第2話 日常の終わり

まずは私の自己紹介をしていきたいと思う。一人称が『私』であったが為に私を

『女性』であると勘違いした人たちが何人いただろうか?残念ながら私は『男性』だ。期待をしていた男性諸君がいたら本当に申し訳ない。


ネットゲームで男の人が女性キャラを使う事を『ネカマ』と言うらしい。ネットでオカマをするの略だろうか?そして少なからずそれが非難の対象にもなりえると聞いた事がある。私もそのネカマに該当するのだろうか?そしてもしそうなら私も非難の対象となり得るのだろうか?私が男性と知り、読者が少なくならないか心配ではあるが、隠していても仕方がない事なので、やはりしっかり性別を伝えて後悔はない。


良い機会だから色々と公開してしまおう。私は28歳で眼鏡をかけている。髪の毛は短く整髪料でツンツンにしている。営業の仕事をしているので一人称が『私』になってしまった。高校くらいまでの友人たちに会うと一人称は『俺』に戻るかも知れないがもう高校くらいまで一緒にいた古い友人たちには成人式以降あまり会っていない。


もう気付いた人もいるかも知れないが、私はいたって平凡な社会人だ。年収だって平均すれば月々手取りで20万前後である。幸いそこまでブラック企業ではないが、ホワイト企業でもない。今はそんな生活をしている。


そろそろ、そんな平凡な奴が平凡な話を書いてもつまらないと、苦情が飛んできそうなものだが、もう少し何も言わずに文を読み進めていってほしい。そろそろ非凡な体験談を話していけたらと思っている。


さて、非凡な体験をお話しする前に読者へ一つだけ質問をしておきたい。答案は心の中でしてくれれば構わない。

「あなた達の中で幼児までの記憶がある人はいるだろうか?」

いつまで幼児なのか?日本の法律にのっとってここでは5歳までを対象にしたいと思う。大体の人が忘れてしまうはずの曖昧な年代だ。


人によって個人差があると思う。全く覚えていない人もいれば、少し覚えている人もいると思う。または家族からこんな事をしていたと聞かされて、思い出す人もいるかも知れない。私はほとんど覚えていないが、一つだけはっきりと覚えている場面がある。


家族でない誰かが私を見守っていた記憶である。

今少し鳥肌が立った方もいただろうか?私はこれを書いていて、少しだけ鳥肌がたった。家族でない何かに見守られているなんて、少し怖い話である。でもそれがいったい誰なのか?それはまったく思い出せない。文面に起こすと不気味な話に感じるがどちらかと言うと安心感を抱ける良い思い出と言っていい。


そして時たま、あれが誰だったんだ?と首をかしげる時が成人するまでに何回かあった。もちろん家族に聞いても「そんな人はいなかった」の一点張りで気味悪がられる事があったために、それ以降深堀はしていない。当たり前だがそれを誰かに相談する事もなく、成人を迎えると同時にどうでも良くなり、仕事に打ち込む日常の中で、少しずつその記憶は風化していき、思い出す機会が少なくなっていった。


そして25歳の時に決定的に不思議な体験をする事になった。さあやっと本番だ!やっとかよ…と思った人はやっと始まるよ…ここから本格的な非日常が始まることになった。


私は25歳の時に上司からいじめを受けていた。その時私は部下を三人持つ役職についていたが、私の一つ上の上司がその部下たちの目の前で私を罵るのが好きな人だった。仮にその上司の事を係長と呼ぶことにしよう。係長は日によって機嫌が良かったり悪かったりした。


機嫌が良い日は一切私と話すことなく私の部下三人と仲良くおしゃべりをして、機嫌が悪い日は私の何もかもを否定して罵り、蔑み、その存在価値の一切を否定される。

私の部下三人には良い人を演じ私には冷たく当たることで私は徐々に孤立して、部下からも馬鹿にされる日々が続いていた。


そしてとうとう私はその係長の下僕として生活する事になる。下僕になると人はその人の恋人になったかの様な行動をとり始める。常に係長の顔色を窺い、係長の趣味を知ればその知識を調べて話の種にならないかと模索したり、係長の好きな食べ物を知れば、お土産でそれを買ってきたり、その人の喜ぶことを最優先にして生活するようになる。


そしてどれだけ罵られてもそれは自分がまだまだ至らないのが原因であると決めつけ、自分は何てダメな人間なんだと自己嫌悪に陥る。


そんな生活を続けて私の心はとうとう壊れかけた。勇気を出してカウンセリングを受けると医者は無情にも「あなたは鬱ですね。」と私に言った。その言い方に同情などなくただただ無機質にそう告げられた。きっとたくさんの患者さんを診ているからだろう。鬱の人を診断する事が日常となり、珍しい事などではないのだ。


それはまるで只々値札を付けられるかのような…まるでラベリングされたかのような気分だった。この野菜は傷んでいるから見切り品にしようとか…この野菜は腐っているから捨てて廃棄してしまおうとか…


そんな無情な識別をされたようで、本当に嫌な気分がした。野菜たちも口があったらきっと口々にお前たちの価値観で私たちを決めつけるな!とクレームを言うと思う。今はこんな軽口を叩けているけれど、その時は本当にショックで何も考えられなくなった。そしてこの世界に救いの手など一切無いのだと絶望した。


家族にはつうつ病と診断された事を相談できなかった。家族に何故相談できなかったのか?それはまたどこかでお話しできたらと思う。とにかく私は誰にも相談できず、只々鬱の診断書を会社へ提出し、休職する事になった。


本当に自分が情けなくて仕方がなかった。周りのみんなだって何かしら悩みを抱えながら仕事をしているはずだ。それを表に出さずにしっかり仕事をして自立している。

それなのに私は何をやっているんだろう?頭の中でたくさんの黒い感情がグルグルと周り続けていた。


そんな時だった。『彼』が現れたのは。

黒い服に身を包んだ長身で細いシルエット、顔はフードに隠れていて良く見えなかったが、突然それは私の目の前に現れたのだ。1Kの部屋のちょうどキッチンの近くにいつの間にか立っていた。

「一服していい?」

彼の言った開口一番の言葉を私は決して忘れないだろう。人は本当の非日常に出くわしたとき、結構冷静でいる事が出来るのだと知った。

「いや…この部屋禁煙なので…」

私の言葉など聞こえてないかの様にカチンとライターで煙草の先端にライターの火を近づけ、大きく煙を吸い込むとさも美味しそうに眼を細め、ぷはーと煙を吐き出した。

「おっとっと…兄さんはタバコ吸わないんだっけ?最低限のマナーは守らないとね。」

そう言って彼はキッチンについている換気扇を回し始めた。今まで部屋中に充満していたタバコの煙が換気扇の方へ進み、外へ逃げていく。

「いや…だからここは禁煙なんで…吸うならベランダで吸って…」

「ウマ…」

私の言葉を遮り彼はそのまま一本の煙草を本当に美味しそうに吸い尽くした。本当にタバコのフィルターギリギリまでタバコを吸いつくすと、水道水で火を消すとそのまま近くのゴミ箱にタバコを捨てた。

「貴方…死のうと思ったでしょ?」

タバコを捨てて彼が私の目を見つめながら言った。その時まで気付かなかったが、その眼は赤く光っている。その時やっと少し恐怖を覚えた。

「え…はい…少しだけ脳裏をよぎりました…」

本当はもう死ぬことをかなり具体的に考えていたのだけど、そんな事をストレートに言えず咄嗟の小さな嘘、小嘘をついた。


「そうか…おっと!自己紹介が遅れてしまったね。僕は死だ。それ以外の名前はない。」

「し?」

「そう、死だ。」

「死ってあの死ぬとかの死ですか?」

「そう。君たち生き物が必ず行きつく所、その死だよ。」

私はすぐにその現実を理解できず、パニックを起こしてしまった。


×   ×   ×


「そうそう!過呼吸を起こしたときは紙袋で呼吸をするんだ!楽になるだろう?」

私は彼がくれた紙袋に顔の半分を埋めながら呼吸を整えていた。呼吸が落ち着いてくると様々な所に疑問が浮かんだ。死ってなに?私を迎えにきた?と言うかただの不法侵入者じゃないの?それなら警察に…そんな事を考えていたら、また呼吸が乱れ過呼吸をぶり返した。

「大丈夫かい?でも僕にある人は必ずと言っていいほど過呼吸とかになるんだよね…だからこんな紙袋を持ち歩くようになったんだけれど…まあDEATHあるあるだね!」


全く笑えないし、呼吸は苦しいしで視界がぼやける。視界の周りに砂嵐が見えてきて私はそのまま気を失ってしまった。


どのくらい時間がたったのだろうか?もう外は暗く夜になっていた。いつの間にか私は布団に入っていた。

「なんだ…夢か…」

そう思って起き上がると先ほどの彼が布団の横に座り、私の家にある漫画本を読んでいた。

「夢じゃなかったのか…」

ん?でもどこまでが夢じゃなかったんだ?彼が人間じゃないって話はさすがに夢だよな?そんな事をぐるぐる考えていると、彼が僕に気付き漫画本を閉じた。

「おはよう!もう夜だけど…起きた時の挨拶がおはようなら、夜起きた時の挨拶は『おそよう』なのかな?」

「………」

相変わらず、コメントしずらい…


そんな私を察してか、自分で言ったことを見事にスルーして彼は勝手に話を進めた。

「もう一度自己紹介から始めようかな。また過呼吸を起こされないように結論から言うけれど、君に寿命が来たから迎えに来たとかそう言う事じゃあないんだ、でも目的があって来た。僕は『死』だ。

僕に名前はないから好きに呼んでくれて構わないよ。今日から君と生活を共にすることになる。ルームメイトって言うのかい?よろしくね。」

そう言って彼は私に握手を求めるように左手を差し出してきた。社交的にふるまう事を大切にしている私だが、この握手に対してはすぐに対応できなかった。


「みんなそうなんだよ、みんな握手を拒むんだよね!やっぱり寿命とか減らされるって思ってる?そこは安心してね!寿命を縮めたり、延長したりすることは出来ないから。」

彼は出した左手を引っ込めながら言った。そこに不愉快そうな感じはまったくない。

「では何をしに現れたんですか?そもそも貴方が死神であると信じてもいませんけど…」

彼は私の問いに今度は少し困ったような顔をした。

「私は死であっても神ではないんだよ…そして何をしに来たのか?この質問には答えられない、僕たちには僕たちの世界での規則があってね…だから君たち人間たちに言える事言えない事が出てくるんだ。本当は教えてあげたいんだけど…ごめんね…」


そう言って彼は両手を合わせ謝るしぐさをしながら

「でも最後の疑問には答えられるよ。」

そう言って立ち上がった。私は彼を見上げる形をなったが、すぐにその変化に気付いた。体が宙に浮いていたのだ。少し浮いているとかではなく。ふわっと天井近くまで浮かんだり、空中で宙返りをしたり、明らかに重力を無視した動きを披露した。そして最も印象的だったのは、背中に翼を生やして見せたことだった。突然ばさりと羽が広がる、それは鳥のような羽毛に覆われた羽で妖しく黒く煌めきの光沢があり美しかった。

「どう?信じてくれたかな?僕が死である証明にはなっていないから、厳密に言えば質問に答えていないかも知れないけれど、人ならざるものであると信じてもらえれば、今は十分だと思っている。」


彼はそう言うと羽をたたみ、地に足をついた。口を開けてみていた私も我に返り、現実と非現実の境が分からなくなり、少々混乱したが彼が人間でない事だけは理解できた。


「今日から僕らはルームメイトだ!よろしくね!」

そう言ってにこやかにまた左手を出した彼の左手を今度は何も考えずに握り返す私がいた。


いったい何が起きているんだろう?ルームメイトなんて言葉は全く耳に入っておらず、只々誘導されるがままに握手をしてしまった事をあんなに後悔するとは、この時私は全く分からないでいた。

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死生活 @ryo-ohama

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