第75話 天赦日の今日、本編を完結させます。
この原稿を書いている本日2020年9月2日は、暦上「天赦日」という、年に数回ある、最高に縁起が良いとされる日です。
過日、拙著の出版契約に際しても、本年2月2日で契約書にサインしたものを、日付のみ、この天赦日にあわせて、3日後の5日付にしました。それだけで本がバカ売れするなんてことはありませんけれども、その日付で契約したことで、確かに、その後の動きがよくなっているような気もしております。
気のせいかもしれませんが、それとて、無視はできないものですから。
先程、厄年が云々と申しましたが、こちらの天赦日と同じような縁起日である一粒万倍日(この日に何かを始めると発展すると言われている日。これは昨日でした)など同様、迷信ともいうべきものかもしれません。かといって、それが厄年のような何か意味合いのあることなのかというと、そうとも思えないところもあるでしょう。
しかしながら、どうせ何かをするなら、こういう縁起的にもいい日に、というのを少しばかり意識することで、気持ちの上で整理もつけやすかろう、その後の仕事のはかどりも違って来よう、そんな気持ちが、最近強くなってきました。
さすがに、10年前のこのような顛末をいつまでも引きずっているのもどうかなと思っていた矢先でした。そこで、天赦日でもある本日を機に、この顛末記を完結させることにいたしました。
これはこれで、いずれ書籍化でもできればいいかなとは思っています。また、そうでなくても小説などの形に落としなおして、世に問うというのもありか、とも思うことがあります。現在私は「小説養護施設シリーズ」ということで書籍化している小説がありますが、たまたま裁判の一方が養護施設出身者、そして書込み内容も児童養護施設に係る話であるということもありますので、物語化の上でシリーズ中の一角に位置付けるというのは、確かに、考えてみる余地もありそうです。
まあ、そんなことせずに、こちらで皆さんにお読みいただけるだけでも、ありがたいことではあります。
近年のネット上における誹謗中傷やそれに伴う裁判沙汰などなどに対する、ひとつの警鐘となれば、私のこの経験も無駄ではなかったと言えるのかもしれません。
そういうわけで、この顛末記、ネット裁判初期のあだ花のようなものですけど、この経験が、皆さんの何らかのお役に立てれば、幸いです。
そういえば昨日2020年9月1日は、私が岡山を出て兵庫県明石市に「移住」して、ちょうど10年目になる日でした。その移転の顛末につきましては、別建ての
岡山市中央区北中町一丁目893番1共同住宅立退事件
にて、詳細を記しております。
よろしければ、是非そちらもご一読くださいませ。
ああ、これでやっと、10年前の呪縛を説くことができたなぁ・・・。
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