第十三話 闇組織の襲撃

 アセスラボ社の本社は、町の郊外に建つ平屋の小さな建物だ。周辺の風景はいかにも郊外特有のもので、大きな国道沿いに平屋の建物が点在し、広めの駐車場を備えている。道路沿いには街路樹が植えられ、建物の間は植木なのか天然なのか分からない雑木林で遮られている。本社の中には小さなラボが備わっているそうだ。

 道路を挟んで反対側にあるスーパーマーケットの駐車場から本社を観察していると、路上で一台の車が徐行し始め、丁度アセスラボ社の正面で止まったのが見えた。窓ガラスはスモークが貼られ、車内は見えない。誰かを待っているのか、降車することなくアイドリングしている。

 しがない調査会社の社員にしては悪ぶった車だな、と思っていた次の瞬間、パンパンパン、と乾いた音が開けた路上に鳴り響いた。


 —銃声!


 拳銃の音が三発。とっさに身を低くし、ズボンの内側のホルスターに手をかける。音が鳴り止むと同時に、あの車がエンジン音を轟かせながら勢いよく走り去った。

 片手で腰のMP-446の安全装置を外し、いつでも抜けるよう手をかけながら周囲を見渡す。アセスラボ社の玄関扉のガラスに先ほどまでは無かった蜘蛛の巣状のヒビが入り、その中央には弾孔と思しきものが空いていた。発砲した場所はこちらと反対側で死角になっていたが、間違いない、弾孔の位置からして発砲元はあの車だ。


 —同業者か。


 あれは誰かの殺傷目的というよりも、威嚇のための発砲だ。「我々はここにいる、逆らえばいつでもお前達の命を自由にできる」というメッセージだ。その威嚇が何を指してのものかは分からないが、忠告を無視し続ければ報復—暗殺を含む—もあり得る。ノアもかつて同じことをBEC社にするよう命じたことがある。 


「どこの奴だと思う?」

 同乗していたディーマに尋ねる。

「……見覚えがありません」


 見覚えがないのはノアも同じだった。この町もルーベンノファミリーの影響範囲内だが、間違いなくファミリーの傘下の者ではない。ルーベンノファミリーの統率力は、アジャリ・マフィアの中でも群を抜いている自信がある。勝手な行動はしないはずだ。

 名前が知れ渡っているアジャリ・マフィアか、地方の小さなギャングの誰かだろう。いくつか思い当たる組織の名前はある。


 そうしている間に、アセスラボ社の警備員らしき男が、恐る恐る内扉を開けて顔を覗かせた。危険が去ったかどうか、周囲を確認しているのだ。


「警察が来るな。行こう」

「はい」

 車を発進させ、その場を立ち去った。


 昨日見たガリーナという女の素性をピョートルに調べさせていたが、そちらはすぐに正体が判明した。ガリーナ・メルニチュク。環境省が管轄する連邦自然利用監督庁の傘下、環境監視局の局長だ。端的に言えばアジャルクシャン政府の上級官僚である。彼女らの仕事は、国内の自然環境の監視、保護など。その中には環境アセスメントも含まれ、その外注先として度々アセスラボ社に発注をしている。

 環境調査会社であるアセスラボ社と環境監視局の相性が良くても、別段驚くことはない。しかし、ボシュツカ銅鉱山の調査に環境監視局も関わっているらしいことは引っ掛かる。レストランの会話に出てきた彼らの”隠し事”がAXのことだとすれば、AXには環境監視局も関わっていることになる。


 アセスラボ社を襲撃した車の犯人は分からずじまいだった。ただ、彼らを狙う組織があるとなると、セミノヴィチが言っていた怪しい男達がうろついているというのはルーベンノファミリーではなく、彼らのことだったのかも知れない。


 —随分と役者が増えたな。


 BEC社とアセスラボ社に加えて、環境監視局、そして彼らを威嚇するどこかの闇組織の存在が浮かび上がった。彼らが皆AXと関係していて一つの線で繋がるのか、それとも一つ一つが別の事象なのかは、紐解いてみないことには分からない。




 一度アジトに戻ったノアは、ヤコフにも環境監視局の存在を伝えた。彼らが調査を行おうとしているボシュツカ銅鉱山はヤコフの管轄だからだ。


「そうか。てっきりアセスラボ社が単独でやってる調査だと思ってたけど、政府も関わってたとはね。連中が強気なわけだよ」

「この女、どう思う?」

「メルニチュクか。熟女だけどまあ美人だね。俺は全然イケるよ」

 ヤコフがキラキラと真っ直ぐな眼差しでノアを見る。

「それは聞いてない」

 ノアは呆れて眉を潜める。彼の緊張感のなさは相変わらずだ。


「つまり、目的は何だと思う? 本当に鉱山周辺の環境に問題が起きているなら、それはそれでお前が対処しろよ」

「あー、分かってるよ。ボシュツカ川が鉱山廃水のせいで酸性化してるってのは事実かも知れない。現場の奴はちゃんと廃水処理してるって言うんだけど、疑わしいところがあってね。近々現場の視察に行くつもり。えっと、調査団が来るのは次の木曜だっけ?」

「ああ」

「俺もその日に行ってみるよ」

「俺もお前の部下に紛れて付いていく」

 ノアは言った。

「良いよ。俺は木曜日に堂々と現場訪問に行く。兄さんは付き人としてこっそり来て調査団を監視すればいい」


 ノアとヤコフのボシュツカ鉱山訪問が決まった。

 それにしても、新たに加わった第三勢力が引っ掛かる。何処かの闇組織と思われる連中がアセスラボ社を襲う理由が、AX絡みなのか、そうでないのか。

 BEC社に敵意を持っている組織ならルーベンノファミリーを筆頭に五万とあるが、少人数のアセスラボ社となると心当たりがない。彼らが行っている環境調査で不利な結果を提示された企業が、どこかの組織に依頼して攻撃させた可能性もある。

 数日経っても先日の銃撃事件が記事に載ることはなく、BEC社もアセスラボ社も沈黙を保ったままだった。




 その週の木曜日、組織の公用車でボシュツカ銅鉱山へ向かう。この日は晴天だった。

 キベルジア共和国のボシュツカ盆地は、遮るものの何もない平地が延々と地平線の果てまで続く。茶色の大地に走る、ひたすら真っ直ぐな道路が眠気を誘う。数時間走ってようやくボシュツカ銅鉱山が見えてきた。

 削られて土が露出した、広大な裸の山が広がる。その中央に採掘施設やプラント設備がぽつぽつと点在していた。


 ファミリーの構成員達が事務所へ入ると、鉱山の管理責任者が出迎えた。

「ヤコフさん、遠いところまでご苦労様です」

 ストライプの入った派手なスーツに、金のアクセサリーを重ね付けしたヤコフが前に出て責任者と挨拶を交わす。ノアは黒の地味なスーツにサングラス姿で、ヤコフの部下の最後尾に立ってやり取りを窺っていた。


「例の会社から妨害は受けてない?」

「一応、連中も鉱山の敷地には入ってきませんので」

 ヤコフは責任者とアセスラボ社の話をして、彼らが今日調査に来るかも知れないことを伝えた。

「敷地に入ってこない以上は無視しといて。奴らはこっちで対処する」

「了解しました。ただ、もしかすると従業員宿舎の方へ行くかも知れません。以前もそっちへ行っていたみたいなので」

「そっか。俺達も後で行こう」


 ヤコフが部下に向かってそう言い、ノアも含めた部下達は頷いた。

「ああノイ君、俺のカバン持ってきて」

 他の部下がいながらなぜ自分に、と思いながら、ノアは言われた通り彼にカバンを差し出す。

「中の書類はここへ置いて。あ、これも持っといて」


 —こいつ! 俺が部下の振りしてるのをいい事にこき使うの楽しんでるな!


 気付いたところで、ファミリーの関係者以外の前では正体を明かせない。渋々黙って従った。

 責任者へ向き直ったヤコフは、やや重いトーンで別の話題を切り出した。


「ところで所長。アセスラボ社から送られてきた、この環境評価レポート見た?」

「あ、はい」

「君達が作ったレポートとは随分結果に差があったね? 奴らのレポートでは、基準値以上の水銀と硫酸が検出されてる。君たちのレポートでは基準値以下だ」


 ヤコフはネットに公開されていたレポートだけでなく、詳細なレポートをアセスラボ社から直接入手していたらしかった。


「調査なら我々が定期的に行っています。アセスラボ社の方は、PRのための売名行為でしょう」

「間違ってもあいつらを良く言いたくはないけど、あいつらに比べると君らのレポートは精細さに欠ける。試行回数も少ないし測定手法も曖昧だ。客観的に見てどっちが信頼できるかは明らかだよね?」


 ヤコフは相変わらず飄々とした調子で口元には笑みを浮かべているが、しかし眼光は強く責任者を見据えていた。


「は、はい、申し訳ありません! 今後は精細なレポートを作成します」

 所長の声には緊張と焦りの色が浮かぶ。


「あと、ちゃんと廃水に石灰の粉末を加えてればpHが低くなることはないはずだけど、まさか作業を怠ってるなんてことはないよね?」

「はい、まさかそんなことは……」


 所長の声は先細りし、汗が浮かぶのが見える。


「仮に廃棄物処理を怠って、そのために計上した予算をポケットに入れでもしてようものなら、今度ボシュツカ川に流れるのは君らの血だ」


 ヤコフは冷たい笑顔で冗談ぽく所長を指差す。所長は何か心当たりでもあるのだろう、すっかり縮んでいる。


「とはいえ、自然相手の仕事だ。思い通りに行かないことがあるのは重々承知している。難しいことがあるのなら、予算その他必要な協力はする」

「はい……!」


 —あいつも、ちゃんと見てるんだな。


 弟分の様子を見たノアは安心して、静かにその場を離れた。現場責任者の報告を鵜呑みにするのではなく、しっかりとデータを見て自分で判断を下している。ヤコフが鉱山の問題をそのまま放置するのではないかと不安に思っていたが、そうではないようで、真面目に組織幹部として仕事をしていた。無論、これとアセスラボ社を受け入れることとは別問題である。


 外へ出ると、露天の大地に眩しい日差しが照りつける。見渡しても360°茶色の景色だ。アセスラボ社の姿は今のところない。

 人気のない事務所の裏で缶コーヒーを飲んでいると、いつの間にかヤコフが隣へやって来た。ため息をつきながら彼も缶コーヒーを開ける。


「アセスラボ社の報告が鉱山の管理のずさんさに気付くきっかけになったのは確かだ。ま、喧嘩吹っかけて来たのは許さないし、感謝もしないけどね」

「お前もだいぶ、アンダーボスが板について来たな」

「はあ? 俺は最初から板についてるだろ」


 不満そうなヤコフと顔を見合わせてクスリと笑う。



 午後はボシュツカ鉱山を後にして、鉱山から車で5分のところにある従業員宿舎へ向かった。団地が並ぶ小さな村があり、従業員やその家族が暮らしている。村と言っても、何もない平地の真ん中に数棟の住宅、郵便局、小さな食料品店など、最低限の施設があるだけだ。

 車で村の入り口へ差し掛かると、入り口から間もないところで住民の言い争う声が聞こえた。付近にはワゴン車が止まっている。


「また来たのかい、出てってくれ!」

「生活を邪魔するな!」


 鉱山労働者とその家族と思しき人々が口々に怒りの声で叫んでいた。中には石を投げようとするものまでいる。その矛先にいるのは、四人の部外者だった。

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