7.お手の物


 修道服をしまい、支度を整える。


 部屋の外で待つロスタルに急かされながら動きやすい旅装束に着替えた。部屋に残したものは後でシューキハから連絡を受けた母のマニネが整理しに来てくれる予定だった。


 大きな荷物は修道服くらいで、後はあらかじめシューキハが話を通してくれた旅商人の一団の中で働いて生計を立てていく。針仕事から料理、掃除も、何でもできる。邪魔にはならないはずだった。



「おい、まだか」



 邪魔になるとしたらこの男だ。


 部屋を出ると、偉そうに腕を組んで壁に背を預けている男、ロスタル。


 出生を聞き、一度はその生い立ちに同情を覚えたはずが、あまりにも不遜な態度が目立つせいで、彼に傾倒していた感情はどこかに消えてしまった。これだけふてぶてしければどこででも生きて行けるだろう。



「行くぞ」



 顎で道を差し、先を行ってしまい、ファナは図らずもそれに従うようにして青天院を出ることになった。


 静まり返った街道で振り向き、長年、勉学に勤しみ、自分の生涯さえ捧げようとした建物を見上げる。星々を背に、うっすらと雪を肩にかけて静かにたたずむ青天院を見ていると、ロスタルが隣に立った。


 早くしろと急かされるのかと思ったが、ロスタルは思いがけず、感傷的な目で青天院を見つめていた。



「……何を見ているの?」


「雪だ」



 そういえば、聖堂から中庭に出た時も今と同じように雪を見ていた。



「昔は降らなかったとか?」



 そんなわけはないと分かっているが、冗談めかして聞いてみた。


 だが、冗談でしていい話ではなかったらしく、ロスタルは踵を返すと黙って歩き出した。



「ロスタル?」



 何も言わず、濡れた街道をどんどん歩いて行く背中にひやりとする。



「怒ったの?」



 思わずそう問いかけると、前を歩いていたロスタルがぴたりと足を止め、腰に手を当てた。何か話してくれるのかと思ったが、そうでもなさそうだった。腕を組む姿勢になり、黙って空を見上げる。



「ちょっと、ロスタルってば」


「うるさい。怒ったわけじゃない」



 やっと口を開いた。その口調は確かに、怒った様子がなく少し安心した。



「怒ってないなら何」


「何って……。そのうちな」


「修道女だからお悩み相談ならお手の物だけど」



 ロスタルはこっちを見ずに、自分の肩を揉んでいかにもうんざりしたようなため息をつく。



「何さ、そのため息……」


「さっさと国を出るぞ」



 また勝手に歩き出す。方角は当たっているので文句も言えない。


 ファナは歩きながらもう一度だけ青天院を振り向き見た。


 胸が苦しくなって、泣きたいようなそんな気持ちになったが、涙が零れる前に前を向く。感傷的になっている場合ではないのだから。


 小走りでロスタルに追いつき、その隣を歩く。


 旅商人の一団とは国の内外を隔てる外城門近くで待ち合わせをしていた。一団の十人ほどで、その町で仕入れたものを別なところで売って暮らしているようだった。女性は三人で、三人とも夫についてきたらいしい。そのうちの一人は妊娠中で、体を冷やさないよう誰よりも厚着をしている。団の親方の息子は十二歳ほどの少年。毛皮の帽子を深くかぶっている。人見知りらしく、ロスタルを見るやささっと二頭立ての荷馬車の中に隠れてしまった。


 親方のドルドガが笑いながら挨拶してくれる。



「青天院じゃあ、よくどこにも売れねえような古い本を金と交換してもらってるからな。二人世話するくらいわけねえことだ。こっちの男は用心棒にもなりそうだしな」


「え、あ、えーと」



 そういえば確かにかつてはは魔王と呼ばれ恐れられたロスタルだが、精霊術が使えない今はその辺の男と変わらないのではないだろうか。


 ファナがあいまいに笑っていると、ロスタルはその懸念を蹴散らすように「問題ない」と言い切った。



「アッハッハ。男前だな! 持ちつ持たれつだ。何かあったら修道女様だけじゃなく、俺たちも助けてくれよ」


「ああ」


「そろそろ出発だ。一番後ろの荷馬車に乗ってくれ」


「わかった」



 とんとん拍子に話が進んで行ってしまったが、本当にロスタルに用心棒が務まるのだろうか。


 ドルドガが先頭の荷馬車に行くのを見てから、ファナはロスタルの袖を引いて「大丈夫なの?」と確認を取った。



「何が」


「何って……用心棒の件に決まってるでしょ。精霊術は使えないのに」


「本当に道理がわかっていないようだな……。魔の王などと呼ばれた現役時代、俺やヴァスロほどの輩が精霊術にだけ頼っていたら今頃は連綿と雨さえ降らない不毛の地が続いていただろうよ」


「それは……言われてみれば、そうなのかも……」



 どれほどその二人の力が強大で、どれほどの精霊が当時必要だったのかわからないし、そもそも、精霊がどのように存在していたのかも分からないファナにはピンとこなかった。


 ロスタルに出会ってから、どれだけ今の時代から過去への理解が薄かったか思い知らされる。


 そして、まだまだ歴史には研究する価値がある。その必要性も。


 幼い頃から強く望み修道女になった。自分の選択を間違っているとは思わない。これでよかった。思いがけず、国を出ることにはなったが、これは院長の言う通り遊学だ。


 解明されていない歴史を紐解くための旅になる。ロスタルさえ知らない、空白の歴史がある。それが知りたかった。










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一千年越しの蜜月を janE @lovedoe

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