第6話 (ジン)
学院のある街は本当に遠くて、馬車をかっ飛ばしてギリギリ七日目の朝にようやくたどり着いた。
静かな街だ。最初の印象はそうだったが、少し中に入り込めばひそやかな熱気があたりに満ちているのが肌で感じられた。荒れた土地の乾燥した空気のそれとは、また違う。立ち並んでいる岩をくり抜いて作られた建物は、奥に得体の知れないものがとぐろを巻いているような、魔窟のような風情がある。
不安だ。一連のホムンクルスをめぐる事件の始まりが、おそらくここだ。そして、手紙の文面を見る限り、どうやらレンはなんらかの処分を受けている。ノコノコ行ってもいいものか。
「おい、大丈夫なのかよ」
聞いてみると、レンは苦笑いして人差し指で頬をかいた。
「まあ、大丈夫じゃないかな。ここにいるのは、基本学問にしか興味がない変人だ。ちょっと犯罪者や人外が歩いてるのくらい、誰も気にしない。むしろ研究させろって歓迎されるかも」
「研究だって言ってミライが解剖されたりしたらどうすんだよ」
「それはまずいから、ミライが人間じゃないことは誰にも明かさない方針で行こうか」
不安だ。
「大丈夫だってんなら、なんでここに住み着かなかったんだよ」
「やることがあってね。そうでなくても出禁だし」
「ねえ、学院ってどっち?」
ミライはあたしの不安なんかどこ吹く風といった様子で、物珍しげに街の様子を見ながら、先に立って歩いている。そわそわしていて、いまにも走り出しそうだ。
「こら。はぐれるだろう。こっちにおいで」
「はーい」
レンに案内されながら、街の奥へ進む。たどり着いたのは、ひときわ大きな岩山だ。中がくりぬかれているようで、そこかしこに窓らしき穴が空いているのが見える。
「なんでこんな住み心地悪そうなとこにあるんだよ」
暑いし、砂っぽいし、遠いし、用事があるのはこれからだってのにすでに疲れている。
「そもそもは、人の世に馴染めなかったまつろわぬ者たちが流れ着く里らしくてね。そういう人たちは、浮世の人間が知らない知識を持ってることが多くて、教えあってるうちに学校になったんだってさ」
なるほど。そりゃあ、常人なら来ないような場所にあるわけだ。しがらみから逃げた末にたどり着く場所がここだっていうんなら、簡単に行き来できるところにあっちゃまずい。
迷いない足取りでレンは学校の中を進んでいく。慣れ親しんだ場所なんだろう。
曲がりくねった洞窟のような通路は、転々と設置してあるランプで照らされている。すすでかなり汚れているが、薄暗いのでさほど気にならない。
「教授、来ましたよ」
古ぼけた扉の前でレンは足を止めた。軽くノックしてから無遠慮にノブに手をかける。立て付けが悪いのかどこかに引っかかってうまく開かないが、レンは開け方を心得ているようで、ガッと蝶番の下あたりに蹴りを入れる。軋んだ音とともに扉は開いた。
部屋の中はひどく散らかっていて、あたしにはよくわからない本やら器具やら紙の束やらなんやらが散乱している。十年は掃除してないんじゃないだろうか。
「教授。呼びつけたんですから返事くらいして下さい」
「ん? ああ、レン君か。久しぶりだね」
「いい加減あのドア直したらどうです」
「めんどくさくてね。後ろのお嬢さんたちは連れかい?」
胡散臭そうな奴だ。多分レンがおっさんになったらこんな感じだろう。身だしなみを整える習慣がないのが一目でわかる、伸ばしっぱなしの黒い髪と髭がうねうねと好き勝手に跳ねている。
「どうも」
「こんにちは!」
「この子たちは……、ええと、なんと言ったらいいかな」
恩師といえどもミライがホムンクルスであることは隠しておきたいらしい。ミライの正体を知っている人間は、少なければ少ないほどいい。
この三人が一緒にいて一番不自然じゃない説明は、あたしがレンとミライの娘、って状況だろうか。ちょっとムカつくが、それで行こう。年齢的に若干無理があるが、成長の速度は人それぞれだ。ごまかせないことはないだろう。
「あたし、二人の娘です」
あたしが言うと、教授とレンが同時に声をあげた。
「ええっ?」
馬鹿野郎。ええっ? じゃねえんだよ。助け舟だしてやってんだから話を合わせろ。あたしは目配せしながらレンの足を踏みつけた。
「レン君娘いたの? こんな大きい子が? いつのまに?」
「ええと……、はい、その、いろいろありまして」
「へー! おめでとう! じゃあそっちの方が奥さん……ん? ミュウ君じゃないか。結婚したのか。シュウ君も喜んだだろう。仲悪そうだったのに、なにがあるかわからないもんだね」
「違うよ。私ミライっていいます」
「あれ? こんなにそっくりなのに? いや、よく見ればミライ君の方が、少し目が大きいかな? ミュウ君の双子の姉妹とか?」
「うーん、まあ、そんなとこです」
奥さんと勘違いされたのが嬉しいのか、ミライは機嫌良さげにニコニコしている。
それより、ミライに似てるっていうその女、この教授が知ってるってことは、レンがホムンクルス製造をしていた頃の知り合いか?
心当たりがある。星の国で遭遇した、ミライにそっくりな女。あたしに銃を手渡して、どこかへ去って行ってしまった。
「それで、弟子のことで話っていうと……」
「うん。イッチー君のことなんだけど」
「……誰ですかそれは」
レンの困った顔を見て、教授は首をかしげた。
「ええと、そうそう、一号君。最近あだ名で呼んでるからそっちが定着しちゃって。君ねえ、厄介ごとをこっちに投げるんだったら手紙の一つでも寄越しなさいよ。びっくりしたんだからね?」
「なにか問題でも起こしたんですか?」
「いやいや。彼は模範的な生徒だよ。勤勉で真面目で、目標を据えて学習している。人を寄せ付けないのが難点だが、最近は友達もできたようだ」
「えっ、本当ですか?」
レンは信じられない、という顔で目を見開いた。
「それならなぜ僕は呼び出されたんです?」
「呼び出されなくても弟子の様子くらい見に来なさいよ」
「彼が嫌がるでしょう」
「まあ、確かに君が来るって言ったらすごい嫌そうな顔してたけど」
一つ咳払いをしてから、教授は神妙な顔になって続きを話す。
「話っていうのはね、急に彼の授業態度が悪くなったことなんだよ。錬金術以外の授業には出てこなくなっちゃった。このままだと進級させられないし、どうやらなにか悩んでるみたいだから、ちょっと相談に乗ってあげて欲しいんだ」
「彼が僕に相談なんかするわけないでしょう」
「君にしなけりゃ誰にするんだ。いいからちょっと話して来なさい。多分今も図書館にいるよ。最近はずっとこもりきりでね」
どうやら話はそれで終わりらしかった。
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