第二十三話 プラントと武装集団
キベルジア・ケミカルの農薬工場は、ボシュツカ鉱山からボシュツカ川沿いに30km下ったところにある。周辺は原野と林が広がり、更に10kmほど離れたところに小さな町がある。敷地内には一から五までのプラントがあり、全て農薬関連だ。この工場は連続運転を行なっており、深夜も日曜も稼働している。
作戦の決行は、工場の職員が最も少ない日曜日に決まった。第一陣としてピョートルに同行するのはヤコフと他二名の部下。出来るだけ目立たないよう、極限まで人数を抑えている。
7月4日日曜日、四人は夜明け前から現地に張り込んでいた。
「ヤコフ、アサルトライフルは邪魔では?」
四人の中で唯一自動小銃AK-47を背中に担いでいるヤコフに問いかける。他の三人は普通の拳銃の他、ポケットに入る大きさの武器弾薬だけを持ってきている。
「これぶっ放すと気持ち良いんだよ」
「プラント内では火器厳禁ですよ」
こぞって好戦的なアンダーボス達を思い、ピョートルはため息をついた。
「アンダーボスが二名も現場に出るというのは、あまり褒められたことではありませんねぇ……」
「あんたに言われたくないよ。兄さんからアジトに居ろって言われた癖に」
「私は立場が違いますから」
成熟した闇組織なら、幹部以上は直接犯罪に関わらず、指示を出すことに徹する。そうすれば逮捕されることもなく、現場で殺されるリスクも少ない。頭脳を失うことは組織への損害が大きく、危機管理を考えて幹部は直接手を出さないのが鉄則だ。
—どうして若者は危険な場所へわざわざ出かけるのでしょうねぇ……。
行き先短いピョートル自身は構わない。このヤコフといいノアといい、いつかは現場に行かず部下に任せることもアンダーボスの立派な役目だと気付いてくれるといいが、とピョートルは願った。
一行は日の出の直前に行動を開始した。
施設は広々としており、侵入を阻む物は周辺に張り巡らされた二メートルの塀だけだ。正面と裏に出入り口があるが、日曜日の今日は、裏口のみ警備員がいる。
周辺の塀には笑顔の従業員の写真が貼られ、塀を縁取るように芝生と花壇が植えられている。家族デーの交流や小学生の見学ツアーの模様などが張り出されていることから、日常的に部外者を受け入れているのだろう。
つまり工場の雰囲気は明るく開放的で、一見ここに何かを隠そうと言う思惑は感じられない。農薬を作る化学工場が似つかわしくない強固なセキュリティに守られていれば、むしろすぐに疑っただろう。
しかしセミノヴィチの証言の後、キベルジア・ケミカルに疑いの目を向けてよく調べると、確かに隠された何かがあった。
四人とも黒ずくめの服装に目出し帽を被り、片耳には無線で連絡を取れるようイヤホンを挿した。
あらかじめ防犯カメラがないことを確認した一角から塀を越えて敷地へ侵入し、真っ先に中央制御室がある建物へ向かう。建物の配置や部屋の場所は、事前にキベルジア・ケミカル社のプライベート社内ネットワークから入手した配置図で頭に入れている。もっとも、より重要な機密事項は更に別のセキュリティがかかっていたので取得を断念した。
四人は慎重に中を窺いながら速やかに制御室へ突入した。日曜の当直は多くても二人と見積もっていたが、予想した通り中には二人いた。
「だ、誰だ……?」
職員は入ってきた黒覆面の男達を見て、あまりに不意の出来事に唖然とするばかりだった。
部下が銃を突きつけながら手前にいた一人を締め上げる。もう一人の職員が逃げ道を探そうと辺りを見回すが、唯一の出入口はファミリー達が塞いでいる。あっという間に別の部下がもう一人の職員を拘束した。
ピョートルは落ち着いて注射針を取り出し、睡眠薬を注射した。職員に危害を加えるつもりはないから、眠ってもらうのが安全確実だ。
制御室では工場のシステム全てを管理している。壁中にモニターとスイッチが並んでいて、プラントの稼働や停止もここで管理できるし、至るところに設置されたカメラもここで監視できる。カメラの回線は入れたまま、録画のみをオフにした。
目指すは第三プラント。カメラで確認した限り、人の姿はない。
サイバーチームの部下一人を制御室に残し、残る三人は施設内から防護服を調達して着用した。頭から足までをすっぽり覆う。顔部分には防毒マスクも付いている。これで毒物から体を保護できるだけでなく顔も隠れるので、覆面は不要になった。
着替えた三人は第三プラントへ向かう。
コバレンコが担当した裁判記録を見てノアが指摘した、第三プラントへの違和感。それを受けてピョートル以下のチームはドローンの空撮で、第三プラント周辺を探った。
そして、そこに図面に描かれていない地下施設があることを発見したのだ。図上では空白になっている部分だが、実際には排気口など何らかの施設の痕跡があった。
プラントの眺めは壮観だ。灰色の構造物群が、まだ薄暗い中で怪しい光沢と共に浮かび上がる。連続運転中のため、轟々という稼働音が響き渡り煙突からは煙が立ち上がっている。人気のなさも相まって、異世界に来たかのようだ。
大きな貯蔵タンクがいくつも並ぶ横を通り過ぎる。タンクから繋がる無数の配管が地上を這い、配管の途中には熱交換器がある。その並びの中には、
第三プラントもおおよそ同じような風景で、他のプラントと変わったところはなく、侵入を阻むような物もない。タンクは見たところ、グリコールや三塩化リンなどの一般的な化学合成材料—かつ、ノビチョクの材料でもある。
「さて、一見普通の工場だけど、どっからAXを見つけようかね」
ヤコフが辺りを見渡しながら言った。
「まずは例の地下へ行きましょう。……アリ、施設のセキュリティは解除できましたか?」
ピョートルは無線で制御室に残っている部下に話しかけた。
『はい。一時的にプラントの全ての建物のセキュリティを解除してあります』
侵入の準備は整った。三人は北東の地下施設周辺へ移動した。
一帶は広々とした芝生だ。その横には下へ窪んだ側溝のような溝があり、重々しい金属の扉がついていた。
「ほう、まるで地下の軍需工場ですねぇ。戦時中の名残でしょうか。時代を感じますね」
扉には「危険、立ち入り禁止」の札がかかっている。扉周辺の草は伸び放題で、放棄された廃工場のような雰囲気を醸し出している。今は使用されていないから図面にも載っていない、ということなのだろう—表向きは。
ヤコフが扉の上部に取り付けられた監視カメラを発見し、カメラに向かって手を振る。
「アリ、俺達が見えてる?」
『はい、見えております』
「使われていないはずの施設をわざわざ監視してるのか」
扉には鍵がかかっており、隙間もない。
「下がって」
ヤコフはそう促し、少し離れたところから扉に向かってサプレッサー付きの拳銃を発砲した。
上手く鍵が壊れて開いたので、三人で中に入る。
構内は真っ暗なトンネルが続き、さながら戦時中の塹壕だ。電気は通っていて、入り口近くのスイッチで灯りをつけた。少し進むとまた金属扉があり、ヤコフが同じ要領で破壊した。
中に入ると、そこは小さな工場だった。入り口やトンネル内の腐食に比べると明らかに作られた年代が新しく、決して使われていない廃プラントなどではない。今は稼働していないようだが、よく手入れされ、頻繁に使用している形跡がある。
天井は高く、ちょっとしたホールくらいの広さで、その中にタンクや反応器が並ぶ。表にあったプラントのミニチュア版といったところだ。
「ここは、パイロットプラントでしょうね」
実際のプラントを設計・建設する前に、小規模のミニチュア版プラントを作って性能をテストするための物、それがパイロットプラントだ。
「何らかの新製品のプラントを作ろうとしていたようですね。……ほう、ジエチルアミンとアセトニトリルを反応させている」
ピョートルはタンクを眺めながら言った。
「それはノビチョクの前駆体の作り方だよな?」
「ええ」
その場にいるメンバーは一様に心の中で確信を持ったが、証拠を得ていない以上言葉には出さなかった。
パイロットプラントの奥には別の部屋があり、実験室になっていた。室内にはパソコンが置かれている。壁際には薬物保管庫があり、中には液体の入った瓶がいくつも並んでいた。番号が振られているが、中身の液体が何かは書かれていない。
ピョートルとヤコフが薬品、部下がパソコンを、手分けして調べる。慎重に液体の容器を一つ一つ取り出し、スポイトでセミノヴィチが作った検知紙に垂らした。
「気を付けてくださいね、ヤコフ。AXなら死にますよ」
「分かってるよ」
僅か1mgでも体に付着すれば死に至る可能性がある。死を免れたとしても重篤な後遺症が残り兼ねない。防護服の上からでも油断はできず、緊張が走る。
「あっ、赤くなった!」
ヤコフが小さく叫んだ。
「これが前駆体ですね」
セミノヴィチによれば、ノビチョク本体は青色に、前駆体は赤色に変色するよう作っている。ピョートルはスポイトで中身の一部を持参した小瓶に移し、ハードケースにしまった。
前駆体は毒性が弱く持ち歩いても危険は少ないが、決して油断はしない。
棚の液体を全て検査したが、反応したのはその一つのみだった。本体はここにはないようだ。
「これで確定的です。間違いなくここがAXのパイロットプラントでしょう」
「やったな!」
ヤコフは勝ち誇った表情だ。
「アントン、パソコンのロック解除はできましたか?」
「はい、たった今パスワードを解析してログインしたところです」
アントンは専用のプログラムを使ってパスワードをハッキングしていた。その画面を、ヤコフとピョートルは後ろから覗き込む。予想した通り、パソコンはインターネットには接続されていなかった。
侵入してから先は、目的のものはあっさりと見つかった。パイロットプラントでの合成記録、ボシュツカ盆地での試験結果、実験レポートなどが全て、ファイルに保存されている。
「この化学式からして、ノビチョクの仲間—AXで間違いなさそうです」
「やっぱ黒幕はキベルジア・ケミカルだったか……ん、でもキベルジア・ケミカルは俺らにみかじめを納めてるにも関わらずソコロフスカヤと組んでたってことか。俺らに相談もなく……?」
ヤコフが疑問を呟く。キベルジア共和国で一定以上の利益を上げている会社は、ルーベンノファミリーにみかじめを納め、代わりに揉め事の解決や用心棒を依頼する。コバレンコをはじめ、セミノヴィチやメルニチュクの暗殺依頼はファミリーでも良かったはずだ。
ヤコフの疑問はもっともだが、その辺りの動機はアジトへ戻ってからゆっくり検証できる。
ピョートルはパソコンの中のデータをハードディスクにコピーした。
「さて、目的の物は手に入れました。第二陣に連絡して私達は撤収しましょう」
ピョートルは携帯電話をかけ、第二陣のリーダー、ディーマに準備が整ったことを伝えた。
その時、天井を見上げていた部下がおもむろに呟いた。
「これ、監視カメラですよね?」
彼が指差す先は火災報知器だ。白い円形の装置の中に、1cmほどの黒い穴が開いている。脚立を持ってきて近づいて確認すると、彼の言う通りカメラのレンズだった。巧妙な隠しカメラだ。
「アリ、そちらから私達は見えますか?」
中央制御室にいる部下に尋ねる。
「いえ、制御室からそちらに繋がっているカメラはありません」
「ふむ」
ピョートルはカメラを睨む。制御室から監視できない監視カメラ—それは別の何処かに繋がっていることを意味している。
「万が一我々が監視されていたとすれば、警備員が来る。急ぎましょう」
「ま、警備員くらい軽くぶっ倒せるし」
ヤコフはいつも通り楽観的だ。
この地下工場に侵入してから既に三十分ほど経過している。ピョートルが得体の知れない不気味さを感じていたその時、無線の向こうから切迫したアリの声が聞こえた。
『しまった、武装した男達が廃工場の入り口に向かってる! すぐに離れてください! 人数は……あ!』
「アリ?」
そこで通話は途切れ、激しい自動小銃の乱射音がイヤホンから響き渡った。制御室が何者かに襲われたようだ。実験室は一気に緊迫に包まれ、三人は即座に各々の得物を出して臨戦態勢に移った。
一行は元来た道を戻ろうと、実験室からパイロットプラントへ移動した。パイロットプラントの金属扉の向こうはトンネルに続いている。
しかし遅かった。こちらが扉にたどり着く前に金属扉が開き、銃弾の雨が降り注いだ。AK-47を構えた黒覆面の男達が、確認できただけでも五人はいる。後ろにもっと控えているかも知れない。
一番先頭にいたアントンは、何発もの銃弾を体に浴びながらも果敢にピストルで応戦した。しかし、殺傷力の極めて高いAK-47の銃弾を受け、数秒後には体の動きが止まり床に倒れた。
「おいおい、なんで武装集団がいるんだよ」
ヤコフが呟く。襲撃者達の風貌はどう見ても警備員ではない。ルーベンノファミリーと同じく、無法者の組織だ。
—ふむ、警備担当はマフィアですか。
逃げ場のない空間で、二人対多人数。状況は非常に悪い。
ファミリー側の二人は実験室まで後退して身を伏せていた。ヤコフは身を屈め、プラントと実験室を繋ぐ扉の間から持参したAK-47を連射する。アリが教えてくれたおかげで、各々銃の発射準備をして反撃できたのが幸いだ。弾幕を張って彼らの接近を防げば、ひとまず時間稼ぎができる。
ヤコフの銃弾に手前の三人が倒れた。残りの武装集団はトンネルまで下がって身を隠した。
「ディーマ、こちらは急襲に遭ってかなり悪い状況です。ソコロフスカヤらしき連中が少なくとも五人以上。こことは別に制御室も襲われたようです」
手短に状況を説明する。
「急いでください」
『最速で向かいます! あと十分、どうか耐えてください!』
計画通りなら、第二陣は四名。ヘリでこちらへ向かっている彼らが到着するまで十分。ならば下手に外へ出て銃弾の的になるより、頑丈なこの地下工場に留まった方が安全かも知れない。応援が到着すれば、トンネルから背後を取ってここにいる連中を挟み撃ちにできる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます