第三章「ふたりのマリア」1-5

「もっと、こう、もしかしたらこれからの生活は明るいかもって思ってくれたら良かったんだけど」

 そう言う凛の方へ振り向くもまだ放心状態の磯村。そのまま動かずじっとしている。ややじっと見つめられていて恥ずかしそうな表情を見せる凛。

「これが、さっき言った未来の生活スタイルの一つ。つまり、望めば好きな時代の町並みで暮らしていけるってこと。ここは磯村くんが生きた時代を見事に再現しているから、ホームシックみたいな症状が出たんでしょ?」

「好きな時代で暮らせる……なるほど、なんとなく分かったかも。要はここは仮想空間みたいな所ってことでしょ?」

「そうそう、そんな感じで理解してもらえたら。歴史の勉強をするとこの時代に行ってみたいとか思う人もいるでしょ。そのニーズに応えるべくバーチャルで再現させたの」

「そういえば俺の時代からもうバーチャル・リアリティとかって言う技術が誕生してるんだよね。それの行く着く先がこれか。そういえば服装、変わったね。わざわざこの時代のファッションに合わせたの?」

 凛は紺の衿ワンピースの上に白いカーディガンを羽織っていた。一気に女性らしいオーラを放つ。

「ふふっ、似合う? 当時、広く着られていた服装を身に纏ったうえで暮らすっていうのが条件としてあるから着替えたの。磯村くんの場合はその必要がないからそのまま送ったけど」

「って言うけど、ここ……本当に人が住んでいるの? さっきからなんか違和感あるなって思ったら静かすぎる。車の走る音や人の声がまるで聞こえてこないけど」

「ここはね。今居る所はモデルルームで先ずはここに来てもらって実際に住んでみるかどうか検討してもらうっていう流れになっているの」

 建物のみならず時代までもが選べる、あまりにもスケールが大きいため話についていくだけで難儀する。ただ人間が想像したものは遅かれ早かれいつか必ず実現する日が来る、それは間違っていないのかもしれないとここにある確かな現実に強く思う。

「……ちょっと歩き回ってみていい?」

「どうぞ、どうぞ。お好きなように」

 二人は肩を並べて歩き始める。夕刻であるためこのまま家路を辿るのではないかとふと思ってしまった磯村。だがあてなどはない。

「すごい。モデルルームっていうから不自然なくらい綺麗かと思ったけど、こういう壁の汚れなんかもあるんだね」

公園を出て坂道を下る。その沿道に建っている家を観察してみて細かいところにも目が届いている。

「そういう所に直ぐに気がつくなんて、おぬし只者じゃないな。さっきも静かすぎる事に違和感を感じたみたいだし」

凛が声色を変えて茶化すように言った。それにはたまらず笑う磯村。

「どうしたの急に。別にそんな凄い事でもないでしょ」

「ううん。自分はこんなのできて当たり前だと思った事でも、他人にとっては難しい事なんてよくある事でしょ? 今の何気ない気付きも、人によっては全く気にかけない、むしろそっちの方が大多数だって教えてあげる」

「へぇ〜」

「生前は何をやっていたの……って生きている相手にこんな聞き方は失礼か」

確かにと苦笑いする。しかしその質問にすぐさま答えた。

「音楽、バンドやってたよ」

「なるほどね。そういう芸術分野の人って今も昔も敏感な人も多いから納得かも」

「その、ツアー中だったんだよね。初めて地方を回る事になって、その途中、ライヴ後の打ち上げの後にブラブラしていたら海に落ちたんだと思う。全く馬鹿みたいな死に方だな」

「……それが人生だと思うしかないよ。そんな風に不運な事故で亡くなった人なんてたくさんいるわけだし」

「本当に、死って突然やって来るんだな。正直、何度もこのままこの世から消えてもいいなんて思っていたけど、さすがにツアー中はそんな事は頭の片隅にもなかった。そういう時に限って……」

「やっぱり戻りたいって思う?」

「そりゃあもちろん。そうは言っても俺には一緒にバンドをやる同志がいて、人生のパートナーもいたんだ。そういった存在が俺に生きる活力を与えてくれた。一刻も早く戻って、安心させてやりたいよ」

「でも、申し訳ないけど……」

「分かっている。俺はもう死んでいるからそれは無理だって」

改めて突きつけられた現実に沈黙する。その沈黙の間で凛は決意したかのように口を開いた。

「提案があるんだけど……もしもその記憶を持ったままでいるのが辛いなら、その記憶を消す事だってできるの」

「えっ?」

「未来にはそういった事も可能になっているの。しかも記憶を消すって言っても何もかも全部消すんじゃなくて、一部分だけを消すって事もできて……」

一度、大きく上に突き上げた周波数。だが瞬く間に凛の声がフェードアウトするように消える。ここからの説明は磯村には入ってこなかった。記憶を消す、一部分だけ……カチャン、振り子のように揺れる鉄のフックが小さな穴に綺麗に通り引っかかった音がした。

 このワードに異様な引っかかりを覚えた。ようやく探し求めていた答えが向こうからやってきた、そう自身の直感が訴えている。もはや永遠とゆらゆら揺られて、虚しくくうを切るだけだと思っていた。そこに、この瞬間、不意にやってきた引っかかり。なぜここで?

 そして、あの事が今日も頭に浮かび凛の顔を見ると、なぜだがどこかで見た事があるような気がしてならなかった。

 どこだ? どこで見た? そう頭をフル回転させて記憶を巡る。その過程で確かな事が言えた。直接、会った、話したわけではない。それは間違いないような気がした。なら——

 わからない、だが、あともう少しのところで何かが思い出せる、掴めるような気がした。一瞬、そいつが頭に浮かぶ、そう思った途端に煙が風で流されるようにどこかへ飛んでいって雲散してしまう。

 これは現実で見た光景? いや、夢のような気もする、どちらか判断ができない。そんな記憶、これは一体なんなのか……。

 ただ言えるのは、真里の、俺の真里の記憶を消したのは……、

「(まさか、そんなこと……そうだとして、なんで)」

声に出す勇気はない。こんな妄想をしてしまった自分を客観的に見て小馬鹿にしたくもなる。何の根拠もない、動機も見当がつかないのだから。なのにこの鼓動が早くなったのは、この頭に落ちたような衝撃の意味するものは……こうなった時の勘は当たる事も多い、それが磯村のここまでの人生で得た教訓だ。

「自分の直感を信じて。私もそうやって生きてきた」

いつの日か言った伊藤碧の言葉が思い出される。


「どうかな?」

凛の声が入ってきた。実際の声量より大きく聞こえた。

「えっ、あっ、えっと、また、すごい話を持ちかけたね」

「直ぐに決められない事は分かっている。でも、長い目でみればそっちの方がストレスがなく、幸せに暮らせていけるとも思うの」

「う〜ん、確かに言いたい事は理解できなくないけど、ただやっぱり直ぐに決断はできないと思う」

正直、今はただ漠然と真相に急接近しているという感覚で支配されて、ここからどうそれを掴み取るか、そこに考えがいってしまい、凛の真剣な問いに対して適当に答えてしまっている。それには申し訳なさも込み上げる。

「もちろん今日中に返事をくれなんては思っていない。ただそういう選択肢もあるよって教えただけだから。あっ、どこか家の中に入ってみる?」

綺麗な女性と二人っきりで家の中に入る。その後に何をする、そう思ってしまったらいきなり日常の一コマに戻ってきたような気がしてしまった。

 こんな人柄も良さそうな女性が、なぜそんな事をする必要がある、そう信じたくない自分も生まれてしまっていた。

 男とはちょろいものだと大きく息を吐きたくなるが、そう分析できているあたり自分は違うと言い聞かせた。

 もっと彼女とは話す必要がある、そうこぶしを握り締めて目をキリっとさせながら「うん、いいね。中もどうなっているか気になるし」

二人は右に曲がり住宅街へと進んでいく。

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