第三話 拾われた狂いの欠片


 朝の登校。


 普段通り、家の前で私を待っている萌絵と合流して学校に向かう。


 特に変わったものもない登校風景。


 しかし私の中身は変わっていた。


 いつもなら萌絵の話に、適当に相槌を打ちつつ、元気いっぱいな萌絵の顔に視線を向け苦笑を返していた。


 だが私の視線は萌絵の顔ではなく足元に向かっている。


 不来方さんとはまた違った足。

 白いニーハイはふくらはぎの中程まで足を覆っている。ゴム部分が少しバレーにより引き締まったふくらはぎにくい込んでいた。

 そこから下に視線を向けていけば、白いニーハイに包まれた足がすらりと伸び、茶色のローファーへと繋がっている。


 不来方さんのような黒百合の如く呪いのようにこちらを引き寄せる妖艶で大人びた足とは違い、白百合の「純潔」を表すように周りを明るくするようなどこか稚気をおびた足。


 その白い足がリズムよく前後にはしゃぐように動いている。


 この狂いや不潔を知らないような足が小さくか弱い生物を踏み潰すのを見たらどうなるのか。穢れを知らぬ足が生物を踏み潰したらその「純潔」を失ってしまうのか。それともその穢れすらを「純潔」の輝きに変え、さらに美しくなるのか。


 様々な思考が私の中で浮かび上がる。


「どうしたの?俯いて。

 なにかあった、咲希。」


「えっ…!?な、なんでもないよ…!」


 萌絵の言葉に現実に戻される。

 慌てて顔を上げると、私の半歩前に出てこちらを心配そうに覗き込んでいる萌絵の顔が視線に写る。


 なんとか取り繕いながら言葉を並べると、今までの思考を振り払うように少し早めに歩みを進める。


「ふーん。まあいいけどー。

 それでそれでねー。」


「はいはい…。」


 どうにか私の視線の向かう先については誤魔化すことができたようだった。

 萌絵はいつもの明るい笑顔に戻しながら話を始める。その話に合わせて私も相槌を打つ。


 私の狂っきた中身を萌絵に、もちろん誰にも知られる訳にはいかない。


「もうちょっと気をつけないと……。」


 私のそんな呟きは夏が近づきつつある湿った空気のなかに静かに溶けていった。





 □□□□□□






 私の狂ってきた中身のせいで私の学校生活は少し平穏ではなくなった。


 休み時間はもちろん、授業中でさえも不来方さんや萌絵の方に視線は向いてしまうようになった。


 不来方さんの足、萌絵の足…


 視線は忙しなく動く。

 まるで思春期の男子のように。

 2人の姿、特に足に瞳を向けてしまう。


 そして家に帰るとすぐに自分の部屋に籠り、不来方さんの足や萌絵の足に、虫になってしまった私が踏み潰されてぐちゃぐちゃになる妄想をしながら自慰行為に耽ってしまう。


 自分がここまで性欲が強いとは思わなかった。そもそも、今まで性欲というものすら感じたことはなかったのに。


 まるで今まで感じたことがなかった性欲を発散し尽くさんと指が忙しなく動く。


 そうして何度かイクとぐったりとベッドに沈み込む。


 体の倦怠感に襲われながら湧き上がってくる感情は様々。


 後悔・快感・自己嫌悪・恐れ・諦観・罪悪感


 など……。


 だがすぐに欲望に塗りつぶされる。


 心の奥底から「また踏み潰すところを見たい」と囁くような声音で響き渡る。


 そして様々な感情や欲望を押さえつけながら普段通りの生活を続ける。


 いつまで続くか分からない狂ってきた日常に恐怖やある種の期待や快感に打ち震えながら……。






 □□□□□□





 それからしばらく…。


 初めて自分で虫を捕まえ、不来方さんに踏み潰させてから私は、虫を捕まえては不来方さんの席の近くに虫を落とし踏み潰されるのを見るようになった。


 不来方さんはいつものように、踏み潰すときだけに見せる笑顔を向けながら私が仕掛けた虫を上履きの靴底のシミにした。


 その姿を観察した日には、妄想以上に昂り、頭の中に鮮明に残っている情景を瞼の裏に映し出しながら激しく自慰行為に耽る。


 生命を冒涜するような許されざる行為に自己嫌悪を抱きつつも快楽を求めてしまう。


 まるで私は取り憑かれたように踏み潰す行為に、綺麗で蠱惑な足に魅入ってしまっていた。


 萌絵にも、何度か仕掛けたがどれも気づかれ、足で振り払われてしまう。

 萌絵はほとんど私といるため、なかなか仕掛ける機会が来ない。気づかれないように仕掛けるのは難しい。

 なんとか仕掛けても先述の通りだ。


 なので萌絵が踏み潰しているところは見れていない。そうなると余計に妄想に耽ってしまう。


 萌絵はどんな感情、表情で踏み潰すのか。

 嫌悪?無感情?嬉嬉として?そもそも気づかずに?いつもの表情で?


 様々な妄想が頭を埋め尽くす。


 しかしそれは所詮、妄想に過ぎない。

 どうなるかは見ないことには分からないから。


 そんな妄想を浮かべながらも罪悪感が生まれてくる……。


 いつも優しく明るく私に話しかけてくれる存在。私が体調の悪いときは人一倍心配してくれる存在。どんなときでも私にくっ付いてくる可愛い存在。


 萌絵には様々な場面で救われている。


 そんな萌絵を私は妄想で穢してしまっているのではないか。


 もしこの狂ってきた中身が知れてしまったら私から離れてしまうのではないか。


 軽蔑され会話すらしてくれないのではないか。


 様々な考えが浮かぶ。


「ほんと…酷いやつ……。」


 自嘲が思わず口から漏れてしまう。


 こんな自分が嫌になってくる。


 なぜこんなに狂ってきてしまったのか。

 なんでこんなことに性欲が湧いてしまうのか。

 生命を弄ぶ行為なのに。


 そう頭の中で呟いても私の狂ってきた中身は変わらない。

 根底では不来方さんや萌絵の表情、足、踏み潰す行為がこびり付き私を蝕む。



 今日も私は捕まえてきた虫を不来方さんの席の近くに落としている――。






 □□□□□□






 数日後。


 それからも私は虫を捕まえては不来方さんの席の近くに仕掛けていた。


 そんなある日の昼休み。

 いつものメンバーのグループで昼食のお弁当を食べていると、こちらに近づいてくる人物がいる。


 不来方さんだった。


 少し呆然としながら不来方さんに視線を向けていると私たちのグループの近くで止まった。


 視線が…合った……?


「谷崎さん。放課後、空いていますか?」


 …私に話しかけてきた。今まで自分から話したことのない不来方さんが…。なにか用事が…?なんだろ…。


 と呆気に取られていたところで返事を返していないことに気づき慌てて返す。


「だ、大丈夫…!なにか用?」


 なんとか務めて笑顔を浮かべながら言葉を返す。


「少しお話したいことがありますので。

 1階にある空き教室に来てください。それでは。」


 無表情で抑揚のない声で淡々と要件だけ伝えるとくるりと振り返り自分の席に不来方さんは戻ってしまった。

 それをただただ呆気に取られた表情で見つめるしかなかった。


「咲希ー、なにかしたのー?」


「委員長が自分から話しかけてきたの初めて見たよー!」


「やっぱり無表情だねーw」


 呆然として言葉を失っていたところに今まで黙っていたメンバーが口々に不来方さんについて語り始める。


「咲希?どうしたの?」


 萌絵が動けずにいた私の袖をクイクイ引きながら声をかけてくる。


 その声と振動にはっと顔を移すと、たまに見る心配顔でこちらを見ている萌絵に気づく。


「どうもしないよー!

 なんだろうねー!珍しー。」


 空元気を出しながらメンバーの子達に手をヒラヒラと振り、おどけて見せる。


 そんな私を見ると萌絵は浮かない顔をしながらも手を離してくれる。


 少し罪悪感が生まれたのでわしゃわしゃと萌絵の頭を撫でてやる。


「ちょっ!咲希ーー!!」


 頭を撫でてやると浮かない顔から一転、顔を真っ赤にしながらポコポコと私を叩いてくる。


「ごめんごめんっ!」


 萌絵に謝りながら微笑みかけ優しく撫でてやると「もー…。」と真っ赤な顔で不貞腐れながらも手を止めてそっぽを向いてしまった。


「悪かったよ、萌絵。」


「咲希のバカ……。」


 そっぽを向きながらボソッと呟く萌絵に苦笑しながらも先程のことを思い出す。


 なんで不来方さんが話しかけてきたんだろ…。もしかしてバレた?いや、ちゃんとバレないようにしたはず…。でも他に理由が?

 接点なんてないし…。それか出し忘れたプリントのこととか…?でもそれだったらこの教室でいいはず…。


 様々な考えが頭の中をぐるぐると渦巻く。


 だが答えはもう決まっているようなものではないか?


 絶対に仕掛けてた虫のこと…だよね……。


 なんて言われるのか。脅されてしまうのか。

 でも証拠は残っていないはず…。

 誤魔化してしまえば分からない……。


 心臓が早鐘の如く高鳴っていくのが分かる。

 呼吸も浅くなって息苦しくなっていく。

 額から汗が一雫垂れるのが感触で分かる。


 放課後までが苦しい……。



 □□□□





 その後のことはよく分からない。

 気がついたらもう授業も終わっていて約束の時間になっていた。これから1階の空き教室に行かないといけない。


 先程、萌絵が心配そうに声をかけてきたが笑顔を取り繕いながら部活に行くのを促した。

 最後まで心配そうだったがなんとか送り出した。


 萌絵を見送った後、帰宅の準備を済ませると高鳴る心臓と暑くなってきた体に鞭を打ちつつ1階にある空き教室に向かう。


 扉の前に立つと爆発しそうなぐらい心臓が鼓動する。何度か深呼吸をして呼吸を落ち着かせるとゆっくり扉を開けて中に入っていく。


 机などが撤去された教室の中、いつもの無表情で黒板に背中を預けながら本を読む不来方さんのもとへ……。


















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