2.ロスタル
冬至祭りは再び日が高くなり、新年を迎えることを祝う祭りで、他国からの行商も増え、新生リュニス聖王国が最も賑わいを見せる日だった。
城下の街並みは宮殿や青天院の様式と異なり、ずいぶんと近代化している。住宅地には木造だけの建物は古ぼけた一軒家など以外にはほとんど見受けられず、異国風の石造りの建設方法と混合させたものが多い。
近年、国内での移動方法は主に馬だが、冬至祭りの頃になると旧帝国が生産を始めた自動二輪や大型の自動四輪に乗った行商人が増え始め、物珍しい品を次々と運び入れてくる。
一年で一番賑わい、同じくらい聖王国の風紀が乱れる日だった。
国王が代替わりして、現代化を掲げてからその風潮は一層強まっている。今年には冬至祭りでしか受け入れてこなかった国外の商人を、平時でも入国させ、商業を活発化させようという動きもあった。
新しい便利なものが入ってくることで生活はしやすくなる。だが、同時に伝統もすたれてしまう。
冬至祭りにヴァスロを祀る青天院に訪れる人も年々減り、城下で催される見世物小屋がにぎわっている。
ファナは毎年のように冬至祭りに合わせて一度、里帰りをして、祭り当日は閑散とする青天院の見回りや、参拝する信者の案内などを担っていた。
それも夕刻が近くなると人の足は途絶えた。
国王の演説が行われるためだ。宮殿前広場に人々が集まり、国の祖でもある英雄の血を引く王の姿を一目でも見ようと他国からも人が押し寄せる。
ファナも毎年なら他の修道女たちと同じようにこの日のために設営された張り出した見晴台という特等席で王の言葉に静かに耳を傾けるのだが、母のマニネから聞いていた話が頭に残り、どうしても現国王、ドールガスの話を聞く気にはなれなかった。
青天院の寮で割り当てられた自分の部屋の本棚を眺める。
「……青天院の、縮小……」
近代化を叫ぶドールガスは、青天院の修道女たちを過去の遺物に固執する者たちとして、自分の理念に反すると言っているらしい。
それも青天院を統べる院長も出席する議会でのことだった。あからさまに青天院の在り方を非難したらしい。その話が母の耳に入ったわけは、宮殿で王に助言をする立場にある学匠が母の恩師であっただめだ。身の振り方を考えるよう言われたらしい。
修道女の数も大幅に減らされるとのことだった。
そんな話を知りながら、ドールガスの話をどうして素直に聞けるだろう。祖先を重んじない男と軽蔑する一方、信奉してきた英雄神の末裔でもあるドールガス王を表立って非難できる立場にもない。
今すぐという話ではないらしいが、ドールガスは学匠の言葉に耳を貸さず、縮小に向けて動いているという話だった。
過去の出来事に目を向けず、前に進もうとすれば、間違いなく同じ過ちを繰り返す。歴史とはそういう意味で重んじられるべきものだ。
他の国のような戦はないが、それでも幾たびも大雨や、大風による飢餓や疫病の蔓延が起き、そのたびに国政の見直しが行われ、よい方へと向かってきた。文献でもこの百数十年はそういった大きな災厄は起きていない。
それはすべて過去から学ぶことで少しずつ己が力で前進してきた証拠だ。
確かに外の国、とりわけ西方の旧帝国から入ってくるものは便利で、目を引くものが多い。
だが、その便利さに目を奪われているうちに、大切なものを取りこぼして気づかないでしまう気がして、腹の底が落ち着かない。
その不安を王は感じないのだろうか。
気づくとファナは礼拝堂にいた。手には母から譲り受けた精霊印が施された箱を持っている。
「……いつの間に……」
不安がファナをここへ導いたのだろう。
掃除が行き届き、明り取りの窓から夕日が差し込んで、白く塗られた部屋を薄い朱色に染め上げる。外は雪も降らず、よい天気で冬至祭りが行われている。その喧噪がここにはない。静かで、いつも通り。この季節、冷え冷えとしている礼拝堂も、夕日のおかげか心なし温かい。
この礼拝堂の地下に英雄ヴァスロが眠っている。
一千年前の英傑。この国の守り神。
「え」
ファナは辺りを見渡した。
どこかで鈴の音がしたように聞こえた。誰もいないはずなのに聞こえた音に寒気を覚えた。
「あの、誰か……?」
ファナの声が響く。
それに重ねるように今度ははっきりとシャン――と鳴った。
どこから聞こえてくるのか辺りを見渡し、三度聞こえた音でハッとする。
「嘘」
手に持っていた箱から聞こえていた。
驚いて、何かを考える余裕もないファナの目の前で箱に金色の線が無数に走り、箱が姿を変えた。いや、本来の姿に戻ったのだろう。
美しい金糸に巻かれた濃紺の木箱だった。
「どう、してこれ、こんな……」
歴史的に重要な遺物に何か異変が起きた。ファナは頭が真っ白になった。
そして、箱ばかり見ていたせいで、同じ空間で起きていたもう一つの異変に気づけずにいた。
ファナがそれに気づいたのは、男が目の前に立ってからだった。
「ひっ!」
引きつった声を上げ、突然現れた男から後退りした。手の中にある箱を胸に抑えるようにして守る。
「だっ、誰……ですか……?」
急に目の前に現れたその男に見覚えはない。年は三十手前だろうか。
リュニス聖王国では珍しくない黒髪に、白い肌。背は高く、骨が太いのか肩ががっしりして見えた。身なりは質素だが、顔立ちは高貴そうな彫の深さがあり、均整の取れた目鼻立ちをしている。全く見覚えがない。そう言い切れるのは、目のせいだ。
珍しい深紅の目。そんな目の色、一度も見たことがない。
男は腕を組んだ。
「そういうお前は何者だ。なぜそれを持ってここにいる」
「わ、私は……ファナ。修道女です。勝手に青天院の礼拝堂に入るのは信者といえど、違反行為ですよ。は、早く名乗りなさい」
動揺して言葉がうまく出て来ない。
そんなファナと比べ、男は鷹揚に名乗った。
「俺の名はロスタル。もう一度聞く。なぜ、お前がそれを持っている」
あり得ない。
何もかも。
呆然とするファナの耳に足音が聞こえてきた。
ドールガスの演説が終わったに違いない。演説後はまた参拝に来る信者のため、修道女たちは礼拝堂にいなければならなかった。
礼拝目的以外での男子禁制の場にこんな男と二人きりでいたとなれば、よい噂の種になる。青天院長の耳に入れば、ここを追い出されかねない。
「ちょっと、こっちに」
「まだ話は終わっていないが」
「いいから。は、話ならこっちで聞くから」
ロスタルを名乗る男の腕を掴み、逃げるように礼拝堂の奥にある中庭へ向かう扉から外へ出た。
中庭にはうっすらと雪が積もり、木々には短い氷柱ができていた。風が吹くと凍てるように寒い。
中庭から回廊を渡っていくと、納屋に出る。納屋から裏口を使って敷地外に出れば、冬至祭りの賑わいに紛れることができるだろう。
「早く、誰かに見つからないうちに」
そう男を急かすのに、男はぼんやりと庭を眺めている。
「ちょっと、早く」
再び男の腕を掴んで引っ張り、迷惑そうな顔をする自称ロスタルを何とか裏口まで連れてくる。施錠されている扉を開け、外へ出た。
城壁と青天院の鉄の垣根の間を進み、宮殿前広場に出た。
まだ演説後の賑わいが残り、人々が多く往来している。
「ここはどこだ」
「どこ……って、見ればわかるでしょう」
「知らん。俺がいた時代とはずいぶん、様変わりした。あの下品な建物はなんだ」
「ちょ、ちょっと……!」
宮殿を指さし、はっきり下品とのたまう無礼者を人々が振り返り見る。
慌てて男を物陰に連れ込んだ。
「あそこは王族の住まいなんだから」
「王? 王がいるのか、この地に? あり得ん」
そう偉そうに腕を組む男に腹が立ってきた。
「どこから来たのか知らないけど、この新生リュニス聖王国の歴史や文化を否定するなら、即刻、出て行きなさいよ」
「新生リュニス……聖王国。また馬鹿げた名を……とち狂ったかヴァスロ……」
男が頭を抱える。
信じられないような暴言を吐き続ける男にファナが掴みかかろうかという時、声をかけられた。
「修道女様、何か問題でも」
赤鎧を着た二人組の男、宮殿騎士団だった。腕にかけた帯の色で階級がわかるらしいが、ファナの頭には入っていなかった。二人とも白い帯を腕にかけている。
この不埒な男の暴言を耳にして取り締まりに来たのだろうと思い、ファナは二人の騎士の顔を見て、唖然とした。
「あの、勤務中では……?」
「勤務中ですが、何か問題でも」
そう話す口から熟柿臭さが漂う。酒を飲んでいるようだった。
冬至祭りに浮かれる気持ちはわかるが、異国から様々な人々が出入りする今日に、酔っぱらって勤務するなど信じられなかった。
「修道女様。こんな物陰でこそこそと一体どうされたんです? この無粋な男に何かされましたか?」
「我々にお任せくださいな。謝礼ならその穢れを知らぬ御手でお酌をしてくれさえすればいいので」
男の目に下卑たものを感じてぞっとして吐き気がこみ上げる。
片方の男がロスタルを名乗る男の腕を掴み、ファナから引き離す。そしてもう一人の方がファナの手を掴み、建物の陰へと引っ張り込もうとする。
「や、やめて……」
驚きと恐怖で声が出ず、体も強張った。
知識で男が女をどういう目で見ているかはわかっていたが、実際に無理やり従わせようとする力が怖くてたまらない。
仕事を放りだし、酒を飲んで、修道女を襲うような男に屈したくはないのに、体が言うことを聞かない。
悔しくて涙が出そうになった時、手を引っ張る力が弱まった。
何が起きたのかわからなかった。
ファナが顔を上げると、あのロスタルを名乗る男が騎士の額に触れていた。騎士は毒気を抜かれたようになり、頭を押さえ、もう一人の仲間と一緒にふらふらと夕暮れの雑踏の中に紛れて見えなくなる。
彼が助けてくれたのだろうか。だが、していたことと言えば騎士の額に触れただけ……。
それでも、酷い目に遭わされずにすんだのは少なからず彼のおかげだろう。そう思って、いくらか不承不承だが、礼を言おうとその男を見上げた。
「あの」
声をかけた時、男は額に脂汗を浮かべ、目を回すようにして倒れた。
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