第4話
執務の途中で部屋を出たレティルトは背後からの殺気を感じとり、迷うことなく腰に携えていた剣を抜きその殺気を受け止める。
「どういうつもりだ?」
レティルトは鋭く相手を睨みつけ言葉を発する。レティルトを背後から斬りつけたのは、側近でもある第一王子直属近衛騎士長・テリーだった。すらりとした体格だが、そこから放たれる一撃は腕に響く。テリーのグレーの瞳は何の同様もなくレティルトを見つめる。
「そのお命を頂戴いたそうかと」
至極冷静かつ淡々と口を開く。それがあまりにもいつも通りであり、レティルトは何かの稽古かと思ってしまうが、それでも感じた殺気は紛いもなく本物であった。
「誰の差し金だ?」
テリーの躊躇うことの無い斬撃を捌きながらレティルトはその眼光を強める。彼は本来、物静かで冷静で依頼された任務をきっちりこなすが、自らはそれほど積極的に動くことの無い性格だった。
「我が国の勝利の女神殿です」
あっさりと口を割りながらも、その手をゆるめることの無いテリーだった。
(リーシェルか!)
レティルトはこの間まで流れていた不穏な噂を思い出し、舌打ちをする。あの時に何らかしらの手を打つべきであったと後悔しながらも、魔法でテリーの動きを止める。
「どれだけが奴についてる?」
「すべてです」
さらりとそう言い、テリーはレティルトの魔法を解く。魔法術師ではないとはいえ、一国の王子の身を守るためにある程度の魔道具などを持っており魔法術に少しくらいは対応出来た。だが、レティルトはそれを見越し、動きかけたテリーを躊躇いなく斬りつける。
「悪いな、オレは自分の身も国も大事なんでな」
大きく床に倒れ伏せたテリーの体からは大量の鮮血が流れ出る。第一王子直属近衛騎士長の実力を知っているレティルトは、あっさりと床に倒れ伏せたテリーを痛ましくその姿を見つめ拳を握る。王子の命を守るため、テリーの積んできた経験と修練は確かなものであり、レティルトは何度もその命を助けられてきた。こんなにあっさりと倒れる人物ではなく、彼がリーシェルに屈してレティルトに刃を向けながらも、それでも主人を裏切れずにレティルトの手で死ぬことを選んだようだった。
(バカか、お前は)
倒れ、起き上がることも出来ずに命の灯火が消えゆくテリーに心の中でそう訴えかける。それとともに、この事態を引き起こしたリーシェルの顔が脳裏に浮かびレティルトの周囲の空気は燃え上がる。
レティルトはそのままテリーを置いてその場を去るが、すぐに大勢の人間に包囲される。
テリーは単なる足止めでしかなく、その対応をしている間に様々な人間がレティルトの命を狙いに集まっていた。
軍幹部の実力者、軍部の精鋭、若き軍人見習いだけではない。普段は武器をあまり手にしない大臣たちまでもがレティルトに、その抜いた刃先を向けている。
軍幹部や一部の大臣の瞳には一切の迷いがないが、見習い軍人や長年付き合いのある大臣たちはその目に迷いがあり、手は震えている。
襲いかかってくる彼らをレティルトは躊躇うことなく斬りつける。知り合いを斬ることも、その命を奪うことも本音を言えばやりたくはない。だが、レティルトには第一王子として生まれたその時から守らなければならないものがあった。国も、血縁も、国民も、歴史も、家族も、そして未来への架け橋も。
血なまぐさいと文句を言ってなどいられない。剣の嵐を捌き、何人もの人間を斬っていく。何人斬りつければ、何人の命を絶てば、何人の身体を傷つければ終わるのかなど分からない。勢いつけてわざわざ殺されに来る人間が何人もいており、レティルトはその震える瞳を見ていられなかった。
リーシェルがどのうような方法で彼らを掌握したのかは分からないが、こうして迷いながら震える瞳を見れば、彼女がチラつかせたのが恐怖心という権力なのだというのは容易に想像が着く。
リーシェルには彼女独特の空気があり、それは力強く他を気圧し、抵抗すれば命を奪われるのではないかという空気がある。
彼女自身の実績がさらに相乗効果を生み出し、特に見習い軍人や経験の浅い者にはそれが顕著に感じられる。
その横暴を誰かが──自分が止めなければならなかった。
多くの攻撃に対応していたレティルトだが、容赦のないそれらに耐え続けるうちに疲労は蓄積していく。一息ついたところで目の前から不意に一太刀が飛んでくる。
とっさに対応しきれずレティルトは左腕を構えて身を守る形になる。傷など負いたくないが、致命傷を避けるためには左腕の犠牲は致し方がない。
だが、痛みではなく金属同士のぶつかり合う音が響き渡り、レティルトのすぐ近くで聞こえる。
「よぉ、レティルト王子」
レティルトを襲う剣を己の刀で受け止めながら、ハルはレティルトを見つめる。息を切らせながらも余裕をうかべたその表情に、レティルトはどこか安堵していた。
「ハル」
「苦戦してるみたいだな。全員、
改めて前を見据えたハルの瞳が鋭く周囲に降り注がれ、その圧倒的な殺気が場を支配する。レティルトは無言で頷き、ハルにその背を向ける。二人は剣を向けた数多の人間に包囲されており、そこから抜け出すためにはこの場の全員と対峙する必要があった。
ハルは一呼吸、息を整える。それだけで周囲の空気は一変し、先程までの郡勢の勢いは衰える。ハルは相手の数が多かろうが、いかに格上で目上の人間であろうと、その信念のためならば躊躇うことなく対峙する。
一気に敵対した彼らの郡勢と距離を詰めたハルは目の前の人物をなんの躊躇いもなく斬る。あまりにも冷たく冷めた瞳は、目の前の命を無機質に扱うかのようだった。的確に相手の急所を深く切り付け、その命と人生を奪っていくハルのその行動はあまりにも無慈悲に思える。ものの数分でレティルトを取り囲んでいた裏切り者たちは誰一人としてその場に立ってはいなかった。
ハルはその独特な空気と戦法でこの国でも数多の戦績をあげてきた。動く時は静かで、的確に急所を狙い、そして時には鎌鼬かのような斬撃を繰り出す。レティルトはそれを見ていつも、騎士というよりは暗殺者のようだと思う。
「悪い、助かった」
一段落済んだレティルトは目の前で返り血を浴びるハルに礼を言う。ハルは懐から取り出した布で刀が錆びないよう、丁寧に刀についた血飛沫を拭いながら「いや」と軽く返す。まるで、何も無かったかのようなそんなハルとのやり取りが少し心を救う。
「セルトは?」
「探してるとこ」
刀を納刀し、ハルはレティルトを静かに見返す。
「で、何が起こってる?」
ハルは静かにレティルトに問いかける。現状がなにか一切分からずとも、ハルは自分のやるべきことが分かり、それを遂行したまでだった。主人のナーセルトを探しているさなかに人だかりと殺気があり、もしやと覗いたらレティルトが襲われていた。王家に仕える者として、兄王子を助けた──それだけだった。
「リーシェルが反乱を起こしたみたいだ」
確実な情報などなくても、それが現実だった。これほど多くの人間が王子の命を狙うなど、反乱以外の何でもない。
「思い切ったことをするもんだな、あの死神は」
レティルトの言葉を聞いたハルの空気が一層尖ったものへと変化する。それだけで、レティルトはハルが敵ではないと認識することが出来る。
「ハル、オレの警護を頼む。城中の人間が敵だとすれば、オレらはここに留まることはできない。一旦城を離れる」
悔しそうに拳を握りながら、レティルトは現状を静かに分析し考えた結果を口にする。両親が無事なのか、弟はどうしているのか分からない。ハルのように味方でいてくれる人間がほかにいるのか、本当に全員が寝返ったのか、確かな情報がなにかさえ分からない。
だがテリーを初めとする他の人間の様子を見ていれば、リーシェルのチラつかせる恐怖心という権力がいかに絶大な効果を示しているか分かる。ハルは軍部の、王子直属近衛騎士のなかでも本人の言う通り末端の人間であり情報が入ってくることが少ない。
「だが、その前にどうしても寄らなければならない所がある。セルトも恐らくそこへ向かうだろうから、上手くいけば合流できる」
広い場内でナーセルトがどこにいるのか、無事なのかは分からない。それでもハルの主人はナーセルトであり、ハルは目の前のレティルトよりも本心で言えば優先したい人物だろう。
「了解。お供するぜ、次期国王陛下殿」
にやりと笑い軽口を叩くハルに、こういう時だからこそレティルトはその態度も言葉も心を救われる。元々、ハルの裏表のない性格や、誰が相手でも信念を曲げない性分、身分ではなく相手の
そのまま、レティルトはハルを連れ立って走り出す。目指すべき場所への最短ルートも、そこで成すべきこともレティルトの頭の中にはしっかりと入っている。
『月影を』
レティルトとともに走り出したハルの耳に懐かしい声が響き届く。優しくも凛としたその可憐な声はハルが誰よりも一番身近に感じた、前の主人のものだった。
(いま、姫の声が・・・)
走り出しながらも周囲を見渡すも、どこにもそれらしき姿はない。それもそのはずで、ハルの前の主人──倭国帝家のひとり
気のせいかと思い、ハルはその声を無視してレティルトとともに走る。だが、数秒もしないうちに頭にまた声が響く。
『
その名を呼ばれ立ち止まらずにはいられない。その命を、身を守ってきたハルにとって彼女の声は無視出来ないものだった。
「悪い、王子。忘れ物を取りに行く」
「え?」
「後で合流する。死ぬなよ」
そう言い、ハルはレティルトの声を無視して自室に向かい走る。レティルトは少し呆気に取られるも、ハルの「合流する」という言葉を信じ先を急ぐ。
レティルトと別れたハルは躊躇うことの無い足取りで自室へとたどり着く。ここへ至るまで幾人もの騎士や、武器を持った人間とすれ違ってきたが誰もハルを襲うものはなかった。おそらく、ハルが王家の味方をしているということはまだどこにもバレていないようだった。
自室に戻ったハルは部屋の机の上に置いていた
「月影」
その名を呼んで刀を手にする。ずしりと重いそれは、職務の時には必ず携帯している刀だった。
ハルには二本の刀があり、そのふたつを自在に使いこなす二刀流こそが彼の流派だった。
「
もうひとつの刀を手にしてハルは目を瞑る。
陽影はハルが元服──成人した際に、父親から受け賜った刀で、お天道様の限りない力を借り受けられるようにと。邪悪なもの、良くないものを打ち消すようにと祈りが込められたその刀は、非常に清々しく、負の力を滅するほどの力を有している。大切なものを護れるようにと、目標だった父から受け取ったものだった。
月影はハルの前の主人──玲華がハルに下賜した刀で、揺らめく妖気は容易く人の命を奪いかねない、そんな狂気を振りまく刀だった。真っ黒な鞘は光さえも吸収しつくしてしまうほど漆黒で、その刀身は不気味な程に曇っている。
正反対の特性を持つその二つの刀の重みをずっしりと感じながらも、ハルは気を引き締めて部屋を出る。
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