺を許してくれた奴らがいる。見捨てて行けない」

「損な性格してんね」

「それに、お前だけ連れて逃げたとしても、あいつらはお前の家族も友達もみんな殺すぞ。そんなことになったら、今度こそお前は俺たちが許せなくなるかもしれない」

「だからって自分の弟と殺し合いなんて……」

 湿った音とともにイッチーが再び嘔吐した。まずった。嫌な現実を突きつけちゃった。

「嫌だ……」

 小さくこぼした言葉は、私の耳にきっちり届く。

「戦うのは嫌いだ」

「うん」

「痛いのは嫌だ」

「うん」

「殺すのも嫌だ」

「うん」

「まだ、なにもできてない……」

 かはっ、と苦しそうに喘いでいるのが聞こえる。

 すごく怖い殺戮兵器なんだと思っていた。でも、刺せば痛がるし、人並みの恐怖心を持っている。それがわかってしまったから、殺すことができなかった。

「だから、やめときなって言ってんじゃん」

「なんで許した」

 呆れた奴だ。そんなことで恨み言を言われても困る。

「そっちこそ、うちの弟だって多分あんたの仲間を殺してる」

「俺さえいなけりゃ、お前の弟も俺の仲間もあの場所にはいなかった!」

「あっちにつけばいいじゃん。二号君だって友達でしょ?」

「俺はあいつを助けられなかった。友達を名乗る資格はない」

「今度こそ助けるチャンスだとは思わないの? 私を殺して向こうに着いたら、あの子達喜ぶと思うなー」

 また派手にゲーゲーやり始めた音が聞こえる。ちょっといじめすぎたかな。

「なんで許したかって聞いてるんだ」

「んー? 知りたい?」

「今はそういうのに付き合える気分じゃない」

「いつも付き合ってくれてないじゃん」

 当時のことを思い返す。結局あの日は刺せなくて、後日寝込みを襲ったんだったっけ。

「最初に会った時、手を引いてくれたっしょ? 覚えてる?」

「そうだったか?」

「覚えとけし。……あの時、手の感触が弟に似てるなって思って。そんで一瞬あんたと弟を混同しちゃった。もしも目が見えてたら、話が違ったかもね」

 毎日のように剣の稽古をした結果、皮が厚くなって豆ができた、頑張り屋さんの手だった。

 それで、刺すのを躊躇して、いざ実行に移しても殺しきれなくて、今に至るわけだ。

 大きく深呼吸している音が聞こえる。気持ちを落ち着けようと頑張っているんだろう。

 しばらくゼーゼーやってから、イッチーは口を開いた。

「俺は、俺が死んだ後もお前とクリーチャーが仲良くしててくれないと嫌だ」

 バカじゃないのか。呆れた。

「はー……。わかったよ。じゃあ、いいこと教えてあげる」

「いいこと?」

「この世界は火、水、風、土のどれかの組み合わせによってできてるんだって」

「授業でそんなこと言ってたな。それがどうした」

「四つそれぞれに対応した精霊がいるってのはちょっと話したよね?」

「シルフとかノームとかいうやつか?」

「そうそう。守護霊的なあれだね。おそらく、あの不思議な石で精霊に干渉してる。二号君はあんたとの喧嘩にシルフの力を借りるはず。対抗する手段、ある?」

「ないが、なんとかなると思う」

「バカなの?」

「精霊は止められないんじゃないのか。どうしろってんだ」

 声色がちょっとずつ持ち直してきた。小難しい話で、気苦労から意識が逸れたようだ。

「あんたにも守護霊はついてる。そいつの力を借りられれば心強い。おそらく、あちらさんが精霊の力を引き出す道具を持ってるから、それをパチっちゃえばいい」

「俺に守護霊? そんなのいるのか」

 私にとっては当たり前だけど。こういう話をしていると見えている世界が違うんだなと実感する。

「そうそう。なにもついてない人の方が珍しいんだよ。だいたいみんななにかしらの加護を受けてる。私には二号君と同じくシルフ。クーちゃんにはノーム。ミライちゃんには水の精ウンディーネ。ジンちーにはちっこい火の精霊サラマンダーとノーム。お師匠さんには全部ついてる」

 全ての精霊の加護を受ける者は悲惨な人生を歩むことが多いらしい。あの人も多分苦労したんだろう。嫌味の一つでも言ってやりたかったけど、やめといた。

「で、あんたにはね、冗談みたいにばかでかいサラマンダーがついてる」

 サラマンダーが示すのは、破壊、断絶、相互理解の不可能。武人とか暴君とかについてることが多い。こいつも、かなり影響を受けたんだろう。いや、そういう奴だからサラマンダーに好かれちゃうのかも。

 コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。このゆったりした足音は教授だろう。

「イッチー君、いる?」

「なんだ。今取り込み中なんだが」

 教授はゲロまみれの部屋を見て、一瞬たじろいだ。

「うわ、大丈夫かね。お医者さん呼ぼうか?」

「必要ない。何の用だ」

「君の知り合い? って人から伝言頼まれちゃってさ。レン、ミライ、ジンの身柄は預かった。返して欲しければ北の渓谷に来いってさ」

 びっくりするくらいあからさまな罠だ。

 間髪入れずにイッチーは答えた。

「わかった」

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