中学校

中学校入学

僕は美河谷小学校を卒業し、程なくして河浜中学校に入学することになる。この河浜中学校は僕の通っていた美河小学校の他に四島小学校、喜多村小学校の3校が河浜中学校に通うことになる。

そして河南中学校は1学年10クラス350人で3学年合わせると1000人を超えるマンモス校と言える。河浜中学校は私立ではなく、市が運営する一般の公立中学校だ。

そして僕の住む街は教育熱心としても知られておりその中でも僕の通う河浜中学校は歩いてすぐのところには河合中央高校があり、愛知県では1位を争う進学校がある。

河浜中学校の人は河合高校を別名「最も近くて最も遠い高校」と呼んでいる。

それだけにとどまらず市内の人は敢えて河浜中学校の校区に引越して河合高校へ行かせようと考える人も少なからずいた。


クラス発表

僕と隆敏は入学式が終わり、ガラスに貼られたクラス発表の紙を見る。小学校の時同様僕と隆敏は別のクラスだった。

僕たちは小学校の時同様に部活何部に入るかと言う話に出た。河浜中学校は小学校の時よりも沢山の部活があり2人で何部に入るか悩んでいた。

足の速い隆敏は陸上部に入ろうかなって話をしており、お互いに小学校の時みたいに体験入部を通じて何部に入るか決めようと言うことになった。

この体験入部だが小学校の時と中学校では異なる点が1つある。

それは僕の地元では5月に総合体育大会(通称総体)が中央総合公園にある野球場にて市内の中学校が一同に集まる。そして1年生はスタンドで応援することが河南中学校の習わしとなっている。

体験入部が終わり1年生は渡り廊下に集められて帰宅時間までメガホンを振って応援の練習をする。そして5月に入り、総体が行われ僕は声を枯らしながら応援をした。

総体が終わり、体験入部から本入部に移ろうとしていた時僕は隆敏と話をしていた。

隆敏は僕に野球部に入ることにするよ、誠人はどうする?僕は陸上部もいいかなと思っていたが野球部に入ることを決めた。


恒例行事

僕の中学校では体育の授業は2クラスずつに分かれて行われていた。僕は体育の先生と授業が始まる前に毎回相撲をやってから体育の授業が始まる前の恒例行事となっていた。それは運動場、体育館、柔道場と場所を問わず行われていた。


野球部入部

僕は晴れて野球部の一員となったがいきなり練習とはいかず、小学校の時同様に筋トレとランニングの日々が続く。筋トレの中に肩入れというメニューがある。

僕はこの肩入れが出来ず、見よう見まねでやって終わりまたランニングを始めるといった感じでやっていた。

そんな日々が1ヶ月、2ヶ月と過ぎて気がついたら3年生の夏の大会が行われた。1回戦敗退で3年生の夏が終わり、僕ら1年生も本格的に練習に参加することになる。

これには1つ理由があり、9月に1年生大会が行われるからだ。監督は1年生、2年生の練習を見ながら1年生の適正ポジション、打順と色々と考えなくてはならない。

紅白戦で1年生と2年生に分かれて試合を行ったり、他校と練習試合を2試合行い、1試合は1年生、2年生混同でもう1試合は1年生大会に向けてオール1年生で対戦した。

この試合は勝敗関係なく内容を見るもので試合後反省会をしていた。

そして夏休みが過ぎた9月、1年生大会のメンバーが発表された。僕は呼ばれず、隆敏は背番号11で2番手投手として期待されていた。

1年生大会1回戦相手は運悪く前年優勝の並河中学校で3x対2のサヨナラ負けだった。隆敏も最終回のピンチの場面で登板し、甘く入ったカーブをセンター前にポトリとヒットを打たれてしまった。

僕は帰りに隆敏と一緒に帰り隆敏はすごい落ち込んでいたので何も言わず家に帰る。僕は家に帰ると電話が鳴って取ると隆敏からの電話だった。

誠人、さっきはサヨナラ負けで落ち込んだままで帰った時何も声をかけないで傍に居てくれてありがとう。

ずっと俯いたままだといかんから今から公園に行ってキャッチボールしようと誘われて僕はクローブとボールを持って公園に向かった。

公園で僕と隆敏はキャッチボールをしていると変わった変化をしたので僕は壁越しに座り隆敏はフシギな変化球を投げた。その後ダウンをして隆敏は決め球に出来たらなと一言を残して帰っていった。


野外ステージ!?

中学校の行事には主に体育祭、文化祭、マラソン大会(個人とは別にクラス対抗の継走もあり)の3大イベントがありその中でも文化祭はクラス毎の出し物があり、合唱コンクールと年に1度の祭典とも言える。その文化祭だが1番盛り上がるのは野外ステージと言っても過言ではない。

この野外ステージは文化祭が始まる1か月前に生徒会に届け出をする必要がある。個人で出てもいいし、複数人で出てもいいし、はたまた団体として部活の1年生だけのように様々な人が野外ステージに出場する人がいる。

僕は言われるがままダンスを踊ったりして野外ステージは大いに盛り上がった。

文化祭が終わり数日が経ち、クラスメイトや廊下を歩く度に声をかけられてちょっとしたハーレムのような感じがして少し有頂天になっていた。

この野外ステージが僕は面白くて楽しくて来年、再来年も出るならやりたいなと思っていた。


学習塾

僕は部活に没頭している一方で勉強の方はさっぱりだった。河浜中学校は坂の真ん中に学校があり、坂を登りきったところにはコンビニがある。

コンビニの入りくんだところに学習塾がある。この学習塾は進学校を目指す集団コースと現象の成績をアップしようとする個別コースのクラスの2つがある。そして僕は個別コースに入る。

そして個別コースには1学年上の女の子木元美紀(きもとみき)がいた。授業後に美紀は僕に話しかけて他愛の話をしていた。

そして次の日僕はいつものように学校に行く。渡り廊下を歩いていると僕は見た事のある女の子を見つけた。

それは昨日学習塾で出会った美紀でお互いに目が合って僕は頭を下げてペコりとした。

昨日は知らなかったが実は僕と美紀は同じ河浜中学校という共通点があり授業の合間で会ったら「皆川君〜!」と声をかけてくれたり、学習塾でも授業が始まる前や終わった後にはお喋りをして美紀は僕を可愛がってくれたが、ある日事件が起きた。

僕はクラスメイトと共に音楽室に向かう途中この日も美紀に会って声をかけてくれて頭を下げると隣にいたクラスメイトが僕を茶化してきた。

美紀は僕の目を見ているのにも関わらず僕は目を逸らしてしまった。

そしてチャイムが鳴りお互いに渡り廊下を走っていった。僕は美紀に悪いことをしたなと思い、今度会ったら美紀にちゃんと謝ろうと思っていた。

別の日美紀は僕に声をかけてくれたが僕は謝るどころか無視をしてしまった。

それは美紀が声をかけてくれるのは嬉しいがまた他の人に茶化されるのがいやだったからだ。その日学習塾の授業が始まる前に美紀は僕に話しかけた。

皆川君、最近声をかけても無視したりするけど私のこと嫌い?

僕は首を横に振り美紀さんが声をかけてくれるのは嬉しいんですが周りが茶化してきたりして美紀さんが僕に気があると思われたら美紀さんに迷惑かけるなって思いまして……。

僕は美紀に経緯を説明すると美紀はそういうことだったんだ、てっきり嫌いになって無視したのかと思った。

僕はそんなことは決してないですよと言うと美紀は私でよかったらこれからもよろしくねと笑顔で言った。


冬休みが明けて

冬休みが終わり、日没が早く部活の練習時間も短くなんだか寂しい感じでいた。

3学期が始まり数日、テストがある。それは冬休みに宿題で配られたテキストの中から問題が出題される形式となる。テストはダメダメでテストが終わってやった〜、と言うふうにはならなかった。

何故ならこのテストが終わっても2週間後にはまた学年末テストが控えていてまたテスト勉強をしなくてはならない。

時期は違うが市主催の学力テストが年に2回あり、これは定期テストと違いどんな問題が出るのかは当日にならないと分からないので対策しようがない。

そういうこともあり僕はこの時1年間に何回テストがあるんだといいたくなる。

小学校の時は時間に余裕があり、佳奈のことを好意を持ったことがあったが中学に入り部活、勉強と忙しく中学では恋愛をすることはないだろうなと思っていた。


終業式が終わり……

この日は終業式で10時半に学校が終わり、1度家に帰りお昼ご飯を食べに帰って再び部活の為学校に行く。部活は14時からで13時頃僕と隆敏は学校に向かう。そして春に向けて練習をしている。

この日の練習は3時間と短い時間だったが僕はそのまま帰らずに僕と隆敏は部員の家に談笑しながら向かった。

中学校から歩いて数10分、部員の家に着いた。そして部員のお母さんは僕たちにお菓子を配っていた。

僕は何故か好意をそのまま受け取ればいいものの僕はお菓子は大丈夫ですと言って断っていた。

その後話し合いをしている間にお菓子は側溝に落ちた。

僕はすぐさま側溝を持ち上げて左足を溝に入れ、お菓子を取って足を戻そうとした時足に電気が走った。そして僕は立てず横になって動けなくなってしまった。

初めは足がつったと思ったが痛みがいつまでもよくならず、部員の家で涙を流して泣いている。

その後部員のお母さんに救急車を呼んでもらい、程なくして救急隊員の人が僕に話しかけた。

そして周りは何故か爆笑をしており、その隊員さんの名札をみると僕と同じ名字の皆川さんで僕は思った。

この笑いはそういうことなのかと悟った。それと同時に人がこんなに痛がっている中心配することも無く笑ってるってどうなんだと思いながら僕は近くの整形外科に運ばれた。

そして整形外科で足がつったから安静にするように言われた。

この時家の近くに新しい整形外科が出来ると言うことでセカンドオピニオンで病院に行った。診断結果は肉離れと言われ、当時ぽっちゃりしていた僕は足じゃなくてお腹が肉離れになれば痩せられるのになとつまらないことを考えていた。

そして僕は整形外科にリハビリを通うことになる。何度か通う中で僕は1人の男性と出会った。そして男性は僕に何年生かと聞き4月に中学2年になりますと答えた。何度か顔を合わせてリハビリをしていると4月になった。


2年生

僕はガラスに貼られているクラス発表の紙をを見に行った。今年もまた隆敏とは同じクラスになれなかった。

2年生になり1年生にいたクラスメイトの他に新たな顔ぶれもいてどんな1年になるのか気になっていた。そして担任の先生が入ってきて僕はどこかで見た事のある人だなって思っていた。

先生は話をしていてはっと思い出した。春休みの時に一緒にリハビリをしていた男性は先生だった。チャイムが鳴り僕は先生に話しかけて春休みに整形外科がリハビリしてましたと言うとあの時の子がまさか同じクラスになるとは思わなかったと2人で笑っていた。

僕は新たなクラスメイトに野球部が何人か居たのでそれ以外の人達と話の合う人を探していた。そして喜多村小学校出身の檜村克哉(ひむらかつや)と出会った。

克哉はテニス部に所属しながらもスポーツを観るのはテニスではなく野球観戦をしていた。授業が終わると克哉とずっと野球の話をして盛り上がった。その後部活のない日は互いの家に行く程仲良くなっていた。


夏の大会

今年も総体が行われ、夏の大会が行われる。夏の大会1回戦が始まる前にミーティングが行われ、キャプテンは僕たち1、2年生にある言葉をいった言葉に感動した。「3年生の中には野球は中学迄で高校では違うことをする者もいるから勝敗関係なく一生懸命応援して欲しい」

それまで自分が試合に出ないのにどうして応援しなきゃいけないのかと思っていたがキャプテンの一言で僕の気持ちは変わった。

隆敏は2年生で唯一、背番号15で島西中学校戦で先発を務めた。この試合で隆敏は先発で6回まで投げて被安打3四死球なしの完璧なピッチングをしていたが、最終7回裏隆敏はフォアボールとヒットでノーアウトランナー1、3塁で隆敏はモーションに入るとランナーが走り、バッターはバットを傾けた。

いわゆるスクイズでバッターも必死に当てようとする。

隆敏はスクイズを外すことは出来たもののキャッチャーも取れない程大きく外れてサヨナラ暴投でサヨナラ負けだった。反省会でもずっと泣いていた隆敏は監督に何でお前が泣いているんだ、お前にはもう1年あるだろうと言った。


新チーム発足

3年生が引退した翌日、僕ら野球部は会議室に呼び出されていた。監督は僕ら部員に翌年の全国大会の会場と1年間の計画スケジュールを配布し、その後多数決で隆敏がキャプテンに決まり僕らは新たなスタートを切った。そして9月に行われる新人戦に向けて練習をしていた。メンバー発表で僕は選ばれなかった。

そして迎えた新チーム発足後の初陣となる新人戦が開幕した。1回戦峠東中学校に5対0の快勝し、午後からの2回戦海北中学校に3対2で逃げきった。

そして3回戦の相手は日村西中学校と決まり翌週に向けて練習を行っていた。迎えた日村西中学校戦、先発はエース隆敏が上がり制球力に自信のある隆敏はボールが走っておらず、隆俊は初回に2点取られた。

河浜中学校は日村西中学校の先発左腕平田からチャンスの糸口すら掴めていない。1巡して監督は同じアウトになるならばバットを短く持ってゴロを打つように指示をした。そして1番センター平松がサードゴロでエラーで出塁した。

河浜中学校としては初めてのランナーを得点に繋げたいところだったが2番ショート永田が打席にたった。1塁ランナーの平松はリードを大きく取っていた。

平田は左腕で1塁ランナーの平松の動きはよく見える。そして平田は1塁に牽制した。平松は戻れずタッチアウトになった。永田は空振り三振、3番隆敏はピッチャーフライに倒れた。

その後河浜中学校はチャンスらしいチャンスもなく最終7回で7番セカンド佐藤は空振り三振、8番キャッチャー山川はセンターフライ、9番レフト早川は空振り三振で河浜中学校が塁に出たのは平松のサードのエラーで出塁した1つのみで日村西中学校にノーヒットノーラン(ヒット、ホームランなし)10三振で3回戦敗退をした。

試合後、木陰で反省会をし2巡目からゴロを打つことを意識したが他にもバントの構えをして揺さぶりをかければよかったと反省点が見つかった。

次の大会は春に総体が行われるが、11月から2月までは地域差に隔たりが出ないように対外試合が禁止となっている。

監督は総体に向けて10月まではより多く練習試合をやって11月からは紅白戦を多く行うことを決めた。

その言葉を聞いて僕は今まで以上に俄然練習に取り組み背番号をもらって試合に出たいその一心だった。


体育祭

夏休みが終わり体育の授業と言うのは体育祭に向けて30分行進の練習、30分体育祭の種目の練習をしていた。

河浜中学校は1学年9クラスで入場行進だけても数10分かかる。そして各学年1番行進がキレイだったクラスに表彰される行進賞、それぞれのクラスで衣装を作ってダンスをする仮装大賞等のユニークなものがある。

この踊りでは男女の仲を深めようとお互いの手を握ってダンスをする訳だが思春期の男が女の子の手を握るだけでもドキドキがたまらなかった。

特に女の子に好かれることがない僕にとっては偽善ではあっても女の子と手を握るってことは嬉しくて仕方がなかった。

隣にはクラスで1、2位番争うぐらいかわいくて高嶺の花である森本千紘(もりもとちひろ)が僕の手を取りダンスをした。

僕は千紘のことを気になっていた。なので千紘が隣にいること自体がまるで夢のような感じだった。今まで席替えでも千紘と近くになったことがなく同じクラスなのに遠い存在だった。

そしてダンスを終えてクラスのテントに戻ると千紘と他愛の話をして僕は森本さんとこんなに話せるとは思わなかったと言うと千紘は私は全然ウエルカムだからいつでも話しかけてきてと笑顔で言った。

お昼ご飯を挟み千紘は女子4×100メートルに出場する為にウォーミングアップをしていた。4×100メートルには陸上部の福島実菜(ふくしまみな)、古川紗英(ふるかわさえ)、バレー部の佐藤若葉(さとうわかば)、そしてテニス部の森本千紘の布陣で4人とも50メートルの平均タイムが6.8秒で走りリレーの優勝候補として挙げられていて僕も優勝は間違いなしでタイムが気になっていた。

2位を半周引き離す圧巻の走りで1位で49秒で体育祭の記録を更新し、この記録は数年経っても破られない不滅の記録を打ち立てた。僕にとってこの年の体育祭は記録にも記憶にも残る体育祭となった。


席替え

体育祭が終わり席替えで隣の席に移動すると高嶺の花の千紘がいて嬉しくて仕方がなかった。

普段、口下手な僕だが好きな女の子と話したいと思い、授業中でもホントは分かっているものの敢えて千紘に聞いたりしていた。

そしてある日の授業後僕は千紘に話があると渡り廊下に呼び出した。僕は勇気を出して「森本さん、前からずっと気になっていました。僕とお付き合いしてください」

千紘はゴメンなさい、好きな人がいるのでお付き合いは出来ないけどこれからも友達としてよろしくねと言って千紘は部活に向かった。


冬の祭典

冬休みが明けて1ヶ月、2年生は2月上旬長野県に1泊2日のスキー合宿ある。

僕は幼稚園の時にスキーをやっていたので感覚さえ取り戻せば出来ると思っていた。先生がスキーの経験がある人と言うと僕は手を挙げて初心者コースとは別のコースでやっていた。

だがしかし僕がスキーをやったのは幼稚園の時の1回でどうも思うように出来ず初心者コースに移った。そして初心者コースに1人の女の子がいた。それは容姿端麗の千紘がいた。

僕は千紘がなんでも出来ると思っていて雪の上を歩くのも覚束無(おぼつかな)い千紘を見て可愛らしく思えてきた。

僕は長いこと滑れないが転び方や歩く程度なら支えが無くても歩けるのでその時にいた先生から他の生徒を教えるから森本を教えて欲しいと言って先生は他の生徒の所に行った。

そして僕は千紘の手を取りながら一緒に雪の上を歩いた。

僕は千紘に転びそうになった時はお尻から転ぶように伝えた。

そしてロッジでお昼ご飯を食べるために戻るようにと先生から指示があって僕と千紘は手を繋ぎながらロッジに戻った。お昼にラーメンを食べて再びスキー場に向かった。

千紘は徐々にだが歩けるようになりもう少しで歩けるようになると言うところで空は陽が沈み日没でこの日の練習を終えた。千紘は僕に今日は手取り足取り歩けるように一緒に居てくれてありがとう。迷惑かけるかも知れないけどまた明日もよろしくねと笑顔で言った。

ロッジに戻り僕らは会議室に集められて立志の会としてそれぞれの席に着き、家族からの手紙を渡された。電気を消してロウソクの火を立てて手紙を読んだ。

そして僕は幼少期から身体が弱く体調を崩しやすく入院したりと色々していてその事も綴られていた。

その手紙を読んでいると僕は目から涙が出てきて止まらなかった。

そして時間となり立志の会が終わり晩御飯を食べてクラス毎にお風呂に入り、次の日も早く就寝した。

次の日スキー場をお昼過ぎに出ることになっている。

僕は昨日同様、千紘の傍で歩く練習をしていて集合時間1時間前、千紘はついに1人で雪の上を歩けるようになった。

そして僕らは山の頂上に向かって歩きリフトに乗った。

千紘は高くて怖いと言っていたので僕はリフトに乗っている間千紘の手を握っていた。

千紘は僕にこの2日間皆川君のおかげでスキー合宿楽しく過ごせたよありがとうと言うと僕は千紘好きでも無いのに手を握ったり繋いだりしてゴメンね。

ううん、手を繋いで歩いてくれなかったら転んでばかりで雪の上を歩くなんて出来なかったと思うよ、もし皆川君が私と手を繋げてよかったと思ってくれたならウィンウィンだよ。

そして僕と千紘はお互いにありがとうの意味を込めて握手をした。帰りのバスで僕と千紘は隣の席で疲れきった2人は手を握りバスの中で寝ていた。

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