第四話 露見した狂い
教室の中に入り不来方さんの元へ向かう。
心臓は嫌というほど高鳴り、呼吸が乱れ喉が渇いてくる。どくんどくんとこだます脈動が体中を支配する。
ドアを開けた際、そこそこ音が鳴り響いたと感じたが不来方さんはこちらに気づいていない様子で本を読み続けている。
緊張や恐れで覚束無い足取りになりながら本を読んでいる不来方さんに向かう。
そこでやっと気づいたのか、視線を本から私の方に移す。
どきんと体が震える。
嫌な汗が滲み出てくる。
今まで経験のしたことのない感覚が体中を支配していく。
不来方さんの視線が重なった。
その瞳はまるでこちらを、心の奥底までを見透かすように黒く、光を灯すことなく漆黒に包まれ、私に首輪をかけ逃れられなくする。
首を動かせば視線を外すことなど容易なのにそれができない。
まるで私の瞳に釘を打ち付け、固定するようにこちらを覗き込んでくる。
「あ、あの……。話って……」
不来方さんの瞳に吸い込まれていく感覚に陥りながらも乾いた喉に鞭を打ち、言葉を発する。
一言喋るだけでこんなに喉が乾き、体中がマグマのようにどろどろと熱くなっていく。
「そうでしたね。つい読書にのめり込んでいました」
その声音は淡々としていて、やはり感情が読み取れない。こちらはこんなにも体中がおかしくなるくらいに暴れているのに不来方さんは普段通りの状態でいる。
虫を踏み潰しているとき以外の感情が全く分からない。何を考えているのか。
何も分からない。
ふと、本をぱたりと閉じると私の瞳に視線を向けながら口を開く。
「約1ヶ月ぐらいでしょうか。
私の席の近くによく虫が落ちているのですが、何を考えてこのようなことを?」
口から出た言葉は淡々と抑揚のない声音だったがその内容が見えない剣となって私の胸に突き刺さる。
いつバレた?バレないように細心の注意を払って仕掛けてたはず。不来方さんがいない時を見計らってやっていたはずなのに。どう嘘をつこう。証拠なんてないはず。でも私と分かっているような言い方。なんで。
そんな内心の思考を追いやるように務めておどけた笑顔を作りながら嘘を返す。
「えっ?そんなのするわけないじゃんー。
なに言ってるの、不来方さん」
なんとか動揺を隠しながら言えた気がする……。……たぶん。
「そうですか?
谷崎さんがやったと思っていたのですが」
「ないってー。そんなことする理由もないしー」
いつも通りの表情で返せた。
よし…。誤魔化せたかな…?
そんな浅慮な思いはすぐに崩れ落ちる。
「この動画の人は谷崎さんだと思っていたのですが。思い違いですかね?」
「えっ……」
おもむろに携帯を取り出した不来方さんは慣れた手つきで画面を操作して私に携帯の画面を見せてくる。
画面の中では私と思われる人物が不来方さんの席の近くで辺りをキョロキョロと見渡したあと、そっと手のひらからなにかを落としている姿が動画として再生されている。
私と思われる人物もなにも、このような金髪でセミロングな髪型をしているのは私しかいない。
だがそんなことよりも、私が虫を仕掛けている場面を動画に収められていたことが驚きだった。いつ撮ったのかも分からない。ちゃんと周囲を確認して仕掛けたにも関わらず、こうしてしっかりと証拠として動画を撮られてしまった。
思考が止まってしまう。バレていた。しかも動画まで撮られていて。
犯罪が明るみにされ尋問されるような感覚に陥る。鼓動が触らなくても分かるぐらいに高く鳴り響き、乾いていた喉はさらに枯れ果て砂漠のように感じる。
口がうまく回らない。荒い息だけが口から吐き出される。
「違ったのならいいです。
先生にこの動画を見てもらいます。
少し先生に怒られてしまうでしょうが、こうしていじめとも取れる行為を撮った、ということなら先生も許してくださるでしょう」
抑揚のない声でスラスラ述べる不来方さんに私はまた思考が止まってしまった。
先生に見せる?いじめ?そんなことになったら……。
誰から見ても明らかに不審な動きをしているのは私だと気づくはず。
先生に見せられでもしたら、いじめとして判断され、内申に響く。なによりそんなことになったらクラス中からハブられてしまうかもしれない……。それに今まで心から仲良くしてくれた萌絵にも嫌われてしまうかもしれない……。
想像しただけで体が恐怖に震えてしまう。
思わず体をぎゅっと抱きしめる。
そんなことになってしまったら……。
学校に居場所が無くなるのももちろん、今生で一番の親友すら失ってしまうかもしれない……。
「それでは」
話すことはもう無くなったのか不来方さんはそう言うと身を翻して教室を出て行こうとする。
「ま、待って……!」
そんな不来方さんの手を取り、私は反射的に引き止めていた。
「なんでしょうか?もう話すことはないのですが」
やはりいつも通りの無表情で手を取りながら引き止める私のことを見つめる。
「あの……。それやったの、私、です……!
すみませんでした……。
だ、だから周りに言うのだけはっ!」
引き止めた勢いで頭を下げながら、そのまま謝罪を口にする。
言ってしまった。だがこうするしかなかった。虫を仕掛けていたのは事実で、周りには知らされてはいけない行為だったから。周りからしたらただのいじめでしかない。私がどう思っていようが……。
そんな私の内面を知ってか知らずか、相変わらずの抑揚の無い声で言葉を発する。
「やはり谷崎さんでしたか。
まぁ、今回は谷崎さんの謝罪に免じて先生に報告するのはやめておきます。
ですが、なぜこのようなことをしたのか。
理由だけ聞かせてください。
もちろん、本当のはことを」
先生に報告するのはやめてくれたようだ。
これで萌絵やクラスのみんなに嫌われてしまうことはない……。
それだけでほっと胸を撫で下ろしてしまったがまだ重要なことが残っている。
なかなか言い難いが……。
「それ、は……」
言葉がうまく出ない。
今までの行為を許してくれると言っているのだ。なにも戸惑うことはない。言ってしまえばいい。
しかし、本当のことを言わなければならない。これがちょっとした悪戯心などであればどんなに楽だったか。
だが実際は、不来方さんが虫を踏み潰している姿、その時に見せる笑顔を見たかったから。
こんなことなかなか言える訳ない。
先程のように嘘をつけばいいと思うかもしれない。だけど不来方さんはこちらの心の奥底を見透かしている感覚がどうも拭えない。
それに証拠動画まであるのにも関わらず、先生に見せないと言ってくれたのだ。
嘘なんて付けるはずがない……。
いくら心の中でそう決めても、羞恥心などで言葉が出ない……。
「言わないのでしたら先程の話はなかったことにします」
いつまでもうだうだと言い出さない私に呆れたのか教室を出ようと歩き出す。
「言います……!言いますからっ!待ってっ……!」
「はあ、なら早く言ってください。
私は家に帰りたいのですから」
必死に引き止めると不来方さんにしては珍しくため息を吐きながら立ち止まる。
ここで言わなければ……。
これが最後と覚悟を決めておずおずとか細くではあるが必死に言葉を吐き出す。
「あの……。今まで虫を不来方さんの席の近くに、落としていた……のは……。こ、不来方さんが虫を踏み潰すのが見たくて……私がまるで虫になって……不来方さんに踏み潰される感覚がしたから……。それに踏み潰してるときの不来方さん……笑顔……だった……。その笑顔も見たくて、その……とても綺麗だった、から……」
なんとか全てを言い切ったが最後の方は本当に消え入りそうな声になっていた。
それに絶対、羞恥心で顔が真っ赤になっていたと思う。そんな顔を見られたくなくて、俯きがちになってしまった。
………。
言葉が返ってこない……。
少し疑問に思っておずおずと顔を上げ不来方さんの顔を見る。
そこには今まで見たことがなかった不来方さんの口元を片手で覆いながら少し呆気に取られたような表情があった。
思わず初めて見た表情に、こちらが悪いと思いながらも見つめ返してしまった。
不来方さんもこんな表情するんだ……。
こんな表情でも綺麗……。
そんな私の視線に気づくと、軽く咳払いをして手をどけるとそこには虫を踏み潰している時に見せるあの笑顔があった。
見るものを魅了する笑顔。ただ美しいだけではない。その内に恐ろしい、仄暗い狂気を持つ笑顔。
その笑顔が足元ではなく、ましてや自分に見立てた虫ではなく、見下ろすように私自身に向いている。
その笑顔に私の体は悦楽に震えてしまった!
先程までの比ではない熱さが湧き上がってくる!何度も見た笑顔!それは自分に見立てた虫にしか見せなかった笑顔!それが今、自分に向いている!いつか自分に向けられたいと願っていた笑顔!
顔を茹で蛸のように真っ赤にさせながらその笑顔に魅入ってしまう。胸の鼓動はまるで太鼓のように大きな音を奏でる。
何分、何十分と永遠に続くような感覚に陥りながら暫し見つめてしまった。
その永遠に続くような感覚を遮ったのは不来方さんだった。
「ふふ、谷崎さんって面白い人ですね。
そのようなことを言う人、初めてです。
気に入りました」
微笑みながらそう言葉をかけ、私の頬を優しく指先で撫でる。
「あっ、え……その……」
突然の行動に驚きながらも頬を撫でる少し冷たい指先がこそばゆく、それでいて気持ちよくて。顔をだらしなく緩めてしまう。
「私のいい暇つぶしになりますし。
これからは谷崎さんの目の前で踏み潰してあげます。
虫を捕まえたら私のところに来てください。
放課後に2人きりで楽しみましょう?」
「ひゃい……」
これからは不来方さんの同意のもとで、間近で見れる。そんなお誘いを断れるはずもなく、今だ頬を撫で続けている指先に翻弄されながら、なんとも気の抜けただらしない声になってしまった。
「久しぶりに色々と楽しめそうです」
そうやって微笑みながら頬を撫で続けてくれる。それだけで胸が幸福に満たされていく。
―キーンコーンカーンコーン―
もう下校時間のようだ。
時の流れというものは残酷……。
不来方さんは指先を私の頬から離してしまった。途端に淋しさが溢れ出てきてしまう。
そんな私を見抜いているのか、不来方さんはくすりと微笑みながら人差し指を自分の唇にあてがうと、
「また明日、お話しましょうね」
と言ってくれる。
また明日も話せる、そう思うだけで心が満たされていく。
「ま、また明日……」
やっぱり言葉が詰まってしまう。
こんな自分が情けなくなってくる…。
「では、さようなら。」
そんな私を置いて不来方さんは教室を下校していく。
不来方さんのすがが見えなくなってから一気に息を吐く。
どっと疲れが押し寄せてくる。
それは、あんだけドキドキしっぱなしだったんだからそれもそうだ。
今日はなんかすごい一日だったな…。
まさかこんなことになるなんて思いもしなかった……。
今日、眠れるかな……。
そんな思いを抱きつつ、初夏の湿っぽさを感じながら下校した。
黒百合の咲く頃に せいこう @masa229638
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