第二話 ギャングとして生きる覚悟

 青い髪の少年、アザットは真剣な顔でノアを見つめる。従えていた他の少年達の姿はなく、一人だった。


「あんた、ファミリーの偉い人だろ? 聞いてくれねえかな。助けてほしいことがあるんだ」


 アザットの睨む眼差しは、鬼気迫るようでもあった。傘下のグループに問題が起きていれば、相談に乗るのも仕事のうちだろう。ここで会ったのも縁かもしれない。ノアは頷いた。


 アザットの行きつけだと言うバーへ入った。地下へ降りると、無機質な壁に、質素な椅子やテーブルが並ぶ。先ほどまで過ごしていたバーとは対照的に、若者客が中心のようだ。

 テーブルに着くと、彼は話し始めた。


「一昨日、同じグループのナレクがこの店で倒れた。そいつは俺のダチだ。……その日は俺らを敵対視してるアゼリー人—さっきの奴らも同じ店にいて、始めは絶対そいつらが薬盛ったんだと思ったんだよ。ま、後で店のカメラ見せてもらったら違ったんだけど」


 ノアは先ほどの少年達の会話に、誤解がどうのという話が聞こえたのを思い出した。


「それが喧嘩の原因か?」

「きっかけではあるけど、元々対立してたんだ。まあでも、問題はそこじゃないんだ。あいつ、あの日ウォッカ2杯しか飲んでないんだよ。普段は朝まで飲み続けてる奴なのに。なのに倒れて、今も目覚めない。おかしいだろ?」


 アザットはテーブルの上を拳で叩いた。要は彼の友人がこの店で酒を飲んでいる時に意識不明になり、今も目覚めないことについて誰かの陰謀だと言いたいらしい。飲んで倒れるなどよくある話に聞こえるが、アザットは真剣に悩んでいるようだった。


「医者はなんて?」

「アル中だろうって」

「麻薬の過剰摂取オーバードースの可能性は?」


 状況から思い浮かぶのはオーバードースだ。分量を間違えて昏睡したり、死亡したりといった例は乱用者に珍しくない。


「一応調べてもらったけど違った。それにあいつが打ってるの見たことねえし」

「ならアル中なんだろ」

「信じられねえ! 普段のあいつから考えて」


 彼は泣きそうな顔でノアを見る。


「それはお前の思い込みだ。その日の体調や飲み方でも急性アルコール中毒になるかどうかは変わる。カメラで誰か怪しい動きをしてたのか?」

「いいや。店に入ってから、怪しいやつは一人も近付いてなかった。でも店に来る前に誰かにやられたかもしれねえだろ!」

「店に入ってから倒れるまでの時間は?」

「一時間と少し」


 ノアは首を振った。

「根拠が薄いな。よく使われるベンゾジアセピン系の睡眠薬だとしても三十分以内には効果が出る。店に入ってから誰も近付いていないなら違うだろ」


 彼を納得させようと冷静に諭そうとする。彼はまだ若い。それゆえ感情が先走っている。—もっとも、ノアが彼くらいの年齢だったのもそう昔ではないのだが。

 アザットは懇願するように詰め寄った。


「誰かに攻撃されたにしろそうじゃないにしろ、絶対理由があるはずなんだよ! 警察は取り合ってくれねえ。困った時に助けてくれるのがファミリーじゃないのかよ? 警察なんかより頼りになるのがあんた達だろ!」


「アザット、現実を受け入れろ。お前は誰かに責任の所在を求めたいんだよ。それにな、どんな理由でギャングをやってるのか知らないが、この世界に入った奴は長生きできない。一日くらいは悲しんでもいいが、切り替えろ」


 淡々とノアは言う。裏社会で過ごすと、人の死がとても日常的になる。それを必要以上に引きずると、足枷になる。アザットは俯き、静かになってポツリと呟いた。


「あんたこそ、なんでギャングになったんだよ。役に立たない政府や警察の代わりに街を守ってくれるんじゃないのかよ。……俺は強くなって家族やダチを助けるためにギャングに入ったんだ」

「家族がいるのか」

「母ちゃんと兄貴と弟の四人暮らしだ。見ろよ、これが母ちゃんの顔だ」


 彼は少し穏やかな顔になって、おもむろに着ているシャツを捲り上げた。背中や胸に隙間なく刺青が彫られているが、そのうち左胸にある、長い髪の女性を指差した。生きているのにわざわざ母親の刺青を彫るとは大した家族愛だ、とノアは感心した。


「うちは貧乏だったけど、今は俺が稼いでるから皆幸せにやってるぜ」

「ギャングをやってる以上、いつかその家族も不幸にするかも知れないぞ。覚悟しておけ。今のうちに大切にしてやるんだな」


 それだけ言い残すと、アザットを残して店を後にした。

 貧困—それが、このアジャルクシャン連邦共和国で若者が裏社会に足を踏み入れる、主な理由だ。ノアの義理の弟もそうだ。

 アザットもよくいるその一人だが、家族と仲間を思う姿勢を窺えば、彼がグループのリーダーたる理由が納得できる気がした。


 —そんな立派な動機じゃなかったな、俺は。


 アジトへ帰る車の中で車窓をぼんやりと眺めながら、—あんたこそ、なんでギャングになったんだよ—その言葉を思い出す。

 ノアの生家は小国の貴族で、衣食住に困ったことはなかった。裏社会に生きる他の連中と比べればとても贅沢な話だ。恵まれた暮らしをしていても幸せとは限らないのだが、彼が裕福な暮らしを捨ててここに来た経緯は、仲間にはあまり理解されないだろう。



 やがて車が林を抜けると、広大で美しい庭園を備えた豪邸が姿を現した。

 この豪邸は組織のアジト兼自宅で、ノアの居場所だ。周囲を森に囲まれ、門から邸宅へと石畳が続く。プールやジムも備わっている。組織のボス以下、数人の側近がここで同居している。

 屋敷には家事や雑用を主に担う少女が一人いて、幹部達から可愛がられている。彼女はボスにとっては娘、ノアにとっては妹のような存在だ。食事は大抵彼女が作ってくれる。自分でも料理をすることがあるが、忙しいので最近は稀だ。



 その翌日のことだった。ノアは仕事中にふと、携帯にメッセージが来ていることに気が付いた。カルメンからだ。

『ノアさん、昨日はお知り合いになれて良かったわ。早速だけど、仕事の相談があるの。電話ちょうだい <3』

 すぐに折り返す。


『こんにちは。メッセージ見てくれたのね』

 電話の向こうから、カルメンの艶っぽく落ち着いた声が聞こえてきた。

「ああ」

『いきなりだけど、毒薬に興味ある? 売りたいって人がいてね』


 カルメンから突然、”毒薬”という物騒な話題が出て少し警戒する—といってもほとんどの仕事は物騒なものだが。

 毒薬と一口に言っても、様々な種類がある。シアン化物やヒ素などは入手しやすく、わざわざ裏で取引するまでもない。


「物と価格によるな」

『その人が言うには超強力な新型の毒薬らしいわ。少量を吹き付けるだけで致死量になるんですって。希望価格は1万5千アジャルクシャン・ルーブル』

「……吹き付ける? ガスか何かか?」


 その言葉の響きから、なんらかの毒ガスが浮かんだ。


『詳しいことは知らないの。知り合いの知り合いが持ってきた話で、今朝あたしのところに話が来たところ。丁度貴方と会ったばかりだから、貴方の顔が浮かんで。興味があるなら、彼に直接聞いてみて』

「そいつ、どこの所属だ?」

『ごめんなさい、それも分からないの。本人は何処の闇組織にも所属してないって言うんだけど』


 人に噴射するだけで死に至らしめる毒薬を1万5千ルーブルで売る者がいる。嘘か誠か。

 

 —いや、“騙り”だろうな。


 様々な疑念が巡り、表情が険しくなる。電話越しでカルメンには見えていないのが幸いだった。


『……もしもし? ノア?』

「ああ。興味あるよ。話を聞いてみる」


 その後、使い捨ての電話番号を売人に伝え、コンタクトを取った。希望価格で合意し、購入の意思を伝えた。


 電話越しに売人の男が語ったところによると、それは”液体”で、ほんの数滴を人にかけるだけで死に至らしめることができるという。もっともノアは、その”毒薬”が本物だとは信じていなかった。

 呼吸器や経口—たとえばガスを吸い込んだり、食べたりして直接体内に入れなくても毒として機能する物質はそう多くない。

 “常温で液体”、そして”経皮接触”という特徴を踏まえると、思い当たるのは有機リン系の神経剤—つまりサリンやVXだ。しかしこれは国連の化学兵器禁止条約で禁止されており、マフィアといえども迂闊に手を出したくない代物だ。アジャルクシャンも国連加盟国で、条約に批准している。同じ理由で核兵器にも手を出さない。必ず他国の諜報機関から目を付けられるからだ。

 それに本物なら、1万5千AZRアジャルクシャン・ルーブルでは安すぎる—一個人にとっては高額だとしても。神経剤ならたとえ少量の生産でも、その千倍のコストがかかるはずなのだ。


 つまり売人は99%嘘を付いているか、話を盛っている。嘘ならファミリーを欺いて金を騙し取るとどうなるか、思い知らせるまでだ。

 彼は新型の試作品と言っていた。ノアは1%、本物の可能性も考慮に入れた。万が一、本当にそのような新型の毒物なら、安易に裏で取引していい代物ではない。正体を突き止める必要があった。

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