ゆるしいろの喧騒

競 琴梅

第1話

■登場人物紹介■

神子柴 璃央(みこしば りお)

男の子。最近ショックだったことは、この間クラスメイトに「璃央君の下の名前が思い出せない」と真顔で訊かれたこと。名前は璃央だし苗字は神子柴ですけど、という気持ち。


在許 紫和(ありもと 紫和)

あだ名はたるる。知らない後輩達が「生徒会長ってあれでしょ? あのアイドル組長」「そうそう」と話しているのを聞いて、ずっと心の中で「組長」がリフレインしている。


八八花むつな(ややばな むつな)

極度の臆病者で、何事にもビビりすぎてこの間紫和から「全身に低周波治療器でも付けて生活しているの? 罰ゲーム?」と訊かれた。怖くて否定出来なかったが、違うよ。付けてないよ。


かよ子

璃央の父親の知り合いで「ゆるしいろ」という店を営んでいる謎の人。小さい時に会った記憶の中の彼女と今の彼女が寸分も違わないことに違和感を通り越して恐怖を感じている。

――――――――――――――――――――

第一話はじまり




「さあ――始めようか」

 小さな少女が、美しい緑髪を揺らしてふっと顔を上げる。そうしようね、ね、と先程まで目を落としていた〝それ〟に笑いかけた。ぱらぱらと捲る度に、世界を閉じ込めたような独特の風が仄かに頬を掠めていく。

 その匂いは、どこかで何かを懐かしむように濃密に香った。




ゆるしいろの喧騒:壱




 びゅうっ――と。一際強い風が鎖骨辺りまで伸びた僕の髪をさらうように駆け抜けていく。春日遅々という言葉の通り、とろりとした微睡みを含んだ空気が春独特の雰囲気を作り出していた。

 全てのものが薄ら白んで見える、このささやかで微かな短い季節が、僕――神子柴璃央(みこしばりお)は嫌いではない。短い季節に詰め込まれた、そこはかとなく沸き立つ希望や期待、別れの寂寥感を誤魔化すように突きつけられる出会いに、人々は退屈を忘れる。むしろ、その退屈さえもが新しいなにかの前触れであるかのような錯覚を起こすのだ。朝の陽気も、春のせいでいつもよりどこか睡たげに首をもたげている。

 僕はそっと踵を揃えて立ち止まった。靴の音が抜けた空気はそれぞれの家の中から零れてくるこもった生活音だけを奏でていた。

 腕時計の針が指しているのは午前七時を少し右に過ぎたところ。なにかしらの部活動に所属している訳では無いのだけれど、僕は基本、毎日この時間に家を出ている。

 四季折々晴好雨奇。それぞれに魅力があるのだけれど、その中でも朝は格別だ。一日を人生に例えると、朝はまさに産声。目覚まし時計の鐘を止めて、身嗜みを整えてからしっかりと朝ごはんをいただいた後に家を出て、学舎に到着せんとする今の僕はさしずめ六、七歳と言ったところだろうか。(精神年齢ではなく、あくまでも例えである。)

 そんな何もかもが春の訪れに傾き、感覚や感情までもが飲み込まれた四月も残すところあと数日、僕は――僕達は私立麓咲高等学校の三年生を謳歌していた。

「おはよう、リオくん。つかぬ事をお尋ねしたいんだけれど、こんな何も無いところで何を黄昏ているの?」

 風で靡く後ろ髪を手で押さえつけながら散り際の桜に目を向けていると、後ろからころんとした声が僕の肩をつついた。

 振り返るまでもなく、聞きなれたそれにこちらも言葉で微笑みかける。

「おはよう、たるる」

彼女は在許紫和(ありもとしいな)。僕の幼馴染である。幼少の頃からずっと隣にいる、家族みたいな存在だ。へたをすれば家族よりも一緒にいる――というのは言い過ぎかもしれないけれど、そう言えるほど共有した時間が長いのは確かである。

 あだ名は〝たるる〟。何故そんなゆるゆるでぐだぐだそうな、しかもまったくもって名前にちなんでいないあだ名が付いたのかは僕も――そして彼女自身も謎なところだが。けれどもそれがいみじくも馴染んでしまっているのだから、慣れというものはほとほと面白おかしいならぬ面白恐ろしい。

 たしかに、人懐っこい、ふわふわとした可愛らしい容姿はしているとは思うけれど。

 ややあって振り返ると、たるるはにっこりと声と同じように明るい笑顔で僕に笑いかけていた。時間帯はさてもとして、彼女の朝一番はいつもこうだ。快活で、眠気なんて言葉はベットに置いてきたような笑顔と挨拶。

 「早起きは三文の得という有名で高名な諺があるけれど、早起きでいることよりも、笑顔でいることのほうがずっとずっと――三文以上のお得があると思うの!」というのは当時小学四年生だった彼女の名言である。たしかに、せっかく早起きをしたのにずっと眠たくて不機嫌そうな顔をしているよりも、早起きなんてしなくても笑顔でいられるほうが自分も周りも気持ちがいいだろう。今さらながら、むべなるかなだ。

 たるるは皆から可愛いともてはやされる活発な笑顔をふんだんにあしらった顔色で、にこにこと言葉を続けた。

「ね、ね。質問した時に思ったんだけれど、いましがた私が言った言葉なんだけれど、朝なのに黄昏っていうのも中々おかしなものがあるなって思わない?」

「朝の会話第一号がそれ?!」

「いいじゃん、つきあいなさいよ。ね?」

「うーん、まあ、いいけれども。そもそも黄昏るって言葉がまず面白いなと僕は思っていたよ」

「ほへえ、それはまたどうして?」

「黄昏って元は夕暮れの薄暗くて相手が誰だかわからない――誰そ彼は、からきているじゃないか。そもそも動詞ではないわけだろ?」

「確かに。ほら。文字って遊ぶとかの文字ると同じニュアンスなのかしらねー」

「どうなんだろうね」

「じゃあさ! 朝は黄昏ているじゃなくて黎明ってるって言えばいいのかな?」

「いや、無知を指摘するようで、プライドを傷つけてしまうかもしれなくて申し訳ないんだけど、朝方のことは、かたわれ時って言うんだよ。変な言葉を作るな」

「あちゃあ。もうあったのね」

「あとね、たるる。黄昏るっていう言葉は物事が終わりに向かうって意味だから、君が僕に言うべきだった言葉は〝物思いに耽ける〟が正しいと思うのだけれど」

「ま、まじか······じゃあ今までの会話は何だったの」

「そんなことを僕に聞かれても」

「なによう、すげないわね」

この掛け合い漫才のようなやりとりも、もう慣れたものだ。なんてことない会話をひとしきりやり合った後、僕達は揃って散った桜の花びらが敷き詰められて絨毯のようになった通学路を歩く。新学期へと伸びるレッドカーペットならぬサクラカーペットに、何度目かの新鮮な気持ちになった。

「ところでさ、僕の方からもつかぬことを伺いたいのだけれど」

「なあに?」

突然畏まって色を正した僕に、きょとりとたるるもそれに倣った。ぼんやりと眉の浮いた顔は正したと言うにはなんだか間抜けである。けれど僕はそんなことを指摘しようとは思わなかった。さしたる問題ではない。いや――思考回路までもが表情通りであったならば、問題なのだけれども。話が進まなくなってしまうし、進められたとしても、アリもびっくりなレベルの鈍行になることだろう。

 とかなんとか思い合わせたところで、それらは全て杞憂として片付けることになるだろう戯言もいい所である。たるる――在許紫和という人間はそこまで脳みそがつるんつるんではない。学力や成績の話ではなく、彼女は地頭がいいのだ。突拍子もない馬鹿をやらかす事は少なくないけれど。それを加味したとしても、とどのつまり、僕がこれから渡す言葉の意図を、彼女は汲み取れないはずがない。

 そう、一言で表すならば、在許紫和は、聡明な人間である。

「······今日は、やけにお早い登校じゃないか? 僕が誘っても余裕を持って寝ていたいとか言って、〝何がなんでもって気合い入れないと〟こんな時間には絶対に起きてこないのに」

何と言うこともなさげに、いう。純粋な疑問だった。――いや、少し皮肉を含んだことは認めよう。

 日頃、アイドルのようにいつもにこにこ活発な彼女だが、四六時中ずっと元気溌剌な訳ではない。それはうざい。うざすぎて幼馴染というレッテルをべりべりと剥がしてやる所存である。そんな彼女はとりわけ朝に弱く――弱いと言っても、遅刻することはないのだけれど――僕と違ってわざわざ余計な早起きをしようとしないし、することもない。時間の使い方がとても上手な奴なのだ。

 ――そんな彼女が、だ。

 あくまで褒め言葉として計算高い彼女が、僕がそぞろ歩きを楽しんでいるだけの、まだ人のまばらなこの時間に起きている――どころかこんなところまで登校してきているだなんて。彼女が務めている生徒会長という役職を鑑みても、学校祭や議会前でもない今日この時間にたるるがここにいる理由が僕には明瞭には汲み取れなかった――何かがあったのだろうということは不明瞭には分かるのだけれど。

「······」

 返答が返ってこないまま、たるるが靴を鳴らして足を止めた。どうやら言い淀んでいるらしい。

「ふう――安心して。無理に聞こうなんて思ってないよ。僕に入ってほしくないコミュニティが君の人間関係の中に存在するというのは、至極真っ当なことだからね。言いたくないのならそれでいいんだ、二度と聞きやしないし、気にもしないよ。そんなことじゃ僕達の仲は悪くなったりしないでしょ。けれども、もし、そうではなくて、言葉が上手く見つからないから説明ができないとか、今はまだ時期尚早で上手いこと話が纏まるタイミングを見計らっているというのならば別問題だ。僕はとっても聡明だからね、君が話せる時まで――話したいと思える時まで気長に待っていてあげる」

なんて茶化すように気障ったらしく台詞を連ねて、僕は彼女の出方を伺った。たるるはそうじゃあないんだけどねえ、と間延びした声を吐き出した後、まごまごと言い淀んだ。うん、ううん、いや、でも、まあ。顎に手を当てて唸る彼女を黙って待つ。少し俯いたせいで腰まであるウェーブがかった髪が頬を隠している。つんと形のいい鼻先と、ケアを怠らない血色のいい唇が見えるだけで、その表情は窺えないけれど、言い出し口を探していることは察するに難くない。

 黙って待つこと、一分――いや、もしかしたら三十秒ほどかもしれないが(人は手持ち無沙汰で待つ時間ほど長く感じる生き物である)。ひとしきり第一声を考えあぐねたらしいたるるが、ぱっとスイッチを切り替えるように顔を上げた。そこには先程までの暗い色はない。光の加減と言われればそれまでのことなのだけれど、頬が、睫毛が、鼻先が明るんだのは確かである。

「待っててあげる、だなんてうざい一言を取り沙汰して文句の一つでもくべてあげようかと思ったけれど、まあ、いいわ。スルーしてあげる」

一歩先で振り返り立ち止まっていた僕の横に、たるるはそう言って跳ねるように並んだ。そのまま歩き出した後ろを、今度は僕が追う。並んだ横顔は、足取りとは裏腹に軽やかそうなものではなかった。僕の気遣いからくる言葉をうざいと一蹴したことへの罪悪感からくるものではないことは分かる。彼女はそういう奴だ。僕はさして気にすることもなく、歩き出す。僕の横に、今度はちゃんと並んで歩き出したたるるを流し見て、誰もいない通学路を視界に映した。そのまま、まるで今日の朝ご飯は?と聞くかのようなトーンで問いかける。

「スルーしてくれるなら、聞き出してしまおうかな。悩んでるのは生徒会長としてのお務め?」

「んー、そんなところかなあ」

「なんだよ、聞いてもいいって言ったくせに随分と言葉を濁すじゃないか」

「濁すべきことだし、本当は言わない方がいいんだって分かっていても、聞いてくれるなら言いたくなっちゃうものもあるのよ。吐き出したいけど、うーん、なんかなあ、ってなるの」

「なにそれ······」

もごもごと口先で言葉をたごませる様に、これは深刻そうだな、なんてわざとらしく肩をすくませる。間髪いれず「その仕草はうざい。それだけは言いたい」と真顔で言われて、何だよ大丈夫そうじゃないか、と返してしまいそうになった。すんでのところで咀嚼して喉の奥に追いやる。軽口を叩いて誤魔化して茶化して平然を装いたいと思うほどの、彼女なりの、やむにやまれぬよんどころない事情があるのだろう。それを汲み取るだけのすべてを、生憎と僕は持ち合わせていなかった。ほとんど目線の変わらない隣でぶちくされている言葉の端々に耳をそばだてながら、落ちかけたスクールバックの肩紐を直して、大粒の雨みたいな桜の花がらが、細かく視界で揺れるのを目で追う。またひとつ、花弁がアスファルトに臥した。

 その時だった。

「······今年の――いや、今月かな。今月に入ってから行方不明者が相次いでいるのはご存知のことよね?」

「ん? ――ああ、あれか。僕のクラスの子も一人隠れちゃったからね。記憶に新しいよ」

「まだ死んでないわよやめてよ不謹慎が過ぎる。隠れちゃってはいるけれどもそうじゃなくてね」

「え? そういうつもりは毛先程もなかったんだけどな。ごめんごめん。そうじゃあないことは百も承知さ。茶化してみただけなんだけど、誤解を招いたなら謝るよ。それで? 行方不明者が出ることによって、君が早起きをして泣きそうな顔をしながら努めなけばならない何かがあるっていうのかい?」

「別に泣きそうな顔なんてしてないもん! それにね、私がしなければならないことなんてほんの僅かでしかないの、でも私にしかできないことがあるから、こうしてらしくもないことをしているのよ。生徒会長として、私らしくあるために、普段しないようならしくないことをしているんだもの、そして、その繕った努力が報われている兆候もないんだから、嫌になっちゃう。日増しに目覚めが悪くなるのをひしひしと感じるわ······」

「······えも言われぬ有様だね」

はあ。僕が出だしに風呂敷を広げて語った魅力的な春の景色に似つかわしくないため息が、春めかしい魅力を持つ髪色の彼女から長く溢れた。

 先ほど「今日は随分と」、と言ったけれど、訂正する必要がありそうだ。たるるは「今日も」早起きをして、「今日も」も気が塞ぐ思いで何かとにらめっこをするのだろう。去年の晩秋に生徒会長から引継ぎをうけてからというもの、呆れるほど彼女の学生生活は忙しなかった。何事にも快活で中途半端に休むことを好まない――休むことが嫌いなわけでなく、休むとなったらとことん何もしない――彼女に無理をするなと釘を刺し続けて数ヶ月。反動の如く本当に何もせずにだらだらと過ごした春休みを経て、それが落ち着いたかと息をついた矢先にこれだ。この学校は、たるるに休息を与えるつもりがないらしい。その皺寄せを請け負う僕の気持ちにもなっていただきたい――と言いたいところだけれど、推薦されて一方的に任された会長の任を身を粉にして責め果たしている彼女を前に、僕の気苦労なんて取るに足らないこと甚だしいのだから、今は何も言うまい。

 たるるの長すぎないまつ毛が伏せられた目を翳らせている。ため息をついたまま、黙ってしまったたるるに仕方がない奴だと笑いかけると、何よ、とけんもほろろな答えが投げつけられた。ぷいっと顔を逸らしてしまったたるるに、どうやら僕の優しさはお気に召していただけたようでなによりだと口角を上げる。反応がおかしいだなんて野暮で無粋なことは思わない。何、たるるは俗に言うツンデレでなのある。

 だから僕はもう一度、先程の笑みに重ねてにっこりと笑ってやった。

「たるる、まだ言いたいことがあるなら言ってごらんよ。幼馴染だろ? 君のためなら僕の労力は無尽蔵さ」

「けっ! 鼻を劈くようなくっさい台詞ねって罵倒してさしあげてもいいけど、やめておいてあげるわありがたく思いなさいよ感謝してあげるんだから調子乗んなよバーカ! 長髪野郎!! あーやだやだ! 普通にそういうこと口から出るの本当にもう心臓が持たないわ無理!」

「長髪は君もじゃん! つうか僕のはミディアムボブだ! ······って、うん? え? どっち?」

私は何にも気にしてませーん! 今日も強気に元気! とどこかの聖女の名前をした怪盗の決め台詞を叫びながら、たるるは生徒玄関のドアの向こうに走り去っていってしまった。······陸上部も脱帽する速さで。取り残された僕も、のったりと校門をくぐる。

「たるるの百メートルのタイムって何秒だったっけな」

別に競って追いつこうなどという向上心は、今は持ち合わせていないけれど。そんなことを思いながら生徒玄関の上で僕らを見下ろす大きな時計は――

 時刻は――七時と半分を回ろうとしていた。

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