ラストワード

「お父さんが 悪いんかなぁ。」

父は言った。ハンドルを握って前を向いたまま。

走行中の車内で発せられたその声はエンジン音と車窓から入ってくる風に打ち消されていた。ちゃんと私の耳には届いていたが。

父は、私にどう言って欲しかったのだろう。

何を期待していたのだろう。

いや、何かを期待していたのだろうか。


この言葉を聞いてから半年後、父は死んだ。


だから、私はこの質問に答えていないし、父がどう思いながら、私に聞いたのか、今や何もわからない。



父と母は、よく喧嘩をしていた。

お金のこと、親戚のこと、ご近所さんのこと、子供の教育のこと。

何でも、ちょっとしたことでも、喧嘩の種になるものは、そこいらにいくらでも転がっていた。

ちょっと手を伸ばせば拾える喧嘩の種は、どんな種でも、発芽し、あっという間に成長し花開く。そしてまた新しい実をつけ種となっていく。わたしがどんなに頑張ってその芽を引っこ抜こうとも、どんどん増えてく。喧嘩花。

雑草みたいやなぁ。


まだ、子供だった私には、両親の喧嘩を仲裁するとか、止めに入るとか、全くできなかった。そんなことをしようもんなら、そのとばっちりを全身に浴びるであろうことは容易に想像できたからだ。


喧嘩が始まったら、無言で、静かに、彼らの視界に入らないところへ身を委ねる。

そしてほとぼりが覚めるまで待つ。


時には、怒った母が家を出ていってしまうこともあった。


初めて母が実家に帰ったきり戻ってこなかったのは、小学6年の時だった。その後も年に1回くらい、喧嘩が元で、母は、私と弟を置いて、一人で実家に帰った。

その度に父は、自分の心が落ち着くまで、車に乗り込み、ひとっ走りさせてから、帰宅し、そして、私にこう言うのだ。

「お母さんに、帰ってくれるように、頼んでくれ。お前の言うことなら、聞いてくれるから。」

そんな父は、とても哀れで、娘の私は、とても情けない気持ちになった。

だから私は、こう言うのだ。

「お母さんは、私の迎えは待ってない。お父さんが一言謝ったら済むんだから。早くおばあちゃんちに迎えに行ってきて」


このくだり。一体何回経験したことか。

毎度毎度。

繰り返すたびに、私の中の両親を蔑む気持ちはどんどん大きくなっていった。


年々その頻度は増え、出て行く間隔が短くなった。最初は、不安からオロオロしていた私も、何度となく繰り返されるたびに、どうせ、帰ってくるだろう、と、母が出て行くことを家出パフォーマンスと思うようになっていた。

だって。

母は、帰ってくるのだから。

父が迎えに行ったら、その車で、一緒に‥‥。


高校3年になった私は、こんな家出て行きたい。と、そればかり考えていた。

(ああ。誰か私をお嫁さんにしてくれる人いないかなぁ。社会人で、生活力もある。私をちゃんと養ってくれる人。できたら、10歳くらい年上の人がいいかもなぁ。

流石に30歳くらいだったら、お金もあるやろし、若い私のことをこどもみたいに、甘やかしてくれるかもしれんし。)

なんて、よくわからん夢話みたいな妄想もしていた。

だけど、誰かと付き合ったことなんてない。彼氏いない歴18年の私に、この誇大妄想は今思い出しても吹き出したくなる。

家を出たら、幸せになれる。何の根拠もない、架空の幸せ妄想。

誇大妄想狂だ。

しかしながら、この心の内を知る者はおらず、私が奇異な存在になることはなかった。笑。

そんな妄想を抱きながらも、これからの進路で、めちゃくちゃ悩んだ時期でもあった。田舎の学校ではあったが、私は進学クラスに席を置いていた。と言っても塾や家庭教師に学んだことはなく、家庭学習も宿題をする程度だった。けれども適当な学習時間で受ける試験だったにもかかわらず、私は、40人くらいのクラスで、常に10位以内にいた。あ、これ、自慢じゃないよ!そのくらい、レベル低かったのだと、思う。だから、当然、担任は、進学を勧めてきた。

けれど、年末が近づいた頃、父は、私が頼んでもいないのに、

「お父さんの勤める会社に、お前のこと頼んでおいたから、面接しに行って来い。」

と言った。

家を出たい、と思っていた私には、一番酷な選択だった。

ますます、ここから離れられなくなる。

それで、まずは、母を落とすことを考えた。

母は、めちゃくちゃ世間体を重んじる人間だ。と言っても、自分のことはさておき、だが。私の成績、評判をいつも、気にしていた。だから、担任が、三者面談で

「娘さんに、ぴったりの学校をピックアップしておきました。」

と、何校か大学名を切り出してくれた時は、

(ナイス!先生!)

心で、何度も、笑った!

しかし、うちには、経済的に、私を大学に行かせてくれる余裕はなかった。

隣に座る母にチラリと目をやった時だった。

「あの。うちはまだ、この子の下に弟が控えてまして。経済的に考えたら、4年も学校へやるんは難しいんです。短大とか、だったら、2年だから、何とか‥‥。」

何とか・・・。最後の言葉は、なんとか絞り出して音にしたような、そんな声だった。母は、私を進学させようと考えてくれている!

2年でもいい。私の住む、この田舎には、大学どころか、短大も、専門学校も近くにない。とても実家から通えるはずもない。やっと、私に、この家から離れられるチャンスがやってきたのだ!

しかし、受験はとにかくお金がかかった。

一つの試験を受けるだけでも、証明写真を撮ったり、受験料を払ったり、諸々の書類を送るにも、郵送料はかかるし、試験を受けるには、受験会場まで遠征せなばならない。日帰りで行ける場所はなく、泊まりになるため、宿泊費もかかる。

今なら、私の進学を許してくれた母に感謝しても仕切れないぐらい、ありがたいことだったと思えるが、その頃の私は、その頃を生きるのに精一杯すぎて、それに、出て行きたい、と言うその一点の想いしかなくて、周りのことを思う余裕なんてなかった。もちろん、この進学をめぐっても、父と母が喧嘩になったのは言うまでもない。

だが、私の進学したいと言うゴリ押しの思いに、父もとうとう、承諾せずにはいられなかったし、何よりびっくりしたのは、母が私の進学のために、少ないながらも、へそくりを貯めていたことだった。


こうして私は、一人残していく弟の、嫉しげな視線を背に感じながら家を出た。


家を離れてからの一年。

それはそれは楽しかった。

なんでも揃う街。遊びも学びも、全てが新鮮で楽しかった。

初めて、男の人と遊ぶ、と言う経験もした。コンパ、と言う飲み会で。

なにしろ、共学だったのに男子と話すことって、ほとんどないくらい、女子校のような高校生活を送ってきたから、この凄まじいとも言える私の生活環境の変化!

家から離れて一人暮らしをすることで、父母のことも、弟のことも、忘れられた。

友人の輪に入って、面白おかしく過ごすのに、必死だったのかもしれない。

冬に、母の実家の一人暮らしの祖母が倒れたことがきっかけで、同居が始まったと言う知らせが来た。でも、私にとってはどうでも良いことだった。そのくらい、家とは疎遠になりつつあった。

そして、2年目の夏が来た時、突然、父から、電話がかかってきた。

「元気でやりよるか?お前も、そろそろ、就職活動せないかんやろ?お父さんの知り合いが、うちに来んかと、言ってくれよるんやが。」

父は、何が何でも、私を家に戻らせて就職させようとしていた。正直、焦った。私は、家に戻る気なんかさらさらなかったから。

(早く、決めなくちゃ!)

曖昧な返事を残し、私は、必死で、職探しをした。運よく、すぐに内定をもらえた。

私は、それを報告するために、久しぶりに、家の門を潜った。


家に、私の部屋は、なかった。

おばあちゃんの部屋になっていた。

同居するようになって、母が帰る実家は無くなった。でも、夫婦喧嘩は、日常茶飯事だった。弟の部屋に私は自分が寝るための布団を運んだ。

「姉ちゃん、いっつも、お父さんとお母さん、喧嘩しよんで。おばあちゃんがその度に、お父さんに謝って、お母さんを宥めよるよ。」

弟は、待ってました!とばかりに堰を切って話し始めた。

「そうなんや。で、あんたはどうしよん?」

気のない返事をそっけなく返し、窓の外を眺めた。

「俺は、この部屋から出ていかん。トイレと風呂くらいよ、出るんは。」

弟がいつの間にか私の隣に立って一緒に外を見ていた。

窓の外には、青々と、稲が茂り風が吹くたび靡いていた。もう少ししたら黄金の米がたわわに揺れるんだろうなぁ。

私は、早く報告済ませて、自分の部屋に帰ろうと思った。


その夜、父は夜中まで帰ってこなかった。

母と、おばあちゃんと、弟、そして私。四人で食べる夕食は静かだった。

子供の時は、テレビがいつも付いていた。巨人軍の試合を父が見るために。つまらんテレビだと文句を言うと、怒られた。わーっと湧き起こる歓声の響く居間で、黙って黙々と、米を噛んだ。

中学生の頃には、父は帰りがいつも遅くて、夕食を一緒に食べることがなくなった。

私はつまらん野球を見なくて済むから、ずっと帰ってこんでいいわと、思っていた。

だけど。今日は違う!就職が決まったって、言いに帰ってきたのに。

それ言えなかったら、何のために、ここに戻ってきたのか、分からんやんか!

半ば当てつけのように、母に、

「ねぇ、またお父さんと、喧嘩しとるん?」

と、ちょっと低めの声で聞いた。

「いや、しとらんよ。どうせ、パチンコしよんやろ。」

はっきり怒りモードだった。

おばあちゃんが横から、

「あんた、そんな言い方するけん、喧嘩になるんよ、仕事かもしれんやろ。」

と、柔らかな口調は、昔から、変わらない。おばあちゃんは優しい。

だから、ここで住めるんや。

結局父が帰宅するまで、起きて待ってみたけど、足元がおぼつかないくらい呑んできた父は、話を聞ける状態ではなかった。


翌朝、テーブルに一枚の白いかみが無造作に置かれていた。

弟が落書きで描いたイラストが目に止まる。

「おっ!なかなか上手いやん。」

と、その紙を手に取った時、紛れもない、父の殴り書きのような文字を見つけた。


『男は、家を守る。家のために働く。』

『女は、男を立てる。』


殴り書きなのに、何だか、そこに、父の本当の想いがめちゃくちゃ詰まっているように感じた。渾身の殴り書きだ!

私は、起きてきた母に、その紙を見せた。

「バカじゃないの!」

ぐしゃぐしゃに丸めて、ポイっと、上手い具合にその紙屑はゴミ箱にシュートされた。母、ナイスシュート!


私は、父に就職の話をすることなく、駅まで送ってもらうことになった。

「もう帰るんか?」

淋しそうな父の横顔が私の胸をギュッとさせた。


駅までの道は、車で行けば、たった十分かそこら。

ここで、就職の話をするには、あまりにも短すぎる。時間が足りないや。

私は、もう、いいや、電話で言おう、と思っていた。

なのに。大事な話はできないと思ったのに。

「いっつも、夜中に帰ってきよん?やけん、お母さん怒るんやないん?」

待ってたのに。話そうと、わざわざ帰ってきたのに。

言ってる私が、怒っていた。何だか、息苦しくなってきて、窓を開けた。

心地よい、と言うより、髪の毛がボサボサになるくらい、勢いよく風が舞い込んできた。


「お父さんが、悪いんかなぁ。」


駅前に停車した瞬間、ドアを開け、私は、足早に駅に駆け出した。

「乗せてくれてありがとう!またね」

「おう、気をつけて帰れよ。」

父は小さく手を振った。

でも、私はそれをちゃんと見なかった。

見れなかった。



だけど、それが、最後に父と交わした言葉になった。


父の命は、父が終わらせた。


あの時の父は、もう、予感していたのだろうか。









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