なんとなくの恋
28号(八巻にのは)
なんとなくの恋
『お前のハート、撃ち抜いちゃうぜ』
なんて馬鹿馬鹿しくも甘ったるい台詞を、素面のまま色気たっぷりに言える男と、私は何となく付き合っている。
『お前の瞳に映るのは俺だけで良い』
そんな台詞で5万人の観客を耳から孕ませるくせに、ベッドに誘うときは「やるぞ」しか言えないそんな男と、私は何となく付き合ってしまっている。
何となく連絡先を交換し、何となく一夜を共にし、何となく付き合って、何となく同棲を始めた私たちの関係は、一体どこに続いているのだろう。
そんなことを、私は最近考えている――。
【なんとなくの恋】
「そんなもん見てんじゃねぇよ」
不機嫌な声と共に、私の恋人であるタケルさんがテレビを消した。
タケルさんと呼んでいる彼の本名は
名前負けしない凜々しい顔立ちの彼は、そこそこに良いスタイルと素晴らしい美声を用いて声優を営んでいる。
「まだ見てるのに」
「嫌がらせか」
「タケルさんのことはそんな真剣に見てないよ? 私、『ラブ×2キングダム』での推しはタケルさんじゃなくて、ミチル君のキャラだし」
「あんな小僧っ子のどこがいい! つーか不倫だ不倫」
「それで言ったら、5万人を前に愛の言葉を叫んだタケルさんも同罪では?」
「俺は仕事だから良いんだ。でも、ユリが言うのはだめだ……」
私の言葉に、凜々しい顔がぎゅっと強張る。
今年で三十七になるタケルさんは、この頃良くアニメやゲームのイベントに出ている。
つい2年ほど前までは外画の吹き替えを中心に稼いでいたが、何気なく受けたソシャゲの仕事で人気が爆発し、今や押しも押されぬ超人気声優なのだ。
無駄に歌がうまくて運動神経もあるため、ライブイベントでは重宝され気がつけばファンクラブの登録者数とTwitterのフォロワー数はうなぎ登りだ。
そして今日はそんな彼が出ている恋愛ゲームのファンイベントを見ていたのだが、タケルさんはそれが不満らしい。
「ともかく、ライブ系のDVDは見るな」
「いいじゃん、アイドル感満載のタケルさんも私好きだよ」
「心にもないこと言うんじゃねぇ」
言うなりDVDプレイヤーごとテレビから引っこ抜いて、タケルさんはトイレの戸棚にそれを隠しに行ってしまった。私は背が低く、棚に手が届かないのを良いことに、こっそり買った彼のグッズやDVDを彼はすぐトイレに隠してしまう。
それに苦笑しながら、私は真っ黒になってしまったテレビをぼんやりと見つめる。
黒い画面に映っているのは、地味でぱっとしない二十六才の女だ。
容姿もほどほど、声もほどほど、そして稼ぎもほどほどという面白みのなさである。
そんな私が何故人気声優のタケルさんと付き合っているかと言えば、合コンで何となく出会ってしまったからだ。
とはいえそこで話が弾んだ訳ではない。何となくあぶれた物同士、何となく話し、何となく連絡先を交換し、その後何となくデートをしてそのまま「やるぞ」て言われて寝てしまった。
当時のタケルさんはまだ売れない声優で、貧乏で、ちょっと小汚かったけれど、エッチは上手かった。
たぶん、身体の相性も良かったのだ。
だからそのままずるずると関係を続け、気がつけば彼が私の家に居座るようになり、そのまま何となく付き合っている形におさまっている。
――そう、私達の関係は全てが「何となく」だ。
好きだと言われたことはないけど、嫌いじゃないから何となく一緒にいる。そんな関係だ。
「でも、それもそろそろ終わりかなぁ」
思わず独り言をこぼしたのは、年々高まるタケルさんの人気に、気後れを感じているせいだ。
何となく付き合っているだけなのに、妙に義理堅いタケルさんは『ずっと付き合っている彼女がいる』と公表している。マネージャーさんどころか社長さんとも会ったことがあるし、彼らと私の関係も今のところ良好だ。
どうやら『ずっと付き合っている』という台詞を、ファンたちは愛に一途だと解釈し好印象らしい。
実際は何となく付き合い続けているだけなのに、ファンの間では恋人に甘く尽くす一途な男という認識なのである。
そうなってくると逆に別れる事も出来ず、ずっと「何となく」を継続していたが、タケルさんだってもういい年だ。そろそろ身を固めたいと思っているだろうし、さすがに結婚は「何となく」ですまさないだろう。
もちろんできることなら別れたくは無いけれど、私は彼に「好き」だとか「愛してる」と言われた事はない。
そう思っているのは多分、私だけだ。
そして一方通行の愛にすがれるほど私は強くないし、何も言わないタケルさんにつけ込むには、彼の事を愛しすぎている。
私は、彼に幸せになって欲しいのだ。
となれば、さすがにそろそろ潮時だろう。
タケルさんは口が悪いし不器用だから、付き合ってから結婚まで絶対に長い。
それに人気絶頂の今の方が、絶対にいい人も見つかるだろう。
そんなことを考えながら、私はぼんやりと3LDKのマンションを見回す。
このアパートは亡くなった両親が私に残してくれた物だ。
大学の時に天涯孤独になった私にとっては唯一の財産だが、一人暮らしの時はかなり持て余していた。
だからタケルさんが居着いてくれて嬉しかったし、タケルさんはこの家を気に入っているようだった。
だとしたら出て行くのは自分の方かなと考えつつ、私はこっそりスマホで賃貸を捜す。
もし彼がこの部屋を気に入っているなら、この家は彼にあげたかった。ここ数年は生活費のほとんどを払って貰っているので貯金はいっぱいあるし、きっともうこの家に一人きりで住むのは寂しくて耐えられない。
だから自分が出て行く前提で、ほどほどの女が暮らせそうなほどほどの住まいを捜しているが、なかなか良い物件は見つからない。
「やっぱり東京以外の場所かなぁ」
思わずこぼすと、そこでバンッと居間の扉が勢いよく響く。
「お前、どっか行く気か?」
妙に強張った声に驚きつつ、私はスマホをさりげなく隠す。
「旅行か?」
「うん、まあそんなとこ」
「誘われてない」
「誘ってないもん、タケルさん忙しいし」
誤魔化しの言葉を重ねていると、不満そうな顔でタケルさんは私の横に座る。
「誘われたら、時間くらい作る」
「えー、別に良いよ」
「お前は諦めが早すぎる」
「『無理めなことはしない』が信条なので」
だからこそ、何となく始まったタケルさんとの関係は居心地が良かったのかもしれないなとふと思う。
何となく始まったからお互いへの期待値も高くない。だから自然な流れで側にいて、付き合って、一緒に暮らせていた。
過度な努力が苦手な自分には、丁度良い関係だったのだ。
「お前の向上心のなさは凄いな」
それにタケルさんは、そんな私を否定したりしない。褒めたりはしないが、貶したりもしない。
ただ「お前はそういう奴だから仕方ないな」くらいのテンションで受け入れてくれる。
ただ今日のタケルさんは、いつもと何かがちょっと違った。『お前がそう言うなら好きにしろ』と流すかと思えば、私の方に身を寄せてくる。
「じゃあ俺が無理するから、旅行に行くぞ」
「え?」
「と言っても近場になるが」
「え?」
「驚きすぎだろ。あと雑に相づち打つな」
別に雑に言ったわけではなく、純粋に驚いたのだ。
だってタケルさんも、私のように普段は無理をしないタイプだ。仕事ではもの凄く頑張るが、プライベートでは常にダウナーで頑張らない男なのである。
「タケルさん、そんなに旅行したかったの?」
「俺だって気分転換位したい」
「そっか」
「で、どこがいんだ」
「近場だと……熱海?」
「また渋いとこつくな」
「秘宝館に行ってみたいな」
「お前、そういうの好きだよな」
「だって秘宝だよ。R18だよ」
子供の頃から行ってみたかったが、何となく機会を逃してきた場所だ。
だから何となく付き合っている彼氏と行くには、丁度良い場所な気がした。
「じゃあお前の休みに合わせて来週行くぞ。熱海なら、急でもホテル取れるだろ」
言うなりホテルを検索しだしたタケルさんのスマホを覗き込みながら、私たちは宿泊先を決める。
嘘から始まった旅行なのに、あれこれ言いながらホテルを捜すのは楽しかった。予約を済ませる頃にはすっかり旅行が楽しみになってしまっていた。
「貫一お宮之像も見ようね」
「また渋いところつくな」
何が良いんだと文句を言いながらも、きっとタケルさんは一緒に像を見てくれる気がする。
そんなことを考えながら、私はふと思う。
もし像の前で別れ話を切り出したら、彼も少しは怒ってくれるだろうか。
こんな場所で言うなと、寛一のように私を蹴ったりしてくれるのだろうかと。
暴力は嫌いだけれど、タケルさんになら蹴られたいと思う私はちょっと異常なのかもしれない。
何となく始まった恋だから何となく終わるべきかもしれないが、別れを切り出したときくらいは、ドラマチックであってほしかった。
「タケルさんって、もの凄く怒ったときは手が出る派? 脚が出る派?」
「どっちもでねぇよ。お前に手なんてあげたことないだろ」
「確かにそうだね」
じゃあやっぱり私達は何となく別れるんだろうなと、ほんの少し寂しい気持ちになった。
◇◇◇ ◇◇◇
行ってみると、貫一お宮之像の前は別れ話をするには向いていなかった。
音声解説が延々流れているし、特段道が広い訳でもないので長いこと立ち止まっていることもできない。
「なんか、よくあるがっかり名所だな」
「タケルさん、一応芸能人なんだからそういうこと言っちゃダメだよ」
「でもお前もちょっと思っただろう」
「黙秘します」
半ば認めたも同然だが、一応そう言った。
その後向かった秘宝館も今日は休館で、結局私達は早々にホテルへとやってきた。
早めのチェックインができそうだったので部屋に入ると、私はちょっと驚いてしまう。
「ねえ、予約した部屋とちがくない? 露天風呂とかついてるし広いよ?」
「広いにこしたことねぇだろ」
「でも広すぎるし、自動でアップグレードしてくれたのかな。お客さんあんまりいなさそうだし」
「……さあな」
素っ気なく言いながら浴衣に着替え始めるタケルさんに、私は思わず見惚れた。
昔はだらしのない身体だったのに、ライブやらイベントやらで歌ったり踊ったりするようになってから、タケルさんの身体はかなり引き締まった。
元々運動はできるようだが、私と出会った頃は売れないせいでかなり腐っていたらしく、色々と残念だったのだ。
「タケルさん、最近良い男になったね」
思わずこぼすと、タケルさんが得意げな顔をする。
こういうときに謙遜せず、調子に乗るところが私は好きだ。
「気づくのが遅すぎだ」
「うん、そうだね」
もっと早くに気づいていれば、こんなに好きにならなかったのになと思う。
タケルさんは、私にとっては無理めな男の人だ。
人気者で、容姿もそこそこ良くて、身体も逞しくて、無駄に声が良い。
そんな彼をつなぎ止めておくのは、ほどほどの私にはかなり無理がある。
「タケルさん」
「何だ?」
「別れようか」
貫一お宮之像の前で言えなかった言葉を口にすると、得意げだった顔がもの凄く間の抜けた物になる。
お陰で、言葉と一緒にこぼれそうになった涙が引っ込んだ。
「何の冗談だ」
「冗談じゃなくて」
「部屋に入って10分もたたずにそういうこと言うか普通!」
「ああそっか、せめてお風呂入れば良かったね」
「風呂の後でも言うなよ」
「じゃあご飯の後?」
いつが良いタイミングだったのだろうかと考えていると、私の前にタケルさんがどっかりと腰を下ろした。
「なんで、別れるとか言うんだ」
「ごめん、何となく言うなら今かなって思ったの」
「別れ話を、何となく始めるな」
「だっていつも、私たちって何となく何かが始まるじゃない」
「否定はしねぇけど、この旅行は何となく来たわけじゃない。部屋だって、アップグレードしたのは俺だぞ!」
そこでため息をついて、タケルさんは側に落ちていた旅行鞄に突然腕をツッコむ。
「これだって、何となく買ったわけじゃねぇ……」
言うなり取り出したのは、小さな小箱だった。
「それ、指輪とか入ってそうな箱だね」
「入ってんだよ!」
「え?」
「めっちゃ高いの入ってんだよ!」
「え?」
「だから雑な反応繰り返すな!」
怒りながらタケルさんが箱を上げると、見事なダイヤがついた指輪が入っていた。
「旅行でもして、雰囲気の良いところで渡そうってこの1ヶ月延々悩んでたのに、行きたがるのは熱海で秘宝館だし、旅館に入るなり別れようとか言うし、今めっちゃ死にたい気分なんだけど!!」
「死ぬのは、ダメだと思う。ファンが泣いちゃうし」
「まずはお前が泣け!」
言うなりタケルさんは私の手を掴み、勝手に指輪をはめてしまう。
「すごい、ぴったり」
「お前が寝てる間に必死に測ったんだよ」
「ご苦労をおかけしました」
「……で、これ見ても気持ちは変わらねぇか?」
ぶすっとした顔で見つめられ、私は指輪のはまった薬指を見つめる。
「タケルさん」
「……何だ?」
「タケルさんは、私のこと好きなの?」
「それは、だな……」
タケルさんの苦しげな声につられて顔を上げると、彼は顔を真っ赤にしていた。
「え、照れてる?」
「当たり前だろ!」
「5万人の前であんな恥ずかしい台詞言ったのに?」
「お前の前だから恥ずかしいんだろ!」
逆ギレをしたあげく、タケルさんは私を乱暴に抱き締めるとキスをしてくる。
「今、キスで誤魔化そうとしてるよね?」
「言葉にするのは、恥ずかしいんだよ」
「声の仕事してるくせに」
「元々、引っ込み思案で口が悪いのを治したくて専門入ったんだよ俺は! そもそも声優じゃ無くてアナウンサーになりたかったくらいだし……」
「え、そうなの?」
「でも自分の意見とか全然言えねぇし、演技の才能が無駄にあるって言われて声優になったんだ」
演技でならどんな台詞でもためらいなく言えるのに、自分の言葉となるととたんに難しいのだとタケルさんはこぼす。
「でもお前は、好きって言わなくても怒らないし、側にいてくれるから甘えてた」
抱き締める腕の力を強めながら、タケルさんは声を震わせる。
「別れるなんていうなよ。何となく始まった関係だけど、俺はお前と離れるとか無理だ」
一生無理だと付け加えられた言葉は、タケルさんなりの愛の言葉だった。
どんな役にもなれるし、5万人の前でも恥ずかしい台詞を言える一方で、彼は私が思っている以上に不器用で情けない人なのかもしれない。
そしてそういう部分に、私は愛おしさを感じていた。「好き」だと言われなくても、もういいと思えた。
「私も、側にいたい」
「なら別れるとか二度と言うな」
「でも……」
「つか、なんで? 何が不満? 言ったら直すから全部吐け!」
不安と困惑の混じった声はあまりに必死だったから、私はついうっかり自分の考えを口にした。
タケルさんの彼女に相応しくないと思っていたこと。だから頑張るのを辞めようとしていたこと。
そして本当は「別れようか?」と告げた瞬間、胸が苦しくて泣きそうになっていたこと――。
それを打ち明けると、タケルさんは十回くらい「このバカ……」と相槌を打ち、そのたび私の頭を優しく撫でてくれた。
「お前がもし、もっと平凡な彼氏が良いていうなら転職を考えてもいい」
「それ、ファンが泣くよ?」
「お前が泣くより良いだろ」
「今の台詞、ちょっとキュンときたかも」
「ちょっとじゃなくて、もっとキュンとしろよ」
「してるしてる」
「お前、俺に雑だよな……。まあ、そういう所がその……好ましいんだけど」
「そこで好きって言えないところがタケルさんだよね」
「なんでか、その二文字はやたらと恥ずかしくて言えねぇ」
そう言ってから、タケルさんは恥ずかしそうにうつむく。
「この際だから白状するが、恋愛ゲームの仕事受けたのも、それが理由だからな」
「え?」
「仕事で連呼したら、お前にも言えるかなと思って」
「え?」
「その『え?』は驚きの方か? それとも馬鹿にしてるのか?」
「驚きだよ。私、タケルさんのことを馬鹿にしたことはないよ」
「でも、馬鹿っぽいだろ。未だにお前の前ではその……言えないし……」
それが悔しいのか、タケルさんは真っ赤な顔で口をモゴモゴさせている。
「でもそのせいで距離まで置かれかけたんなら、この手の仕事……もうやめようかな」
「だから、それはファンが泣くよ」
「じゃあもう二度と、絶対に、別れるとか言うなよ」
念押ししながら縋るように抱き締められ、肩にグリグリと頭を押しつけられると、今更のように申し訳ない気持ちになってくる。
「うん、言わない」
「結婚もしてくれるか?」
「私でよければ」
「お前じゃないとだめだ」
好きとは言えないけれど、今の言葉は十分すぎる愛の言葉だ。
「蹴られるより、ずっといいや」
「おい、蹴られるって何だ?」
怪訝そうなタケルさんに、貫一お宮之像の前で別れるつもりだったというと、彼は小さく吹き出した。
「蹴らねぇよ。むしろ俺がお宮みたいにへたり込んでたトコだ」
「あ、確かに」
「だからもう二度と、いなくなろうとするな」
「うん」
「絶対だからな」
無駄な美声で念を押し、タケルさんは私にキスをする。
「何となく始まった恋だけど、恋は恋だよね」
優しい彼の笑顔を見ていると、そんな当たり前のことに私はようやく気づくことが出来る。
「私、思ってたよりタケルさんのこと好きみたい」
「『思ってたより』と『みたい』はいらねぇだろ」
「私、タケルさんのこと好き」
「……俺も、……だ」
「へたれだなぁ」
「わかってるよ!」
よく聞こえなかったけれど、彼が届けようとしてくれた愛の言葉を私は笑顔で受け取った。
なんとなくの恋【END】
なんとなくの恋 28号(八巻にのは) @28gogo
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