第7話 (ミライ)

 胸の奥がムズムズする。奥さん。いい響きだ。ホントだったらいいのに。

 教授に言われた通り、私たちは図書館へ向かった。

 入り口で、生き物の持ち込みはちょっと……、と管理人さんに止められてしまったので、シーチキンは置いていくことになった。最初はテコでも動かないぞ、と言った様子でジンの頭にしがみついていたけれど、「しゃーねえな」とジンが干した木苺を取り出して「これやるからおとなしくしてろ」と言うと、「チッ、シケテヤガル」と頭から降りた。そろそろ本当に会話できそうだ。

「すごーい! 本がいっぱい!」

 中に入ると、広い穴ぐらいっぱいに本棚が詰め込まれ、棚の中にはみっちりと本がしまわれている。

「こら。静かにしなさい。ここにいる人はみんな本を読んでるから、集中力が乱れるようなことをしちゃいけないよ」

 シー、と人差し指を立ててたしなめられて、私は慌てて口を閉じた。

「ごめんなさい」

 一号はどこにいるんだろうか。ここにいるって教授は言ってたけど、見当たらない。

「うーん、あそこかな」

 レンは迷いなく奥の方へ歩いて行って、知らなければ絶対に見つけられないような、本棚と本棚の隙間に体をねじ込んで、さらに奥へ進む。

 私とジンは顔を見合わせた。「本当にこんなところにいるのか?」とジンも思っているのが顔を見ればわかる。

「ああ、やっぱりここにいた」

「ゲッ。来てんじゃねーよ帰れ」

「えっ、なにこの人。この人がイッチーの師匠?」

 奥の方から声が聞こえた。本当にいたらしい。私たちも慌てて後を追いかける。

 体をよじって狭い通路を進んでいくと、すぐに広い空間に出た。ボロボロの机の上に一号が使っているらしい教材がたくさん広げられている。

「久しぶりー!」

「お前までいんのかよ……」

「えっ、なにこの子たち。なになに?」

 一号の隣に、初めて見る女の人がいた。起きているのにずっとまぶたが閉じている。着飾るのが好きなのか、全身が鮮やかだ。白いさらっとした服に、宝石のブローチをつけている。顔や爪に塗料で色がつけられていて、どこか神秘的な雰囲気がある。

 その人の膝の上にいるのは、多分クリーチャーだろう。声に聞き覚えがある。私を見て、きゃっきゃと嬉しそうに笑った。ずいぶんかわいくなっている。そうか。女の子だったのか。

 一号も、だいぶ雰囲気が変わっていた。鎧を着ていないのが大きいだろう。学者さんみたいなゆったりした黒いローブを着ている。そういう格好をしているとちょっとレンみたいだなと思った。言ったら怒られそうだから言わないけど。

「ねえイッチー、紹介してよ。えらく大所帯だね」

「うるせえな。騒ぐならつまみ出すぞ」

「ここはみんなの図書館だし。あんたにそんな権限ないっしょ」

「図書館では静かにしろ」

 なるほど、この人が教授の言ってた友達か。少しホッとした。彼は一人じゃないらしい。

「こんにちは。私ミライ。彼の妹です。こっちは私の友達のジン」

「うっそ、イッチー妹いんの? ウケる」

「なにがおかしいんだ」

「えっとね、私はドラセーっての。シクヨロー」

 レンは、にこやかにドラセーに握手を求めた。

「彼と仲良くしてくれてるんだね。ありがとう。僕はレン。彼の……えっと、師匠だ」

「ウンウン。シクヨロー。イッチーの師匠っていうからどんな脳筋かと思ったけど、優しそうな人じゃん」

 穏やかに握手している二人を見て、一号は疲れ切ったようにため息をついた。

「なにしに来たんだよ」

「君が悩んでるって教授から聞いてね」

「お前には関係ないだろ」

「あるよ。僕より関係のある人なんか、この世にいないんじゃないかな」

 一号は心底嫌そうに舌打ちをして、しばらく考え込んでから、重い口を開いた。

「……お前に聞きたいことがある」

「うん。なにかな? ここで話してしまっても大丈夫なことかい?」

「問題ない。そいつは俺の事情を知ってる」

 そうなのか。思ったより気を許してるみたいだ。

 私はいい友達なんだなーと思って嬉しくなったけど、どうやらレンは違うようで、なんだか顔が曇っている。

「話したのかい? ずいぶん彼女を信用してるんだね」

 なにが気に入らないのか、声にずいぶん険がある。

「だったらどうした」

「彼女は人間だろう?」

「知ってる」

「人間は君を傷つける。彼女は特別って思うかもしれないけど」

「黙れよ」

「僕は君を心配して」

 レンの話を遮って、一号が握りこぶしで机を叩いた。バンッと大きな音がして、古い木の机が少し砕けて木片が飛んだ。

「黙れ。口出しすんな」

「黙るもんか。最後に痛い目を見るのは君だ」

 あ、やばい。喧嘩が始まる。私は思わず、間に割って入った。

「ちょっとレン! そこまで言わなくてもいいでしょ!」

「君は黙っててくれ!」

「なに? じゃあ私のことも、本当はそういう風に思ってたの? いつかレンともジンとも絶対うまくいかなくなるって?」

「君と一号じゃ話が違うんだ」

「違わない! もう! ばか! もう!」

 私は一号の手首を掴んで引っ張った。この二人はどうしてこう、穏やかに話せないんだろう。少しの間引き離せば落ち着くだろうか。

「行こ!」

「どこ行くんだ」

「どこでもいい! 相談なら私が乗るから!」

 返事はなかったけど、それで了承してくれたんだろう。一号はおとなしく私について来た。後ろの方から「こら! 待ちなさい!」とレンの声が聞こえてくるけど、そんなの知るもんか。

 図書館を出て少し歩くと、街に通じる広い道に出た。人通りはないけど、遠くに街の様子が見える。さっきよりも幾分か人が多くて賑やかだ。

「お前、相変わらず神経太いな」

 呆れ顔をしているけど、多分褒めてくれているのだろう。

「ふふん」

「あれ? お前! 久しぶりだな!」

「よかった、最近見かけないから何事かと思ったぞ。今日はクーちゃん一緒じゃないのか?」

 不意に、道ゆく男の子の二人連れが声をかけてきた。二人は一号を見ると駆け寄ってきて、バシバシ背中を叩く。

「いてえな、やめろよ」

 一号は不機嫌そうに顔をしかめたが、止めるでもなくおとなしく叩かれている。

「これから俺たち祭りに行くんだけどさー、お前も来る?」

「いや、俺は行かねえ」

「ばか! 空気読めよドラセーさんと行くに決まってんだろ」

「なんであいつが出て来るんだ」

「いいって。隠すことない。楽しんでこいよ」

「だから行かねえんだって言ってるだろ」

「ところでお前、こっちの子は? 見ない顔だけど」

 馴染んでるようでなによりだ、と友達らしき二人に絡まれているところを眺めていると、不意にこっちに話の矛先が向いた。

「妹だ」

「ミライです。お兄ちゃんがお世話になってます」

「へー! 妹! かわいいじゃん! 似てねー!」

「なあ、ノート写させてやるから紹介しろよ」

「やめろやめろ。とっとと行ってこい。悪いけど、俺は用事あるから」

 二人を見送ると、一号はやれやれと溜息をついた。

「ふふふ。それで、レンに聞きたかったことってなんなの? 私が代わりに聞いてこようか?」

 少しためらってから、一号は口を開いた。

「……俺の寿命、あとどれくらいだと思う?」

「え?」

「天寿を全うしたホムンクルスはまだいない。その辺の話を把握してるのは、あいつだけだ」

「なんで、そんな」

 縁起でもないことを言うんだろう。

「最近、体が重い。ずっとだるくてフラフラするし、熱い。俺の体、古くなってるんだろうなって思って。もしかしたら明日にでも動かなくなるかもしれねえ」

「嘘でしょ?」

「所詮は作り物の体だ。どんな風にガタが来るかわからない。俺は自分の手で仲間を作るつもりだが、そこにたどり着く前に死ぬかもしれない」

 またか。私がレンからもらったものを、またこの人は持っていない。私の寿命はどうやら無限にあるらしいのに、一号は明日死ぬかもしれない。

 待てよ? もしかして、私の舌にはめられている賢者の石って、本来一号にあげるつもりで作ったんじゃなかろうか。そう考えた方が、合点が行く。レンは一号と一緒に生きていってほしくて私を作ったのだから。

「……ちょっと聞いて欲しいんだけど」

 私は、一号に賢者の石のことを話した。私は不死であることと、一人だけ、私が選んだ人を不死にできるということ。それを聞いて、一号は最初、疑わしそうな目をしていたけど、私の舌を見ると納得した。

「なるほど。確かに石がついてるな」

「多分、そもそもはお兄ちゃんのものだよ。欲しいならあげる」

 これなら、一号を助けられる。そう思ったのに、一号は顔をしかめた。

「お前はレンが好きなんじゃないのか。なんであいつに渡さない」

「受け取ってもらえなかったの。僕なんかやめて他の人にしろってさ」

「はあ? なんだそりゃ。無責任な奴だな」

 一号は深々とため息をついてから、強い口調で言った。

「いいか? 金輪際、他人に石のことを話すな。そんな力の強い石、欲しがる奴はいくらでもいる。俺が無理やりお前の舌をねじ切って石を奪おうとしたら、どうするつもりだったんだ」

「うん? しないでしょう? そもそもあげるつもりだし」

「……さてはことの重大さがわかってないな?」

 なんでこんなに呆れられてるんだろう。私は一号を助けようと思って提案したのに。

「とにかくだ、その石は簡単に争いを起こす力を持ってる。絶対に誰にも話すな。軽々しく人に譲るとも言うな。そうでなければ、お前の周りは一瞬で焼け野原になるぞ」

 星の国で出くわした、怪しい薬屋さんを思い出した。あの人は私の不死を便利に使って商品にするつもりだった。一号が心配しているのは、石の存在を明かすことでああいう人が寄ってくる危険性だろう。

「わかった。……でも」

 とは言ったものの、一号の命を助ける方法は、他にあるんだろうか。

「それはお前のものだろ。自分のために使え。一緒にいたいって思ってた奴が先に死ぬの、結構きついぞ。俺はもう手遅れだが、お前はまだ間に合う」

 そう言われて、無性に不安になった。

 私は死なないけど、レンやジンは死ぬ。何事もなかったとしても、生き物には寿命がある。このままだと、私の周りにいる人がみんないなくなって私だけが取り残される日が、いつか来る。

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