待望

ついに来た

3月上旬、僕ら寒端高校はグアム組は時差の関係で1日早く飛び立ったが沖縄組、北海道組2泊3日の旅に那古野国際空港からそれぞれ飛行機が飛び立った。

僕は沖縄に行くのも初めてで何より飛行機に乗るのも初めてだったので緊張していた。

初日に那古野国際空港を飛び立って2時間後沖縄国際空港に到着し、飛行機を降りると僕は少し酔って気持ち悪くなっていた。

降りるとまず沖縄国際空港の近くの飲食店を貸し切っており沖縄名物のタコライスを食した。

タコライスにスパイスを加えるために一味唐辛子をかける人もいたが僕は辛いものが苦手でそれを見て僕は何もかけず食べて美味しかった。

その後戦時中に唯一、地上戦で激戦地となった沖縄の祈念公園や資料館に向かい過去に起きた悲劇を後世に伝える必要がある内容ばかりだった。

その後ジンベイザメが有名で日本一大きい水槽として名を馳せる「かりゆしアクアリウム」に向かった。集合時間は1時間後で僕は入口のエスカレーターを上る。

僕ら寒端高校以外にも修学旅行生と思われる高校生が何校か来ていた。

中に入るとジンベイザメやカクレクマノミ、ペンギンが歩いている姿を見てとても可愛くて愛おしく思えてきた。

水族館に入って20分後、1度出て入口に戻るためのエスカレーターがあり入口に戻った。

そこにカップルと思われる男の子と女の子がいて仲良く手を繋いでいた。

そして次の瞬間、女の子は男の子にキスをしている所を僕は後ろから見ていてすごい積極的な女の子であまりにも驚いた僕は幻想だと思った。

まだ時間があるからと思い僕はもう1度入ってゆっくり見ようと思っていて歩いていると丁度イルカショーをやる時間帯で僕は外でイルカショーを観ていた。

イルカが元気で健気に泳ぎ、飛んでいて可愛さと感動をして出口に向かう。

さっき見かけたであろうカップルがまた僕の前にいた。この時僕は1度ならともかく2度もこんなところでキスするわけないだろうと思い込んでいた時に再び女の子キスをした。

やはりさっき見たのも幻想ではなかったんだと思い出発時間10分前、バスに乗り込み周りがザワザワしているので耳を傾けて聞いていると他の修学旅行生のカップルがキスをしていたと僕が見た光景と同じことを言っていて何かの間違いだと思っていた僕の目に狂いはなかったとよく分からない安心感があった。

その後ホテルに向かい豪勢な料理を食べて先生からは近くにある浜辺には行かないようにと指示があったが中には浜辺に行って怒られる人もいた。

僕は音楽部の雅仁と同じ部屋で次の日に初めてシュノーケルやカヤックをやるから色々教えて欲しいと言うと何度かやったことあるから任せておいてと頼もしい一言をもらい僕は雅仁に一任し早めに寝ることにした。

2日目観光コースとマリンコースに分かれてマリンコースは海に行ってまずバナナボートに乗って砂浜を見ると中学生の時に行こうとしていた川田高校も同時期に修学旅行に来ており懐かしい顔を何人か見つけることが出来た。

バナナボートに乗った後船に乗り込み途中で船が止まりそこから海に潜るとめっちゃキレイでこれぞエメラルドグリーンと言うのに相応しく魚も泳いでいた。

1度お昼食べるために近くのペンションで食べてカヤックに雅仁と乗って漕ぐタイミング等を指示してもらい浜辺と海の間にある島に向かって漕いだ。漕ぎ始めて30分、全員が島に着き全員で写真撮影をして15分間の自由行動でみんなで散策することになった。

そして再びカヤックに乗り浜辺に戻りバスに乗った。バスは高速に乗り1度ホテルに戻り、沖縄最大の歓楽街で自由行動していいことになった。

だが門限が10時までと決まっている。僕は音楽部の貴史と雅仁と共に沖縄で有名なゴーヤチャンプルーを食べて観光コースに行っていた貴史とマリンコースはこんな感じだったと情報共有をしていた。

修学旅行も残り1日で寂しいねと話をしていて家族や友達にお土産何を買っていくかという話をしてもう1つ沖縄組のお土産は買うから何がいいかと悩んでいると雅仁の提案で沖縄のお土産で有名なのは紫いもタルトだよと教えてくれて人数分僕は買うことにした。

それ以外にも家族、親戚の分も買ったがそのまま持っていると荷物がかさばると考えて僕は自宅、親戚の家に郵送をすることにした。

2日目の夜僕は中々寝つけずにいて修学旅行が明日で終わると思うともう少し沖縄に居たかったなと言う気持ちが強くなった。

3日目幾つかの名所を巡りお昼に商業施設に行き、その商業施設には観覧車がある。

ひとまず僕はソーキそばのお店があったので最後の沖縄の思い出としてソーキそばのお店に入った。そうすると那古野パオロンズの選手のサインが飾ってあり、僕は1人で興奮していた。

思わず僕は店員さんにソーキそばを頼むのと同時に那古野パオロンズの選手のサインが飾ってあるのすごいですねと言うと春季キャンプで沖縄に来て向かいの球場でやってるので春はよく選手が来ますよと説明があった。

そんな話を聞きながらソーキそばを食べているとあの選手もこのソーキそばを食べたのかなと考えていた。

そして寒端高校は沖縄国際空港に行き楽しい楽しい修学旅行が終わり那古野国際空港に戻ると7時半頃に川田高校の人も同じ日に帰ってきてこの前海で会ったよねと話をしていた。

帰ろうとしていたら同じクラスで同じ班の人が電車に乗ってすぐ顔が青ざめてどうしよう〜とずっと言っている。

僕は最初は何か言っているなと思っていたがあまりにも何回も言うから僕は彼にどうしたのか尋ねた。そうしたら鞄を空港に忘れてきたと言ったので隣の駅に降りて那古野国際空港に戻った。

彼は鞄を見つけて電車に乗り家に帰ると9時を回っていてホントならもう少し早く帰って来れたのにと1人で呟いていた。


練習

修学旅行が終わり音楽部はジョイントコンサートの練習で女子校の蓮花女子(れんかじょし)高校で練習することになった。

実はこの蓮花女子高校は僕の家から近く他の部員は電車で来たり自転車で来る人もいる中唯一僕は歩いて学校に向かった。

高校に入りオシャレな雰囲気でこれがホントに高校なのかと思うほどだった。

僕らが入ると他の高校は自主練をしていて集合時間になり6校が1度教室に集まり、それぞれの高校の部長が挨拶すると言うことで僕は音楽部での活動等を簡単に説明をした。

そして午前中に男声合唱、女声合唱に分かれて練習をしていた。合同練習出来る機会は中々なく短時間で集中して練習をするように坂本先生から男声合唱一同に伝えた。

そして2時間みっちり練習をしてそれぞれの課題を持ってそれぞれの学校に帰って練習しようと蓮花女子以外の5校はそれぞれ話し合った。

そして1度お昼休憩で食堂に6校が集まりお昼を食べて普段話すことのない他校の人と話して僕ら寒端高校は男子校で女の子と話すことが少なく部員の中には女の子とばかり話す部員もいた。

お昼を食べ終わり午後からは全体練習をしており30分後に各高校の部長は別室に来るように言われて僕は別室に向かった。

そこで各高校の部長に紙が配布されて見ると当日各高校がそれぞれ歌う前に部長が一言述べることになっているがそれとは別にジョイントコンサートが始まる前に言う台詞を考えて言うように言われた。

僕は2回言う台詞を考えることになったが僕1人の意見だけではいけないと思い後で他の部員や坂本先生と話して決めようと思った。

合同練習が終わり次の日からどこを改善したらよくなるのか、そして寒端高校として何を言うか話し合いこの単語は入れた方がいい、こういう文章の方が伝わりやすいと色々な意見をもらい僕はまとめて坂本先生に見せた。坂本先生はこれならいいと思うと言われて全体の方は何を言うか決めているのか聞かれて僕は同じことを言ってもよくなくてまだ考えてるところですと答えた。


3年生

春休みが過ぎ僕は3年生になった。今年も隆俊とは同じクラスになれず結局12年間で1度も同じクラスになることは出来なかった。

僕は実、貴史、雅仁、光彦と同じクラスになれればいいなと思っていて貴史、雅仁と同じクラスになることが出来た。

しかしどこを見ても実の名前がなく貴史に実が名前がない理由を聞くと家族の都合で転校することになったと聞いた。

僕は実に何故教えてくれなかったのか聞くと僕とずっと居たから言いずらかったよと言われてじゃあまた連絡取って会おうと約束をした。

始業式の後に練習をする予定だったが坂本先生は出張で急遽練習はなくなって久しぶりの休みだし僕は貴史、雅仁と共にカラオケに行ってその後晩御飯を食べた。

次の日授業後音楽室でジョイントコンサートに向けての練習と部活動紹介に向けた練習をしていた。

この年から始業式が時間がかかりすぎるから部活動紹介を別の日にやることが決まっていた。

部活動紹介の日午後1時からで挨拶をして披露することになっていた。いう言葉は予め決めていたが午後1時なので初っ端おはようございますというかこんにちはというかで僕は悩んでいた。

僕は1年生に向けて「1年生の皆さんこんばんにちは」周りは凍っている中披露した。

僕は貴史にヤバいやらかしたねと話すと貴史は逆に掴みが取れたからよかったよと話していた。

高校別で歌う曲でインパクトがあった方がいいなとなり、ある曲のサビで語りが入るシーンがある。

ここで僕がパネルに松田梨恵(りええ)の写真を貼って抱きついたら面白いんじゃないかとなり僕も賛同した。

この時僕は面白そうだけどホントにやるのかと半信半疑でいた。

そして無事に部活動紹介が終わり新入部員も増えてついにジョイントコンサートの日が明日となった。


朝早く

僕は3年生になりテスト期間中や色々と朝早く学校に行かなくてはならない事情があった。

電車は最寄り駅6時半発の電車で知那の乗っている電車に合わせて僕も乗っていた。この時に僕は知那美のことが気になっていたが、知那美は僕のことなんとも思っていなし時々同じ電車で野球のことを話すだけの人しか見られていないと思っており、実にそのことを話した。

そうすると実は知那美からメールが来て、話も合うしイヤじゃないよと言っていた。

僕はにわかに信じられなかったがそれがホントで僕が知那美に思いを伝えていたら人生初のカノジョが出来ていたかも知れない。

仮に高校時代に戻れるなら知那美に思いを伝えたい。


ジョイントコンサート

ジョイントコンサートは午後1時から2時間を予定しているがその前にゲネプロ(通し稽古)をするために朝9時から会場にいた。男声合唱、全体合唱をしていて坂本先生は全体に向かって怒った。

それは今まで何を練習してきたのか、数時間後にはお客さんが入って聞いてもらうのにこれだとジョイントコンサートは開催出来ないと強い口調で言った。

そして僕も含め一同は気合いを入れ直して時間の限り練習をした。

お昼を早めに食べて他の高校は最後の足掻(あが)きじゃないが時間になるまで練習をしていた。ところが寒端高校はと言うと携帯ゲームで遊んでいてそれを見かけた別の先生からお前ら緊張感ないんか、周りをよく見ろと一喝された。

僕自身注意をしなければいけなかったのだが僕も初めて合同でやるのと台詞の確認で頭がいっぱいでそこまで頭が回らなかった。

始まる15分前に僕は他校の部長と共に影アナをするために放送室に集まっていた。

僕は緊張のあまり足が震えていると蓮花女子高校の部長の藤原美姫(ふじわらみき)僕の手を握り大丈夫だよ途中で噛んだり言い間違いしても私たちがちゃんとフォローするからと優しくしてくれた。

そして開演時間の1時になり冒頭美姫が喋り始めて最後に僕が話して緞帳(どんちょう)の幕が開いた。

僕らは急いでみんなの所に向かった。この時僕は幸先のいいスタートを切れてよかったと思い全体合唱を歌った。

その後寒端高校は1度裏に戻って僕は水分補給をしていた。

寒端高校の出番5分前に僕は部員を呼んで円陣を組み部員に今までの練習を思い出してお客さんに感動を与えようと言って気合いを入れた。

寒端高校は再び舞台に戻って僕は寒端高校の部長として挨拶をしてまず校歌を歌って次に寒端高校の見せ場と言える曲を歌いサビに入った。

僕は前で語っている所に貴史がパネルを持ってきて僕はパネルに抱きついたその時、周りには聞こえないがパネルがバキッと音が鳴り僕はヤバいやらかしたと白目で戻って平然と歌い続けた。

そんなハプニングもありながらも無事ジョイントコンサートは終わった。

帰りに光彦から人が真剣に歌っているのに笑かそうとするなと言われて俺もあの時パニックになってさと数年経っても言われることになる。


共学説

寒端高校は僕がいた当時開校して40年近くがなっていて2年後に共学になるのではないかという話が出てきた。

周りにある高校や僕の知っている共学の高校でも元々男子校、女子校から共学になった学校を何校か知っていて正直僕はなぜ寒端高校がこのタイミングで共学にする必要があるのかと思っていた。

自分がいなくなってから寒端高校に女の子が来ることに対して僻(ひが)みもあるがそれ以上にトイレは、更衣室は等どこに作るのか。

それ以外にも寒端高校は見た感じお世辞にもキレイとは到底言えない。

ここにホントに女の子が来て大丈夫なのか。そして僕らが歩いている道はとても狭くて街頭もほぼなくて僕らが日没に歩くのでさえ怖いと思うのにここに女の子が歩くと思うとどうなのかなって思ってしまう。


市民オペラ

夏休みに入ったある日坂本先生から寒端高校に市民オペラに参加して欲しいとオファーが届いたと伝えられた。

市民オペラには寒端高校以外にも別の合唱部、幼稚園、小学生、中学生、大学生や地元の合唱団と老若男女問わず色々な人が参加すると坂本先生から伝えられた。

坂本先生は浮かない表情をしていて僕は坂本先生に理由を尋ねると夏と冬に学校見学会あって時間を割きたいのに市民オペラをするにあたって休みの日に全体練習があるから市民オペラに比重を置かなくてはいけないからな……と言っていた。

とはいえ僕はオペラに出るなんて1回あるかどうかだからと思っていた。夏休みに入る前自動車学校の入校の説明があり満18歳になっていた音楽部の雅仁と光彦は地元の自動車学校に通っていた。

市民オペラの責任者の人から学校や自動車学校等色々あって忙しいと思われますが市民オペラが終わるまでは基本的にこっちを優先するように言った。

それを聞いた自動車学校に通っている人からこっちも予め予定を組まれてやってるから時間が重複したら無理だよと話をしていて僕はその場合は連絡して欲しいと伝えた。

夏休みは学校見学会と市民オペラの練習で中々忙しい夏休みを過ごした。


受験

夏休みが終わり大学に行くのか就職するのか進路を決める時期になってきて僕は高校出てすぐ就職と言うのは考えてなく大学進学を考えていて中学の時とは違って、高校の時は評定もそれなりにあって選択肢が多かった。

その中で僕は幾つか候補を決めて家族と協議した結果那古野学園大学経済学部を受験することに決まった。この那古野学園大学の推薦入試は面接ではなく小論文だった。

この時僕は小論文?文章書かなきゃいけないのか……どうしようと思っていた。担任の先生が国語の教科担でもあり担任の先生から今日から新聞の気になったニュースをピックアップして小論文を書く練習をすることが決まった。

本来ならば毎日小論文の練習をしなくてはならないが並行してオペラの練習も学校帰りや土日に公民館や小学校の体育館で練習をしていた。

オペラの練習が終わって僕は時間を見つけては新聞を読んで原稿用紙に書いた。書いた原稿用紙を担任の先生に見せて添削してもらうとどこを直した方がいいか書かれていた。

この練習を試験前日まで行われていてこの日も担任の先生から指摘されて明日試験を迎えることになる。

試験当日僕は会場へと向かった。推薦入試だから余程のことがない限り合格すると思っていたが不安でいっぱいだった。そして教室に入り試験時間まで待っていた。

時間になり問題が配られて見るとニュースで見たことのある問題で新聞でも取り上げられて1度書いて添削してもらったことのある問題だった。

僕はラッキーだと思い添削で注意するようにと言われたことを思い出しながら小論文を書き60分の試験で50分で終わり、誤字脱字や句読点が間違っていないか確認をしていた。

試験の帰りに周りに何があるか確認をして僕はカフェで珈琲を飲みやっと終わったと後は結果を待つだけでいた。

そして数日後自宅に那古野学園大学からの合格通知が届き安堵する思いでいた。

この期間僕は音楽部に行けず副部長の貴史に任せることも多く、進路を決まったことを貴史にメールして明日からまた部活に戻るからと送った。

僕は部活復帰して卒業まで残り数ヶ月で後は部活に専念することが出来る。

音楽部の練習もオペラの練習で部活終わりにみんなで集まって練習することが増えてきた。

そこで練習する前に僕は坂本先生から2000円借りてファストフードで早めに夕御飯を食べて練習する日が多くなってきた。

休みの日は朝から晩まで練習していたのでその中で自動車学校に通っていた部員はホントにすごいなと思っていた。


市民オペラ本番

年が明けた1月半ば市民オペラ当日となりオペラ用のメイクをしマスクを付けて電車に乗った。

会場に着きゲネプロは身内も観れると言うことで僕の家族はゲネプロで観た。

ジョイントコンサートの時もそうだったがゲネプロで注意を受けてるなんてどうなんだろうって思っていた。

ゲネプロが終わってお昼を食べて本番を迎える。練習通りやって無事に終わった後に数ヶ月だけど楽屋でお菓子やサンドウィッチ等の軽食が振る舞われオペラ等の思い出を話したり寒端高校の自動車学校に通いながらオペラに参加するって大変だねと色々な話をしていた。

寒端高校な卒業する時に各自または団体で1つの作品を提出しなければならないが僕ら音楽部はオペラのデモと原稿用紙3枚程度書いて坂本先生に渡すように言われた。

3年生はオペラの内容やオペラをやって大変だったこと、よかったことなどをまとめて僕の所に渡させた。

そして最後に僕が表紙を書いて坂本先生に提出をした。卒業式に卒業証書の他に卒業テーマの優秀作品等が載っていて僕は眺めているとなんか見覚えのある字が見えてあ、僕ら音楽部のオペラのやつが最優秀賞に選ばれていてすごい嬉しかった。

貴史と光彦は大学に進学し、雅仁は就職した。中学までは毎日のように一緒にいた隆俊は高校ではあまり話さなくなったが就職が決まったと風の便りで聞いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る