第14話 (ミュウ)
兄さんは、私の話なんかまともに聞いたことはない。
本気で、私が錬金術師兼師匠の嫁になって夫婦仲良く暮らしていれば幸せなんだと思っていたようだ。
私は歌が好きだった。砂やら鉄やらを煮込んで埃まみれになっているより、歌っている方がずっと幸せだった。
兄さんは昔から錬金術師になるのが夢だった。「俺、父さんみたいな錬金術師になる!」ってことあるごとに言っていた。父も母も他の親戚も父さんの仕事仲間も「シュウは目標があって偉いな」「諦めなければ夢は叶うよ」って言っていた。
私は「歌手になりたい」って言ったことがあった。父さんと母さんは呆れ笑いを浮かべながら「そうかそうか。歌手になりたいのか、お前はかわいいな」「でも、やめといた方がいいわ。歌なんて形に残らないもの、なんにもならないわ」と言った。その時からなんとなく、私は兄さんとは違うんだという疎外感がぬぐいきれないし、父さんも母さんもいまいち信用しきれない。
私が成長すると、この疎外感はどんどん大きくなっていった。好きでもない仕事の手伝いや挨拶回りや食事会や仕入れの手回しやその他色々が生活の全部で、みんなそれが当たり前って顔をしている。私が嫌っているそれらのことは、みんなの好きなものであるらしかった。だから、私もみんなに合わせていた。
仕方ない。おかしいのは私なんだから。そう思って、我慢していた。
兄さんは好きなことをすればするほど褒められるのに、私は好きなことを我慢して嫌なことをするのが当たり前だった。
兄さんが「今日はこれが作れた!」ってはしゃいでいる一方、私は旅芸人が広場に歌いにきているのを横目に素通りして、兄さんが使う鍋を磨いたり、材料を仕入れたり、作ったものを卸す店の人に愛想を振りまいたりしなければいけなかった。錬金術師の家に生まれたんだから仕方ない。錬金術が好きじゃない私が悪いんだから仕方ない。と自分に言い聞かせて耐えていた。
うっかり鼻歌でも歌っているところを人に見られると「ミュウちゃんってば小さい時は歌手になるのが夢だったんだよねー」とからかわれた。悲しかったし、腹も立ったけど、私は「もー、やめてくださいよ。小さい時の話ですよ」って言うしかなかった。
そういう諸々に耐えられなくなって、母さんに「私は錬金術なんか好きじゃない」「もう嫌だ」って打ち明けたことがある。
私が相談すると、母さんはお茶とお菓子を用意して「話してごらん」と言った。私の気持ちや不満やモヤモヤを聞くと、母さんはにっこり笑って言った。
「今はまだ小さいからそういう風に思うかもしれないけど、いずれ分かるわ」
「優しい家族とあったかい家があって毎日ご飯が食べられるのに、なにがそんなに悲しいの?」
「そんな風に考えるのは、感謝が足りないと思うの。お父さんはシュウとあなたのためにってたくさん頑張ってるのに」
母さんの中で相談っていうのは、私が「うん。私が間違ってた。明日からみんなのお手伝い頑張るね」って言うまで椅子に縛り付けて「お前は間違っているから考えを改めろ」って言い続けることらしかった。私が根負けすると、母さんは朗らかに「話したらスッキリしたでしょう? また明日から頑張りましょうね」と言った。その言葉通り、次の日からも前と全く同じ日々が続いた。
私は人前で歌うのをやめた。
人と会うのも話すのも心の底から嫌だった。人との会話はクイズみたいなもので、正解を言わないと嫌な目にあう。私は錬金術組合の幹部の娘だから人付き合いをないがしろにするわけにはいかなくて、頑張って神経をすり減らしながら正解を考えていた。
人と話す時は、勤勉な父と兄を応援していて、母のことをよく助け、みんなの力になれることが幸せだから自分のことは後回しで、錬金術と錬金術に携わるみんなが大好きな健気な娘にならなければいけなかった。私は兄さんとは違って全然そんな人ではなかったから、いつも苦しかった。
仕方ない。そういう風に考えられない私がおかしいんだから。
私は生まれる前から役割も性格も勝手に決まっていた。
今となっては、私は本当に歌が好きだったのか、錬金術の世界が嫌で歌に逃げていたのか、もうわからない。
でも、私の歌を聴いて一緒に歌ってくれた人がいた。
海の街で暮らしていた頃、朝起きたら海岸で歌うのが日課だった。その時間だけ、心穏やかに過ごすことができた。
「ねえ、それなに?」
不意に声をかけられて、私は驚いて歌をやめた。
振り返ると、そこにいたのは二号だった。
「早起きですね」
「ああ、ごめん。びっくりした? なんでそんな、不思議な声出してるのか気になっちゃって」
「これは歌っていうんです。音楽は知ってますか?」
「ううん」
「綺麗な音を出したり聞いたりして楽しむことを、音楽っていいます。その中で、声でやる音楽を歌と呼ぶんです」
「へー! ねえ、もっと聞かせてよ」
なんの屈託もなくそう言ってくれたのが、本当に嬉しかった。
その日からは二人で歌うのが日課になった。二号は私が教えた歌をすぐに覚えて、一緒に歌ってくれた。
私にとってそれまで、ホムンクルスは大嫌いな錬金術にまつわる嫌なものの一つだったけど、二号が「一緒に遊ぼう」って誘ってくれて他の子とも関わるようになった。
ホムンクルスたちは、私になんの役割も求めなかった。単に常識や悪意をまだ知らなかっただけだと思うけど、人の行動や言動にいちいち目くじらを立てたり首を傾げたりしなかった。
ただ一緒にいておしゃべりしたり、海を見に行ったりしている時間に、私はいつしか癒されていた。ようやく呼吸ができた気がした。
それを見た師匠は、私にホムンクルスたちの世話と教育を任せた。仕事の手伝いはしなくていいのかと聞くと、師匠は「うん。一人でできるから」と答えた。
私はあの子たちにとっての母や姉のような存在だった。初めて自分の意思で選んだ役割だった。
彼らは、姿形こそ人間にそっくりだったけど、言動や考え方に独特な癖があったように思う。人間と違い、成人の姿で生まれてきて、精神の成長も早いせいだろうか。達者に喋って動き回るけれど、妙なところで自己の確立ができていなくて、必要とされるとびっくりするくらい、素直にどんなことにでも従ってしまう。
私がよく見ていて、無茶をしそうだったら止めなければいけないと思っていた。
錬金術は私の人生と心を食いつぶす嫌なものだけど、こうやってみんなと居られるなら悪くないな、と思い始めていた。
だけどある朝、二号が海岸に来なかった。
工房を探しても見当たらず、私は兄さんに聞いた。
「ああ、二号なら買い手がついたから売ったよ」
「どうしてそんなひどいことを!」
「ひどい? 作ったものを売るのは当たり前じゃないか」
「師匠は納得してるんですか!?」
私が師匠に食ってかかると、兄さんはとても驚いた。
「珍しいな。お前がそんな風に大声出すなんて」
「大丈夫だよ、ミュウ」
師匠は穏やかな声で言った。
「ちゃんとした相手を選んだから。ひどいことするような人には売らないよ。先方は二号のことをとても気に入って、家族として迎えてくれるって言ってた。大事にしてくれる人と暮らせるのはいいことだろう?」
その日の夕食は、いつもよりちょっと豪華だった。
それからも、何人も売られていった。
仕方ない、それが普通なんだから。そう自分に言い聞かせていた。彼らが売られた先の家に様子を見に行こうかと何度も思ったけれど、耐えきれる気がしなくて結局一度も行かなかった。
そして、私が立ち直るよりも前に、ホムンクルスの製造が禁止された。
父さんが工房にやってきて、ホムンクルスたちを殺すように兄さんに命じた。
「これはみんなの総意だ」
父さんは繰り返し言っていた。
私は決定を取りやめるように父さんに頼んだ。
「これは恐ろしい怪物を生み出す技術だ。家族や隣人、大事な人たちを守るためにも禁止にしなければいけない」
父さんは取り合わなかった。
次に兄さんに頼んだ。
「みんなの決定なら仕方ない」
兄さんもダメだった。
次に師匠に頼んだ。
「うん。僕も君と同じ意見だ。組合の人たちを説得しに行ってくるよ」
師匠はそのまま帰ってこなかった。
二号は、売られて街で生活していたホムンクルスたちをまとめて、工房へ戻ってきた。十八号と六十二号は間に合わずに持ち主に殺されていたらしい。
結局、一号以外はみんな死んでしまった。
私は何度も攻撃を止めるように頼んだけど、大人たちはみんな「お前は間違っている」の一点張りだった。
他の人たちは大事な人を守りたいのが正しいのに、私だけ大事な人を守りたいのがおかしいらしかった。
あの子たちはちゃんと形を持っていた。断じて、なんにもならないようなものではなかったのに。
仕方がないだなんて、この時ばかりは思えなかった。
後悔している。今度こそ手放したりするものか。言いたいことを我慢するのもなしだ。人のルールに合わせていたからあんなことになったんだから。こっちが我慢していれば、人はそれが当たり前だと思って嫌な振る舞いをし続ける。
私と二号が根城にしている洞窟にたどり着いた。
赤褐色の岩壁に、弱々しいランプの光で私たちの影が映る。
どうにかこうにか手当をすませると、二号は「もう死んでるんだし、多少はほったらかしでも大丈夫だよ」と笑った。大丈夫なものか。あっちこっち骨が折れているし、傷だらけだ。
「そういう問題じゃないんです」
「ミュウちゃんは優しいね」
土の石を握る。サラサラと砂が集まってきて、二号の傷口を塞いでいく。しばらくすると、折れた骨や傷口は元どおりになった。
暗い穴ぐらの中で、小さなランプが灯っている。弱々しい光は、だだっ広い閉じた空間を淡く照らしている。
私は二号のそばを離れて、別の作業に戻る。地面に石灰の粉で陣を描く。付け焼き刃ではあるけど、学院から盗み出した反魂術の禁書に記されていた図式だ。これと土の石の力を使って、二号はこの世に戻って来た。
陣の傍らで、街からさらってきた子供が身を縮こまらせている。縛り上げて縄を噛ませているから、身動きも取れなければ声も上げられない。
「一号に振られちゃったけど、どうする?」
「説得できればそれが一番いいですが、無理そうなら殺してください。復活させた死者なら、支配下における。私のいうことを聞いてくれますから」
今日は、三号を復活させようと思う。三号はおっとりした気質の優しい子だった。よく喧嘩する一号と二号の間に入って仲裁していた。
なんども生き返らせようと試みているけど、なぜだか帰って来てくれない。
「やめといた方がいいと思うよ。一号を殺すのは」
「なぜです?」
「オレが石の力でミュウちゃんに従ってると思ってるの? 悲しいな」
「いうことを聞かないかもしれないってことですか? そんなことはないはずです」
「違うよ。殺せっていうなら殺すけど、あいつは多分復活しない。魂がないから」
陣を書き終えて、手首を切って私の血を垂らす。それから銃を取り出して、縛った子供の眉間を撃った。陣の白線の上に血が流れていく。
土の石を握りしめて、力を込める。
「三号も復活しないよ」
土くれがモゴモゴと動いて、人の形をとる。骨太で、少しぽっちゃりした優しげな顔。三号だ。でも、体が完成しても動き出す気配はない。
反魂術は失敗した。これで十回目だ。部屋の奥には、三号になり損なった土人形たちが横たわっている。
「……魂がないからですか?」
「うん。オレたち、ただのモノだからさ。お皿とか、コップとかと一緒」
確かに、人間用の反魂術でホムンクルスを生き返らせることができるかどうかは、不安点の一つではあった。でも、二号はこうして帰って来てくれた。
「じゃあなんで、あなたは生き返ったんですか」
「オレはほら、愛の力ってやつ? 君が大好きだから気合いで生き返ったの」
「ごまかさないで」
「ほんとだってば。昔話でよく言うでしょ? 人じゃないものは、真実の愛を見つけたり恋をしたりすると魂を得るんだよ」
ごめんね、と二号が呟いた。
「うっかりオレが帰って来ちゃったから、ミュウちゃんは引き返せなくなっちゃった」
「そんなこと言わないで。私はまた会えて嬉しい」
「せめてオレ以外だったら、まだもうちょっと何かできたかもしれないのに。三号は力持ちだったし、四号は足が速かった。五号は頭が良かったし、六号は手先が器用だった。七号は……」
「そんなこと言わないでって言ってるでしょ!」
思わず、大きな声で怒鳴ってしまう。二号は少し驚いた顔をしてから「ごめん」と呟いた。
「でもさ、人間を皆殺しってどうやるの? すごく大変だと思うけど」
「方法はいくつかあります。一号の手を借りられれば怖いものなしですし、師匠をこっち側につけられれば武器が無限に作れます。ホムンクルスの頭数を増やして数で押し切る作戦も使えますね。できれば、あなたたちを戦場送りにはしたくないんですが」
それにもう一つ。これも使いたくはないけど、強すぎる切り札を握っている。
「零号って知ってますか?」
「なにそれ」
「秘密兵器です。強すぎるので、もうなりふり構わず全部壊す、って段階にならないと使いませんけど」
気分が滅入ってしまって、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫?」
「ええ。ちょっとふらっとしただけです。石の力を使いすぎると疲れますね」
「まだ何かやってるの?」
「ええ、ちょっと」
「無理しちゃダメだよ?」
「ありがとう。大丈夫です」
ホムンクルスのみんなのことは、みんな等しく大好きだった。
兄さんに望まれて、好きでもない錬金術の修行をしていたあの頃、みんなとのふれあいが唯一の癒しだった。
あの子達に区別や上下をつけたつもりはないけど、二号は中でも特別だった。彼が死んだ時、私は失恋というものを知ったのだから。
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