第十四話 銅鉱山の襲撃
「この地域の土と水は汚染されているかも知れないんです。あなた方の体に悪影響が及ぶかもしれない! あなた方のためなんです!」
中央でそう叫ぶのは、長い髭の科学者、セミノヴィチだった。その横には環境監視局局長メルニチュクもいる。後ろには若い助手二人が、不安そうにその様子を見守っている。
「あたし達から仕事を奪おうったってそうは行かないよ!」
「ここに住むあなたとあなたの家族が、病に侵されてもいいんですか?」
説得しようと食い下がらないセミノヴィチと、断固として拒否する住民が睨み合う。
「彼ら住民はね、汚染を告発されれば鉱山が閉鎖されると思ってるんだ」
車の中でヤコフが呟いた。
ヤコフは車から降りると悠々とセミノヴィチの前へ歩み出て、よそ者に話しかける。
「やあどちら様? 見たところうちの従業員じゃなさそうだけど」
「僕はアセスラボ社のセミノヴィチ。君は?」
「ここのオーナーのヴォズニセンスキーだ」
「そうか、オーナーの……。オーナーの君に無断でここに来たことはお詫びする。しかし、どうか住民の健康診断をさせて欲しいのです。あなた方に負担は一切かけない。少しの血液を採取したいだけです」
セミノヴィチはヤコフがオーナーだと名乗り出ても—その上そのオーナーが、風貌からして闇の人間であることが明らかでも、怯まなかった。丸い無垢な瞳でヤコフに詰め寄る。
そこへ住民からの野次が飛んだ。
「ふざけんな! ここの仕事が無くなったら誰が保証してくれるんだ!」
「ここが閉鎖されればあたし達は生きていけないんだよ!」
ヤコフは両手を広げ、ほらね、と余裕の笑みでセミノヴィチを見る。
「彼らの言う通り。もしここの仕事が無くなったら、あんた達が生活を保証してくれるのかい? 住む場所を提供してくれるのかい? おいどうなんだ、メルニチュク環境監視局長」
突然名前を呼ばれ、メルニチュクは驚いた様子でヤコフを見上げた。なぜ私の名前を知っているの、と顔に浮かんでいる。
「答えなよ、上級官僚のマダム・メルニチュク」
「それは……万が一そのようなことがあれば、生活保護を担当する部門と交渉します」
「ほらみろ、あんたら役人の約束ほど信用できないものはないけど、その約束すらできないじゃないか」
ヤコフの後ろにいる住民から一斉に賛同の声が上がる。
「聞いたかい? あんた達は正義の味方のつもりかも知れないけど、仮に鉱山の仕事がなくなれば、健康以前に明日食えなくなって死ぬ奴がいるんだよ。彼らがそれを心配してるってこと、理解するんだな」
セミノヴィチは険しい顔で頷いた。他のスタッフも悔しそうな表情を浮かべる。
ヤコフは変わらず軽い調子で、手で彼らを追い払うジェスチャーをした。
「住民の健康管理は俺達が責任持って見るので、ご心配なく。水銀、カドミウム、硫酸—あんたらがレポートに書いてた鉱毒の因子は漏れなく測定してるし、問題がないよう対処してるんでね。お帰りください。町まで送ってあげますよ」
「いや、実はそれだけではなく……」
「博士!」
何かを言いかけたセミノヴィチを慌ててメルニチュクが制した。レポートに書かれていた事柄の他に問題があると言いたいように聞こえたのが、引っかかる。
「ああうむ。そうだな、今日は試料も採取したことだし、引き上げるとしよう」
ようやく諦めたセミノヴィチが背を向ける。ファミリーの姿を見て怯えていた若いスタッフは、ホッと胸を撫で下ろしていた。
「ノイ君、彼らを見送りに行くから車回して。あっとその前に、喉乾いたなー。水持ってきて。ほら早く……ぁひっ!」
ヤコフが妙な悲鳴を上げて飛び上がる。群衆から死角になる位置で、ノアが高速で彼の尻をつねったのだ。
—演技じゃん、演技!
—調子に乗るな。
睨み合って目で会話する。二人の間には見えない火花が散っていた。
空は真っ赤に染まり、地平線に夕日が沈んでいく。車はボシュツカ盆地から町へ続く一本道をひたすら走る。
先頭にセミノヴィチ一行、後続にファミリーの一行がいる。見送りと言うが、町に辿り着くまで延々と後ろに付いて走るのはただ単に圧力を与えているだけで、完全に脅しだ。
セミノヴィチはファミリーの姿を見ても中々食い下がらなかった。町中で観察していた時から、彼の頑固な姿勢が垣間見える。何が彼をそうさせるのだろうか。彼と環境監視局長は本当にAX開発に関わっているのか、それともAXに一切関係はなく彼の言っている健康被害は事実で、純粋な正義感からそうしているのか。
後部座席で思案を巡らせていると、突然運転手の小さい舌打ちと共に、急ブレーキで車が減速した。
フロントガラス越しに薄暗くなった道路の先を見ると、セミノヴィチの車も停止している。その目前にはバリケードのような物があり、道の脇にはライトの点灯していない、スモークガラスのワゴン車が停止している。セミノヴィチの車はバリケードで塞がれた道を見て停止したようだ。
「事故か? こんなところで?」
妙だな、と思ったのはヤコフだけでなく、ノアもだった。スモークガラスの車に違和感を覚えたノアは、反射的にズボンのベルト内側に取り付けた銃のホルスターに手を伸ばしていた。
ファミリーの車が車間一台分開けて、セミノヴィチ達の後ろへ停車した丁度その時、道の右脇に止められたワゴン車から、二人の武装した男が飛び出してきた。二人とも目出し帽を被り、手に拳銃を持っている。一人は前方に停車しているセミノヴィチの車へ銃口を向け、もう一人はファミリーの車へ銃口を向けた。
乾いた弾ける音が五発、大地に鳴り響く。
銃口を向けられた瞬間、男が発砲するより先に、右の窓際に座っていたヤコフが弾を放ったのだ。男は胸に銃弾を受けたことで背中から血飛沫を散らし、体を震わせて倒れた。
「車をそっちへ向けろ! 誰だか知らないが全員地獄行きだ!」
ヤコフは動く車の中からノアと揃いのMP-446で、もう一人の武装男へ向かって連続で発砲した。助手席の部下も負けじと発砲する。
前方のセミノヴィチの車はすでにもう一人の男に撃たれたようだが、被害の程度は分からない。
すると、傍に止まっていたワゴン車から別の目出し帽の男が顔を出し、何かを叫んでいる。
「撃つな! ルーベンノのヤポンチクだ! 退けー!」
彼はヤコフのあだ名の一つを叫んだ。それを聞いて立っていた男は、ワゴン車の方へ引き返す。
「おや? 俺のこと知ってるみたいだね」
ヤコフは窓から拳銃を構えたまま、一旦撃つのを止めた。
ワゴン車は右の脇道から左の反対車線へ出て、ルーベンノファミリーの車と並行する位置に車を移動させた。
今度は左側に座っていたノアと運転手がワゴン車に銃口を向けるが、相手は武器を構えずに何かを叫んでいるので、発砲はせずに様子を窺った。
「申し訳ない! 俺達が狙ったのは手前の車だ。あんたらルーベンノがいるとは知らなかった!」
「おいおい、この車はアンダーボスが乗ってるんだぞ! 謝っても済まねえぞ! この世界の掟分かってんだろうな!」
ファミリー側の運転手が怒号を飛ばす。
「待て、待て! 話し合おう」
何者か分からないその襲撃者は、それなりに話が分かるようだ。武装解除した空の両手を上に掲げた。
「よし、降りな」
ヤコフはワゴン車の男にそう言うと、自身も車を降りた。拳銃はホルスターに戻していた。
相手方は三人だったが、一人はすでに撃たれているので二人。ファミリー側は四人だ。
「お前ら、誰?」
「ソコロフスカヤ・ブラトヴァのもんだ。本当にあんたらを狙ったんじゃない、信じてくれ」
「信じる信じない以前に俺に得物を向けてきたよね。……お前ら皆殺しにした上で戦争だぞ! 分かってんのか? ああ!?」
女を口説く時は甘い顔をしているヤコフだが、凄んだ形相は鬼のようだ。
「こっちは一人死んでる。あんたらは被害なしだ! これで相殺だ! 戦争になったら困るのはお宅らも同じだろ?」
彼らの言うことは事実だ。組織同士の関係は絶妙な均衡の上に成り立っている。均衡が崩れれば、血で血を争う抗争が起きる。どの組織も全面抗争は避けたい。そのために”生贄”を差し出して片をつけることもある。
アンダーボスクラスを攻撃すれば即戦争だが、幸いファミリーに被害は無く、態度からして狙いがファミリーではないのも嘘ではなさそうだ。ノアはヤコフに目配せし、ヤコフは頷いた。
「おう、目障りだからとっとと消えな」
ヤコフはそう促し、相手の主張を受け入れたことを示した。
「一ついいか。この間アセスラボ社を襲撃したのはお前らだよな?」
ノアは尋ねた。ソコロフスカヤの男はギクリとして躊躇った。
「ああ。つーことはあんたらはセミノヴィチを守ってんのか」
「逆だ。俺達はあいつを追ってる。お前ら、なぜ奴を狙ってる?」
「……それは言えねえな」
ソコロフスカヤは目を逸らす。
—それも当然か。
「言った通り俺達はセミノヴィチを守ってるわけじゃないから、お前らと利益相反はしない。お互いに邪魔は無しだ」
「ああ」
両者は互いの車に戻り、その場を離れた。
セミノヴィチ達は二つの組織が睨み合ってる間に、とうの昔にバリケードを突っ切って逃げていたので、もはや影も形もない。結果的にセミノヴィチ達を守った形になってしまった。ただ、今セミノヴィチを殺されると真相を聞くことができなくなって困るのも確かだ。
アジトへ到着したのは深夜だった。ピョートルはいなかったが、電話で襲撃に遭ったこと、襲撃したのがソコロフスカヤだったことなど、今日起こった一部始終を伝えた。
「ソコロフスカヤ・ブラトヴァが奴らを狙う理由までは分からなかった。俺達と同じく、アセスラボに不利な調査結果を出された企業がバックにいる可能性が一番高いが。……あるいは、あいつらもAXを追ってるのかもな」
『そうですか。それは貴重な情報です』
ここまでの情報を掴めればピョートルが動ける。ソコロフスカヤが何らかの形で関わっていることが分かったので、彼らの動向の調査に注力すればいい。
「それからな、俺はアセスラボ社がAXに関わっているとはどうしても思えない。ここ数日セミノヴィチを観察した印象だが、どこかBECの社長と同じ匂いがする。BECなら化学兵器なんかに手は出さない」
『思い込みは捨ててください、若頭。バイアスは真実を隠します。今、アセスラボ社への侵入とセミノヴィチの確保の準備を進めています。そこで真実は明らかになるはずです』
彼の言う通りだ。ノアは電話を置いた。ピョートル率いる諜報チームは今、アセスラボ社への侵入の段取りを整えている。そこで彼らのパソコンのデータから紙の資料まで総洗いすれば、彼らが何をしているのかが分かる。今結論を焦らなくていい。
椅子に背に体重を預けてため息をつく。深夜の執務室には自分一人。物音一つなく、オレンジ色の薄暗い明かりだけが灯る。
バイアスを持って考えてはいけないことは分かっていたが、セミノヴィチの65歳という年齢からは考えられない真っ直ぐで無垢な瞳を見ると、BEC社のCEOを思い起こさずにはいられなかった。
セミノヴィチもやはりBECグループの一員だからだろうか、似ている。信念に忠実で、無垢だからこそ恐れを知らない目だ。
長い一日を終え、もう寝ようと執務室の明かりを消して部屋を出る。長い廊下を歩きながら、何気なく携帯に目を落とした。そしてカルメンから着信が来ていたことを思い出す。夜に何度か着信があったのだが、今日の襲撃の一件やセミノヴィチのことで頭が一杯で、とても気が回らなかった。
やっと電話を折り返す。
呼び出し音が鳴り響くが、一向に応答はない。一度切ろうかと思った時、ようやく電話に出る声がした。
「……もしもし?」
『……あらあ、今頃あたしに何か用?』
カルメンのクスクス笑いが聞こえる。
「何か用って、お前が何度も電話してきてたろ」
『もう貴方には関係ないわ』
カルメンの様子がおかしい。酒でも飲んでいるのか、妙に明るく高揚しているように感じる。
「意味が分からないな。……切るぞ」
『約束、忘れちゃったのね。ほんっとダメな男』
—約束? 約束……。
その言葉に、何かを思い出そうとする。そしてハッとそれに気付くと、一気に汗が引いた。
「誕生日……?」
『稀に見るひどい人ね。約束を破ってレストランに恋人を放置するなんて』
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