物部三鶴

黒犬

第1話不屈のあの人

 『汝……貴様に人間としての生命を授けよう――』

 無音の世界の中で聞こえたのはそんな大仰な台詞だった。

 『安心せよ。生命とはじゃ……運命を切り開き、前を進み、闇を照らす力……貴様ら魂が、欲してやまないもの』

 老人が右の掌を開くと、その中から真っ白い光を発する玉の様なものが現れた。

 『何よりも、強い力じゃ』

 どうしてだろうか、この光、どこかで――。

 『今度は間違えるなよ。童子よ……お前はこの世界でやり直すのだ』


 ふと見るとその光の玉が自分の中に入り込んできた。

 とても、暖かい。

 どこかで感じたことのある感覚。

 過去に誰かから、貰ったような。


 『命は篝火。貴様が息絶えるまで燃え続ける炎。』

 胸の中で何かが燃える。

 燃えて、燃えて、輝く。

 『この炎の光だけは見失うな、決して。』

 老人は僕の背中を押した。

 吹き抜ける風を一身に受けながら、背中越しに『光あらんことを』とだけ聞こえて、俺の意識はそこで途絶えた。

 

 ※

 午後7時、もう誰もいない学校の図書室に青年が一人いた。

 真面目な風で文庫本を広げている。

 戸が開く音。

 「……まだいたのか」

 嘆息と共に、ガラガラと扉を開けて彼の友人は教室の中に入る。

 「……今度は何を読んでいるんだ?」

 見ると、見るからにぼろぼろになっている小説だった。

 「『人間失格』」

 「……そういう暗い作品が好きなのか?」

 「……暗いだけならこんな陰気なもの読まねえよ」

 パタリと本を閉じて、彼は呟いた。

 「どんな文才がある人間が書いたものであろうと、自分が共感出来なければただの紙屑に過ぎねえだろ」

 「お前はその本のどこに共感したんだ?」

 「馬鹿なとこ」

 「?」

 「自分が経験した訳じゃないんだけどな? 俺、どっかでこの本の主人公みたいな、『生きる意味が無いだの小難しい事ばっか考えて、ひたすら周りの他人にばっか迷惑かけてた』阿呆を見た気がすんだよ」

 「何だ? それ」

 「……すまん。言ってみただけ」

 「アホか。ってかはよ帰るぞ」

 「ん」

 「それとさ、」

 「あ?」

 「……お前父親しかいないんだろ? なんかあっても抱え込むなよ」

 ピタリと足が止まる。

 「辛いなら話なら聞くからよ……あんま抱え込むなよ?」

 「……」

 軽く奥歯を噛みしめ、沸き上がった感情を抑え込んだ。

 「ああ、そうするよ」

 

 彼の、物部もののべ三鶴みつるの目は、死んではいなかった。

 

 ☆☆

 今から一か月前。俺はベッドの上にいた。

 何やら随分と長い夢を見ていたような気がするが、そこは紛れもない現実だった。

 鏡で自分の顔を見た時に、見慣れたはずではあったのだが不思議と「もっと怪物みたいな見かけじゃなかったか」と考えが浮かんできたのを覚えている。

 何もかもに違和感があった。

 街を歩くと、建物に、人に、車に、何もかもが違うような気がした。

 医者にこのことを話したが、「眠っていたんだ。無理もない。多少の意識の混濁はじきに治るさ」だ、そうだ。


 この違和感は、意識の混濁とやらで合っているのだろうか?

 俺は、何か、今見えている景色とは別のものを知っている気がするのだけれど。

 

 それに。

 眠りに落ちる前、俺は確か、大きな喧嘩をしていた記憶がある。

 それなのに、

 喧嘩をしたはずのクラスメイトも、俺が振り回していたバットも、全て無かったことにされていた。

 いや、正確に言えば、俺がリンチを受けた集団は、いた。

 だが、誰一人俺のことを覚えていないのだ。

 加えて、誰も怪我の一つもしていない。

 退学になったはずだ、と見まいに来た教師に言ったが、

 「夢から覚めろ」と笑いながら言われた。

 初めからそんなことなかった、と言わんばかりに。

 なら、俺はどうして眠っていたんだ……?

 疑問ばかりが残る。

 

 ぐー、と音がした。

 「腹減った……」

 ポケットに手を突っ込むと、千円札が一枚入っていた。

 どうせ父さんは今日は帰ってこないし……。

 ファーストフード店にでも行ってくるか。

 

 ☆☆★

 某有名ハンバーガーチェーン店に来た。

 何でもいいから食べたい。

 だが、夏だから? 家族が多く店内で一人でハンバーガーを齧る勇気は俺にはなかった。どうぞ笑えばいい。一人が嫌になったんだ。何となくな。

 お持ち帰りで、ハンバーガー二つを買った。

 その帰り道だった。

 

 「あああああああ!!!!!」

 何だ……? と思って声のする方を向く。声は裏路地で聞こえた。

 周りにも人はいたが、誰も向かおうとしない。

 

 声の方に歩く、と。

 「やめてやめてやめてぇ!!」

 高い声だったので強姦か? と思ったが、よく見ると男だった。

 その男が殴られていた。

 複数人から。

 痛そうだった。

 近づいていった。

 「おい」

 ピタリと止まる。複数人のガラの悪そうな男がこちらを一斉に向いた。

 「何?」

 「何してんの」

 すると、ぞろぞろとこちらに近づいてくる。

 その一人に胸倉を掴まれた。

 「失せろ」

 「……」

 逃げようかとも考えたが、そこで怯えている彼が誰か知っている奴に似ていた気がしたから、そのまま居座ることにした。

 脳裏に声が響く。

 『間違えるな』と。

 俺がこの場で色々やれば、あの時と同じようになるのだろうか。

 何を、どう選択すれば正しい選択だというのか。

 自分が傷つくだけで済むのか。

 学校を退学になるだけで済むのか。

 申し合わせたように、右隣には古いパイプの、ゴミだろうか、が置かれていた。

 

 こいつらを殺せば、正しい?

 何が正しい?

 

 月の光の下で、三鶴は思った。

 俺はどうしたい?

 

 笑われている。

  

 強さとは何だろうか。

 強さとは――



 口角を上げた。

 俺は馬鹿か。

 考えろ。この状況は馬鹿な状況だ。

 まともに張り合うな。


 「何笑ってんだ」

 「おもしれーからよ!」

 「!?」

 胸倉を掴んでいる相手の手首を軸にその男の体勢を崩した。

 持っていたハンバーガーを手で掴んで、うち二人に投げつけた。

 勿体ない。


 絶対に、繰り返さない。

 俺は、俺だから。あいつもあいつなんだから。

 あれ、あいつって誰だっけ――?

 

 悪意に悪意で立ち向かうな。

 「正義でもなけりゃ、悪意でもねえ!! 俺たちは!!」

 俺たち? 俺は何を言っている?

 

 正しさなんて今の頭の中に存在してない。

 向かってくる相手にパイプを以て飛びかかる、をして、

 体勢を思い切り低くしてその股を軽く殴って、殴られていた奴の近くにまで滑り込んだ。

 今ここに居ない誰か。大切だったはずの誰か!!

 その人に恥ずかしくない生き様を!

 道を照らす、篝火たれ。

 「え?!」

 「捕まれ」

 そいつを脇に抱えて、 

 「世界中が闇に見えてもなあ!! 消えたくなるほど真っ暗闇に見えてもなあ!!」

 パイプを肩に乗せ、大仰に、大声で叫ぶ。

 「忘れるな!! 光の中を進まなきゃ意味がねえんだ! 間違った事やっちゃ意味なんかねえんだ!! なあ聞こえてるか外の奴ら!!!!」


 見ると、路地の入口に人が集まっていた。

 「篝火を目指して、自分自身が篝火となれ!! これが俺のモットーだッ!!!」

 

 「誰だ!? うるせえぞ夜中に!」

 近場にいた人が何人も寄ってきた。

 

 

 「付き合ってられるか……!!」

 路地からリンチをしていた連中がぞろぞろとここを出ていきだした。


 「あの……」

 「あ?」

 「どうして‥‥‥」

 

 パイプを放り捨てて、言った。

 「何となく」

 困惑しているそいつに向かって三鶴は、


 ニカ、とどこかで見たような、大切な存在が浮かべていた笑顔を浮かべた。

 「ケハハハハ!」

 そう笑って、三鶴は、

 月に照らされた道を、自分の意志で、歩いて行った。

 集まってきた人に見られながら、気まずそうにこちらを横目で見るその人たちは無視しながら、歩く。


 『成長したね』

  

 バッ、と振り向いた。

 だが、誰もいなかった。

   

 また笑って、

 「もっと強くなるよ、俺」

 そうここに居ない誰かに向けて、呟いた。



<後日談fin>

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