ストーカー
携帯の目覚ましが鳴る。
あああああああ!!!
うるさいよ!
髪の毛をぐしゃぐしゃかき混ぜて怒鳴った。
ボサボサになった頭を抱えて座り込む。
静かに。静かにして。
もっと、寝かせてよ。
ここ数日眠れていない。
何度も、何度も、夢に現れてくる。
何か、されるわけでもない。
ただ、現れる。じっと立っているだけの『奴』は、ただ、現れて私の前にいるだけだ。ただいるだけなのに、すごく怖い。めちゃくちゃ怖い。怖くて怖くて目が覚める。なぜ怖いのか、わからない。でも、怖い。死にそうなくらい、怖い。
ふと。我にかえる。
「ああ。こんなことしてる場合じゃないや。
会社、行かなくちゃ。」
苛立ちを抑え、洗面所に向かう。
髪に、櫛が通らない。あんだけぐしゃぐしゃかき回して、ボサボサだもんね、仕方ない。髪の裾の方から、ほぐしていく。
いっそ、もっと短く切ってもらおうか、なんて思う。
ターバンをつけて、顔を洗う。
プッシュしたら泡が出る洗顔はめっちゃ楽だ。
化粧水と乳液をつけてパタパタ叩くようにほっぺに染み込ませていく。
だんだん、気持ちが落ち着いてくる。
いつもの、自分が知ってる日常は、心を穏やかに変えていく。
なんであんな夢を見るようになったんだろう。
なんで、こんなに怖いんだろう。
『奴』は・・・・・。
夢の中に出てくる『奴』は、4年前に一度付き合ったことがある元彼だ。元彼?と言っていいほど、付き合った期間はないのだけれど・・・・・。
たまたま、Twitter(今はX)で、フォローされて、知り合った、と思っていたが。
DMで、やりとりするようになって、同中の『奴』だということがわかった。
「懐かしいねぇ。」から、始まったやりとりに、私は、なんの疑問もなかったし、むしろ、偶然SNSで、再会!なんて、ちょっとドラマチックじゃね?とか、一人浮き足立ってた気がする。中学1年の時は、同じクラスだったこともあって、『奴』に警戒心なんて、これっぽっちもなかったし、それどころか、社会人1年目で、いろんなことに、緊張の連続だった自分にとっては、唯一のオアシスだった。
数ヶ月、DMだけのやり取りだったが、当時、私には、付き合ってる人もいなかったし、というより、同級生との恋愛って、全く皆無だったからか、どんな話題も、共通点だらけで、話が分かり合えるし、まして、同郷だから、という安心感の中で、心も。・・・体も。全部許せる感じがしていた。
だから、『奴』が、そのうち会おうと言った時も、二つ返事だった。
待ち合わせ場所を決めようと連絡があった日、
「俺、車だから、家まで迎えにいくよ」
と言われ、ちょっとだけ、(え?家、教えるのか。大丈夫かな。)と、これまで、抱いてきた安心感とか、信頼感とか、そういうのが吹っ飛んで、急に雨雲が立ち込めるような、不安が押し寄せた。これまでのやり取りで、私は全てを丸!この人なら、大丈夫!と感じてきたはずなのに。なんで、今更、この不安感?
すみこのラインメッセージが脳裏に浮かぶ。
「あ、私のマンション前って、結構狭い道なんだよね。だから、駅まで、迎えきてくれると、助かるなー。」
と、言ってしまった。
「狭くても大丈夫だよ。」
ウチまで来ると『奴』は、何度も言ったが、私はそれに応戦した。そして、私の勝利。根負けした『奴』は、うちの最寄駅から、3駅向こうの駅に来てくれることになった。
駅に着いて電車を降りると、改札口前で、『奴』は、待っていた。
「車、そこに停めてるから」
駅前の駐車場へ、行きながら、
「なんで、電車乗って来ないといけないここ(駅)を待ち合わせにしたの?」
と不思議そうに、『奴』は言った。この時、私は、改札口から出てくる私を見たから、こう言ったのだと思っていた。どう答えようかと思案しているうちに、すぐ車のところにたどり着いたので、私は、あえて何も言わなかった。
助手席に乗ると、すでにドリンクホルダーにカップが置いてある。
「あ、それ、コーヒー。さっき買ったとこだから、まだ、あったかいよ。」
すぐさま、私の視線がコーヒーに行ったのを察し『奴』は、言った。
「気が利くねっ!」
私は、笑った。
新車の香りがするその車で、まだ、助手席に誰も乗せたことがないと、真顔で言った。すごく嬉しいはずなのに、すごく楽しいはずなのに。
虫の知らせ?みたいなものが奥の方で危険信号を点滅させている。
なぜなのか、私自身わからない。わからないまま、車は走り始めた。
どのくらい走ったのだろう。
「着いたよ。」
と言う声が耳元でするまで、私は眠っていたようだった。
「え?」
一瞬私は、自分の目を疑った。
辺りが真っ暗だったのだ。
確か、待ち合わせは、午前10時。
「い、今、何時・・・・・。」
はっきりとした声が出せず、それは私の呟きなのか、質問なのか・・・・・
「俺の家で、休んでく?」
ぼんやりと、フロントガラスから見える街灯を見ていた私に、優しく聞いた。頭が働かない。思考できない。少し重だるい頭痛がする。そんなに体調悪かったっけ?
奥の方で点滅していた危険信号は明らかにはっきりと浮かび上がる。
1日一緒にいて、ずっと寝てたってこと、ある?????
これ、なんかめちゃくちゃ、やばくないですか。
渦巻く疑問符が起こった後は、私の脳みその中で、今朝の自分の行動が文字列となって整列し始めた。まるで、1日の予定の箇条書き状態!
①朝起きて、
②歯磨きして、
③顔洗って、
④化粧して、
⑤寝癖を治して。
⑥携帯をバッグに入れて、朝ごはんは、食べなくっていいやっ、と食べなかった。何しろ、寝坊しちゃって、そんな時間もなかったし。
⑦着ていく服は夜のうちに出しておいたからさっさと着替えて、飛び出した。
⑧電車に乗って、三駅目。改札出て、西口でよかったっけ?なんて思いながら外に出たら、そこには『奴』が立っていた。車に乗り込んで、あったかいコーヒーが、胃に沁みた。外は少し寒かったから、芯まであったまるようで、ほっこりした。
でも、どこかで、そう、私の危険信号は、小さく点滅していたのだ。
あの日から。
あの日。
久しぶりに、幼馴染のすみこから、ラインが来ていた。
「珍しいなぁ。滅多にラインなんてよこさないのに。」
開けてみると、
<「大丈夫?」>
<「元気にしてる?」>
<「変わりない?」>
立て続けに一文ずつ送ってきてる。
よほど慌てて送った感じ。いつも、スタンプから送ってくるすみこが、文字だけって、どうしちゃったのかしら。
<<「大丈夫だよ。どしたの?」>>
はてなマークのスタンプを返した。
すみこの心配。それは、『奴』のこと。
ストーカーって噂が飛び交ってるって。
そして、その噂の中に、私の名前も入ってて。
すみこが、心配になってラインくれた。
この日、『奴』から、待ち合わせを決めようと言ってきた日だった。
すみこの心配は、真実だった。
『奴』は、私のストーカーだった。
噂だと思いたかった。
そんなガセネタ、どっから来たの?なんて、笑い飛ばして返事したのに。
私の知らないところで、どんどん、私の情報を集め、どんどん私の情報は『奴』のコレクションボックスを満たして行った。そして、満たされた情報が箱から溢れそうになった頃合いを見て、『奴』は、行動に出た。
私のXをフォローしたのだ。
それはそれは、緻密にそして、地味に、繰り広げられていった。
まんまと、策に嵌められた私。
やばい、私。
絶体絶命のピンチ!
今、自分がいる場所がわからない。
(でも、大丈夫。携帯あるし!なんとかなる!)
一気に、逃亡体制に入る。心臓の鼓動がめっちゃ早い。
『奴』にも、聞こえてしまいそうなくらい、息も上がる。
でも、でも、このまま、一緒にいられない。
「じゃ、家、行かせてもらおうかな。」
めっちゃ上擦った声。微かに震えてる。
「よかった!じゃ、車降りて。すぐ近くだから」
上機嫌の『奴』は、車のエンジンを止めた。
震える手でシートベルトを外し、それと同時にドアを開け、私は駆け出した。
右も左も分からない。
だけど・・・・
とにかく、『奴』の視界から消えなくちゃ!
走った。とにかく走って走って。人生できっと一番速く一番長く走った。
走り始めてすぐ大きな複合施設が視界に入った。
あれって・・・?知っている・・・・・
とにかく、とにかく、逃げる!
走る走る!
交差点通り過ぎた時、何か、すごい大きな音がしたけど、
私は振り向かなかった。
私は止まらなかった。
とにかく走って走って。
目指した場所に来た時。
やっと、私は、後ろを見たけど、
そこに、『奴』の姿はなかった。
やった。振り切ったんだ。
助かった・・・・・。
安堵した私は、その場にしゃがみ込んだ。
『奴』が、車を停めていた場所は、複合施設を挟んで、うちの反対側になる場所だった。だから、すんなりと私は帰宅できた。
すぐさま、『奴』のすべての連絡先をブロックし、すぐさま、不動産を調べ、引っ越した。仕事も辞めた。
転職先は、なかなか見つからなかったけど、それでも、全てを知られているかもしれないと思ったら、恐ろしくて、同じ場所には居続けることができなかったからだ。
ブロックはしたものの、それでも、恐怖が拭いきれず携帯電話の番号とアドレスを変えた。Xも、もちろん、アカウント削除した。
何もかもが、新しくなり、『奴』の全てを私から抹消した。
それから、4年ほど。
全てが変わった私の、新しい生活は穏やかだった。
『奴』が夢に出てくるまでは。
憔悴しきった私のところに、久しぶりに、寿美子から連絡が来た。
私はすみこと会うことにした。
スタバでコーヒーを頼み店の一番奥のテーブルに腰掛けて、彼女がくるのを待っていた。カップを手にした時、『奴』のことが蘇ってきた。
確か、あの日飲んだコーヒーも、これと同じカップだった。あれには、何か、入っていたのだろうか。もし、あの時、『奴』と一緒にいたら、一緒にいることを拒まなかったら今頃どうなっていただろう。私が『奴』の噂などに、耳を傾けたりしなかったら、私は、『奴』を、ストーカーとし恐怖を抱かなかったかもしれない。
噂に惑わされ、何か得体の知れない『やつ』と、思ってしまったのは、なぜだったのか。あれだけ、『奴』と交わしたメッセージのやり取りや、長電話を楽しいものでしかなかったはずなのに。
私の手にあるカップの少し熱めのコーヒーは、喉の奥まで熱いまま私の中に注ぎ込まれていく。
ふと視線を上げると、ちょうどすみこが、店に入っていたところだった。
小さく手を振って、合図を送る。すみこは、ニコッと笑って、待ってね、というように、手で合図を送ってから、コーヒーを買い、足早に近づいてきた。
まだ、たっぷり残ったカップを両手で包むように持ったまま、
「そんなことがあったんだね。めっちゃ怖いやん。だけど・・・・・だけど、無事でよかったよ」
すみこは、フーッと息を吐き出し、カップに唇をつける。
私は、あの、4年前の出来事を、まるで、他人事のように、話していた。
すみこは、しばらく黙ったまま、コーヒーを啜っていたが、
「実はね。彼、この前、亡くなったんだよ。」
「えっ?」
「ずっとさ、事故で、意識戻らなくなって、寝たきりだったんだけど、あれ・・・いつって言ってたっけ・・・・・」
「・・・・・・・・・。」
「あ、確か、10月18日だったっけ・・・。満月の日だったと思うんだけど。」
「・・・そうなんだ・・・・。でも、誰に、聞いたの?」
やっとの思いで絞り出す。
「やえこちゃんだよ。小学校一緒だったやえちゃん。覚えてる?彼女さ、彼のお兄さんの友達と結婚してるから、旦那さんから、聞いたんじゃないかな。私、今ね、やえちゃんの子どもが通ってる保育園に勤めてるから、たまに、送り迎えとかで、会うんだよ。で、その時聞いたんだ。」
世間って狭いな。狭いのに、今まで『奴』が寝たきりって知らなかった。
事故って・・・・・・・それは、4年前のあの日。
私を追いかけようとして、車に轢かれて・・・・。そのまま、寝たきり。
2度と目を覚ますことはなかった。
そして。亡くなったというその日に『奴』は、夢に現れた。
眠ったままの4年目にして
私を見つけ出したのだろうか。
また、引越し、必要なのかな・・・・・・
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