第2話

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 さようならのチャイムが人の間をかいくぐる。放課後の廊下はいつもごちゃごちゃと賑やかだ。

 他のクラスから友達を迎えに来ている者、先生に呼び止められている者、話が盛り上がって足が止まっている者。いましがた教室にいた生徒たちは我先にと細長い廊下に押しこまれていく。マンモス校ではないにしろ、それなりの人数が在籍しているこの学校で、いっせいに廊下にでれば、混雑することは火を見るより明らかだろう。それが、風情があって好きだと言う人にはそれでいいのかもしれないけれど。あとは、肩と肩がぶつかろうがどうでもいいような――人の横を通る度に「ちょっとごめんね、通してね」と断りを入れなければならないシチュエーションが気にならない人、苦に感じない人もいいのかもしれないけれど。僕はというと、きっちりとチャックの閉まった鞄を机に置いたまま、椅子に座り直していた。忌避の為に努力をする程ではないにしろ、そういう人間同士の面倒ごとの種は、撒くのも摘むのも避けたい派なのである。

 もう少し人気がなくなってからにしようかな――と、廊下を横目で流し見る。僕は、前述の通り、どうしてもという訳ではないのなら、できる限り人やものでごった返している場所には近づかないタイプである。夏祭りのように賑やかであることが風情となる例外もあるにはあるけれど(あれはたまに行くから許せるのであって、毎日お祭り騒ぎとなれば話は別だ)。

 ――今日はそれだけじゃないんだけど。

 さて。いつも通り暇ができてしまった。何ということもなく、ぼんやりと教室を見渡す。いつもは40人以上が窮屈に詰め込まれているこの室内も、今はそれが10人にも満たないが故に役不足さが否めない。あまつさえ廊下より広いのだから、ますますがらんどうに見える。寂寥感すら漂うそれも、風情と十把一絡げにしてしまえばその通りなのだが。

 ――ぐるりと見回したところで、いやがうえにも長身が目に止まる。そいつは、色素の薄い柔らかそうな御髪を片方だけ耳にかけていて、美少女と持て囃されるたるる達(僭越ながら僕を含めて)を見慣れている僕ですら目を見張るほど整った顔の配置とパーツの形をしている。それは造形美という言葉を使って賞賛してもいいくらいで、魅力的というにはどこか個性に欠けていた。非の打ち所がない美しさというのは、ほう······と息を吐いてしまいそうな染み渡るものこそあれど、ひどくつまらない――印象に残らないものなんだな、と思った。それくらい、そいつの外見は美しかった。明らかにインドアそうな白い肌も、この季節に懈たって薄れて消えてしまいそうだ。

 そいつ――そのイケメン――は転校生の八八花むつな(ややばなむつな)と言う、とあるボードゲームのスキル表示をお借りするならばAPP18という恐ろしい数値をたたき出すのだろう、〝男子生徒〟である。色素の薄い短髪と、さらに白くてさらさらの肌――本当にその下に血管が通っているのか疑うほどである――を持つ八八花君の、やんわりと伏せられた目は、睫毛に隠れてその虹彩は伺えねどもつやりと澄んでいることは想像に難くない。モナリザもまじかよと頬を引くつかせるレベルだ。

 新学期と同時に転入してきたことが幸をなしたのか、珍しがって教室の外やら机の周りやらに人間サークルができることはなかったけれど、しかしそれは、同時に彼にとって出会いが絶たれたということでもあった。とどのつまり、これだけ人気者になりそうなみてくれをしているにも拘わらず、八八花君にはそれらしい友人ができていないのだ。

 美人は一定のレベルを超えると近寄り難いオーラがあると仄聞したことがあるし、むべなるかなではあるのだけれど、彼の場合はそれだけではないと思う。言い訳として使うには、少々、役不足である。

 話しかけられなかったわけではない。むしろ、このクラスは友好的かつ社交的な性格の持ち主が多いと思う。自慢じゃないが、僕を含めて。しかしながら、繰り返すようだが、八八花君が休み時間を共に過ごすような友達といるところを惜しむらくも目にしたことがないし、僕がそうであるわけでもなかった。

 何故そんなことが断言できるのかと問われれば、答えば明白である。僕の席が――八八花君の隣だからだ。何の推理もいらない、簡単な答え合わせ。読み切り漫画だってもう少し考える余地を与えてくれるだろう。事実は小説よりも奇なり? 笑わせんな。

「······あの、えっと、何でしょうか······?」

 じっと何の熱意のない視線に耐えられなくなった八八花君がおずおずと首を傾げてこちらを向いた。やっぱり、長いまつ毛に縁取られたその虹彩はつややかで、網膜にライト機能でも搭載されているんじゃないかと巫山戯たことを考える。「ううん、なんでもないよ」とにっこり愛想のいい笑みを貼り付けて視線をは外す。八八花君は怪訝そうに、けれども気弱そうに苦笑いを浮かべて「そ、そう?」とそれ以上突っ込んでは来なかった。

 最高学年の、しかも生徒会長様であるたるるは、今年度に入ってからというもの生徒会室で昼食を摂っている。生徒会室は僕みたいな一般の生徒は足を踏み入れ難い場所だ。だからといって今更違う男子グループに飛び入り参加しても、話やノリについていけずに空気を壊してしまうだろう。だからここ最近は一人寂しくこの教室で昼食を摂っているのだ。時折、話しかけられて数人の寄せ集め集団で机を合わせたりもするけれど、そんなのは数えるほどしかないので割愛する。

 じゃあ隣の寂しい転校生でも誘って仲を深めたらいいじゃん――と思うかもしれない。僕だって最初は思った。けれど、彼のコミュニケーション能力は以下の通りである。

「か、帰らないの······? あっえっと、そうじゃなくて······帰って欲しいとかそういうんじゃあないんだけれど、えっと、その······ごめんなさい······」

「そんな吃らなくたって掴みかかったりしないよ。僕は善良で幸福な生徒ですよっ――と。で、まあ、質問に答えるとね、人を待っているんだ、幼馴染なんだけど、僕よりも忙しい子なんだよ。だからもう少ししたらお暇するつもり。そういう八八花君は?」

「えっ、お、おれ?」

「そう、君」

「おれも、もう少しやることがあるから、その······まだ帰らない、かな」

「そっか、やることって何か聞いてもいい?」

「えっと、うん、いや······ははは、そういう訳です、うん」

いやどういう訳だよ? 台詞の情報量が少なすぎるだろ。

 会話というものは――対話というものは、軽ければ軽いほど、テンポと口ぶりが大切である。どれだけ丁寧な物言いをしたとしても、他人に伝わる時のニュアンス(という名のアレンジ)は決められない。そのニュアンス伝言ゲームに一番響くのは、会話のテンポであると、僕は思うのだ。まあ、のべつ幕無しに持論を並べ立てたが、それを誰かに押し付けるつもりは毛頭ないのだけれど。たとえ目の前にいるのが――すべてのテンポを崩してくる会話音痴だとしてもだ。僕は優しくて聡明なのだ。僕が気を付けていることを、他人が重要視しているわけではないことも、ちゃんと分かっている。なんちゃって。

 僕っていい子!――と、自分に言い聞かせながら、こちらから相手が答えやすい質問を渡して、どうしてそこで噛むんだよと後頭部を殴打したくなるほどしどろもどろになる彼の言葉を気長に紳士に待つ。

 こんなに会話が続かせることが出来るなんて、僕って実はすごく知識人で慈愛に満ちていて、いい人なんじゃないかと本気で思ってしまうほど時計が進んだ時、元気いっぱいの声ががらんどうなこの室内に飛んで入ってきた。

 言わずもがな、撫子色の髪を背に靡かせた彼女――たるるである。

「呼んだ? 呼んだよね! 呼、ん、だ、よ、ね!」

「なんでノリがお風呂大好きな牛さん風なんだよ。真面目に返すとしたら呼んではいないよ。待ってはいたけれど」

「知ってるってばよ! ······ってあれ?」

無駄にいなせな物言いで親指を立てたかと思うと、ぽとりと視線ごと言葉尻をすぼめた。かたや僕の隣を見遣ったまま、かたやチワワのように小刻みに震えながら、双方が首を傾げている。大型犬なんて目じゃないほどの長身である八八花君に対してチワワとは我ながらこれ如何に。

「たしか、このおっきい少年は転校生くんだよね?名前は確か、八八花むつな君――だっけ。リオくん隣の席だったんだ?」

「まあね」

「なるほど、リオくんの矮小さが顕著に伺える配置ですなあ」

「僕はこの中性的な身長で満足しているからいいんだよ。というか、テンションを考えてくれる?僕は慣れているからなんとも思わないけど、八八花君が着いていけていないだろ」

「んん?おお、それはそれは不調法なばかりに失礼しましたあ。リオ君を視界に入れたら一回はこういうのを挟まないとって思っちゃうのよね。発作みたいなものよ」

「人をアレルギー物質みたいに言わないでくれないかな」

「あ、そのっ、おれは、気にしてない、から」

 たるるの動きがゆくりなくぎこちなくなった。伊達に幼馴染を十七年もやっていない。彼女と僕は根本的な常識や感覚が似通っているきらいがある。つまるところ、先程の僕の持論は彼女の持論の一つでもあるのだ。

 ――分かるよ、その気持ちはおおいに分かるけれども、今は抑えるんだ。ハイテンションでビビらせたたるるにも原因があるのだから。

 そんな心の内を酌みとってくれたらしい。膨らんだ力を萎ませるようにひとつ、大きくため息をついて、たるるは八八花君に向き直った。その顔色は笑みで染められている。さすがアイドル気質だ。テレビにでている芸能人よりもずっとずっと貼り付けたほうの感情が読み取りやすい。笑み以外の感情の霊圧が消えいる――なんて。読み取ってほしい感情が読み取りやすすぎて八八花君がビビっているじゃないか。

「そう? 気にしていないのならこちらも気にしないわね。改めまして、私は在許紫和。麓咲高校の生徒会長様だよ! この学校を牛耳っているの!」

「ええっ!?」

「えっ鵜呑みにしたの? そんなわけないだろ······」

「そう、なの? 在許さん、すごく仕切るの上手そうだし、似合ってると、思う、ます。え、えっと、変なこと言ってたらどうしよう······何の刑に処されてしまうんだ······?!」

「落ち着いて、色々ダダ漏れてる。全部声に出てるから。同級生に対して変なこと言わないようにしようっていう意気込みが既に変なことだって気づいて。それに、たるるは人畜無害でこそないけれど、凶暴ではないから安心していいよ。ほら、深呼吸して」

「う、うん。ふー······」

あからさまに撫で下ろされた胸をさする八八花君に苦笑いが漏れた。ごめん、慰めておいてとても申し訳ないのだけれど、ジャイアニズムを地で行く彼女の〝程度を弁えたギリギリの悪ふざけ〟を僕は止められない。合掌。ご愁傷さま。死にはしないから安心してくれ。と、悪ぶった顔をしているたるるから目を逸らす。あーあ――この顔は、相手がビビり上がるだろうことを思い合わせたうえでの確信的な台詞を完璧に演じきった時の、さらに〝観客〟の反応が予想通りだった時のそれだ。

 気がつけばチャイムが鳴る時刻になっていたらしい。廊下に敷き詰められていた人も、見渡せばまばらに減っていた。このくらいなら、下駄箱でたむろっている輩に気を配らなくてもよさそうだ。間延びした低い和音のチャイムにつられて黒板の上にある掛け時計を見上げる。四時二十五分――いい時間だ。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「ええー、もうちょっとだけこのビビりまんをいじり倒したい!」

「ひ、ひい······! ご勘弁を······!」

「いつの間にかよく分からない打ち解け方をしている、だと?」

「性格上、そして関係――肩書き上、なるべくしてなった結果だと思うのだけれど」

「いやいや、成り果てたというべきじゃないか?」

「成り、果てた、結果······仲良くなったわけじゃあ······なかった······?」

「え? 本当に? 本当に仲良くなった結果がこれなの? 思い直すべきだとかきくどきたいよ僕は。もっとまともな友人関係を君は知るべきだよ」

「ちょっと待ってよ。それは私がまともではないと言いたいわけ?」

「むべなるかなだね。わざわざ言葉を選ぶのも甚だしいよ」

「食らえ! コークスクリュー!」

「いってぇ!!!」

 ――殴られた。くっ······いいパンチ、もってんじゃねえか。

綺麗に圧迫された鳩尾を抱えて蹲る。言い喩える言葉を選ぶうんぬん以前に言葉が出ない。痛い。純然たる痛みである。

 たるるはそんな僕を鼻で笑うと八八花君に「そろそろかえるね」と笑みを振り撒いた。せっかく僕の知りえぬ友情が芽生えていたらしいというのに、隣の――今は体勢からして斜め上の彼は、僕にめり込んだ迷いなきコークスクリューに、か細く切るような悲鳴をあげてこれでもかというほど体をちじこませてしまっている。ファンブル、振り出しに戻る、といったところか。朗らかで理想的な友情の芽を育むには、どうやら土が合わないらしい。

 僕とたるるの関係が理想的かと言われたらそれもまた違うので、ようは苦ではない関係がだらだらと続くなら何だっていいのだろうし、それが理想的と言うことなのかもしれないけれど。と、いうことを踏まえても、やっぱりたるると八八花君の相性がそんなにいいとは思えなかった。今の時点では。

「私たちはそろそろお暇するけど、八八花君はどうするの?」

「ごめんなさ、ああいや、そ、そうなんだ。えっと、ね、神子柴くん······」

「今、反射で謝ろうとしなかった? ねって言われても、僕は君の用事を知らないから助け舟を浮かべることすらできないよ」

「し、してない! あっその、そうだった、ごめんね、おれは、えっと、これからまだ、用事があるから······」

「そう、残念だわ。とっても後ろ髪を引かれる思いだけれど、じゃあね!」

まったく残念そうな様子は伺えない声色で、言うが早いか、たるるは踵を返して教室のドアへと歩いていく。半開きだったそれに手をかけて、「じゃあね、じゃなくてこう言うべきだったわ――またね」と振り返った。ひらひらと手を振るさまは、まるでアニメのヒロインのように型にはまっていて、ついつい眉尻を下げた笑みがついて出た。だから彼女は憎めない。そんな自由気侭な一挙一動に意識を向けていた八八花君が、おそるそる机の下に隠れていた手をあげる。やっぱり挙動不審なまでにおどおどとしてはいるものの、ぎこちない笑みで手を振り返してきた。あまつさえ、ばいばい、なんて身丈に見合わない挨拶を選んで。(顔は似合っているというところが、筆舌に尽くし難いとことである。)

 どうやら、胸襟を開きかけているというのはたるるの独りよがりな主張じゃあなかったらしい。

「うん! ばいばーい!」

「また明日ね」

「う、うん。また――よろしくね」

気弱そうに伏せられていた視線がやっと繋がった。それに満足感をひしひしと感じながら、僕達はその視線を解いて廊下のざわつきに身をすべらせた。

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