第5話
ザワついた城内は武器を手にした人間が横行する。彼らは足早に城内を進みながらも、互いに情報を交換し合いレティルトとナーセルトを探す。
ケルオン城の一室でナーセルトは顔面を蒼白にしながら静かに息を潜めていた。無意識に震える身体を抑えることができず、つい先程までの出来事に足がすくむ。
ナーセルトはほんのつい先程まで玉座の間──父王がいる場所にいた。両親へ明日出かけることを伝えようと思って寄ったそこで、ナーセルトは不穏な空気を感じ取る。何がという訳ではないその空気に違和感を覚え、玉座に足を踏み入れた。
「っ!」
ナーセルトがそこへ足を踏み入れたその瞬間、彼はその目を疑う。
国王軍将軍・リーシェルが母親である王妃に斬りかかっていた。リーシェルはナーセルトの存在に気づき、ちらりと横目でナーセルトを見据え、その口元を弛めて微笑む。
ぞくりと悪寒が走り、その不敵な笑みが脳裏にこびりつく。
リーシェルはそのまま息をするかのように父王を斬り殺す。二人を手にかけるその流れはほんの一瞬であるのにも関わらず、ナーセルトには全てがスローモーションに見えてならなかった。
リーシェルの怖いほどの剣技も、その刀身から血が滴る様も、両親が床に倒れるその瞬間も何もかもが──怖いほど無音でゆっくりと感じられた。
「あら、セルト王子」
床に倒れる国王・王妃を何の感情もなく見据えたあと、リーシェルはにこりとナーセルトに笑いかける。
その視線と声でハッと我に返ったナーセルトは反射的に逃げる。助けを呼ぶわけでも、リーシェルを問い詰めるのでもなく。本能がリーシェルに対し激しく警鐘を鳴らす──この女は決して相手にしてはいけないと。
走って逃げるナーセルトだが、すぐに周囲を包囲される。軍部の精鋭から見知った大臣など、そこにいる人間は全員むき出しの殺意を放ち、その剣先をナーセルトに向ける。
どういうことなのか、それだけで容易に想像が着く。
その存在を確かめるようにナーセルトは腰にある剣に手を置く。使い慣れたそれは確かに剣帯に携えているし、その重みも握った感触も間違いがない。
(・・・ダメだ)
向けられるその殺気が間違いなく自分に向けられていること、これが遊びではないこと、確実に命を狙われていること──全てを分かっていてもナーセルトはその剣を鞘から抜くことができない。見知った彼らを、ここにいる人間を手にかけることへの踏ん切りができない。
兄のレティルトと違い、血なまぐさいことも避けてきたナーセルトはその手で人を殺めることも、ましてや顔見知りの彼らにその剣先を向けることもできない。
「王子!」
まだ震えの残る身体──その肩に誰かの大きくて暖かい手が力強く置かれる。
「・・・ライン騎士長」
第二王子直属近衛騎士長のラインが息を切らせてナーセルトの背後にいた。
「お任せを」
ラインはそういうや否や、躊躇うことなく腰にさしていた剣を抜き、ナーセルトに敵意を抱く彼らに斬り掛かる。
ラインは軍部で功績をあげ、部下からの信頼も厚く、何よりもナーセルトが幼い頃からずっと慣れ親しんできた騎士だった。何かある度に助けてくれて、それは命や身体だけではない。困ったことがあればいつでも相談に乗ってくれ、なんでも協力してくれた。
「もう、今回だけですよ」
それが口癖だった。今回だけ、今回だけと言いながらラインはナーセルトの我儘をきいてくれたし、突拍子のないことも協力してくれた。下町を探検したり、異国の魔道具屋を巡ったり、執務をサボるために二人で城を抜け出したことも多い。
誰よりも信頼できて、誰よりもある意味近しい人物だった。
そんなラインがこの状況下で真っ先に駆けつけ、自分を見つけてくれたことが何よりも嬉しい。ほっと安堵し、先程までの身体の震えは止まる。
ライン騎士長だけでも味方でいてくれた──その事実で希望がもてた。
ものの数分でラインは王家に仇なす人間を殲滅し、ナーセルトの手を取って逃げる。何度か裏切った家臣や騎士に出くわすが、すべてラインが切り捨ててナーセルトを守った。
そんな二人はあまりにも裏切り者が多いため、休息のため誰もいない部屋で一息つく。城中が裏切り者で溢れる中、ふたりはどうすればここから脱出できるか思案する。
(地下に行かなくちゃ・・・)
ハッとナーセルトは重大なことを思い出す。それはルレクト家に代々伝えられ、受け継がれてきた役目を遂行しなければということだった。
ナーセルトがラインに寄り道を相談しようとしたとき、二人が隠れていた部屋の扉が開かれる。
瞬時に部屋は緊張感で溢れる。ナーセルトの心臓は急速に強く鼓動を打ち、ラインはその剣の柄を握る。
「ハル」
部屋に入ってきたのはラインの部下でもある、第二王子直属近衛騎士・ハルだった。
その冷えきった瞳は何の感情も映さず、淡々とナーセルトとラインに向けられる。見つめられただけで殺されるのではないかと錯覚するほどの圧倒的な殺気がふたりを包む。
「貴様も裏切ったか」
ラインは全てを切り刻まんとするハルの醸す空気に臆することなく口を開く。
「それはこっちのセリフだ」
鋭い眼光のハルが見据えるのは直属の上司である、騎士長のラインだった。その瞳は明らかに敵を見据えるものであり、獲物を捉えるそれでもあった。迷いのない刃のような空気が明らかにラインを敵として見据え、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたラインでさえ、その空気は鳥肌が立つ。
「来るなっ!」
ラインはナーセルトをとっさに引き寄せ、守るべき主人の首筋に剣先を向ける。
突然のことにナーセルトはなんの抵抗も出来なければ、何が起きたのかも分からない。
「その剣先、誰に向けてるのか分かってんのか?」
ハルの言動は全てあまりにも冷静で、そのあまりにも強い殺気が部屋を支配する。ナーセルトは首筋にあたる冷たく鋭い感覚に恐怖を抱く──などという状況ではなかった。
(・・・え?)
先程まで的に向けられてたその剣の先が自分の喉元にあてられている。
「あんたの魂胆は見え見えだよ。主人を殺す度胸もなければ、リーシェルに敵対する勇気もない。だから王子をヤツに売ろうってことだろ」
冷静につめたく、ハルは現状を分析して口にする。
「・・・ライン騎士長?」
そんなまさか──。
つい先程までラインはナーセルトの敵となるものを尽く殺していったし、逃げ出すための経路も考えていた。
ラインはハルの言葉になんの言い訳もしなければ、誤解だと言い張ることもない。ギリッと
「堕ちたもんだな、騎士長殿」
吐き捨てるようにそう言うと、ハルはナーセルトが人質になっているにも関わらず躊躇うことなくラインとの距離を詰める。
音もなくハルはラインを真っ直ぐと捉えて切りつける。ラインはとっさにハルの一撃を受け止めようと、ナーセルトを突き飛ばす。だが、ハルの鎌鼬ののうな一太刀の方が圧倒的に速く、ラインはあっさりと深手を受ける。
ハルはちらりとラインを一瞥し、彼が動けないことだけを確認し、呆然とするナーセルトの手を引き部屋を出る。
予想だにしなかったラインの裏切りにナーセルトは廊下の途中で膝から崩れ落ちる。
先程まで助けてくれたのは──ナーセルトに直接手を下すことが出来なかったからに過ぎない。
主人を殺せず将軍を裏切られないラインは、直接リーシェルにナーセルトを引き渡すことで保身を図ったに過ぎなかった。
「行くぞ、王子」
ハルは廊下の真ん中で力尽きたように座り込むナーセルトに手を差し出す。差し伸べられた手を見ることもなく、ナーセルトは黙って俯いたまま救世主の手を掴む気配がない。
「いいよ」
か細い声にハルの眉間にシワがよる。
「は?」
「もう、いいんだよ。もう分かんないんだよ」
差し伸べられる手を掴んで良いのか、信じていいのか。生き延びた先に何があるのか、ここから逃げ出したところで何があるのか。もう、分からない。信頼していた将軍に両親を目の前で殺されて、さっきまで笑いあっていた家臣から次々と命を狙われる。
紡がれる言葉と、光の一切ない様子にハルは舌打ちをしてナーセルトの胸ぐらをつかむ。
「なら、自害でもするんだな」
説得するわけでもなければ、力任せに連れ出す訳でもない。冷たい態度と言葉がかけられ、それは主人に向けるべきものではない。
「死にたきゃ好きにすればいい。俺はそこまで手に負えない」
冷たく強い瞳がナーセルトを睨むように見据える。
「僕を殺せば、それなりの手柄になるよ」
諦めモードのナーセルトは無気力にそう、直属の近衛騎士に言う。長年連れ添って、信頼もしていたラインでさえも裏切っていた。もう全てがどうでも良い、そんなことを言いたげなナーセルトに対しハルは陽影を抜刀し、その鋭い刃先をナーセルトの首に突きつける。
「俺は王子の騎士であって、それ以上でも以下でもない。くだらねぇこと言う暇あるなら、これからどうするのか決めてくれねぇか?」
死ぬ──自殺するつもりなら止めはしない、ハルの瞳がそう語る。その決断はナーセルト自身がその責任を自分で背負って行うものであり、ハルはその意思を尊重するだけだった。彼の決断に文句もしないし、賛美もしない。ただ、仕える主人の側にいるだけ。
「好きにすればいいよ」
焦燥しきったナーセルトの瞳には何も映らない。目の前にいるハルさえも映らず、空虚な瞳がそこにあった。
「自分の命の選択を他人に任せるな」
鋭く強いハルの瞳と言葉は他の誰でもなく、ナーセルト自身に降り注がれる。
「・・・」
「生きたくないのと、死にたいのでは意味がちげぇんだよ」
冷たいながらも瞳の奥底にあるのは、ハルの強い気持ちだった。たったひとり単身で異国の地へと足を踏み入れた覚悟、国の重役を主人とした己の決断、そして今は仕える主人の決断を待つ静かな時間──ハルの行動のひとつひとつには誰にも譲れない信念がある。
「もしかして修羅場?」
ハルは聞きなれた声と、馴染んだ雰囲気を感じ取りながらもナーセルトに向けていた陽影の刃先を、その声の主に向ける。
「取り込み中だ、カナッシュ」
少し前まで休日を共に過ごしていた同僚に、ハルは冷たい殺気を向ける。いつも通りのカナッシュだが、その瞳は真剣味を帯びている。
「やーっぱり、こうなっちゃうんだよな」
笑いながらもカナッシュはハルに剣を向ける。
この地に来てから誰よりも長く付き合ってきた同僚だからこそ分かる、その殺気と本気度にハルは何も言わない。
カナッシュは、余所者でもある異国人のハルにいちばん最初にこの国の軍部で話しかけてきた人間であり、異国の慣れない習慣や食事などを教えてくれた友人だった。どうでもいいような話で笑い合い、上司の愚痴をこぼし、何度も食事をして遊びにも行った。
ハルとは正反対で明るく交友関係も広いカナッシュのおかげで、ハルもこの国でたくさんの縁に恵まれ、友人と呼べる人物もできた。感謝もしているし、これから先の縁も信じていたかった。
だが、カナッシュの向ける殺気はハルとナーセルトに降り注がれる。
「ハルとは別の形で剣を交えたかったよ」
命をかけたこの反乱の場ではなく、健闘試合で友情を高め合いたかった。
「俺はこういうツキまわりなんだよ」
どこか呆れたように笑いながらもハルは呟くように一人言を吐き捨てる。その瞳は何かを映すがそれが何なのかはナーセルトにもカナッシュにも分からない。
そのままハルはカナッシュに斬り掛かる。
ハルは騎士であり、剣術はずば抜けている。ハルの疾風のような二刀流にカナッシュは翻弄され、捌くだけで精一杯だった。そうと分かっていながらもハルは一切の手加減もなく、確実に同僚であり友人の急所を狙う。ともに過ごした時間が長いからこそ分かる、その身のこなしやクセをハルは見逃さない。
たとえ友であっても、恩人であっても──主人に仇なす者、その命を狙う者は見逃さない。役目を遂行するため、感情などという──そのようなものはとっくの昔に捨ててきた。
数分間の攻防の末、ハルはカナッシュを深く切り付ける。激しく血飛沫が飛び散り、その血を浴びてもなおハルは表情を崩すことなくカナッシュに冷たい視線を向ける。
激しい流血と致命傷を受けたことにより、カナッシュは起き上がることどころか声を上げることさえもできない。その命が尽きるのは目に見えている。
「行くぞ、王子」
ハルは一瞬、カナッシュを見やったが特に何も言うことも無く踵を返し主人に声をかける。
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