第6話 雷人里襲撃編 終幕
博士は、「あの日」の事を思い出していた。
自分が遺伝子工学の研究施設から帰宅した直後、無惨に焼き殺されていた妻子の姿を。
あの時の肉の焦げた匂いを今も、覚えている。
警察署に駆け込んだ時の、心臓の鼓動も、走り慣れていなくて震える足も、忘れられない。
「貴方の妻子は落雷による感電死と処理されます」
と警官から言われた時の絶望感を。
その警官の感情を押し殺したような冷たい目も、今でもずっと夢に見る。
だからそれを克服するため、「雷人」の存在を特定した。
恐怖を、妻子の無念を晴らす為、狂ったふりをして笑いながら、遺伝子工学技術を悪用した生物兵器を産み出した。
2体の戦闘鎧による挟み撃ち。
深明に拳の軌道を捻じ曲げられ、相打ちの形で動かなくなった。
木の上からの落下攻撃、足を掬われて頭から落ちて動かなくなる。
堪らず博士は、次の攻撃の指示を出す。
一方の山中深明は、自身を打ち倒した人間の武道家__
かつて一度も負けた事の無かった、自身の鼻っ柱を圧し折った相手。
彼と戦ったのは、自身が血気盛んだった為。
目の前の博士のように、人間を憎み嫌っていた為。
彼に負けたのは、彼の格闘技術が今の自分より遥かな高みにあったから。
雷人の腕力も超高速移動も、放電すらも通じなかった為。
かつて深明を倒した時、黒鉄鉄貴は言った。
「私は、貴方達雷人の力も速さも、ましてや雷も恐れない」
彼は、倒れた深明に手を差し伸べる余裕すらあった。
「本当の強さは、人の身体に刻まれた技の極みにある──」
その言葉は、人間と分かり合えないと思っていた深明の救いとなった。
だから、目の前の憎悪に塗れた博士とも、対話によって分かり合えると信じていた。
かつて人間を憎んでいた自分が、「彼」によってたしなめられたように。
その拳に、命を奪う重みを感じながら。
戦闘の為に作られた彼らには、それが希望なのだと信じて。
戦闘鎧を五体纏めて、一度の正拳突きで叩く。
伝播した衝撃が、戦闘鎧を襲い倒れる。
別の戦闘鎧が正拳突きで伸びた深明の腕を掴む。
戦闘鎧に比べれば細い、握りつぶされそうなその腕で、力の流れをずらして、合気道のように投げ倒してしまう。
時に相手の攻撃を利用し、装甲があれば「正しい殴り方」で衝撃を通す。
深明の強さを支えるのは、かつて自身を倒した武道家から学んだ格闘技術だ。
「全滅……じゃと」
目の前の光景が信じられず、博士は呆然とする。
自身が丹念に研究しつくし、対雷人として鍛え上げた兵器であったもの。
それが、一体残らず動かなくなった。
目の前の雷人による、高速移動も超筋力も、放電すらも無い、ただの格闘技術だけで。
「小林君、一帯の
助手の小林が、笛を鳴らす。
その間高い音に反応するものは、何も無い。
「無駄です」
深明は静かに言い放ち、周囲の惨状に視線を向ける。燃え盛る炎と煙の中に、倒れた戦闘鎧の残骸が散らばっていた。破壊の跡は激しく、それらがすべて無力化されたことを物語っている。
「ご自慢の兵器は既に全滅していました」
深明の声には微塵の動揺もなく、事実を告げるだけの冷静さが宿っていた。博士の表情が歪むのを目の端で捉えながら、彼はさらに言葉を続ける。
「私が相手取った」
深明は目の前の戦闘鎧を一瞥する。そこにはかろうじて立っている最後の一体がいるだけだった。その姿は他の仲間の崩壊を目の当たりにし、不安定に揺れているかのようだった。
「ここだけを除いてね」
彼は最後の一体に向けて歩み寄る。まるでその存在すら意味をなさないと言わんばかりの冷たい眼差しで、深明の周囲に静寂が広がっていった。
深明のユックリとした正拳突きが、戦闘鎧を捉えた。
「貴様、何をした!この短時間で全滅するなど考え難い!!」
博士は、信じられそうもない敵の言葉を否定しなかった。
無意識にだろうが、博士は
「貴方は偽の情報を掴まされていました」
深明は相手の表情を見据えながら、淡々と言葉を紡ぐ。
その声には確信が込められており、相手を追い詰めるような冷静さが漂っていた。
博士の眉が一瞬動き、わずかな動揺が伺える。
「私の里の雷人達は、里を出た後周囲に待機していました」
深明の視線は、炎の向こうに隠れる影を指し示すように鋭く動く。
周囲の森には、今にも動き出しそうな気配が潜んでいた。
博士がその言葉の意味を理解し始めたのか、顔が次第に引きつっていく。
「貴方を誘き寄せ、一網打尽にする為に」
深明は一歩前に進み、言葉に合わせるように手をゆっくりと掲げる。
その瞬間、周囲の木々から一斉に現れる雷人達の姿が、博士を包囲する形となった。
博士の背筋に冷たい汗が流れ落ちる中、深明の冷徹な声が森全体に響き渡った。
「類人猿如きが、人間様を知恵で嵌めようなどと!!」
博士の罵倒の語彙が少なくなっていく。
怒りに頭が沸騰し、余裕を失っているのだ。
今や自慢の遺伝子工学技術も、今の状況では何の役にも立たない。
罵倒だけが、博士の精神を繋ぎ止める唯一の方法だった。
「例えワシが倒れようと、お前たちは必ず科学技術の前に凌駕される!」
深明はそれを肯定する。
「貴方達の科学が、私達を追い抜く日はいつか来るでしょう」
深明の声は静かだったが、その中に秘められた威圧感が博士の胸を押さえつけるようだった。博士は額に汗を浮かべながら、深明の言葉の意味を測ろうとするように視線を彷徨わせた。
「しかし、それは今ではない」
深明は周囲を見渡しながら、淡々と言葉を続ける。燃え上がる炎の明かりが彼の顔を照らし、その表情に揺るぎない信念が映し出されている。博士はその落ち着きに対抗するかのように拳を握りしめた。
「それに、人間と雷人の差はあなたにとって、それほど重要ですか?」
深明はわずかに首を傾げながら、博士をまっすぐ見つめた。その問いかけには皮肉も憐れみも混じっておらず、ただ純粋に真実を突きつけるような響きがあった。博士はその視線に押されるように一歩後ずさり、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
博士は、勝ち誇ったように叫ぶ
「当たり前じゃ!お前達はホモ・サピエンスと遺伝子に5%もの有意な差が見られる、ただ見た目が似ているだけの類人猿!駆逐されて然るべき害獣じゃ!!」
「貴方は学問的な事実を盾に、差別と民族浄化を正当化しているだけだ」
深明の声は冷たく響いたが、どこか哀しみを含んでいた。博士はその言葉に一瞬表情を曇らせるも、すぐに苛立ちを露わにして言い返そうとした。
「私達が共存不可能な生物なら、どちらかが既に滅んでいるよ」
深明は一歩前に進みながら言葉を続ける。
その足元には散らばった瓦礫や焦げ跡が広がり、炎の光が影を作り出していた。
その静かな瞳が博士を射抜くように見つめ、理論では覆せない現実を突きつけているようだった。
深明の言葉は、しかし博士に響いた様子はない
「黙れ!言葉を話すだけの猿が!」
「口をつぐむべきはどちらだろうか?貴方は、行き過ぎた報復行為を止められない、理性を捨てた復讐の獣に見えるよ。」
復讐というワードに、ピタリと止まる博士
「そうだ、妻と息子を残虐に殺したのはお前達雷人だ!ワシには正当な復讐の権利がある!!」
再び博士の脳内に思い出される「あの日」の光景。
サトシを殺して尚、拭い去れない痛みがある。
その事実に、復讐という初志によって、知性的な思考が戻って来る。
深明は、かつて自分を倒した「彼」_
「その復讐すべき相手は『雷人』という集合体ではなく、妻と子を殺した本人でしょう。」
「合理的に考えればそうじゃろう。だが!合理で人の感情を抑えられるものか!」
悲痛な声で叫ぶ怨寺博士。
それに対して、かつて自身を倒した彼__黒鉄鉄貴師匠を理想とする深明は、説得を諦めない。
「その復讐心を雷人という対象に拡大したのは、本当に貴方の意思ですか?それに、その対象者をすでに貴方は殺し終えている、よってもはや貴方の行いは報復行為の範疇を超えている」
深明の言葉を聞いて、違和感を覚えた博士。
目に理性の光が戻って来る。
「何故、お前がその事を知っている?まさか、パトロンの中に裏切り者がおったのか!それで、襲撃日もワシの復讐相手のことも筒抜けだったという訳じゃな!!」
深明は、博士の言葉を否定しない。
無言で肯定しつつ、話を進めていく。
「日本政府は、雷人の排除を少なくとも現段階では求めていない」
深明は静かに語りながら、周囲の様子を一瞥する。破壊された木々の間から、月明かりが差し込んでいた。その穏やかな光景とは対照的に、彼の言葉には冷酷な事実が込められていた。
「数少ない、核持たぬ国の『抑止力』だから」
彼は一歩前に出て、博士の動きを牽制するかのように目を細めた。その表情は一切の感情を見せず、まるで任務を遂行する兵士のようだった。
「貴方達不穏分子を炙り出し一掃するのが、私の役目でした」
深明は低い声で言い放つと、腕を組みながら博士を見据えた。その言葉の裏にある計画の全貌が明らかになり、博士は動揺を隠しきれないようだった。
嵌められた事に気付いた博士は、この場にいない誰かに向けて絶叫する。
「儂らは、日本の、世界の為に雷人廃滅を誓ったのに!儂らはどうすれば良かったんじゃ!!」
それに対する深明の言葉は、端的でしかし明確な解答だった
「あなた個人の復讐を終えた時点で、止まれば良かったんですよ」
冷ややかな、しかし精一杯の憐れみをもって告げられた一言だった。
「あなた個人の復讐を、雷人全体に拡大するのは、過剰な報復行為に過ぎない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます