第7話
聖堂から出たハルは、その神域の縁に立つ勝利の女神とも死神とも呼ばれる彼女を見据える。
「王子たちは?」
ワインレッドの瞳が怪しく煌めきハルを捉える。獲物を見つけた獣のごとく、リーシェルの瞳はハルに降り注がれるが、ハルは気にした様子はない。
「知らねぇし、知ってたとして俺が吐くとでも?」
腰にぶら下げている愛刀に手を置きながらハルは平然とそう言い返す。その瞳は同じく鋭く光る。
「あなたがこちらについてくれなくて心底残念だわ」
「裏切り者に惜しがられても嬉しくもない」
リーシェルの言葉にハルの瞳は一層鋭く光る。
「あなたは最期までセルト王子に忠誠を誓うのね」
「自分の主人は自分で決めてる、それだけだ」
そう言い、ハルはすぐに刀を抜刀しリーシェルに斬り掛かる。リーシェルはそれを平然と受止める。
聖堂の外は渡り廊下となっており、左右とも手入れされた低木に囲われており広いとは言えない。ハルとリーシェルは剣を混じえながら、徐々に移動し広さのある中庭へとその死闘の舞台をうつす。
冬場の中庭は冷え、いつの間にか日が落ちたため空気がより一層冷たさを増す。吐く息の白さなど二人とも気にすることなく、ただ目の前の相手を冷たく鋭く見据え合う。圧倒的な緊張感が充満し、リーシェルに付き従っていた者たちは二人に近づくことも出来ず遠巻きに自体を見守っていた。
「カナッシュを殺したの?」
ふいにリーシェルはハルにそう問いかける。
「だから何だ?あんたが全部けしかけたんだろ」
ハルは冷たい瞳を向け、二つの刀を手にリーシェルに吐き捨てるように言う。
カナッシュは初めからリーシェルの味方だった。どういう経緯でリーシェルに味方したのかは分からないが、元々カナッシュは最強たる将軍のリーシェルに強い憧れと尊敬を抱いていた。
この反乱が起きる直前まで、ハルはカナッシュと休日を過ごしていた。それはおそらく、リーシェルがハルに反乱の開始を──重役や国王・王妃の抹殺を阻止されぬよう物理的に遠ざけた。ハルがナーセルトを始めとするルレクト王家に忠誠を誓っていること、己の信念のためならば上司であろうとも無視することがあること、それがたとえ最強と謳われるリーシェル相手でも躊躇うことなく敵対することを分かっていた。
さらにハルの剣術はずば抜けたものであり、反乱の初期に敵対することで重役や王族の抹殺を阻止される可能性が非常に高く、リーシェルはあえてハルを遠ざけるという戦法を選んだ。反乱が波に乗れば城中の兵力はリーシェルの手中に収まり、さすがのハルも一国の軍力を相手にすることは出来ない。
いわば、リーシェルはハルをそれだけ警戒してきた。
将軍に登り詰めたリーシェルは軍部の内情やそれぞれの実力を把握していたし、王子や王子直属近衛騎士たちのことも熟知していた。取り入るべき人を選び、警戒すべき人を排除したが、それでもハルのことは排除するわけでも無ければ、取り入ることもしなかった。
「さいごに聞くわ。こちらにつく気は?」
恐ろしく冷静で普段通りの声色だが、そこから発せられる雰囲気は尋常ではない。
「んなもんあるわけねぇだろ」
だが、ハルはそんな雰囲気も威圧も一蹴する。
そこからハルとリーシェルの激しい攻防が続く。風を切るかのような速さのハルは、身軽に体を操り二本の刀で斬撃を繰り返す。雪で足場が悪いというのに、そんな状況を一切感じさせない。時に風の刃を飛ばし、リーシェルがそれに気を取られている隙に音もなく背後から切かかる。
だが、リーシェルも伊達に勝利の女神と呼ばれていない。風の刃を少し体を移動させることで最低限のかすり傷におさえ、ハルの一太刀を受け止める。リーシェルはハルほどの速さを出すことはできないが、魔力探知によりその存在がどこにあるのかを割り出すことは出来る。
攻防の中でリーシェルはいくつもの魔法術をハルに放つが、尽く避けられるか、その刀で斬られるため効果的ではなかった。魔法術師ではあるが、魔法術よりも剣術を極めているためリーシェルは戦闘においても魔法術を使うことがなくその技術は一介の魔法術師程度であった。
「あんたは何を求めてる?」
息を切らせながらハルはリーシェルに問いかける。激しい攻防ゆえに、ハルもリーシェルも互いに傷を負う。傷口から滴る赤々とした血液が真白な雪の上に、恐ろしいほど美しく映える。
「国か?権力か?地位か?力か?」
滴る汗など気にもせず、ハルは目の前の女将軍に問いかける。リーシェルの表情には余裕があり、ハルとの実力差が明らかになりつつある現状だった。
「何も。これも単なる自分の力量試しみたいなものだし」
首を傾げそう答える様は、あまりにも純粋だった。
「あんたのその気まぐれで、いったいどれだけの人間が死んだんだ?」
ギリッとハルは歯を食いしばり、そう言う。力試し・・・そんな個人的なことでこの反乱は始まり、そして国を落としたというのか。
「その殆どはアナタが
平然とそう言うリーシェル。
「あんたはもっと残酷だな、リーシェル将軍」
その名を呼び、ハルは一気にリーシェルとの距離を詰めて斬り掛かる。
リーシェルの反乱のやり方はあまりにも残酷だ──そう、ハルは思っていた。恐怖心を煽り、主人を裏切らせた。城で働く者にはそれぞれに家庭があり、守るべきものがある。もしも、リーシェルに弓引けば自分だけではなく家族も殺される──そんな恐怖を皆が抱えていた。
ハルは確かにレティルトやナーセルトを守るために多くの者を殺し、その命を奪った。それは騎士として生きていく上で覚悟していたことであり、命を奪うことへの申し訳なささや後悔がないわけではない。
だが、ハルが感じるリーシェルのやり方の残酷さ──それは、裏切った人間の人生を、役割を奪うということだった。今まで大切にしてきたはずのものを彼ら自身で壊させる──その人生の一部を殺すようなものだった。
この反乱で命を落としたものは数多い。だが、それ以上にその人格が、人生が、役割が、その心が死んだ人間が多い。
ハルの一撃を交わしながら、リーシェルも反撃を行う。女の一撃とは思えないほど重い一撃を受け止めながら、ハルはなんとか持ちこたえる。重い剣が嵐のようにハルを襲い、それを捌くので手一杯になる。時折、隙を見て斬撃を繰り出すが致命傷を与えられるほどのものはない。
互いに傷をさらに付けあい、その息はどんどんあがってゆく。互いに攻撃を受けたため疲労が蓄積していくが、それでも手を止めることは無い。
永遠に続くと思われたハルとリーシェルの死闘に、その瞬間はやってくる。
リーシェルの一撃がハルを真正面から深く切り付ける。受け止めきれないと察したハルが距離を空けようとしたが、リーシェルがそれよりも早くハルを切りつけていた。
その深い傷にハルは地面に倒れ込む。
不思議と冷たいはずの雪が心地よく、何故だか世界があまりにも静かだった。何もかもがあまりにも穏やかで、痛みさえも感じない。手に力を入れようにも入らず、ハルは潔くその瞳を閉じる。
(悪いな、王子)
一人で行かせてしまって、追いつくことが出来なくて、その生きる世界を守ることが出来なくて・・・。
「津草 晴、惜しい人ね」
雪の上で倒れ、起き上がる気配のないハルを見下ろしながらリーシェルは呟く。致命傷にてハルの体からは止めどなく血が流れていき、誰も彼を助けようとも、治療しようともしない。
圧倒的な強さと、それに付随する恐怖にてリーシェルは城を掌握した。恐怖さえちらつかせば、あっさりと誰もがリーシェルに頭をたれ、守るべき王子達にも躊躇いはあったかもしれないが剣を向けた。それは、裏を返せばほかの恐怖があればそちらに従いかねないし、リーシェルの恐怖が薄まれば案外簡単に反乱もあるかもしれない。
だが、ハルのように揺るぎない信念を持って主人に仕える人間は決して折れないし、何があっても自分の見方でいてくれる。側近としてこれほど頼りになって、安心して背中を預けられる人間などいない。かつて、彼を側近にと望んだレティルトの考えや気持ちがリーシェルにもよく分かる。人の上に立つ人間として、信頼して背中を預けられる人物がいることは政策としても、個人的な気持ちの面としても重要だ。
いかに優れた君主と言えども所詮は人間で、迷うこともあれば間違うこともある。迷う心をさらけ出すことができ、間違いを正してくれる──そのように信頼出来る側近がいることこそ、ある意味で優れた君主といえるとリーシェルは思っていた。
(強い人ね、あなたは)
倒れ込んだハルを無表情に見つめながらも、リーシェルはその生き様と信条を心の中で賞賛する。
己の中にある信念を曲げずに貫き通すことも、強者に躊躇わず対峙することも、周囲の環境に流されずに己が判断で事を成すことも、どれも簡単に出来ることではない。
ましてや、これほどまで恐怖で支配された人間が刃を向けるなか、ハルはその信念を曲げずに君主を守った。
冷たい雪がしんしんと降り注ぎ、その歴史に蓋をする。
大国・ロータル王国はそうして、ひとりの女騎士によってその歴史を終え、城を血で染めたのだった。
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