第三章「ふたりのマリア」1-6

「あっ、ここ俺が初めて一人暮らしを始めたアパートに似ている。ここに入ってみようかな」

「へぇ〜若い時の、初めての一人暮らしにしてはけっこう贅沢な所に住んでいたんだね。きっとそこそこ家賃高いように見えるけど」

「俺の考えとして住む場所には妥協したくなかったんだよね。だって人生の大半を過ごす家が快適じゃないと嫌じゃん」

「なるほど。しっかりと自分なりの考えがあるのね」

「あと俺の住居兼バンドの事務所としての役割もあったから一人暮らしでもちょっと広い所にしようってなったのもあるけど。だから家賃、ちょっとはバンドのメンバーに出してもらっていた」

ガラス扉を開けて4部屋ある3階建てのアパートに入る二人。入る階も磯村が住んでいた3階にした。

「えっ、靴あるけど誰もいないんじゃなかったの?」

玄関扉を開けるとスニーカー、サンダルなど履き物が4足、目に入ってきて驚く磯村。だが人が居るような物音はしない。

「どんな人が住んでいるのか想像できるようにはしているの。だから家具とかもあるよ」

「思ったんだけど、未来の人口ってどのくらいなの? 例えば人気のない時代だととても社会を回していけるほどの人口なんて集まらない場合もあるんじゃない?」

「言いたい事は分かるけどあくまでさっきも言ったように架空の空間だから。例えばこの建物の維持費もかかっていないし、人がいなくても困るような空間ではないからそこらへんは心配はない」

「でも、人がいないのはやっぱり寂しいような……」

の人間しかいないならね」

「えっ?」

「さっきの話から察するに、磯村くんの時代からもう実在はしないバーチャル空間のみに存在する人とちょっとした交流くらいならできるようになっているんじゃないの?」

「あぁ、そうそう。なんかでかいゴーグルみたいなのを付けてそこに映し出される人と一緒に住んでいるような体験ができるようにはなっていたかも。ってことは……ここも?」

「そう、きっと本物の人間と見分けがつかないくらい精巧な人間達が暮らしている。もちろん感情表現も豊か、ぎこちない動きは一切ない」

「アンドロイドってやつか」

「そうだね。向こうはそういう表現を嫌っているみたいだけどできない事として、本物の人間と性行為をしてもの子供ができる事はないという意味では自分たちは完全な人間ではないとは認めている」

「はは、なんか凄い話だな」

「ところで、そろそろ上がらない?」

靴も脱がず狭い玄関で立ち話をしまっていた。互いに距離は数センチとかなり近い。慌てて靴を脱ぐ磯村。なぜあの状態のままでいたのか、それはなんとなく分かっていた。ただ単に美人と距離が近いと離れたくないという欲求が生まれるのだ。

 とりあえず正面のドアを開けてリビングへ入る。部屋の奥、左端には台所、中央には絨毯の上にテーブル、右の角には液晶テレビが台に乗っている。他には冷蔵庫に食器棚、その大きさからしてやはり一人暮らしではなさそうな部屋であった。

「はぁ〜なんか凛のうちにお邪魔した気分だな」

そう言いながら絨毯の上に胡座をかく磯村。

「私の家ではないけど、何か飲む?」

「あるなら頂こうかな。スポーツドリンクかコーラが良いな」

台所の食器置き場に置いてある洗って乾かしていた思われるコップを二つ取り、ラベルは貼っていない1リットル入るペットボトルに入っている半透明の飲み物を冷蔵庫から取り出した凛。コップに注ぐ。

「はい、多分ご希望の飲み物だと思う」

「多分って。まぁ、ありがとう」

互いに一口、飲み落ち着いたもののこの後はどうするのか、そんな事を考える磯村。特に思いつくはずもなく急に居心地が悪くなってきた。

「うん、なんかどこかで一度くらい飲んだ事あるような味かも。そういえばさっき、生身の人間ではない人も居るって言っていたけど、そういう人は飲み食いはどうしているの? また別のエネルギーを補充、充電って言うの? そういうのがあるわけ」

「う〜ん、こんな事を言っちゃうと怖くなるかもしれないけど、私達もここに居る時に限っては厳密に言えばその生身の人間ではないのよ。さっき仮想空間という理解で構わないって言ったでしょ。その言葉通り」

「ん? どういうこと」

どう言えば良いか、思案してる様子で凛は絞り出すように声を発した。

「分かりやすく言えば、ここは夢の中ってこと。しかも普段の睡眠でみる夢とはまるで比較にならないくらいリアリティある夢の中」

「ゆ、夢」

「こんな経験ない? 例えば夢の中で自分が空を飛んでいる。有り得ない事なんだけど、まるで本当に空を飛んでいる感覚になるみたいな。これが空を飛ぶって事なんだって思い込むまでに」

「……あぁ、確かに、夢なんだけど本当に体験しているような感覚になるかも」

「それと同じ。この今、飲んだ飲料も実際は飲んでいないんだけど、本当に飲んだ気にさせている。そんなとこ」

「えぇ! そういう原理なの? ってことはこれは夢で、その、本当の俺はどこにいるの?」

「最初に入ったカプセルの中ですやすやと寝ている」

「……なんだ、俺はてっきりどこか別空間へ移動したもんだと思っていた。だってあのカプセルに乗ったら動いてどっかに向かっているもんだと思ったし」

「あれは演出みたいなもんかな。ちなみに人口的に空間を作る、それもできない事はないんだけど、それだとその空間が育つまでなかなか時間がかかるから、それより一般的に浸透させるにはこっちの方が手取り早いってこと」

「はぁ、もう今日はこういう話を聞くだけで疲れたな。受け入れるだけで精一杯でさっきから頭は軽く混乱しているよ」

「それも徐々に慣れていきましょ」

話が一段落したところでまたシーンと静まり返る。その気になればまだ聞きたい事も見つけられそうだが、先ほどの話を聞いた手前、また新しい疑問をぶつけて返ってきた答えを上手く処理できる自信がなかった。

「なんか未来は未来で大変そうだな。今の話を聞いただけでも選択肢が多そうでどうすればいいのか分からなくなりそうだ」

「そうね。宇宙にだって飛び出せるし、こういう仮想空間に身を移す事もできる、もちろん従来通り地球で暮らすのもいい。ここからさらに細かく分ければきりがないかも」

「自分の思い描いた楽園って言うのかな、それって都合の良いところばかりが描かれていていたんだなって思い知る時が何度もあるんだ。遥か未来のことも何度か想像した事がある。やっぱり夢のような世界なはずって思った。でも、こうして実際に来てみるとなんだか大変そうだな〜っていうのが最初の感想で、やっぱりなんか思っていたのと違うかもって思っちゃうよ」

「そうなの。なんでそう思うの?」

「例えば、宇宙に憧れるって思っていてもいざ本当にじゃあ行ってみますか?って言われた途端に考え込んでしまう自分がいることに気がついた。狭い世界に留まらないで、もっと広い世界を見たいって偉そうな事を言った事もあるけど、それはそれで別の困難が待ち受けている選択だって事を意味する。さっきの繰り返しだけど、自分が思い描いた楽園というものは存在しないのかなって」

「もちろんどんな選択をしてもそれ相応の試練はある、それは間違っていないけど少なくとも、失礼な事を言うけど磯村くんの生きた時代よりはマシだって言い切れるはず。どういう人生を歩むか、その選択肢が多いのは良い事のはずでしょ。だからもっと元気出して」

「そうかもな。失礼でもなんでもなく、確かに俺の時代は、身の周りだけを見ても正直、誰も幸せそうな顔をしていない人が殆どで、無理して生きていて、なんて生きづらい世の中なんだろうっていつも思っていた。そこから未来は良くなっていくんだな」

「うん、その暗く長いトンネルを抜けた先に、昔より絶対に良い時代だって言える未来が今ここにあるの」

「じゃあ、俺の生まれた日本はどうなっているの? 俺の時代はもう人口減少が国の想定を上回るスピードで進んでいたり、自殺数が年々増えているとか未来に希望が持てない暗いニュースばかりでこのままいくと日本は滅びるんじゃないかって悲観的な人も少なくなかった。そこからどう切り抜けてその明るい未来を手に入れたの?」

隠そうとしても痛い所を突いてきたというような顔をした凛。

「日本は、まぁ、磯村くんの知っている日本ではなくなっているとだけ言っておく。ご指摘の通り日本人はどんどん減っていって気がつけば、身近に他の国から来た外国人が暮らしているっていうのが当たり前になって、他の国のように色んな人種が暮らしている国になっていく」

「やっぱりそうなるよね。コンビニ行っても店員がみんな外国人っていう店もあるし、新幹線に乗った時も前も後ろも右も左も欧米の人や中国人ばかりで、ここはどの国だ? って思う事もあった。もうこの国はあらゆる面で外国に頼らないとやっていけないんだなって痛感して、俺もそんな未来を想像してた」

「私たちの価値観からしたらもうそんな国とか人種とかの境界線なんてないようなものだから、そんな気になる事はないんだけどね。こっちはもう地球を飛び出す時代だし。いわゆる『地球人」という意識の方が強いかも」

「惑星一つが一つの国っていう事か。もしかしてもう他の惑星で生きる生物を発見できたりしているの?」

「そこはまだなんだよね。やっぱり宇宙は広すぎる。地球のように生命が誕生して、やがて高度な文明を築き上げた惑星はまだ発見に至っていない」

「え〜そうなんだ。タイムマシンは完成したのにそれは意外」

「宇宙間を効率よく移動できるようになったのはここ最近だし、まだまだこれからってところかな。個人から企業まで探査団は幾つも結成されて調査している、そんな段階」

「なるほどね〜しかし日本はやっぱり存在感が薄くなっていくのか」

「そうでもないよ。良いこと教えてあげる。そのタイムマシン完成に至るまでのいしずえを造ったのは日本人なの。それで今、私達が乗っているタイムマシンの名前はその功績を称えてその名前が付けられている。『UMEHARA』って言うんだけど。中の先端部分には銅像も建てられているよ」

「え〜すごい。やっぱり日本人って凄い人はずば抜けているよね。どんな分野でも」

「そうだと思う。だから決して日本も負けているわけではないって思っておいて」

「それ聞いてちょっと安心した」

息を吐きながら磯村は仰向けになる。色々と面白い話を聞けたが、これからも生きていくとして、ここの時代は今どのような情勢なのか、そこまでに至った歴史を勉強するだけで年、へたすれば十年単位の歳月を費やしそうで、そんな事をする必要はあるのか、知りたいとは思ってもかかりそうな時間を考えると疑問にも思ってくる。

「飲み物、おかわりいる?」

「あぁ、もらおうかな」

とは言っても実際に飲んでいるわけではないと知ってしまった以上は変な気分にもなってくる。だが水分を補給したいといえばそうだとも言える。これが夢の中だというのはやはり信じられないといったところだった。

「(いっ!?)」

思わずおでこにしわを寄せて驚きの顔を作ってしまった。凛が立ち上がり冷蔵庫へ向かう。寝転がっている磯村は凛が着ているワンピースの中が一瞬見えそうで見えない、そんな「あぁ〜」と唸りたくなる瞬間を目撃してしまった。決して丈が短すぎるというワンピースではなかったがさすがに目線を真下にすればロングスカートでもない限り覗く事はできなくもない。

 たまに訪れる男なら嬉しいと思う瞬間。また壮大な未来の話からいつもの日常へと戻った気分だったが、これこそ疲れた頭には必要な安らぎかもしれない。

 磯村は惜しい気持ちもあったが上半身を起こす事にした。戻ってきた時に中を見られていると気づかれるかもしれないと、そこをケアした。

「別に気にしていないけどね。私も立ち上がってからあっ、そういえばって気がついたけんだけど」

「えっ……」

戻って来て正座した時に凛はこう言う。つまり本人は既に察していたという意味だと理解した。それには少なからず動揺する磯村。

「だ、大丈夫。本当に見えたわけではないから」

「だからどっちだったとしても気にしていないって。なんなら本当に見る?」

 裾を軽くめくり太もも部分をチラッと見せた。

「な、な、なに言っているんだよっ!」

声を荒げる磯村。まさかこんな誘惑するような仕草をする人だとは思ってもみなかった。未来で暮らしている人というだけでどこかお高い人物だと決め付けていただけに。

「ははっ。可愛い反応。やっぱり日本人ってこんな事でも過剰に興奮したりするんだね」

遊ばれている事に良い気分はしない、はずだったが半分は嬉しい気がした。こういうやり取りをまたできる、その喜びがじんと胸に広がる。

「日本人って……そっか凛はどちらかといえば別の文化圏の影響を強く受けてここまで生きてきたのか」

「そうだね。日本語喋れるし、外見もそうだけど。日本人はちょっと露出度が高い服を着ているだけで密かに興奮して、それをなるべく相手に気づかれないように見るって言われている。実際、女性の方は視線に気がついている場合も多いけど」

気がついている場合が多い、その言葉に不味いと思ってしまうのは心当たりがある故か、過去の行いを改めようという気にもなってしまう。凛は言葉を続けた。

「でもね、やっぱり私も日本人なんだなって思う。だって、磯村くんと会ってまだ間もないのに、誰よりも親しくなれそうだなって気がするし、誰よりも話やすいって思う。そう思うのはやっぱり同じ国に生まれて、同じ匂いを感じるからなのかなって。なんだかんだ私もきっすいの未来人ではないからね。おそらく磯村くんと同じ年代を生きていた可能性も高いし。そういう意味では親しみが湧くのも仕方がないのかも」

「確かに俺も、未来人のわりには親しみやすい雰囲気だとは思っていた。例えば外国で日本人と会うとなんだか安心する、そんな感じに似ているかも。もしかして……」

磯村はようやく見つけたと瞬時に判断した。これが今、本当に聞きたい事を聞くための最初のきっかけだと。

「俺たちどこかで会った事あるかもしれないな。同じ年代を生きていた可能性があるって言ったろ? だったら実は俺達、会っていましたなんて事があってもおかしくない」




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