第30話 無償の愛の光

 身体の表面が溶け出していくような感覚がした。

 その感覚は次第に広がり、自分の意識が世界に溶け込み、宇宙そのものと一体化する錯覚をもたらした。


 目の前に、泣いている子供がいた。

 飢えに苦しむ子供がいた。

 薄暗い部屋で必死に働く母親の姿も見えた。


 だが、それらの惨状に胸を締め付けられるよりも、さらに強い感情が心を支配していた。

 ――その圧倒的な実感が、胸の奥から溢れてきたのだ。

 全てを包み込む温かさの中で、世界が自分を祝福している確信があった。


 そして、光が見えた。

 それは単なる光ではなかった。

 無条件に注がれる、無限の愛の光――それは、自分だけではなく、この世界の全てを祝福する輝きだった。


 温かさと静けさに包まれながら、世界の鼓動が自分の中に流れ込んでくる。

 やがて、皮膚の感覚が戻り、意識が覚醒した。

 筋肉に事前命令を与えておいたAED式ショック療法が、無事に作動したことを理解する。


 それでも、この数秒の出来事が、永遠にも思えるほどの深い体験だった。


 これは、臨死体験というものなのだろうか?

 アレス戦で迎えた一度目の死線を思い出しながら、今はっきりと分かる。

「愛する」ということが、敵すらも含めた全てに向けられるべきものだという、その意味が。


「お前ら……ありえねぇ!心臓は完全に止まってただろ!

 だがな、これで間合いを戻してやったぜ!」


 ポセイドンの声が響く。

 彼は余裕の笑みを浮かべながら、幾つもの「トライデント」の射出準備を整えていた。

「必中の槍」の間合いは完全に支配された。


 先程のタメの長さは「ブラフ」。

 真の「タメ」に必要な時間はもっと短く、権達が不意打ちを受けた原因の1つもそれだ。


「今度は双・球電砲とやらも使わせねぇ!

 確実に心臓か脳を貫通させ、今度こそ二度と蘇れないようにしてやる!」


 冷徹な言葉が告げられる中、正一は微笑を浮かべながら静かに応じた。


「そんなものは必要ない」


 そして、仲間に向けて短く、明確な指示を出す。


「権ちゃん、!」


「……わかってる!でもありがとう、正一ちゃん!」


 二人は迷いなく、自らの発電した電流をすべて地面へ放出する。

 その行動は、まるで自らの命を投げ出すかのような大胆さだった。


 ポセイドンは目を見開き、声を荒げる。

 困惑と苛立ちが入り混じった表情で、雷人たちを見据えた。


「お前ら、正気か?なんでわざわざ自分の電流を捨てる必要があるんだよ?」


 その問いかけに対して、戦場を包む静寂が一層深まる。

沈黙の中、正一が冷静に説明を始めた。


「お前の『必中の槍』は、電磁バリアを逆利用して追尾効果を生み出している」


正一の声は低く、しかし明確に響いた。彼は指先で砂鉄の動きを示すような仕草をしながら言葉を続ける。


「だからこそ、電流を捨てて電磁バリアを消滅させれば、その追尾を無効化できる」


その説明は的確で、論理的だったが、どこか挑発的な響きもあった。

 言葉を聞いたポセイドンの困惑はさらに深まり、その表情は疑念に満ちていく。


「は?……ふざけるな。電流を消しただと?じゃあ、筋肉に流す電流で可能にしている超高速移動はどうする?同じ原理で生み出される超筋力は?それに、『球電砲』とやらだって、電流なしじゃ撃てねぇだろ!」


 ポセイドンは一つ一つ、雷人たちの能力を指折り挙げながら、詰め寄るように続けた。


「電池切れってことは、その全部が使えなくなるってことだ!つまり、お前らはただの人間並みにまで弱体化するってことだろうが!その速度で、その筋力で……俺の『トライデント』を受けてみろ?屍すら残らねぇぞ」


 彼の言葉が冷たい戦場に響き渡り、宣告の刃となって二人に迫る。


「試しにやってみろよ!それで分かるはずだ――俺たちが何を見ているのかを」


 権の挑発が、静かな怒りを含んでポセイドンに突き刺さる。


「上等だ、じゃあ後悔する間もなく死ねや!」


 次の瞬間、ポセイドンの『トライデント』が放たれる。

 砂鉄の槍が音速を超えて突き進む直前――権と正一にはその軌道が、まるで光の線のように浮かび上がって見えていた。

 彼らはその線を避けるように、あくまで緩やかに、ゆっくりと身をずらす。


 刹那、轟音が背後で響いた。

 莫大な威力を秘めた槍が、後ろの壁を貫き、周囲に砂鉄を撒き散らす。


「なんだと!?なんで避けられる!?てめえらの動きは遅いだろうが! 俺の槍は音速を超えてるんだぞ!」


 ポセイドンの声は苛立ちを超え、恐怖を滲ませ始めていた。

 焦燥に駆られた彼は、余裕を捨て去り、ブラフなど構わずに『トライデント』を全速力で連射する。

 一撃、また一撃と音速の砂鉄の槍が矢継ぎ早に放たれる中、戦場の空気がさらに張り詰めていく。


 だが、当たらない。

 権と正一は、人間並みの速度でただ歩いているだけだというのに、音速を超える砂鉄の槍は一発たりとも彼らを掠めることすらできなかった。


「理解できねぇ……理解できねぇ! 何なんだ、お前らは!?

 一体、何を見てるんだ!!??」


 ポセイドンは歯をガタガタと鳴らしながら、恐怖と混乱の入り混じった声で問い掛ける。


「世界から向けられる、無償の愛だ。」


 権は静かに、だが確信を込めた一言を返す。


「なぜ、お前たちは世界からの愛に気付かない? 人間と雷人の違いなど、取るに足らない些細なものだと、どうして理解できない?」


 権の声には怒りが滲んでいた。

その怒りは、目の前にいる哀れな男――ポセイドンが、世界から注がれる無償の愛に気付けないことへの苛立ちだった。


「ポセイドン、お前を愛しているよ」


権の言葉は静かだが、その奥には確固たる意思が込められていた。

彼は拳を握りしめ、目の前の敵を見据える。


「だからこそ、その愛に従って、お前を倒す」


その宣言は、まるで運命を告げる鐘の音のように戦場に響き渡った。

 その言葉に、ポセイドンは怒号を浴びせ返した。


「ふざけるな、ふざけるな! 愛してるだと!?敵にそんなことを言われて、誰が喜ぶんだよ! 訳の分からねぇ戯言ばっかりほざきやがって!」


 叫び終えると、ポセイドンの視線は自然と自分の眼の前にある「不壊の盾」に移っていた。

 それは彼の最後の砦、そして希望だった。


「そうだ……! たとえ『トライデント』が当たらなくても、球電砲も使えないお前たちに、この『不壊の盾』を壊せるはずがない!」


 彼の声には、敗北を恐れる必死さが色濃く滲んでいた。


 ポセイドンは周囲の砂鉄をかき集め、限界まで圧縮して磁力で固める。

 それは隙間一つない完全防御――もはや「盾」とは呼べず、「不壊の砦」と呼ぶべき代物だった。

 その巨大な防壁が、権と正一の接近を阻むために築き上げられる。


 だが――。

 二人が砦に触れた瞬間、その圧倒的な防壁は音もなく崩れ落ちた。


「……あ、あ……?」


 ポセイドンは言葉を失った。

 かつて球電砲も、全力のタックルも通さなかった『不壊の砦』が、ただの接触で崩壊したのだ。

 その光景は彼の理解を超え、脳は完全に思考を停止した。


「今は眠れ、ポセイドン」


 権の静かな囁きが、冷たい戦場に響く。


 次の瞬間、二人の拳がゆっくりと突き出された。

 緩慢な動き――だがポセイドンには、恐怖の象徴に見えた。


「くそッ!」


 ポセイドンは身体に電流を流し、超高速移動でその拳を避けようとする。

 しかし、体が動いた感覚の直後、拳が確かに当たる感触があった。


「馬鹿な……!」


 先ほどまでの衝撃的な威力ではない。

 だが、その拳は『不壊の鎧』を無視し、ポセイドンの体に直接衝撃波を送り込む。

 その瞬間、彼は全身から力を失い、地面に崩れ落ちた。


 倒れゆく意識の中で、ポセイドンの脳裏にはただ一つの疑問が浮かんでいた――「なぜだ?」


 彼がその答えを知ることはなかった。

 静寂が訪れる。


(続く)








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