第24話 死の理論、命の正義

「皆様ようこそ、おいでくださいました。

 秘密結社オリュンポス本部、オリュンポス山へ!」


 出迎えたのは、以前にも顔を合わせた幹部のヘルメスだった。

 その口調は丁寧で、お辞儀までして見せるが、背後に漂う雰囲気は冷え冷えとしており、決して歓迎の色はない。


「デュオニュソス様、アポロン様、そして――オリュンポスの計画の要であったアレス様を討たれたこと。

 ゼウス様は大いに驚嘆されております。」


 皮肉交じりの言葉を口にしながら、ヘルメスの笑みは不気味に歪んだ。

 その目はどこか挑発的で、こちらの出方を伺うように光っている。


「目的は何ですか?」


 正一が一歩前に出て、冷たい声で問い詰める。


「回りくどい真似はやめて、はっきり言ってください。」


 ヘルメスは肩をすくめ、まるでそれが愉快で仕方がないかのように笑った。


「いえいえ。私はただ、ゼウス様からの命を預かり、皆様をご案内するだけの身でして。

 歓迎の準備は万全です。」


 ヘルメスの声は軽妙でありながら、その響きにはどこか鋭い棘が混じっている。

 ヘルメスは通路の方へ片手を差し出した。

 その仕草は異様にゆっくりとしており、まるで何かを誘い込むようだ。

 指先が通路の奥を指した瞬間、ひんやりとした風が吹き抜け、皮膚を撫でるような感触が走る。


「こちらへどうぞ。」


 低く響く声の裏には、明らかに嘲笑が混じっている。


 彼が指し示した通路は、闇に沈み込むように伸びており、壁には不気味な模様が刻まれていた。

 それが古代の呪文か、あるいは警告なのかを知る術はない。


 その声が通路に反響するたび、壁に刻まれた模様が微かに光を放ったように見えた。

 足元から立ち上る微かな湿気と鉄の匂いが、通路の向こうに待つものがただの罠ではないことを暗示しているかのようだ。


「言うまでもないが、こいつは罠だ。」


 鉄貴が低い声で呟くように言った。

 その視線はヘルメスを鋭く貫いているが、彼は全く意に介した様子もない。


「どうする、権、正一?」


 鉄貴が静かに二人を振り返る。


「行くよ。」


 権が即座に答えた。

 迷いの一片すら見えない瞳がヘルメスを捉える。


「こういうの、虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うだろ?」

 口元に僅かな笑みを浮かべた権の言葉に、正一は一瞬息を呑むが、すぐに肩をすくめた。


「さすがだな、権。」


 鉄貴は微かに唇を引き締めながら頷いた。


「それなら、行くぞ。油断はするな。」


 三人は慎重に歩を進める。

 背後でヘルメスの笑い声が響く。

 それはまるで、これから始まる試練を楽しむ者の声のようだった。


 通路を進むにつれ、空気が徐々に冷たくなっていく。

 吐く息が白く変わり、微かに漂う土の匂いと、腐敗したような臭気が鼻を突いた。

 壁に刻まれた模様が不気味に揺れ動いているように見えたのは気のせいだろうか?


 権が足を止め、注意深く耳を澄ますと、遠くから低い呻き声のようなものが聞こえる。


「誰かいるのか?」


 正一が声を潜めて呟くが、鉄貴が手を挙げて制止する。

 足音の音色が変わった。


 固い床から土を踏むような感触に変わり、まるで地下へと吸い込まれていくような不安が彼らを包む。

 そして、突然通路の先から冷たい霧が湧き上がり、それと同時に、広間が目の前に広がった。


「よく来たな、アレスを倒した者達よ」


 広間に響いた威厳ある声が、空気を凍らせた。

 現れた男――冥王神ハデスの周囲には、薄青い霧が漂い、冷たい死の気配が辺りを満たしていた。

 その眼差しは、無慈悲な刃のように冷たく鋭い。

 彼の背後に控えるゾンビの群れが、低い呻き声を漏らしながら蠢いている。 


「我が名は、オリュンポス幹部、ハデス。

 冥王神ハデスだ、お前達を冥府に誘ってやろう。」


 指を弾くと、ゾンビの軍団が一斉に動き出した。

 見た目に反して、速い。

 腐臭を撒き散らしながら、ゾンビの軍団が接近する


「死は終わりではない。

 むしろ、新たな始まりだと私は思っている。

 どうだ、一度味わってみるか?」


 ハデスは、そう語る。


 権が反射的に打撃を繰り出し、正一も投げ飛ばすが、何事も無かったかのように立ち上がり、動き出す。


「なんだコイツら!なんで動ける!!」


 権は困惑して叫ぶ。


「お前達も、カエルの足に電流を流して動かす実験くらいは知っているだろう?」


 ハデスは冷ややかに語りながら、手元で稲妻を走らせた。

 すると、ゾンビの一体が痙攣しながら踊るように動き出す。


「私はそれを雷人や人間の死体で再現しているだけだ。

 簡単な話だろう?」


 ハデスは、淡々と冷徹に説明する。 


「死後間もない肉体に電流を流し続けると、脳は死んでいても身体は生前の状態を保ったままになる。

 最も、それを維持するのはとても大変なのだが。」


「お前、死者を冒涜する真似をよくもしてくれたな!」 


 権がブチ切れて、眼の前の軍団を球電砲で片付けようとしたその時。


「たす…けて……」

 その声は、彼の耳に突き刺さるようだった。

 目の前の敵に集中していた心が、一瞬で崩れる感覚。

 権は、自分の正義感がその声に引き裂かれるのを感じた。

 まるで崩れ落ちる崖の縁に立たされたかのような感覚が全身を駆け巡る。


 球電砲を放とうとした手が止まり、振り返ったその瞬間――

「しまっ――」言葉を発する暇もなく、ゾンビの群れが権を飲み込んだ。


「権ちゃん!」

 

 正一は拳を固く握りしめながら叫んだ。


「権!お前は何をためらっている!」


 鉄貴もすかさず体を低く構え、周囲を見回しながら冷静な声で指示を飛ばす。


「俺たちが援護する。焦るな!」


「ああ、生きた人間や雷人も群れの中にいるぞ。」


 ハデスは冷ややかに告げた。

 その声は、まるでこの世の理そのものを語るように抑揚がない。


「死体を維持するより調達が容易いからな。

 ただ、食費が嵩むのだけは面倒だが。」


 まるで日常の些細な問題をぼやくかのような調子だった。 目の前の人命など、彼にとって取るに足らない数字に過ぎないのだろう。


「人間でも、無理に電流を流せば雷人に匹敵する力と速度を発揮する。」


 ハデスは淡々と語りながら、手元で稲妻を走らせる。

 それがまるで魔術ではなく、ただの理論的な実験であるかのように。


「それに、生きた人間を死者の群れに混ぜると敵の動きが鈍るんだ。

 不思議なことだな。

 だが、それもまた興味深い現象だ。」


 言葉に込められた無感情さが、かえって彼の異常性を浮き彫りにする。

 人命を単なる「現象」として捉え、効率を計算する冷酷な神の思考。


「食費だって、必要な投資だ。

 お前たち人間と雷人の命が、動く兵器となるならば、その代償は安いものだろう?」


 ハデスの唇に薄い笑みが浮かんだ。それは慈悲の欠片もない、死そのものの微笑みだった。


 権たちは言葉を失った。

 彼の語る「理」は、この世の倫理とはかけ離れ、まるで宇宙の冷たい真理のように響く。

「それが冥王神だ」――目の前にいる存在は、そう語っているように思えた。


 正一がゾンビの群れを切り裂くようにして権を引き寄せた。肩で息をしながら立ち上がった権は、その目に激しい怒りと悲しみを湛えて叫んだ。


「そんなの、間違っている!」


 その声は空間を震わせるようだった。

 怒りだけでなく、そこには信じられないものを見た絶望が混じっていた。


 ハデスは、まるで権の言葉が理解できないとでも言うように眉をわずかに動かした。

 その仕草はわざとらしさの欠片もなく、純粋な疑問そのものだった。


「私が間違っている?何がだ?」

 彼の声は、冷えた刃のように無感情だった。


「死者を戦力に変える合理的な戦術だろう?

 資源を再利用するのは当然だ。」


 ハデスの目が淡々と権を見据える。

 そこには、一片の悪意も善意も感じられない。

 ただ冷徹な「神の理」とでも言うべき視線だった。


「お前たちの文明だってそうだろう?

 不要になったものを切り捨て、再利用する。

 それと何が違う?

 説明してみろ。」


 権は拳を震わせ、言葉を詰まらせた。

 反論しようとするたびにハデスの無慈悲な言葉が脳裏をよぎる。

 死者を冒涜する行為だ――そう言い切るべきだと分かっているのに、ハデスの冷たい理論が反論の隙を与えない。


 正一が静かに口を開いた。


「権ちゃん、無駄だ。

 こいつに倫理や感情は通じない。」

 その声には、仲間を守る覚悟と冷たい現実を受け入れる強さが滲んでいた。


(続く)











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