第十四話『え……わたし!?』
秋物語り・14
『え……わたし!?』
主な人物:サトコ(縮めてトコ:水沢亜紀=わたし) シホ(杉井麗) サキ(高階美花=呉美花)
スイッチを入れたように大雨が降ってきた。信号が変わるのももどかしく横断歩道を渡る。
向かいのサカスタワーホテルの庇につくまで、十秒とかからなかったが、まるでバラエティーの罰ゲームで水を被ったようにグショグショになった。カバンからタオルハンカチを出したけど、頭を拭いただけで、それは濡れ鼠のようになった。一度絞って、キャミソールを拭くが逆効果で、肌に張り付いて気持ち悪かった。
「トコちゃんじゃないか!?」
思いがけない声が駆け寄ってきた。
「あ、吉岡さんも?」
「ああ、20%の降水確率に騙された。ゲリラ豪雨だね」
「ええ、もう九月だって言うのに……クシュン!」
「いけない、風邪ひいちゃうぜ。こっちおいで」
「え……ああ、あの」
ゴニョゴニョ言ってるうちに、ホテルのフロントの前に連れていかれた。
「あ、吉岡様の坊ちゃん。いや失礼しました。もう立派な大人になられて」
「オヤジの部屋お願いします」
「はい、どうぞ」
フロントのオジサンは、わたしのことには目もくれずに、キーを吉岡さんに渡した。
連れて行かれたのは、ペントハウスっていうんだろうか、部屋が二つもあって、エントランスも付いている。
「さあ、君から入れよ。服は、洗面のとこに乾燥機があるから、バス長めに入っていたら乾くよ」
いきなりバスを勧められ、心臓がバックン。
「あ、気持ち悪くなかったら、僕のジャケットも入れて置いてくれるかな。それから、中からロックはしておいてね、念のため」
そう言ってウィンクすると、濡れたサマージャケットを投げて寄こした。
交代でバスに入るのに三十分ほどかかった。
吉岡さんが入っている間に、部屋を見学。
寝室に大きなダブルベッドがあるのを見て、またバックン。もう一つの部屋は、それだけで、今いるマンションよりも広く、クロ-ゼットかと思って開けたら、ちゃんとしたキッチンがあったのでビックリ。灯りのスイッチかと思って触ると、カーテンがソヨソヨと閉まってくる。
本当の灯りのスイッチにはフェーダーが付いていて、その調整で、いろんな雰囲気になった。
そうしてるうちに吉岡さんがバスから出てきた。
「おいおい、昼間っから、こんなムーディーにしちゃって。僕も一応オトコなんだからね」
そう言うと、吉岡さんは、カーテンを全部開けて、部屋を健康的にした。
「すごい部屋ですね」
「オヤジの隠れ家。最近は使ってないんで、契約切れてるかと思ったんだけど、まだ使うつもりでいるみたい」
「すごいベッドがありましたね」
「見たのかい?」
「ええ、こんなお部屋、初めてだから」
「僕は嫌いなんだ、あのベッドルームは。むろん使うつもりもないから、安心して」
むろん、安心はしていたが、残念に思っている自分を発見して、少しドギマギした。
「きみとは、もっと早く会えるとよかったね」
「ですね、雨に遭わずにすんだかも」
「ハハハ……」
「え、なにか変なこと言いました?」
「いいや。僕には、恵みの雨だ。サトコちゃんと二人きりで話ができる」
「久々だ、サトコって呼ばれるの」
「リョウのサトコさんに遠慮したの?」
「それもありますけど、シホもサキもバイトの子達もみんな二音節で、なんとなくトコになっちゃって」
「わたし、ほんとの名前は……」
「いいよ。僕はサトコとして出会ったんだから」
雨は小康状態になったかと思ったらまた降り始めてきた。ホテルの分厚いガラスを通しても、雨音が聞こえる。
「僕、しばらく店には行けないんだ」
自分でコーヒーをいれながら、ポツンと言った。
「大学の都合ですか?」
「だったら、断ってる……オヤジの会社のお手伝い」
「大阪じゃないんですか?」
「関東地方……」
「広いですね」
「詳しく言うと、ブレーキが効かなくなる」
「わたし……」
「言わなくていい。君も関東地方だってことは分かってる」
「どうして?」
「言葉だよ。これでも専門の一つは言語学なんだ。一カ月も君の言葉を聞いていたら、関東のどのあたりかも分かってくる……おおよその年齢もね。シホちゃんと、サキちゃんがいっしょだから、分かり易かった」
「そうなんだ……」
雨が、叩きつけるように、ガラス窓に吹き付ける。風も出てきたようだ。
「少しだけ、飲もうかな……」
間が持たずに、キッチンに向かった。
「よせ、サトコにはアルコールは似合わない!」
肩に手が掛けられ、自然にわたしは吉岡さんと、間近に向き合うカタチになった。
「吉岡さん……」
「サトコ……」
自然に目をつぶってしまった……唇が自然に重なった。
わたしのファーストキスは、ブルーマウンテンの味がした……。
「おはようございま~す!」
「トコ、濡れてないんだね。あたしとサキは、もう、おパンツまでグチョグチョになっちゃったわよ」
「うん、降る直前に地下街に降りていたから」
「茶店で粘りましたね? ええコーヒーの匂いがする」
バイトのカオルちゃんに言われてドッキリした。
それは、開店三十分ほど前だった。
「ちょっと、あんたたちヤバイよ!」
リョウのサトコさんが、目をつり上げてやって来た。
「なんや、また、どこぞの店が、ドジ踏みよったんか?」
厨房からタキさんが、顔を出した。
「あんたとこや! このホテルの前で写ってるのん、トコちゃんやな!?」
「え……わたし!?」
「手をひいてんのは、ここの常連の吉岡ってニイサンだ」
写真は、何十枚も撮られていた。気が付くと、そのシャメのほとんどに見覚えのある男が重なって写っていた。
「あ、こいつ雄貴だ!」
「シホちゃんと関係のあったやつだね?」
「たれ込み屋になりよったなあ」
「そやけど、これサカスタワーホテルでっしゃろ。ラブホやなし」
「ベッドさえあったら、どこでもいたせるんだよ」
「わたし、そんなことしてません!」
わたしは二分ほどで本当のことを話した。キスしたことを除いて。
「していなくても、ガサイレのネタにはなるわよ。目的はリュウちゃんのオヤジさんだもん」
「なんで、オヤジが!?」
そこにサトコさんのスマホが鳴った。
「サツが、M署を出たって。あんたたち直ぐにフケな!」
「これ、少ないけど持っていき。東京帰って、落ち着くまで、金いるやろ」
「リュウさん」
「ええねん。オレにまっとうな商売やらしてくれた。とっといて!」
リュウさんが泣き笑いで、十万ずつくれた。きっちりしているのかみみっちいのか……。
「チ、店の前にM署の青いのが張ってる。あたしが引きつけるから、その隙にいきな!」
サトコさんは、店の裏から出て、通りに出ると、大声で叫んだ。
――ひったくり、ひったくりや!――
その隙に、わたしたちは店を、ゆっくりと飛び出した。サキが一度だけ振り返った。
「バカ、見るんじゃねーよ!」
そういうシホの目にも涙が浮かんでいた。
わたしたちが、ガールズバー『リュウ』に戻ることは二度となかった……。
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