第13話 嵐に立つ鉄

「俺ぁオリュンポス幹部のデュオニュソス。酔いといかずちを操る天才様だぜぇ!

 先に名乗ってやったぜぇ、てめえらも名を名乗れぃ。」


 酒瓶を片手に揺らしながら、デュオニュソスは不敵な笑みを浮かべた。

 デュオニュソスは揺らめくように歩きながらも、一歩一歩が不自然に鋭い軌道を描いている。


「深明先生が弟子、権だ。」


「同じく深明先生が弟子、正一。」


 2人は名乗り返しつつ、目の前の敵に警戒を強める。

 先程の爆音と、扉を吹き飛ばした攻撃の正体が分からない。


 その答えはすぐに来た。


「一人、名乗らねぇのがいるなぁ?

 そういう無礼ぇな奴には、痛ぇ目に遭わせてやるぜ!」


 デュオニュソスが口から吹き出した酒は、一瞬で細かな霧となって空間に広がる。

 その瞬間、霧の粒子に雷が落ちるような音が響き渡り、凄まじい爆発を引き起こした。

 衝撃波で隠れ家の壁にはひびが入り、瓦礫が床に散乱する。


 権と正一はその余波だけで壁に叩きつけられ、肺が苦しくなるほどの衝撃を受けた。


 爆風が鉄貴を飲み込んだはずの瞬間、静寂が訪れた。


「あぁ? なんだ、これ……!」

 デュオニュソスの目が見開かれる。

 爆発の余波を纏った空気は、鉄貴を避けるように流れていた。


「わしの名は黒鉄鉄貴。ただのアドバイザーだ。貴様と直接相対するつもりはない。」


 そう冷たく言い放つ鉄貴を見て、デュオニュソスはけたたましく笑い声を上げる。

 嵐の只中にそびえる岩。

 鉄貴の姿は、混乱に飲み込まれた光景の中で唯一揺るがない象徴だった。


「そうかい、だが戦場にゃ例外なんてねぇんだよ。民間人でも女子供でも、ましてや老人でも関係ねぇ。諦めて、俺の『雷酒いかづちざけ』に飲み込まれちまえ!」


 再び口に酒を含むデュオニュソスを見て、鉄貴は2人を担ぎ上げて、放り投げる。

 隠れ家の中の家具は崩壊し、足の踏み場もない程だが、鉄貴は苦も無く移動している。


「うっせーな!外でやれ!!」


 デュオニュソスは投擲された2人を躱す、だが2人は屋外に脱出する事に成功した。


「わしは他者の闘争に干渉しない。戦いの結末は、己の選択で掴むものだ。戦いの中で己を磨くこと、それこそが真の成長だ。わしが助けてしまえば、貴様らの力が伸びる機会を奪うことになる。」


「そうかよ、じゃあこのガキ2人を殺しゃあ、爺さんもやる気になってくれんのか??」


 デュオニュソスは2人に向き直り、口に含んだ酒を吐き出そうとする。


 デュオニュソスの口から霧が吹き出される刹那、時間が止まったかのような静寂が訪れた。

 次の瞬間、雷鳴のごとき爆音が全てをかき消した。

 二人は、受け身も取れずに吹き飛ばされる。


 砂埃が喉を焼き、肺が悲鳴を上げる。


 瓦礫が散乱し、隠れ家が崩壊していく中、鉄貴だけが悠然と立っている。

 その姿は、まるで嵐の中の岩のようだった。


「ま、元々俺ぁこの2人を始末しに来たんだ。目標に変更無しってなぁ。」


 酒瓶に反射する雷光がデュオニュソスの顔を歪ませている。


「俺の『雷酒いかづちざけ』は神々の祝福を受けた一滴。てめえら如き、ひとたまりもねぇよ。さぁ、この宴の主役になれや!」


 デュオニュソスは爆音の中でも笑い続けている。 

 酒瓶の中で雷光が踊るたび、まるでその光景に酔いしれているかのようだった。


「……くそっ、どうやってこんな奴に勝てって言うんだ!」


 権は震える手を握りしめるが、立ち上がる気力を奮い立たせるのが精一杯だった。


 権の背中を押す正一の声には、確かな信念があった。


「負けるな、権ちゃん。俺たちは一緒に勝つんだ。」


 権はその言葉に応えるように、震える拳を握りしめた。


「デュオニュソスの戦法は、狂っているが隙が無え!こちらの放電は酒の霧に阻まれ、むしろ誘爆を引き起こす結果さえあり得るぞ!」


 権が、正一に返事をする。

 何処か、怖気付いたような表情で。


「うん、分かってる。この間合いじゃ、接近しようにも、こちらの移動速度より酒の霧が撒かれる方が早い。だから、頭を使うんだ。」


 正一は、権にアドバイスをする。


「具体的にどうすれば良い?俺にはまだ何も閃かねぇ。」


「なるべく、お互いの角度を開いて接近するんだ。片方が狙われているうちは、もう片方が接近する隙が出来る。2人同時に狙われたなら、角度がある分、霧は広範囲に撒かれる事になり、威力は低くなるはず」


 正一は自身の考えた作戦を、権に手短に伝える。


「……よくあの短時間で思い付いたな。正一ちゃん。」


 権は自分の無力さを噛み締めながらも、正一のアドバイスを素直に受け入れた。

 今の自分にできることを全力でやるしかない、と自分を鼓舞する。


「鉄貴先生の教えの成果だよ。敵を愛する事で、あの人がして欲しくない事が分かる。」


 かつて深明先生に教えられた言葉が、今も正一の胸に残っている。

『敵を愛することで、敵の心が読めるようになる。

 それが強さの本質だ。』  

 その教えが、今の正一の信念の核になっていた。


 権には、その感情がまだ理解できなかった。

 理解できないなりに、その作戦を有効に使おうと頭を使い始める。


「角度をつけるだけじゃない。お互いにあえてジグザグに動くんだ。そうすれば、霧の範囲をさらに広げさせられる。」


 権は、立ち上がり、正一に宣言する。


「俺が囮になって、注意を引き付ける。その隙に、正一ちゃんが間合いを詰めてくれ。」


 権は爆音の中を疾走しながら、デュオニュソスの注意を引きつけた。

 正一と権は互いに角度をつけて走り始めた。

 酒霧が2人を追いかけるように広がり、その濃度が薄まっていく。


 雷の閃光が権の視界を焼き、耳をつんざく轟音が脳を揺さぶる。

 デュオニュソスの笑い声がその嵐の中で響き渡り、恐怖と絶望を煽る。


 雷光の閃きは拡散し、地面を砕く音がさらに遠く響くようになった。


「俺の『雷酒いかづちざけ』は神々から受け継いだ至高の力。この世の弱者を蹴散らし、新たな秩序を築くのが俺の使命だ!」


 雷光が閃き、権の足元で地面が粉々に砕ける。

 だがその瞬間、正一はデュオニュソスの背後に迫っていた。


「貰った!」


 勝利を確信した正一が、手刀でデュオニュソスを気絶させようとする。


「おっとぉ、足元がふらついたぜぇ……でもよぉ、この雷酒いかづちざけはちゃんと的を射るから安心しな!」


 千鳥足で、デュオニュソスが正一の渾身の一撃を躱す。

 接近されるのを嫌がっていたのは、罠だった。

 デュオニュソスは、酔拳使いでもあったのだ。


 千鳥足のように見えながら、その一歩一歩が計算し尽くされているような不気味さがあった。


 正一の連撃が、紙一重で当たらない。


 口から吹き出した霧が、正一の全身を捉える。

 至近距離で喰らっただけに、ダメージは大きい。


「正一ちゃん!」


 大技の直後の隙をついて、正一の近くに駆け寄る権。


「なぁ、戦いってのは酔いと同じさ。一歩間違えりゃ死ぬが、それがたまらねぇ。お前らも、死のきわの甘露を味わってみな!」


 そんなデュオニュソスの言葉を無視して、権は正一の容態を確認する。

 正一は、全身が焼けただれていた。


「大…丈夫、まだ動ける」


「無理すんなって、ここからは俺が、どうにかする。」


 正一のダメージは甚大だが、デュオニュソスに己の拳が届く間合いには近付けた。

 デュオニュソスが酒瓶を掲げて高笑いを上げた。


「さぁ、宴はまだ終わらねぇ!」


 権は崩れ落ちた正一を背後に庇いながら、拳を構え直した。


「まだだ……俺たちは、終わらない!」


 雷光が再び、空間を裂いた。


 震える拳を握り締めながら、権の頭の中には恐怖と怒りが渦巻いていた。

『やるしかねぇ……今ここで、俺がやらなきゃ誰がやる!』


 心の中で叫び、決死の覚悟で立ち上がる。

(続く)






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