第27話 速さを超えて
ハデスの鎌が、権を標的に猛進していた。
地面を裂き、空気を切り裂くその刃は、常識を超えた軌道で迫り来る。
通常の武器では到底あり得ない動きで権を追い詰めるその鎌は、ただの攻撃ではなく、死そのものの象徴だった。
更に、時間を停止させる能力が加わり、その一撃一撃が時空を歪め、権に計り知れない脅威をもたらしている。
『ゼウスの器』として得た神速の瞬発力を駆使し、権はなんとかその攻撃を避け続けていた。
しかし、激しい衝撃を受けた箇所には、すでに幾筋もの血が滴り、体力は限界に近づいていた。
鋭い鎌が肌を裂く音が耳に残り、彼がその直撃を避けられる時間が残されているのは、もはや一瞬だけだと感じさせる。
直撃は時間の問題――死の足音が確実に迫っていた。
権の傷ついた姿が目に焼き付く中、正一はハデスへの攻撃を続けながら、焦燥感の中で打開策を探ろうとしていた。
(考えろ、考えろ、考えろ……!
このままだと、権ちゃんが本当に死んじまう!)
心臓が高鳴り、冷や汗が背中を伝う。
だが、考えがまとまらない。
追い詰められた正一の耳に、遠くから静かに響く声が届いた。
「焦るこたぁねぇよ、正一。」
鉄貴の声だった。
大声でもないのに、不思議と耳の奥に深く染み渡るように響く。
「冥王神ハデス様とやらは、お前が眼中にねぇ。つまり、舐め切ってるって事だ。」
その声には、まるで状況を見透かすような冷静さがあった。
「そういうやつ程、隙を突きやすい相手もねぇ。」
正一は目を凝らしてハデスの動きを観察する。
確かに、ハデスの注意は完全に権へと向けられていた。
正一に対しては最低限の防御をするだけで、反撃を仕掛ける様子は微塵も見られない。
「舐められて、良い訳ねぇよな? ハデスのやつが目ん玉ひん剥く位驚かせる策を、思いつきやがれ。」
鉄貴の声が続く。
そこには怒りでも嘲りでもなく、ただ静かに湧き上がる期待と励ましがあった。
「その為にも、まずは落ち着けってんだ。」
鉄貴の言葉が心に刺さる。
正一は拳を強く握りしめた。
彼の中で焦りと混乱が徐々に引いていき、代わりにじわじわと奮起が湧き上がる。
(舐められて終われるか――)
プライドが刺激される。
山中深明の弟子として、黒鉄鉄貴の弟子として。
アポロンに認められた男として。
そして――何よりも、権ちゃんの親友として。
(俺が、権ちゃんを守る!)
その決意が正一の思考を静かに整理し、そして加速させる。
瞬間、彼の脳裏に大胆な策が閃いた。
(……これしかねぇ!)
正一の目に再び光が宿る。一か八かの賭けに打って出る覚悟が、今、固まった。
「権ちゃん! "クロノスの鎌に放電して!"」
権は一瞬戸惑うも、正一の声に即座に反応した。
自身の「ゼウスの器」の力を鎌へと流し込む。
クロノスの鎌は眩いばかりの赤光を放ち、その切断力を一層高めた。
だが、その刹那――
(……時間が、止まらない!)
権は瞬時に異変を察知した。
これまで身体に襲いかかっていた「時間を飛ばされる」感覚が完全に消え失せている。
「時が……止まらない……!」
動揺を隠せないまま周囲を見ると、正一もまた放電を続けていた。その顔には確信に満ちた笑みが浮かんでいる。
「時を止められるのは1人分のみだって、ハデス、お前が言ったよな!」
正一は鋭い声で言い放つ。
「なら最初から、2人分の電気を鎌に流せばどうなる?お前の能力を発動させないようにしてやる、それだけだ!」
その言葉に、ハデスの口元が僅かに歪む。
だが、次の瞬間には冷ややかな笑みを浮かべ、呆れたように語り始めた。
「愚かな……。お前たちは自分で気付いていないのか?」
その声には皮肉と嘲りが滲んでいた。
「確かに、お前たちが電流を注ぎ込んでいる限り、時間停止は叶わぬ。 だが同時に、我が鎌が吸収した電気力を、身体強化に回すことができるようにもなる。 時間停止など不要だ――お前たちは既に速度を削がれているのだからな。 そして我の速度は、さらに上乗せされるのだ!」
ハデスの声が冷笑に染まると同時に、彼は鎌に流れていた電流の一部を自身の肉体に引き込み始めた。
筋肉が膨れ上がり、神速を超える速度がその身に宿る。
その動きはまさに稲妻。
鎌の刃は空間を裂き、壁が砕け散る音が轟き、床にひびが走る。
その軌道は常識を超えたものだった。
権と正一に迫り来る死の刃。
切り裂かれる寸前の空気が、緊張を極限まで高める。
だが――
(何かがおかしい……!)
数秒が経ち、ハデスの表情に違和感が滲む。
(奴らの速度は確かに低下している。
我の速度は飛躍的に増している。
なのに、なぜ……当たらない!?)
その思考に一抹の不安が混じり始める。
冷静さを欠いたハデスの目が険しくなり、心の奥底に、目の前の事象が理解できない苛立ちが広がっていく。
『ゼウスの器』である権ならば、まだ分かる。
体内に蓄えられた電気力だけでも、彼は平均的な雷人の速度を維持している。
だが、正一はどうだ?
電気力が乏しい今、彼は雷人どころか人間と同程度の速度しか持たないはず。
なのに、当たらない。
「正一、貴様何をした!」
ハデスは苛立ちを露わにし、怒声を放つ。
「我が
それまで冷静だったハデスが、ただの雷人であるはずの正一に怒りをぶつける――その姿を目にした正一は、思わず微笑んだ。
(さっきまで、僕のことなんて眼中になかったハデスが……。 そんな彼が、今こうして僕に"怒り"という、人間らしい感情を向けているなんて。 なんだろう、心の底から嬉しい。この瞬間なら、きっと――貴方を心から愛せる気がする)
正一は冷静な笑みを浮かべながら、心の中でそう呟いた。
そして、ハデスの言葉に応えるように口を開く。
「何もしていないよ。ただ電流を流して、君の速度を上げる手助けをしただけだ。」
「ならば、なぜお前たちは避けられ続けている!」
ハデスの怒声が空間を揺るがし、戦場の空気が一層張り詰める。
だが、その中心に立つ正一の微笑みは揺るぎない。むしろ冷静さと確信を湛えていた。
「"癖"と"心の動き"だよ。」
正一の言葉は静かだが、鋭く響く。
「相手がどんなコンビネーションで仕留めようとしているのか、その心の動きと思考。 そして、どれほど速度が上がろうとも、長年染み付いた身体の癖は変わらない。 僕たちはそこを見ているんだ。」
その語り口は、つい先ほどまでのハデスを彷彿とさせる冷静さだった。
まるで、立場が完全に逆転したかのようだ。
「癖だと? くだらぬ! たとえ見抜いていたとして、今の我の速度は先ほどの数倍に達している! その程度の"読み"だけで捌けるはずがない!」
ハデスの声が驚愕と焦燥を帯びる。
事実として、その心の激しい動きが、正一の目には写っていた。
鎌を振るう際の、肘を照準を合わせるようにこちらに向ける癖が正一には分かっていた。
ハデスの叫びに、正一は淡々と答えた。
「そうだよ。そして僕たちは、それを初見でやってのける先生を知っている。」
正一の視線が一瞬だけ横へ流れる。
視界の端に捉えたのは、黒鉄鉄貴の静かな姿――だが、その影は正一の記憶の中で圧倒的な存在感を放つ。
彼の動きが脳裏に鮮明に甦る。
初対面の自分たちの攻撃を、緩慢な動きであえて捌いてみせた鉄貴。
アレスの猛攻であろうと、アポロンの正確無比な矢であろうと、まるで遊ぶかのように初見で見切り、凌いでいた。
「僕たちは、そんな先生の弟子だ。」
正一の声は低く静かだが、確固たる信念が込められている。
「僕たちはずっと近くで見続けてきた。そして、あの先生が教えてくれた。"癖"を見抜き、"心の動き"を読む技術を。」
微笑みながら、正一は断言した。
「速度が上がったくらいで、それを捌けなくなるはずがないだろう?」
その言葉がハデスの胸を鋭く貫いた。
彼の表情が一瞬凍りつく。
正一の微笑み、その奥に秘められた覚悟と実力が、確実に彼を追い詰めていたのだ。
ハデスは息を整え、静かに口を開く。
「認めよう、正一。貴様を侮ったことが、我が最大の恥辱であったと。」
先ほどまでの焦燥と怒りは影を潜め、冷静さを取り戻した声音。
その目には、初めて目の前の雷人を"敵"として認めた誇り高き武人の意思が宿っている。
「全力を尽くして葬り去ろう。そして、貴様の名を、我が生涯最大の敵として讃えよう!」
次の瞬間、ハデスが踏み込む。
それは、今までの比ではない速さ――鎌術の真髄を極めた彼が、未だ見せていなかった秘技の連続だ。
刃は風を裂き、軌跡は目視できないほど複雑かつ鋭い。
壁も床も、周囲を取り巻く空間さえ、無残に切り裂かれる。
権と正一の身体には幾筋もの赤い線が走る。
それらから零れ落ちる赤い血が、戦場を染めた。
だが――。
正一と権は全てを捌ききった。
その攻撃の嵐をいなし、見事に秘技の連続を終わらせる瞬間――そこに"隙"が生まれることを見逃さなかった。
「これで……終わりだ!」
ハデスの鎌が振り下ろされたその刹那、二人の拳が寸分違わず彼の急所に突き刺さる。
振り下ろし後のリカバリーが不可能な後隙――その一瞬を確実に突いたのだ。
轟音が鳴り響く中、ハデスの身体が大きな音を立てて崩れ落ちた。
(続く)
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