3年生

春休み

2月のスキー合宿が終わり3月、終業式を迎えて春休みとなった。僕は春休みで部活漬けだと思っていたが今年はどうやら様子が違う。

僕には4歳離れた兄がおりその兄が遠方の大学進学が決まり家族は兄の住まい探しや住むための準備をするため僕も付いていくのかと思っていたが寝床がないので僕は1週間祖父母の家に行くこととなった。

しかしこの祖父母の家に向かう時に事件は起きた。僕は祖父母の家に行くため那古野駅に向かった。

そして切符を改札に入れた時何故か開かなかった。

あれ、何故開かないのか確認すると行きと帰りのチケットが逆になっていた。

祖父母の家に郵送で荷物の中に行きのチケットを入れて僕の手元にあったのは帰りのチケットがあった。僕は腕時計を見る。

電車は12時発でその事に気がついたのは15分前の11時45分を指していて急いでチケットを買い直してホームに向かう。

5分前に電車に無事乗ることが出来て予定通り電車は出発した。もしこれに逃していたら次の電車が2時間後で何をしたらいいか分からず待ちぼうけになることになった。

僕は3時間の長旅をずっと景色を見ているのも難しいと思い僕は携帯用ゲーム機を持ってきていた。

僕は電車の中で野球ゲームに夢中になりすぎて景色を見ようと思っていたがとうとう景色を見ずに駅に着いていた。

改札を出ると親戚の人が迎えに来てくれて祖父母の家に向かい、駅を出て車を走らせること20分走った。

自宅に着き、長旅で疲れたと思うと祖母は僕にお茶とお菓子を差し出してくれて食べていた。

そして僕はテレビを観ていると晩御飯を食べるよと言われリビングに向かい、この日はすき焼きで僕は時計を見る。

時間は夕方の5時で僕は晩御飯ではなく夕御飯と言った方が正しい。普段家では夜の7時にご飯を食べることが多いので2時間ほどの時差がある。

親戚の間ではご飯を食べるの早いから夏だとサマータイムだと言う話で盛り上がる。

と言うのも僕の祖父は漁に行っているため朝が早いため祖母は夜の7時には就寝している。

そのためご飯を食べる時間は2時間前倒しで動く。僕はさすがに7時には寝れず、この日はシーツを敷きテレビを観て9時に眠たくなり寝た。

9時でも中学生が寝るには少し早い。次の日僕は7時に起きて朝食を取り、こっちにいる間何もしないと身体がなまってしまうので近くの公園でランニング、素振り、壁当てをする等出来ることをやった。

ご飯の時間帯に近づくと1度家に戻りお昼ご飯を食べた。そしてまた公園に行って再び素振り等をして夕御飯を食べた。

そして3日程同じ日々を過ごしていた。その日の夜祖父に誘われて、僕も漁に同乗しないかと言われてこんな機会中々ないと思い僕はいつも通り5時に夕御飯を食べて2時起床と言われていたので早めに寝た。

そして翌日、僕は祖父に起こしてもらい軽くおにぎりとサンドウィッチを食べて2時半に家を出て自転車で15分程の漁港に向かった。

陽も出ていない真っ暗の中を自転車で祖父と2人で走らせて漁港に着いた。

僕は祖父の漁仲間に挨拶をした。その後僕は長靴に履き替えて船は海に出る。

網の中には初めて見るような魚が沢山あり生きている魚を間近で見て感動し、漁仲間は僕に生簀の中から魚を取りその場でお刺身にしてくれた。

今さっきまで生簀(いけす)にいた魚が刺身になっていたのを食べて新鮮で美味しく感動した。

その後船は漁港に戻り辺りはすっかり明るくなり陽も昇っていた。僕は祖父と漁仲間にお礼を伝えるとお土産として魚を持って返ってきた。

家に戻ると祖母はお昼に粗煮汁を作るため早速調理にとりかかった。粗煮汁を飲み刺身を食べるなど豪勢なお昼ご飯を食べた。

次の日祖父母の知り合いの法事に行くためバスで向かった。

僕は初めて会うだろう人に誠人君久しぶりだね〜と言われたが僕は軽く会釈をしたが会った記憶が全くない。来てよかったのかなと思いつつ食事をして祖父母の家に戻った。

普段食べられない美味しいものを食べていつもよりも時間がゆっくり過ぎている感じがした僕はこのままずっとここにいてもいいなってすら思えてきた。だが帰りの日は決まっている。

7日目にお昼ご飯を食べて親戚にまた駅まで送ってもらった。僕は駅に着き電車に乗って那古野駅に戻った。

電車が到着したホームには兄の大学準備を終えた家族が待っており祖父母の家にいた時の話を帰りの電車の中で話していた。

次の日僕は1週間ぶりの部活に行った。

そうするとどこからの情報なのか分からないが日本に居たのにも関わらず何故かハワイやグアム等に行ったと思われていた。春休み僕は部活に行く度に部員からこの話題ばかり聞かれていた。


3年生進級

色々あった春休みが終わり僕は3年生になった。中学3年生と言うことは義務教育最終学年になり、ほぼ全員が高校に進学するが強制ではなくあくまでも任意になる。

僕は隆俊と一緒にガラスに貼られているクラス発表の紙を見て今年も隆俊と同じクラスにならずとうとう義務教育9年間1度も同じクラスにならなかった。

そして同時期2個下の幼馴染の女の子美紅が河浜中学校に入学してきた。家が近所ということもあり朝や帰りに会ったら一緒に登校をしていた。

ある日、僕は美紅と共に学校に向かっていると同級生の野球部員と会って冗談ぽく「お前ら付き合っているのか?」僕らはそんなつもりはなく野球部員に近くであったから一緒に来たと伝えた。

3年生になって1年、2年生の時とは違い受験を控えており私立に進学する人は1学期までの評定が高校に送られる。なので放課後部活で家に帰り宿題と学習塾に行く日々が続き遊ぶ時間などない。

4月下旬のある日、部活の帰りに監督から総体の組み合わせが配られた。トーナメント表を見ると部員全員がガッツポーズをした。理由は対戦相手が……と言うわけではない。

部員が喜んでいたのは総体の開会式に行われる市民球場で試合が出来るからだ。市民球場で試合が出来るのは2試合4チームしかなく僕らは運良くその4チームに入った。

市民球場は高校野球で使われていたり社会人、プロ野球のオープン戦や2軍ではあるがプロが使用する球場で試合が出来ると思うとワクワクしていた。


総体

開会式が終わり背番号をもらった部員はベンチに座る。それ以外はスタンドで応援する。

僕は背番号をもらわなかったがスタンドにはいない。

その時僕は普段はやりたがらないボファールボールやホームランになった時に審判にボールを渡しに行くボールボーイにいつも以上に早く立候補してベンチ横にいた。

普段はやりたがらないのになぜこの時は立候補したかと言うと間近で野球を観たかったという下心で僕はグローブを持って座っていた。

キャプテンの隆俊はメンバー表を渡しに行く。そして電光掲示板にはスタメンが表示されてベンチ、スタンド、ボールボーイ全員がお〜と響(どよめ)いた。

そして後攻の河浜中学校エースの隆俊が相手打者から空振りを取るとストライクのランプが付きまた歓声がおきた。その後ヒット、タイムリーを打って電光掲示板に表示されるとその度に歓声がおきた。

だが試合の結果はというと峠東中学校に5対2と負けて背番号をもらった背番号組は冗談で甲子園で負けた選手が土を持って帰るように俺らもこの土を持って返るかと談笑していた。

この大会で負けたということは僕らに残された大会は夏の大会1つしかないと言うこと。


修学旅行

修学旅行は3日間予定されており、初日は群馬に観光し2日目は東京観光、3日目は千葉のネズミーランドに行くという予定になっている。

2年生の時に同じクラスだった克也と3年生でも同じクラスになり終始僕は克也と一緒にいた。

初日に那古野(なごの)駅からの新幹線、川下駅に着き待っているクラス毎にバスに乗り込んだ。現在は完成している墨田スカイタワーが当時は建設真っ最中で完成したらどうなるのか楽しみにしていた。

河浜中学校を乗せたバスは全国有数の滝の1つ小泉の滝に向かった。

そして高くから流れる小泉の滝を見て感動し、次は夏川東照宮に向かいここは群馬の有数の観光スポットの1つとなっている。お昼ご飯を食べてバスは旅館に向かった。

僕は克也と次の日東京観光で色々周るの楽しみだねと話していた。クラスの5人で1グループで夕方6時に玉川タワー集合でそれまでは目安として何時頃にどこに着いて所要時間と料金はどれぐらいかかるのかを予め担任の先生に提出していた。

2日目僕は班の人達とまずは古鳥駅に向かった。古鳥駅に着き近くにある繁華街にあるファストフードに立ち寄り少し早めの昼食を済ませた。そこから歩いて10分程にあるALOHAに向かって歩いた。

ここに行く目的はテレビ番組のオープニングでALOHAで写りに行くことだった。どう映っているか確認するため修学旅行に行く前に事前予約していた。

現地に着くと後ろの人の邪魔になるからとジャンプすることは控えてくださいとアナウンスがあった。

そして係の人がカウントを初めて僕は思わず手を振り飛んでしまっていた。

撮影が終わり僕らはテレビ局に向かっていた。

テレビ局に行くと僕らの班以外にも沢山の班が来ていて何故中学生はテレビ局に集まり何に魅了されるのかと思っていた。

その後僕と克也は班の人にどうしても行きたいと懇願した読売ドームに向かった。

僕と克也は見た以上に大きくて感動し、読売ドームには野球博物館があるので入場料を払った。

僕と克也は名だたる選手の石碑や記念品を見て興奮がとまらず博物館の人に許可をもらい使い捨てカメラで写真を撮りまくった、

出口付近にバーチャルバッディングを楽しめるコーナーがあって1人ずつバッディングを楽しんでいた。

そして1人の女の子がバットを振るとホームランの表示されて班の5人はすごいなと称えていた。

読売ドームを出た僕らは別の港に近いテレビ局に向かった。その時にいたテレビ局のマスコットキャラクターがいたのでみんなで写真を撮ってもらい時計を見ると5時を回っていたので僕らは玉川タワーに向かった。

6時15分前には全員集まってバスに乗り江戸川ホテルに向かった。

江戸川ホテルでこの日の思い出を克也と終始話しており2人でユニットバスのお風呂に入った。

3日目みんなが楽しみにしていたネズミーランドに行きジェットコースターに乗る人も居れば他のアトラクションに乗る人、他にもパレードを見る人各々に分かれて行動していた。

僕と克也はジェットコースターがあまり得意ではなかったのだが班の人にジェットコースターに乗る条件として読売ドームに行かせてもらったのでこの期に及んでジェットコースターに乗りたくないとは言えずアトラクションの列に並んだ。

高所恐怖症と言う訳では無いがジェットコースター特有の浮いた感じや落ちるのがどうしても好きになれなかった。

班の1人にこのアトラクションは最後落ちる前にカメラがあるからキメ顔をするように僕に伝えていたがいざジェットコースターに乗ると僕は気が気ではなく早く終わって欲しいという一心でしかなかった。

そして写真を見るとやはり僕は下を向いていて班の1人に下向いてたらダメじゃんと言う会話をしていた。

時間になり僕らはネズミーランドを後にして川下駅に戻り新幹線に乗って愛知に帰った。

僕は家に帰り一目散で録画したALOHA前のオープニングを見てみると文字の真ん中に僕の顔があり誰よりも長く映っていてとても嬉しかった。


梅雨突入

楽しい修学旅行が終わり夏の大会に向けて練習に力が入る。

6月中旬梅雨入りしグラウンドで練習出来る日が少なく雨の日の練習は階段を登ったり筋トレしたり教室を借りれる時は教室にネットを立ててミート打撃を意識する為にシャトルを打つ練習をしていた。

大雨が降ったある日室内練習をしていた僕らは突然監督の一言で外に出るように言われて陸上部の砂場に集められた正座をしていた。

監督が僕らを呼んだのは僕らが練習を怠慢にしていて夏の大会まで後1ヶ月もないのに怠慢なのはダメだと喝をいれた。その後部活終了時間となり、教室に戻りリュックや鞄を持って帰っていった。

次の日貴重な晴れで僕らはノックやランニング、実戦形式とグラウンドを駆け回った。土日は大会が近いこともあり練習試合を多く組まれていた。

僕は試合に出られたとしてもこの試合はみんな出すと明言されている時しか出場出来なかったがグラウンドに出て試合に出ることがとても嬉しかった。

7月に入り監督は背番号を持って今から背番号を発表すると言って呼ばれたら取りに来るように言った。

1番松中隆俊と呼ばれ隆俊は背番号を受け取った。その後僕は背番号を呼ばれることはなかった。

やはり背番号をもらえず終いだと思っていたが最後に25番皆川誠人と呼ばれ監督から手作りの背番号を受け取った。

昨年まで手作りの背番号を渡していなかったのでとても嬉しく、それだけでなく先輩と後輩でペアになってキャッチボールをしたりトスバッティングをしたりするのが河浜中学校野球部の習わしで後輩の井川純一(いがわじゅんいち)からボールにコメントを書いた純一から渡された。

監督からはみんなに背番号をあげたいが数に決まりがあるからもらえなかったものは全力でサポートするように言い、応援する部員も手作りの背番号を背負って全員で戦っていることを忘れないようにと伝えた。

夏の大会最後の練習を終えてキャプテンの隆俊は部員全員をマウンドに集めた。

1人ずつ意気込みを言い、最後にキャプテンの隆俊が絶対全国行くぞ〜!と声をかけ明日の試合を勝つことだけを考えていた。

次の日、1回戦は総体で対戦した峠東中学校と再び対戦することになる。

キャプテンの隆俊は2度も同じ相手に負けるわけにはいかないという思いでキャプテンとしてエースとしてマウンドに上がった。

隆俊の闘志溢れる投球に峠東中学校を6回まで1安打四死球0の完璧のピッチングを見せた。

しかし6回まで全力投球していた隆俊は7回疲れが出てきて球威が落ちたストレートを西中学の3番打者に2塁打を打たれてしまう。

続く4番打者をセカンドゴロに打ち取り1アウトランナー3塁となる。ここでキャッチャーの清水がタイムをかけて隆俊のもとに行く。

清水は隆俊に一言、疲れているけど俺のミットド真ん中に全力投球で投げてこいと伝えて戻った。5番打者を見逃し三振に取り、6番打者がレフト前に抜けるかという打球をショート長田の攻守で捕球しそのまま1塁に送球し3アウトチェンジだと思われた。

誰しも延長戦を戦うものだと思われたが1塁審判は手を横に広げている。一瞬僕らは空気が凍りつき何がおきたのか分からないような感じだった。

そしてこらは誤審だ、監督はなぜ主審に言いに行かないのかと思っていた。だがベンチメンバーはホームベースを挟み、挨拶をしている。

この瞬間負けたんだ、僕らはの夏は終わりこの仲間と共に野球が出来なくなるんだと思うと目から涙が止まらなかった。

そして木陰に行き、監督が3年生に一言ずつ言葉をかけていき僕の番になると監督は「背番号を渡すことは出来なかったが野球部の為にありがとう。

そして「お前は泣きすぎだ」僕はあんな負け方をしたからこそ悔しくてたまらなかった。僕は隆俊とこれで中学野球が終わると思うと寂しいなと言いながら帰った。


夏休み

部活が終わり次の日に終業式があり、いつもより長い夏休みが過ごせるなと思っていたがそうもいかない。それは受験に向けて僕は夏休みの間只管(ひたすら)学習塾に通うことになるからだ。

勿論祖父母の家に帰らず、友達とも遊ばず学習塾にいると僕は思っていた。

しかしある日塾が昼間で終わり克也から電話がかかってきた。夏休みだしどこか行こうと誘われ近くのカラオケボックス集合と言うことで歩いて向かった。

僕は往年の名曲や最近の流行りの曲等を歌いその後ファミレスでお昼ご飯を食べてお互いに受験は大変だけど頑張ろうと言いあった。

夏休みに登校日があり勉強の苦手な何人か選抜されて補習をしていた。

基礎問題を中心にやっていたが僕は特に数学が苦手だった。数学の先生に1問解いては持っていきそれを繰り返していると数学の先生から紙にある文字が書かれていた。「ガンバレ単品君」今後このあだ名で行こうかなと思うぐらいだった。

この夏休みの間に僕は何校か行こうと考えている私立高校の学校説明会に行った。1校は家からもそんなに遠くなく、家の近くからスクールバスが出ているのでこの高校に行きたいと思っていた。

そしてもう1校は隣町の学校で車でも30分以上、電車で乗り継いで最寄駅から徒歩15分(実際歩いて30分)と看板に書いてある。

行きは車で学校に行き、帰りは学校から駅まで歩く、周りには山があって近くには川が流れる。そしてもう少し奥にはなんとダムが見える。

僕はここまで通うとなったら大変だし、より一層地元の川田高校に進学したいと考えた。


夏休みが終わり

夏休みの宿題と学習塾、塾の宿題と追われた夏休みが終わり2学期に入った。いつも通りの普段の宿題(漢字ノート、英語のBノート、各教科のワーク、日々の授業を振り返る追究)、そして塾の宿題と夏休みが明けてからというものの今まで以上に勉強をする量が増えて言った気がする。

そのうえテスト勉強もしなくてはいけないのでホント朝から晩まで勉強をしていた感じがする。

その成果が出ればいいが成果というものは中々出ず担任の先生にこのままでは行きたい川田高校行けないよと勧告された。立冬が過ぎたある日この3者面談で私立高校1本で行く者、公立高校の滑り止めとして私立高校を受ける者がいるがこの3者面談で受験する私立高校を選ぶことになっている。

開口一番、担任の先生は僕に隣町の寒端高校を強く勧めてきた。

それは成績のこともあるが隣町の男子校の寒端高校と僕の行きたいと考えている川田高校は同じ日に試験が行われるのでムリにチャレンジするよりも確実に行ける寒端高校を選んだ方が僕のためだと念押した。

僕は推薦で隣町の寒端高校を受験することを担任の先生に伝えて願書を取り寄せた。


受験当日

冬休みが終わり1月下旬、遂に僕は受験当日を迎え、始発電車に乗るため駅に向かった。

駅のホームには雪が積もっており僕は電車で途中の駅まで行ければ学校のスクールバスが来る。

それに乗れなければ1時間かけて行かなくてはならず、それもいつ電車が止まってもおかしくない程雪が降っている。僕は勉強よりも電車がちゃんと辿り着くのかとそっちを心配していた。

そして僕は無事に駅に着くことが出来た。バスに乗ると遅れて隆俊と野球部の1人が乗ってきた。

僕は会ったことがなかったがもう1人河浜中学校から寒端高校に行くと聞いていた。

一同を乗せたバスは寒端高校に着いた。筆記試験と面接が行われて僕はまずまずの手応えだった。受験が終わり数日後家には合格通知が届いて家族は喜んでくれてお祝いのパーティーをしてくれた。


卒業式

そして無事に進路が決まった僕は悠々自適の暮らしをして卒業式を迎えた。

卒業証書をもらい、克也ともこれからは別の進路を歩むことになると思うと少し寂しい思いもしたので克也は僕にメールアドレスを教えてくれてまた時間があったらお互いに会って遊ぼうと約束し門出を祝った。

最後外に出て後輩が見送ってくれるところに美紅の姿があった。

僕は美紅の姿を見つけ軽く会釈すると美紅は笑顔で見送ってくれた。

毎日が忙しくて激動の中学校生活だったがその中でも楽しく色々な人と出会いをした。

千紘と会えるのもこの日で最後だと思うと名残惜しい思いでいっぱいだった。

卒業式が終わり僕は美紅と会い、夢を叶えたいと言っていたが具体的に聞かなかったが僕は美紅に困ったらいつでも連絡してきて欲しいと連絡先を教えた。

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