第3話

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 校門を出ると、地平線に暮れなずむ夕映えが赤く目に飛び込んできた。

 薄紙を剥ぐように、日増しに太陽が顔を出している時間が長くなってきている。この分だと、もうじき桜の花明りも見れなくなることだろう。春はすべてのものがめまぐるしく移ろっていく。せわしなく、けれどその先の幸先へ手をひくように。

 慣れ親しんだ声に適当に返事をしながら、隣を歩くたるるを見つめる。今朝の早起きなんてなんのその、あの暗い表情や雰囲気が夢だったんじゃないかと思うほど元気溌剌、いつもの通り、賢しらに止まるところも進むところも程度の分かっている〝まっすぐさ〟だ。そんな彼女は、そのフットワークの軽さで今日も八面六臂の大活躍をしたらしい。楽しそうに跳ねる語尾に、それとなくいいタイミングで「そうだね、君は凄いからねえ」と相槌を打つ(断じて聞き流してなどいない。いないったらいない)。

 ――よくそのテンションが夕方まで保てるものだ。疲れないのだろうか。話を聞いているだけで僕は疲れてきた。昼休みの生徒会室に三連続でなだれ込んできたサッカー部、吹奏楽部、文芸部の〝ごたごた〟をそれはそれは素早く的確に適正に適当に解決したらしい。――ふうん、そっかそっかそれはたまげたね、と変わらぬトーンで切り返す。とくに部活動に所属していない僕と〝麓咲高校の生徒会長〟である彼女とでは、話題の量が違う。圧倒的に僕が聞き役に回ることが多いのは、それを鑑みればせんかたないことだし、たるるが楽しそうしているのは嫌いじゃないので――というか結構好き――なので、さしてドラマ性のない僕なんかの話をしなくたって苦言はないのだけれど、たるるは気にするみたいで、たまに御機嫌を伺うように背を屈めて低く見上げてくる。その視線に答えて、「今日の弁当はなんとキャラ弁だったんだよ――まあ、うちの母さんの画力覚えてるだろう?小さい時にさ、アンパンマンを書いてってせがんだら、隕石みたいなものを見せてきたあれね。そう――そういうことだよ」と僕のしがない話をして、それにたるるがひねりの効いた半畳を入れる――それを、いつも通り繰り返していた。

 それは善くも悪くもいつも通りで。

 今朝の――ここ最近の――重たい事件を省みると、気が咎めるほどいつも通りだった。

ほんの少しだけ遅い時間。思いのほか長くなってしまったね、そうだね、なんて言っていても、僕達の間には満更でもない空気が流れている。どちらもわざわざ口にはしないけれど、この何てことない時間や会話を――大事に大事に崩さないように踏み込まないようにしているこの無価値な時間が大好きなのだ。大好きで――安心する。

 これも春にめかしこまれて絆された、毎年の、ちょっとだけセンチメンタルな〝いつも通り〟だった。

 ――いや、おセンチになっているのは僕だけかもしれない。

 たるるは目をぱっときらめかせて「あ!」とそれはそれは楽しそうに声をあげた。虫見つけた!とはしゃぐ子供みたいだと思ったのは、言い得て妙だろうか。

「これぞまさに黄昏!」

「その話は一過性のものじゃあなかったの? 朝の戯言をいつまでひっぱるのさ······」

「一過性のもだよう。一過性だからって、一度しか訪れないわけじゃないだけで。台風一過も、何号目だとかエリザベスだかカトリーンだとか、個体の名前はどうでもいいとして〝台風〟というものが〝一過〟するっていう事象は何度だって起こるじゃない。会話だって然りでしょう?」

「またさかしらなことを······」

「さかしらでもとさかでも結構コケコッコーよ。ね、今こそ黄昏時でしょう?」

――と。

 たるるは夕日を指差して、きらきらときらめいた目のまま僕に詰め寄ってきた。そ、そうだね――と気圧されながら答える。細かく言えば、今の時間は辞書に載っている描写よりも若干陽が高いのだけれど、まあ、とりたててあげつらうことでもあるまい。

 ――なんて言いながら――思いながら――歩く。

 僕達が生まれてからずっと慣れ親しんでいる道を親しい幼馴染と慣れた足取りで歩いていく。

 ごくごくありふれた、一般的なしたもやの細い十字路。角から三軒奥の赤い屋根の舶来風の一軒家は、こぢんまりと近代的な大量生産型の住宅と肩を並べている(馴染んでいるわけではない)。番犬らしく誰彼かまわず太く吠えることに定評のあるゴールデンレトリバー(ジョセ太郎、六歳)は、人通りがないからか、夕餉の時間だからなのか、今はおとなしくしているようだ。首輪に付いているチェーンの音すら聞こえない。

 時刻は十七時から少し頭をたれたところ。太陽が目をこすりながら今か今かと地平線に潜る準備をしている時間。夜が顔を出すのに比例して、ぽつらぽつらと街灯が点滅していく。もう幾分もなく、たるるの思い描く黄昏時が過ぎて等間隔に丸く灯りが道路を照らすことだろう。

 僕は気を向ける度に紺色に塗られていく空を見上げた。新学期に新調した赤いスニーカーはいささか歩きにくい。身に馴染むまでの辛抱だとアスファルトを叩いてつま先を整えながら、そういえば、と斜め前で髪の毛を指で弄っていたたるるの顔を覗き込んだ。さっきはあんなに嬉々として、爛々としていたのに、もう時間の描写にも、叙情的な心理描写にも興味が失せたようである。相変わらず気分屋だ。

 突然だか、僕の身長は百六十七センチである。そして、たるるの身長は百六十四センチである。なので、同い年(の女子)を相手取った場合、極端な身長差が出ない。そこまで屈まなくても――どころが少し首をかしげれば覗き込めてしまうだ。

 つまり、たるるに対して狙ってこういう仕草をしたわけではない。僕とたるるの身長差が三センチなので致し方ないだろう。

 ――言い訳じゃないって。違うから。僕が低いんじゃないから。僕が低くてたるるが高いんだってば。

「何? 僕って小さいでしょーって言いたいの? それなら安心して、そんな必要ないよ、そんなことしなくてもリオくんの小ささは水際立ってるから――色々と」

「どういう意味だコラ。なんで見上げただけでそこまで言われなきゃいけないのさ。違うよ」

「なあんだ。まあでも――リオくんはその身長の小ささも含めて憎からず思われているのだからいいじゃない······閻魔様早くこいつの名前をその帳簿に書いてくださらないかしら」

「ちょっとやめて? 丁寧かつストレートに人の死を願わないでくれる? ただ僕の僕なりの、もしかしたら与太話じゃんって言われるかもしれないけど重要な話をだな――······」

「ああもううるさい! いちいち反応がかまびすしいこと! お前は一昔前のお笑い芸人か!」

――それは君じゃん。

「アンタっていっつもそう! そんなしおらしい顔をするなら四六時中近くにいたらいいじゃん。生徒会だって、入ればよかったのに! ばーか! ちーび! ロン毛!」

「ロン毛は君もじゃん! つうか僕のはミディアムボブだ! ――ってあれ? このくだり、前にもやらなかった?」

「というかさ、というか――そんなに私って頼りないかなあ······」

 どうやら、僕がたるるを心配しすぎる節があることを、彼女は存分に見抜いていたらしい。まあ、僕自身も隠す気がないのでしまった!とは思わないが。憤懣を地団駄で表現していたかと思うと、たるるはたなごろをかえしたようにしおしおと下ろした足でアスファルトを弄り出した。たるるが足をずらす度に、じゃりじゃりと音がする。

 僕は彼女とのやりとりで投げ付けられる罵倒をそこまで間に受けているわけじゃあない。むしろ微笑ましいとすら感じる。何故ならば、在許紫和という人間は気配りをされると過剰に照れるきらいがあるからだ。けんもほろろな返答をしたかと思うと、こうやって「照れ隠しですよ」と言葉の端々で口を滑らせたり、大人になれない自立心を掲げて「私を甲斐甲斐しく子供扱いしないで!」と愚図ってみせたりするのだから、ついつい年相応に怒ってやる気にならないのだ。故に、ツッコミ以外の説教でそれをかきくどくことができない。まったくほとほと、なんとやらである。

 そんなたるるの葛藤と〝甘え〟を見て見ぬふりをして、僕は「あのさ――」と爪の伸びかけた指先で彼女の下瞼を指した。

「――クマ、できてるよ。頼ってよ、君が頼りないんじゃなくて、頼られてる君が僕を頼って欲しいんだよ。それは、僕が同じフィールド――生徒会にいてしまったら出来ない事だと思わない? 僕は会長には〝なれない〟んだから。朝に言ったとおり、君が何かを抱えていて、それがあまりによんどころがない事情じゃあない限り、僕は力になりたいんだよ。僕らは産まれる前から一緒で、双子みたいなものなんだからさ、一人で倒れられたら困るんだよ」

「むう。じゃ、じゃあ――死なばもろともってことでひとつ」

「はあ? 人の話聞いてた? 耳ついてる?!」

 照れ隠しだとか、そういう言葉を免罪符に情状酌量を与えていたのが間違いだったのか。それとも、それは――その酌量というのは僕に対してのもので、僕がそう思うことで意地っ張りな彼女を許してあげようとしていたのか。何だかんだ言って、素直じゃないんだからと言って僕の心配や心労を――そして何よりも彼女のSOSをドブに捨てていたのは、僕だったのかもしれない。

 だからこれは。

 これは、たるるにぶつけて、僕に跳ねっ返ってくるもの。

「······こんっの、唐変木! そんなに一人で抱えこみたいのか? それなら僕に勘づかれないようにしろよ! 目に止まったら心配するに決まってるじゃん!! 隠せないなら隠すな、スルー出来ないなら、ちゃんと真正面からぶつけないと伝わらないんだよ······」

 ごめん、最後の台詞は僕に対してだ。とは、言わないけれど。言ってあげないけれど。

 たるるはびくりと肩を強ばらせて、見開いていた目をゆらゆらと彷徨わせながら、僕から視線を外した。

「別に、わざと分かりやすくしているわけじゃないわ。でも、ぐう……」

「ぐうの音は出るってか? 今は言葉遊びをするシチュエーションでもないだろ」

「違うって! ぐうの音しかでないの! もう! わかったわよ! 包み隠さず話すわよ! そのかわり、もう怒らないでよね」

いきったりたなごろを返したようにしおらしくしたり、忙しい奴だ。人のことは言えないけれど。

 怒らないってば。そう言って自分とあまり変わらない高さにある頭を撫でる。そして叩き落とされる前にその手を引っ込めた。

「えっとね、」

どこから話したものか、と十字路を渡りながら唸るたるると僕のすぐ後ろをトラックが横切る。あまり広くないこの道を通るにはいささか大きすぎるそれに、咄嗟に思案に暮れているたるるの手を引いた。

 ――その折りしも。

 たるるの後ろにある世界が――変わった。

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